第四杯目 鼻つまみなアカウント③
駅の西側に、地下のライブハウスがある。看板は小さい。階段が地下へ下りていて、その入り口に今日の出演者を書いた紙が貼ってあった。五組。ジロウがここへ来たのは、忍の投稿にこの店の名前が何度も出てくるからだった。行けばいるかもしれない。
階段の途中で、金髪の男が下りていくのが見えた。ジロウは階段の上に立ち、三段下りて、上がった。貼り紙をもう一度読んだ。出演者の名前は、五つとも読み方が分からない。
スマホで「ライブハウス 初めて 一人」と打ちかけて、やめた。
「あの」
気づくと、階段を上がってきた黒いパーカーの三十くらいの男に声をかけていた。
「これ、初めてでも入れるんですか」
「大丈夫っすよ。当日券あるんで」
「知り合いとかいなくても」
男は慣れた様子で少し笑った。
「いないっすよ、みんな最初は」
そう言って階段を下りていく男を、ジロウは追いかけた。
フロアは思っていたより狭く、学校の教室を二つつなげたくらいしかない。天井が低く、床は黒い。一段高くなったステージの上に、楽器は置かれていなかった。客はまだ十人ほどで、ほとんどが後ろの壁際でスマホを見ている。
ステージの前には、三人しかいなかった。五十くらいの男と、制服のままリュックを胸に抱えた女子高生と、最前の真ん中で腕を組んで立つ忍だ。
音楽が流れて、一組目の三人組が出てきた。衣装は手作りのように見えた。三人はステージの上に横一列に並んだ。
「私たち#DeaR_Uです! 聞いてください、スプリングスター!」
真ん中の子がそう言って、息を吸った。それが合図だったらしく、前の客三人が同時に手を上げた。イントロが始まったところで、忍が叫んだ。
「しゃー行くぞー!」
ジロウは思わず体を引いた。狭い箱の中で、忍の声だけが天井に跳ね返ってくる。声は、そのまま続いた。
「タイガー! ファイヤー! サイバー! ファイバー! ダイバー! バイバー! ジャージャー!」
ジロウには、何を叫んでいるのか分からなかった。タイガーもファイヤーも、曲とは何の関係もない。女子高生も五十くらいの男も、同じ言葉を叫んでいた。
歌が始まると、忍はさっきの長い叫びをやめた。代わりに、歌の切れ目ごとに、名前らしいものを短く呼んで腕を突き上げる。歌っている声の上には重ならない。間奏に入った途端、また長い言葉を叫んだ。
「虎! 火! 人造! 繊維! 海女! 振動! 化繊!」
サビの前で、音が薄くなった。ボーカルが声を伸ばして、その裏が二拍だけ空く。
「イェッ、タイガー!」
忍の声が、空いた二拍にぴたりと収まった。相手の動き出しに合わせて打つ、剣道の出ばなに似ている、とジロウは思った。
壁際にいた客が一人、二人と前へ出てきて、曲が終わる頃には、前の客は十人ほどになっていた。
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ステージの上で、真ん中のメンバーがマイクを握った。息が上がっている。
「あの、今日、来てくれてありがとうございます」
声が少し震えていた。
「私たち、まだ全然、名前も知られてなくて。今日も、始まったときはお客さん三人で。でも、あの、言わせてください」
彼女は一度息を吸った。マイクを持ち直す音がスピーカーに乗った。
「私たち、いつか単独ライブやります」
今度は声が震えていなかった。
「三百人入るとこで。ワンマンで。……たぶん、今日ここにいる人が、そのとき一番前にいてくれると思うので」
拍手が起きて、後方から声が漏れた。
「単独だって」
「三百とか無理でしょ」
「まず十人入れてから言えって」
「三年後には解散してるって」
聞こえよがしだった。ジロウがそちらを見る。三人組の男たちが壁にもたれて笑っている。次のグループを待っているらしい。
ジロウが忍を見たが、忍はそちらを見ていなかった。隣に来ていた数人と、両手を上げて跳ねている。
「フ──!」
その方角には、顔も向けなかった。
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一組目が終わると、後ろにいた客が前へ出てきて、前にいた客が後ろへ下がった。組ごとに、前に来る客が入れ替わるらしい。ジロウは端に寄って、そのまま四組目まで見た。
忍は組が替わるたびに場所を移りながら、どの組のときも前のほうにいた。ただ、組によってやることが違った。腕を上げるだけで黙っている組もあれば、間奏で長い文句を一人で言い切る組もある。周りは誰もついてこない。
ジロウには使い分けの理由が分からなかったが、でたらめにやっているようには見えなかった。
四組目が終わる頃には、後ろまでびっしり人が立っていた。トリの出番が近いのだ。トリが出てくると音が大きくなり、二百人近い客が一斉にペンライトを掲げた。誰が指示するわけでもないのに、曲に合わせて色が揃って変わっていく。
ペンライトの光はきれいだったが、サビでも声はほとんど上がらない。だが次の曲のイントロで、忍が叫んだ。
「タイガー! ファイヤー!」
続いたのは、二百人のうち三人か四人だった。それでも忍は最後までコールを打って、曲中で跳ねた。
「すみません」
忍が肩を叩かれていた。叩いたのは、忍と同じくらいの年格好の若い男だった。
「あの、飛ぶのやめてもらえます? 後ろ見えないんで」
「はぁ?」
「いや、後ろにも人がいるんで」
「ライブだぞ。飛ぶだろ普通」
「普通じゃないですよ、今どき」
忍の声が一段上がった。
「お前ら全員地蔵じゃねえか!」
「地蔵で何が悪いんですか」
「悪いに決まってんだろ! 文句あるなら俺より高く跳べや!」
「静かに見たい人だっているんですよ」
「じゃあ家で動画でも見てろよ!」
「うわ、出た」
「出たってなんだよ」
「そういう人いるんですよね。自分が現場作ってるつもりの人」
「作ってんだよ実際!」
「そういうの迷惑なだけですよ、はっきり言って」
二人の声が大きくなると、周りの客が距離を取り、スタッフが二人やってきた。
「お客様、少し落ち着いて」
「落ち着いてるわ! 先に絡んできたのあっちだろ!」
「ちょっと外でお話を」
「話すことねえよ!」
腕を掴まれて、忍は階段の方へ連れていかれた。
「離せって! 俺、何もしてねえだろうが!」
「他のお客様のご迷惑になっていますので」
「金払って来てんのはこっちも同じなんだよ!」
スタッフが扉を開けて、忍を外へ出した。
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ジロウがしばらくフロアに残っていると、トリが終わって客が帰り始めた。物販の列に並ぶ人と、そのまま帰る人に分かれた。片付けをしているスタッフの脇で、一組目の三人が段ボールを運んでいた。出演者でも物販の荷物は自分たちで運ぶらしい。ジロウは、そのうちの一人と目が合った。
「あ、すみません」
「いえ。……今日、後ろの方にいらっしゃいました?」
「あ、はい。端の方で」
「ありがとうございます」
深く頭を下げられて、ジロウは慌てた。彼女の腕には、チェキの台紙とグッズを詰めた段ボールが抱えられている。物販を終えたばかりらしく、三人とも汗が引いていなかった。
「いえ、そんな」
ジロウは行きかけて、足を止めた。
「あの、変なこと聞いていいですか」
「はい?」
「さっきの、金髪の人なんですけど」
「せきうちーさんですか」
「ご存じでしたか。その人です。あの人、その……ただ騒いでるように見えたんですけど」
言ってから失礼だったかと思ったが、彼女は笑って首を振った。
「あー、最近は地下でもコールやマサイしない人増えてますよね。まー私はオタクが湧いてると嬉しいですけど。せきうちーさん、チェキのとき、必ずいいところを言ってくれるんです」
「……あの人が、ですか」
「今日の二曲目の入りが良かった、とか。この前より声が出てた、とか。あの振りが好きだ、とか」
段ボールを抱え直しながら言う。
「毎回、具体的なんですよ。だから、ちゃんと見てくれてるんだなって分かるんです。うち、今日チェキ六枚だったんですけど、先月の対バンだと二枚だったので。三倍なんですよ。でも、あの人は二枚だった日も感想を言ってくれたんです」
返す言葉が見つからず、ジロウは箱から落ちたチェキの台紙を一枚拾って渡した。
「励みになります、すごく」
少し照れたように続けた。
「いつか、私を推してくれたら嬉しいなって思ってます」
「え」
「あ、全然、せきうちーさんと繋がりたいとかじゃなくて。そもそもあの人色んなグループ追っかけてそうですし」
彼女が慌てて手を振る。抱えた箱が腕から滑りかけた。
「でも、いつか。私たちがもっと大きくなったら。……あの、さっき単独やりたいって言ったんですけど」
「ええ、聞いていましたよ」
「あの目標、今日初めて言ったんです」
彼女は少し笑った。
「ずっと言えなかったんですけど。今日は言えたので」
「……なんでですか」
「前に出てくれたお客さん、十人いたので」
彼女はそう言って、箱を抱えて奥へ入っていった。




