第三杯目 麺好法師は許さない⑥
「おかえりなさーい!」
魁星の、新しく嵌め直された引き戸を開けると、湯気と一緒に果帆が飛び出してきた。外の冷えた空気が、遅れて店の中へ入っていく。
「あっ、目黒さんも! 久しぶりじゃないですか!」
「久しぶりでもない」
「そうでした?」
「五日前だぞ」
「五日も来なかったじゃないですか!」
「常連ですらないだろ」
カウンターの奥で、大豚は黙って麺を茹でていた。四人分と、その隣にもう一つ。誰も何も言わないうちに、五杯目の丼が並んだ。
厨房から、果帆が顔を出した。
「今日、卵ありますよー。すき焼きスタイルです」
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「で、協力する気になったんですか」
魁星からの帰り道で、忍が聞いた。半歩だけ、ひばりの横に並んでいる。
「なってない」
「はぁ?」
「私は自分の書くべき店が消えるのが嫌なだけだ。あんたたちの正義には興味がない」
「いや別に俺も正義とか興味ないっすけど。でも今日、めっちゃ助けてくれましたよね」
「結果的にそうなっただけだ」
「素直じゃないなー」
「うるさい」
外はすっかり暗く、風が出ていた。店の熱が抜けた背中に、それが直に刺さる。忍がジャンパーの前を閉め、千代太が緩めたネクタイの上から襟をかき合わせた。白い息が、四つと一つ、ばらばらに流れていく。
ひばりが足を止めた。
「それと」
四人が振り返った。ひばりはこちらを見ないまま、少し先の路面へ視線を落としている。
「一昨日の、あれだ」
忍が「あ」と小さく声を漏らした。
「あんたに言ったことだ。……あれは、言い過ぎた」
「え」
「それに足元を撃ったな」
「あー……」
忍が首の後ろを掻いた。
「あれ、普通に危なかったんですけど」
「当てるつもりはなかったが」
「危ないものは危ねえんですよ」
「まあその通りだ」
ひばりは一度だけ頷いた。言い終えるまで、足は止めていた。
「二度はやらない。訂正する。以上」
言い終えると、ひばりは歩き出した。
「ちょっと待って、今の謝りました?」
「別に」
忍が笑った。それから、少し照れくさそうに鼻の頭をこすった。
「あの」
千代太がおずおずと手を挙げた。
「目黒さん、明日はどちらへ」
「なんだ、いきなり」
「いえ、その、早起きすると伺ったので」
「環七沿いの豚骨だ。去年の五月に書いた店だな」
「一度書いた店に、また行くんですか」
「そうだ」
千代太が意外そうな顔をした。足が半歩遅れて、慌てて追いついた。
「新しい店の方が、その、読まれるんじゃないですか」
「まあ、アクセス数は稼げるが」
ひばりはあっさり認めたが、歩調は変わらなかった。
「新規の店は伸びる。開店初日ばかりを狙う同業者も多い。読む側からすれば、もう知っている店の話だから二回目以降は興味を持たれづらい」
「じゃあ、なんで」
「一年経つといろいろ変わるからだ。仕入れ先が替わる。値上げもする。味だってブラッシュアップが必要だ。逆に、変わらないよう努力する店もある。それを確かめるのにも、行かないと分からない」
「……それは」
千代太はそこで言葉を探した。探しているあいだ、誰も先を引き取らなかった。
「大変じゃないですか」
「大変だな」
「なのに、やるんですね」
「まあな。……それに、あそこは好きな店だ。好きな店には、何度でも行く」
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その夜、麺好法師の徒然啜が、六日ぶりに更新された。記事はあの塩の店のものだった。去年、一昨年に続いて三本目になる。
レンゲを口へ運ぶ前に、香りが届く。塩気は、飲み込んだあとから追いかけてくる。
店主は一杯ごとに、スープを丼へ張る前に小皿で味を見ていた。日によって違う鶏ガラの出方を、塩ダレの量で合わせているのだろう。
熱いうちは香りが前に出る。少し冷めると、角の取れた塩気が下から上がってくる。
記事の頭には、いつも通り番号が振ってあった。
二〇二六年・十七杯目。
翌朝、ひばりは六時に家を出た。混雑が始まる環七に車を走らせ、駐車場を探す。店の前に着いたのは七時四十分で、開店は十時半だった。先客は四人。開店の三時間近く前に、自分以外にも四人いる。どこかで評判を読んで来たのだろう。四人とも、背中を丸めていた。
ひばりは壁に背を預け、鞄からノートを出す。去年の五月の記録を開いて読み返した。
腕輪は、左腕に巻いたままだった。外そうかとも思ったが、外している間に怪人が出ても面倒だ。ひばりはノートに一行書いた。
待ち客、七時四十分の時点で四名。




