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ねえとれ 4

 即座に立ち上がり、ジェニはスズを追って走り出す。

 ベルエルに声を掛けたのはその後だった。

 

 ジェニ見えているのは、前方、草を踏みつける足音として感じられるスズ。ではなく、その先にいるもう一つの気配。

 足取りだけでスズの先にいる者が卓越した戦士でないことはわかる。

 

 風が揺らす木々のざわめきから逸脱した、明らかな足音。

 あれじゃあたとえ獣でなくとも、気のせいだとは思わないだろう。


 そんな未熟な足運びの正体は、おそらく。


「ネー……」


 呆れと驚きと、何よりそれを鬱陶しいと思う気持ちがジェニの口から声となってこぼれていた。

 その僅かに散漫だったジェニの体が不意に浮き上がる。

 ドキリ、と心臓に痛みを感じるほど驚いたジェニは反射的に息を止め。すると間もなくして、浮き上がった体は白い首の後ろに落ち着いた。

 

 ベルエルだ。

 後から追いついたベルエルに拾い上げられ、ちょうど肩車をする格好でジェニは肩の上に乗せられていた。


「びっくりするじゃないか」


 ほっと胸を撫で下ろすジェニに、ベルエルは「油断は禁物なんだろ」と鼻息を漏らした。


「おれの方が速い。ちゃんと捕まってろよ」


 そうして大股で走る白い人型は、小人のスズやジェニでは苦労するような足場の良くない地面をわけもなく走っていく。

 おかげで、始めの出遅れがなかったかのように、先と同じく山肌が崩れて出来た土砂溜まりを乗り越えていくスズの姿を捉える。


 即座、「待てっ」。

 声を上げたジェニだったが、聞こえていないのか、スズは返事をせずに土砂山の向こうにまた姿を隠した。

 追って、ベルエルが山に一度だけ足を掛けて軽やかに飛び越える。


 その目下。

 スズはもうすでにソダロに太矢を掛けていた。

 

「スズ、待てっ!」


 もう一度、それは今にも射られようという矢に向けて放たれた制止の一言だ。

 しかし、無駄だろう。

 後頭部越しにでもスズが狙いに集中しているのがわかった。


 瞬時、ジェニはベルエルから飛び降り、スズが射ろうとする矢の射線上に着地。

 そこが目の前といって差し支えないほど近かったため、スズの見開いた目が焦りの一色に染まっているのがよく見える。

 だがすでに、矢は放たれていた。


――ブゥッ


 矢が空気を貫く音に混じり、仮面から露出したスズの「おいっ!」と叫ぶ声がジェニの耳の奥に鈍く響いていた。

 

 この一瞬。

 なんでもないただの人であれば思わずそうなり、時に"幸運"などといわれ。ある程度鍛錬をした者なら、"絶好調"。熟練の戦士であれば、"時が止まったように感じる"とか"時を越えた"なんていったりもする。


 だが、ジェニは違う。

 ジェニはこの一瞬を"ハマった"という感覚で捉えていた。


 何がかと訊かれれば、自分が。

 どこにと訊かれれば、後の今に。

 ずっとそう答えてきた。

 

 だから強いて言うならば、これは僅か一秒にも満たない時間の少し手前の感覚なのだ。

 先に起きる出来事がありとある理想を元にそこを目指して行動する、その中間に生じるいくつもの選択肢から一つを決断する一瞬よりも短い時。

 

 ジェニは、その一瞬の中の一瞬よりも僅かに早く自分が起こす行動が成功するとわかっていた。

 故に"ハマった"。ハマる、ではなくそう答えるのは、そういう意味からだ。


 行動を起こす直前にすでに結果が成功の一択であると理解して行動するこの時を、ジェニは"逆転の時"と呼ぶ。


「うっ……そ……」


 この逆転の時の後を、人の目は達人技としか見ないだろう。

 唖然とするスズがこぼすように言う「すげえ」という一言を、ジェニは何度も聞いてきた。


 だがその台詞は、自分の行動を称賛する人々の頭に"成功"と"失敗"の二つの選択肢が準備されていたからこその発言だ。 

 最初の頃こそ否定してきたが、もうそんなつもりはなかった。


「そんなことよりも……」


 ジェニは掴んだ太矢を投げ返し、厳しい目付きでスズを睨みつけた。

 その脇をベルエルが駆けて行く。


「……ボクは言ったはずだ。余計な気配を追うな、って」

「い、いやそれは……」

 

 言い淀んで、スズは下唇を噛み締めた。

 直後、あの雄叫びが響く。

 するとすぐに「ごめん」と平謝りだけしてジェニの背後へと視線を戻し、スズがまた走り出すも。


「それは、ダメだ」


 今度こそ、という力でジェニはスズを止めた。

 

「どうして! だって、あの子が……っ!」


 必死の形相のスズを「ベルエルがいる」と言って無理やり納得させ、「それに……」とジェニは彼女を自分の正面に引っ張り戻した。


「それは、オマエがボクの言うことを聞かなかったせいだろ? ボクは言ったはずだよ、あの子はあそこに置いてくるように。オマエはそれを無視しようとしたんだ」


「違うっ。ネーは勝手について来たの」

「いいや。オマエが連れてきたんだ」


 そうじゃない、言い掛けたスズを遮るように、ジェニは「そういうのを、無責任って言うんだ」と語気を強めた。


「あれが一人で安全について来れると思ったのかい? それとも、オマエ一人でなんとかできると思ったのかい?」


 畳み掛けるようなジェニの言葉に、スズは悔しげに「くっ」と唸る。

 その攻撃的な視線を押し返すように、ジェニはスズの胸ぐらを掴んだ。


「……だったら、一人で助けに行くかい?」

「できるよ。俺だって素人じゃない」

「できるわけっ……」


 ないだろ。

 叫ぶように放たれた声。

 同時に放られた平手打ちは固いスズの仮面を打ち鳴らし、衝撃でスズは吹っ飛んだ。


 咄嗟のことに受け身も取れず、地面に横倒しになるスズ。

 それを見下ろすジェニの目は血走っていた。


「できるわけないだろ! ここは、そういうところだ! なんとかなるなんて、多少賢いだけの人間の奢りなんだよ! あの野獣を相手になんとかできても、次にオマエの前に現れるのはケタマ・オリマだ! 一人でなんとかできるはずがないだろ!」


 ジェニの怒りには、過去の様々が込められている。だから、八つ当たりみたいなものなのかもしれない。

 心の奥で言いようのない苦しみが、じわりと滲んでくるのをジェニは感じていた。

 

「だから……」


 自分にもっと力があれば。


「……諦めるんだ」


 誰も死なせずに済んだのに。


「守るっていうのは、そんなに簡単なことじゃない」


 噛み締めた唇から溢れ出す血液は過去に流さなかった涙が如く。

 こみ上げる後悔をジェニはため息として吐き出した。


「そんなの……、わかってる」


 呟いてスズがむくりと立ち上がった。


「だけど、俺はあの子を一人にできない。きっと寂しいはずだから。大事な人が死んで、本当に一人ぼっちになっちゃう」


 そう言うスズは静かだったが、はっきりと覚悟が窺えた。

 だが、「理由なんてどうでもいい」。


「そういう話を聞かされるのは初めてじゃない。だから聞かせてもらいたいんだ」


 オマエは、どうしてついて来たのか。

 それが核心を突く質問となることはわかっていた。

 質問に対して申し訳無さそうな、悔しげな顔をすることも。

 だからどうしたって言わなければならないことがあった。


「オマエは、結局オマエを守るためにボクやベルエルを危険に巻き込むことを選択した。それが、たとえネーを守ることとベルエルとの約束の二種類の責任感に悩んだ結果だとしても。お前の選んだその道には、誰かの死が付きまとう。それを覚悟したのかい?」

「…………」


 無言で自分に視線を送るその目を見て、ジェニは奥歯を噛み締めた。


「その目は、きっと上手くいくと思ってたってところだろうね。何か起きても、自分がダメだったとしても。たぶんボクやベルエルがいる……そんな目だよ……」


 まったく、若さとは愚かさだ。

 

「オマエは、本物の恐怖を知らない……」


 口にしてジェニは俯くしかなかった。

 自然と吸い込む息はか細く、なんとも心許ない。心なしか震えてすらいるのかもしれない。

 そういう自分の内側にある不安定なものを壊さないように慎重に、ジェニは声を出す。


「自分が生命を懸ければ、死んでも、そういう考え方は勇気なんかじゃないよ。ましてや強さなんてものでもない。

 刺し違える覚悟っていうのは、勝つことが前提なんだ。敗北を一切加味していないから。

 でもそんなのは、自分の力がどれほどのものかわかっていないから考えられることだ。上手くいくと妄想して、生命という自分が持っている最大限を懸ければなんでも成し遂げられると思ってしまう。

 だけどそれは、同時に相手の力をわかっていないって意味でもあるんだ。生命を懸けても、何にすがりついても勝つことができないことだってある……」


 いいかい、スズ。とジェニはスズに歩み寄る。


「今は過去だ。未来は過去が膨張しラプチャした後にしか見えない。過去に覆われたこの立ち位置で何を見たとしても、そんなものは過去という膜の先に透けて見える薄らぼけた不確かなものでしかないんだ。

 

 ボクたちがどこを目指して行動するにせよ、そこには選択肢がいくつか用意されている。ボクたちは、その一つを選んで行動するしかできない。

 だから同じなんだ。

 ラプチャして見える未来も、選択なんだ。

 幾通りある今という過去の選択肢が表すのは、一つの未来じゃない。

 オマエが見る未来が一つなだけさ。


 成功だって、失敗だって結果だよ。

 でも、その先にまた別の未来がいくつも見える。

 だから、見誤っちゃいけないんだ。

 今いるオマエの位置をちゃんと見て、今もラプチャした未来の一部だと気づくんだ。スズ……」


 スズには理解できていないようだった。

 だが、彼女の沈黙が理解しようとしているつもりだからだということはわかる。

 ジェニは、「どうせオマエは一人じゃないし、あれも一人にはなれない」と付け加えた。


「……どういうこと?」


 顔を上げたスズの表情は、これまでの複雑なものが失せ、いつもと同じように見えた。


「世界が満たされているせいで悩むからさ」


 それだけ言って、あとは聞くつもりもないし話すつもりもなかった。

 その代わり、ジェニはスズのソダロを取り上げる。


「ちょっと! まさか俺から武器を取り上げて無力だとか言うつもり!?」


 慌ててソダロを取り返そうとするスズをジェニはいなした。

 そして、首を横に振る。


「その内、オマエにもわかるよ。生命を繰り返し、何度も過去を破裂させてきたその結果ってものがね……」


 力なく呟き握り締めたソダロは、ジェニには妙に細く感じられた。

 久しぶりに握る凶器だからだろうか。

 いや、違う。自分の武器ではないからだ。


「…………」


 そうしてそっとスズにソダロを返し、ジェニが振り返った向こう。

 さっきまで吠えていた野獣"テツクダキ"の声が止んでいた。

 

 姿も見えず。説教している間に遠くへ行ってしまったのかと「ベルエル」の名を呟き、ジェニが走り始めたその時。


「ベ、ベルエル……」


 今呼んだはずの彼の者が、向こうからやって来る。

 その手には前と変わらず汚れた姿の少女が握られていた。

 何もかも、予想通りの光景だった。

 またしてもどす黒い色に染まった姿まで全部。

 

 ジェニからしぼむように力が抜けた。


          ◯


 テツクダキは、その名の通り鉄をも軽く噛み砕く固く平たい歯と、太い六本脚が特徴の獣だ。大きさは中型の竜にも匹敵する。

 肥大した丸い胴体とその割小さな頭部という姿からクモとも例えられるが、実物はずっと醜い。

 

 分厚い唇を持ち、毛髪宛らの剛毛に覆われた頭部、脇にそれぞれ一つずつある黒目の小さな丸い瞳。それがまるで商店が合っていないように見えて不気味だが、そこに爬虫類のような高速で伸び縮みする首があるとなればさらに気味が悪い。

 

 そんなテツクダキの行動はというと、太い脚が故に立ち竜のような器用さは見られず、ただやたらに噛み付いてくるばかりだ。

 その直線的になりがちな行動を予測不能にさせているのが、六本の脚であり伸縮自在な首である。


 熟練の戦士であれば一人でも無傷で戦い勝つことも可能だろうが、それはテツクダキ一匹ならという話だ。ここは他とは少し状況が違う。

 ここが冠付きの管理下にある以上、肉食の野獣の縄張り内には必ず雌雄一対で存在するはず。


「ベルエル。オマエが殺したのは、尻に棘が生えているやつかい?」

「ああ、そうだ。食ったから死体は残ってないけどね」

「そうか……」


 だとすれば、近い内にメスの方が襲ってくるだろう。

 それはスズがネーを追っていった時点で考えていたことだ、しかし運が悪ければ。

 

 冠付きの縄張りを抜けるのにはまだ半分。残りあと二つの山を越えるまで、ケタマ・オリマに見つからない可能性はどれくらいだろうか。

 考えると、ジェニには頭を抱えることしかできなかった。


 そんなジェニの姿を、スズは今にも泣き出しそうな幼子のような顔をして見つめていた。

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