宵宮の灯(三) 凍らせない、ただひとりの手/鈴当てで大人げない辺境伯
差し出された、その大きな手を。私はこわごわそっと取りました。
あたたかい手でした。ごつごつと節くれだった大きな手のひらから、じん、とたしかなぬくもりが伝わってきます。——素手と、素手。ああ、そうだ、と私はふと思いました。この方の手は本来ならふれたものを凍らせる、氷の手のはず。それなのにいまこうして繋いだ私の手は、ちっとも冷たくない。むしろ、ぽかぽかとあたたかい。——この広い世界を、どんなにさがしてみても。この方がこうして手を繋げる相手は、きっと私ただひとりきり。そう思うと、なんだかふしぎな心もちがいたします。
私たちは手を繋いだまま、ふたたびゆっくりと縁日の灯りのなかを歩きだしました。
「……当主さま。あちらのお団子焼きたてですよ。あまいタレの、いいにおい」
「……ああ」
「甘酒も、いかがです。体がぬくもりますよ。……あ当主さまはあまいものは、お好きじゃありませんでしたっけ」
「……嫌いでは、ない」
「まあ、そうなんですか。それははじめて、うかがいました。——ふふ。当主さまにもそういう、かわいらしいところが、おありなんですね」
「……かわいらしい、とは」
「あ。し、失礼しました。つい」
当主さまがじろりとこちらを見おろすので、私はあわてて口をつぐみました。けれどそのじろり、もちっともこわくはありません。むしろ、どこかてれくさそうで。——私は思わずふふ、と笑ってしまいました。
と。屋台のかげからこちらに気づいたおかみさんが、ひとり。「あらお社さまと当主さ——」と、声をあげかけて。けれどすぐにとなりの人に、袖をぐいっと引かれて。「しっ。野暮をおし」と、たしなめられあわてて口をつぐみました。そうして、みんなにこにことあたたかい目で私たちをそっと見送ってくれるのです。——だれも私たちのあいだには、割って入りません。まるでこの灯籠の下の、ふたりぶんのちいさな世界を、町じゅうがそっと守ってくれているかのように。
交わす言葉はどれもこれも屋台に並ぶ品の、なんということもないことばかり。あまい団子あつい甘酒ふわふわのわたあめ。——けれど。繋いだ手のことだけは、当主さまも私もどちらからもひとことも口にはしませんでした。ただはぐれないようにとぎゅっと繋いだまま。ずらりと連なる灯籠の灯りの下を、ぽつり、ぽつりとあてもなくそぞろ歩く。——たったそれだけのことが、なぜだかこの夏の夜を、世界じゅうでいちばんとくべつなものにしているようでした。
私の胸はさっきから、とくん、とくん、と妙にいそがしく鳴っています。……はて。すぐそばの焼き団子の炭火が、あんまり近くてあついせいでしょうか。きっとそうに違いありません。
* * *
やがてそぞろ歩くうちに、私たちはロッコさんの、あの「鈴当て」の屋台の前にさしかかりました。
「よおいらっしゃいいらっしゃい! おや、こりゃあお社さまに当主さままで。こいつぁ、たいそうな上客だ。——ひとつ、いかがです。あそこに吊るした鈴を、この玉でみごと落とせたら、景品をどーんと進呈しますぜ」
ロッコさんが屋台の奥にずらりと吊るした鈴を、得意げに指さします。そのまた奥の棚には、景品の木彫りの狛犬がちょこんとならんでいました。
「当主さまやってごらんになります? ——あ、でも。あれ、見た目よりずっとむずかしいんですよ。私さっきこっそり五回も投げて、ぜんぶかすりもしませんでしたから」
「……貸せ」
当主さまはぼそりとそう言って、ロッコさんから玉をいくつか受け取りました。そうして、その鈴をじっとしばらく見すえて。それからおもむろに腕をふりかぶりました。——次の瞬間です。
ぱしっ。ぱしっ。ぱしっ、ぱしっ、ぱしっ。
投げる玉が、投げる玉がそれこそことごとく、寸分たがわず命中して。吊るされた鈴が次から次へとちりん、ちりんとはじけ落ちていきます。狙いをはずすということが、まるでありません。景品の木彫りの狛犬が、みるみるうちに当主さまの足もとに、うずたかく積みあがっていく。——これはもう縁日の遊びのいきおいでは、ありません。的をひとつ残らず討ちとらんとする、いくさのような本気ぶりです。
「ちょちょっと、ちょっと! りょ領主さま! お待ちを、どうかお待ちくださいっ!」
しまいにはロッコさんがまっ青な顔をしてあわてて両手をふって、とめに入りました。
「そそんなに根こそぎ落とされちゃ! う、うちの店が店が潰れちまいますってば! どうか、どうかご勘弁を!」
ようやく手を止めた当主さまは、その山のように積みあがった景品を、ぜんぶまとめて私のほうへずい、と差し出しました。
「やる。取れ」
「まあ。こんなにたくさん、いただけません。——それに、当主さま。ただでいただいては、いけません。ちゃんと、お代を頂戴しませんと」
「……景品だ。代は、要らん」
「いいえ。そういうわけには、まいりません」
いつもとは、あべこべです。ふだんは、私が「銅貨五枚です」と突き返す番なのに。今夜は私がお代を払うと言い張って、当主さまが要らん、要らんとおっしゃる。——なんだか、おかしくて。私はくすくす笑いながら、その景品の山のなかから、たったひとつだけ選びとりました。
えらんだのはあのいつも愛想よくにこにこ笑っているのに、なぜだか売れ残ってばかりの、木彫りのアン。土産の棚ではぶすっとした顔の木彫りのウンにばかり人気をさらわれて、こんなに一生懸命、笑っているのに、いつもひとりぽつんと残っているのです。——なんだかこうほうっておけなくて。私はその小さなアンを、そっとたもとの奥にしまいこんだのでした。
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——お代は、銅貨五枚。……ではなく、ブックマークをひとつ、いただけたらうれしいです。




