宵宮の灯(二) 二人で巡る縁日。当主が、手袋をはずした素手を
そうして、なんとなくのなりゆきで。私は当主さまと二人、ならんで、この縁日をぶらぶらと巡ることになりました。
考えてみれば、当主さまも、こうしたお祭りは、生まれてはじめてなのだそうです。この呪いと呼ばれた辺境の地に、にぎやかな祭りなど、これまでただの一度もなかったのですから。だから当主さまは、屋台のひとつひとつを、めずらしそうにじっとながめては、ときおり、ぼそりと私におたずねになるのでした。
「……あれは、なんだ」
当主さまがあごでしゃくったのは、真っ赤で、つやつやとした、りんご飴の屋台です。
「あれは、りんご飴、といいます。りんごに、あまい飴をとろりとからめたものなんですよ。かりっと噛むと、なかから甘ずっぱいりんごが出てきて、それはもう、おいしいんです」
「……りんごに、飴を」
「はい。当主さま、ひとつ召しあがってみます?」
「……いや。おれは、いい」
「まあ、そうおっしゃらずに。——あ、では、あちらはわたあめ。ごらんになって、当主さま。あの、白くてふわふわの、雲みたいなお菓子。あれもね、口に入れると、しゅわっと溶けてなくなるんです。ふしぎでしょう」
「……雲を、食うのか」
「ふふ。雲じゃありません。おさとうですよ、おさとう」
当主さまは、その雲みたいなわたあめを、まるでめずらしい魔法の品でも見るように、じいっと見つめておられます。ふだんは氷みたいに、なんの表情も浮かべないお顔なのに。今夜はなんだか、ほんの少しだけ、子どものようにあどけなく見えて。私はなんだか、おかしくなってしまいました。
「当主さま。お祭りは、いかがですか。楽しいですか?」
私がそうたずねると、当主さまは、少し考えるように間を置いてから、
「……わからん。こういうものは、はじめてだ」
「あら。では、これから、おいおい、わかっていけばいいんです。お祭りはね、毎年来ますから。——来年も、再来年も、ずうっと」
「……ずっと、か」
「はい、ずっとです。……あ、当主さま、ごらんになって! あそこの、金魚——じゃなくて、木のお魚すくい! あれ、なかなか、むずかしいんですよ。私、さっき、こっそり五回も、しくじって」
「……お前は、眺められる側では、なかったのか」
「あ」
しまった。マーサさんに、あれほど、じっとしておいでと言われていたのに。私が、ぺろりと舌を出すと。当主さまは、ふ、と、ほんの少しだけ、その口もとをやわらげられました。——それは、しかりつける、というよりは。どこか、ほほえましいものでも見るような、そんな、やさしい目でした。
屋台の合間には、狛犬のアンとウンの姿も、ちらほらとまぎれていました。ウンときたら、いったいどこのだれのしわざか、あたまの上に、ちいさな提灯を、ちょこん、と載せられてしまって。いかにも不服そうな、への字口のまま。それでも、せっかく載せてもらった提灯を、ずり落としてはならぬと思うのか、そうっと、そろりそろりと、慎重に歩いているのです。
「まあ、ウン。あなた、提灯をかぶって。よく似合っていますよ」
「……無理を、させるな」
と、当主さまが、なぜだか、ウンの肩を持ちます。ウンは当主さまを見あげて、いかにも我が意を得たり、というふうに、ふん、と鼻を鳴らしました。いっぽうのアンときたら、マーサさんの屋台の前で、すっかり売り子気取り。「わんっ」と一声ほえてはお客の袖を引いて、焼き団子のほうへと、得意げに案内しています。
「アンちゃんは、たいした商売上手だこと。……当主さま、うちの狛犬は、片方が客引きで、片方が看板娘。おかげで人手が浮いて、大助かりです」
「……狛犬を、勘定に入れるな」
当主さまは、あきれたようにそうおっしゃいましたが、その声は、ちっとも怒ってなどいませんでした。——ふと見れば、少し先の屋台のかげで、テオさんとリナさんが、なにやら、こそこそと内緒話。目をこらせば、二人、おそろいの、ちいさな鈴の飾りを、たがいの帯に、そっと結びあっているのでした。まあ。あの初々しかった二人も、いつのまにやら、すっかり仲むつまじいこと。私はなんだか、こちらまで、心の底がぽかぽかとあたたかくなってくるのでした。
* * *
そうして二人で、屋台をひやかして歩くうちに、夜はしだいに更けてきました。それにつれて、参道の人出も、いよいよ多くなってきます。
なにしろ、鈴の社の、生まれてはじめてのお祭りです。その噂は、思いのほか遠くまで、風にのって届いていたようで。ふもとの宿場町からも、街道ぞいのよその村々からも、それはもう大勢の人が、ひとめ見ようと、どっとつめかけてきたのです。せまい参道は、たちまち、前にも後ろにも身動きひとつとれないほどの大にぎわい。人と、人と、また人。——と。そのときでした。うしろのほうから、どっと大きな人波が押し寄せてきて、私は、その勢いに、ふわり、と足をすくわれかけたのです。
「あ——」
このまま人ごみにのみこまれて、当主さまとはぐれてしまう。——そう思った、まさにつぎの瞬間でした。
少し前を歩いていた当主さまが、はっとふり返って、こちらを見て。——そうして、ほんの一拍だけ、なにかをためらうように、その大きな手が、宙で、ぴたりと止まって。それから、意を決したように、すっと、私のほうへ、その手を差し出したのです。ふだんはけっしてはずすことのない、あの手袋も、しない、素手のまま。
「はぐれる」
当主さまは、ただ、それだけをひとこと、ぼそりとおっしゃいました。理由は、たったの二文字。それ以上は、なにもおっしゃいません。——けれど。その差し出された大きな素手を見て。私の胸は、なぜだか、とん、と、ひとつ、高く鳴ったのでした。
ここまでお読みくださり、ありがとうございます。
続きが気になりましたら、ブックマークと★での応援をいただけますと、更新の励みになります。
——お代は、銅貨五枚。……ではなく、ブックマークをひとつ、いただけたらうれしいです。




