宵宮の灯(一) 藍のゆかたの晴れ姿に、氷の辺境伯が石になった
お祭り当日の昼下がりのことです。私は社の授与所で、朝からずっと、すっかり着せ替え人形にされておりました。
「ほら、お社さま。じっとして、動かないの」
そう言って、私の髪をくるくると器用に結いあげていくのは、マーサさんの娘のリナさんです。マーサさんはマーサさんで、私にあのゆかたを着つけながら、帯を、きゅうっと力いっぱい締めあげていきます。藍色の地に、白い鈴を涼やかに散らした、あのうつくしいゆかた。片手には、おそろいの鈴柄のうちわ。足もとには、おろしたてのサンダル。姿見にうつった自分の姿が、なんだか自分ではないみたいで、私はどうにもそわそわして落ちつきませんでした。
「あの、マーサさん。この帯、ちょっときつくありませんか。これでは、屋台のお手伝いも、ろくにできそうにありません」
「お手伝いなんて、しなくていいのよ」
マーサさんは、結び終えた帯を、ぽん、と軽く叩いて、にっこり笑いました。
「いいかい、お社さま。よぅくお聞き。今日という今日はね、あんたは、あくせく働く側じゃ、ないんだ。——今日のあんたは、眺められる側だよ」
眺められる側。……なんだか、こそばゆい言いようです。私はふだん、銅貨を数えたり、お守りをちくちく縫ったり、御朱印を書いたり。とにかく、なにかしら手を動かしていないと、どうにも落ちつかない、根っからの貧乏性なのです。それを今日ばかりは、なにひとつするな、ただきれいにして、にこにこ立っておいで、と言うのですから、勝手がちがいます。
「そんな。私だけ、こんなにめかしこんで。みなさんは朝から汗だくで、支度をしてくださっているのに」
「なあに、一年に一度くらい、いいじゃないか。それにねえ、お社さま」
マーサさんは、リナさんとちらりと顔を見あわせて、それから、なにやらいたずらっぽく目を細めました。
「あんたの姿をさ、今日いちばん楽しみにしている御方が、ひとりいるんだからね。その御方のためにも、せいぜい、めかしこんでおやりよ」
「その御方、って。どなたです?」
「さあて。どなただろうねえ」
母と娘は、くすくす笑いあうばかりで、ちっともその名を教えてはくれません。私は、きょとんと首をかしげながら、されるがままに髪を結われ、帯を締められて。——気がつけば、鏡のなかには、私の知らない、ちょっぴりおめかしをした娘が、ひとり、はにかんで立っていたのでした。
* * *
日が、とっぷりと暮れました。
どん、どん、どん、と。だれかが大きな酒樽を、太鼓のかわりに、勢いよく叩きはじめます。その、腹の底にまでひびく音を合図にして、参道にずらりと並んだ灯籠に、いっせいに火が入りました。——ぱっ、と。ふもとの入り口から山の上の鳥居まで、うねうねと続く山道のいちめんが、あたたかな蜜色の灯りに、ぼうっと、うかびあがったのです。その、うつくしいこと。居あわせた町の人たちから、わあっ、と大きな歓声があがりました。
参道の両わきには、屋台がずらり。——そして、これがぜんぶ。あの日、私が縁台で、うっかり口をすべらせた、あのお祭りの品々なのです。マーサさんの屋台からは、あまい甘酒の、ほかほかの湯気。そのとなりでは、焼きたての焼き団子の、香ばしいにおいがただよっています。ロッコさんは、木の的に鈴をいくつもぶらさげて、それを玉で狙い落とす「鈴当て」の店を、ちゃっかりこしらえていました。テオさんの店では、桶に浮かべた木彫りの魚を、小さな網ですくう遊び。どれもこれも、この町の人たちが、私のあのしどろもどろの説明だけを頼りに、あれでもない、これでもないと額を寄せあって、手さぐりで形にしてくれたものばかりでした。
「聖女さま! 見ておくれよ、この賑わいを!」
「どうだい、たいしたもんだろう! ぜんぶ、聖女さまのおかげだよ!」
みんな、自分たちのこしらえた屋台を前に、それはもう鼻高々です。私はなんだか、こそばゆいやら、うれしいやら。——そうして、ずらりと続く灯籠の列の、いちばん先頭には。この夏、この町に生まれた、あのスズナちゃんのための、ひときわ大きな「初灯籠」が、あかあかと灯っておりました。ネラさんの腕に抱かれたスズナちゃんは、生まれてはじめて見る灯りがめずらしいのでしょう。ちいさなおててを、ぱたぱたと、うれしそうにのばしています。
——ほんとうに。何ひとつなかったのに。だれも寄りつかなかった、あの寂しい山が。今は、こんなにもあたたかく、こんなにもあかるい。私は胸がいっぱいになって、しばらくのあいだ、その灯りの海を、ただ、ぼうっとながめていたのでした。
* * *
と。ふもとのほうから、ざわめきとともに、人垣がさっと二つに割れました。
あらわれたのは、当主さまです。いつもの黒ずくめの装いの、ジークヴァルドさま。お忍びの見回りのおつもりなのでしょう。けれど、あの頭ひとつ抜けた背の高さと、まとうぴりりと張りつめた気配ばかりは、どうにも隠しようがありません。人々が、自然と、さっと道をあけていきます。——ところが、です。つかつかと歩いてきたその当主さまが、ふと、私の姿を目にしたとたん。ぴたり、と。まるで時が止まってしまったかのように、石のように、固まってしまったのです。
直立不動。まばたきひとつ、なさいません。そのくせ、視線だけは、なぜだか私の顔から、すう、と上のほうへ逃げていって、夜空の星のあたりを、あてもなくさまよっています。
……ああ、これは。私は、はて、と首をかしげました。この、石になってしまったみたいなお姿には、たしか見おぼえがあります。いつだったか、私が生まれてはじめて、あの白と緋の、巫女のお衣装に袖を通した、あの日。あのときも当主さまは、ちょうど、こんなふうに、かちんこちんに固まってしまわれたのでした。
「……旦那さま」
うしろに、音もなくひかえていたホルガーさんが、そっと、当主さまの耳もとにささやきました。
「旦那さま。……まずは、呼吸を」
ご呼吸を、って。私は思わず、ぷっと噴きだしそうになりました。息をするのもお忘れになるだなんて、いったい、どうなさったのでしょう。——けれど当主さまは、それどころではないごようすで。ずいぶん長いこと固まったあとで、ようやく、喉の奥から、やっとのことで絞り出すように、ぼそりと、ひとことだけおっしゃいました。
「……鈴が、似合う」
「まあ。ありがとうございます」
鈴が、似合う。——柄のことを褒めてくださるだなんて、あの無口で無愛想な当主さまにしては、たいそう、めずらしいことです。私は、うちわでそっと口もとを隠して笑いました。きっと、この藍色のゆかたの、白い鈴の柄が、よほど涼しげに映ったのでしょう。
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