縁結びの神様(二) 夕暮れの橋の上、赤い紐の片割れを差し出して
さて。テオくんの片想いのお相手、リナさんのほうは、いったいどうなのでしょう。
私はお守りができあがるまでのあいだ、それとなく茶屋の様子を、うかがってみることにしました。すると、これがなかなかどうして、面白いことがわかったのです。
その日もお昼どきの茶屋は、大にぎわいでした。リナさんは真っ赤なたすきをきりりと締め、次から次へと窯からパンを取り出しては、香ばしい湯気の立つそれを、手ぎわよく客の手に渡していきます。くるり、くるりと窯をのぞきこむ手つきは、それはもう鮮やかなものでした。——ところが。参道の向こうから、木くずまみれの前掛けが、ひょっこり顔をのぞかせた、そのとたん。
リナさんのパンを焼く手が、あきらかにいつもの二割増しで、丁寧になったのです。
焦げめひとつつけないよう、それはもう大事そうに、じっくりと窯の火をあやつる。そうしてテオくんが、しどろもどろに「パン、三つ……」と注文すると、リナさんはぷいと横を向きながら、それでもいちばんこんがりと、きつね色に焼けたのを、こっそり選んでお皿にのせるのでした。
いいえ、それだけではありません。テオくんが縁台に腰かけているあいだ、リナさんはやたらと窯のあたりを行ったり来たりして、けれど視線だけは、けっしてテオくんのほうを見ないのです。かと思えば、テオくんが席を立って帰っていくと、その背中を、店の奥からそれはもう、名残おしそうに見送っている。焼きあがったパンを客に渡すのを、うっかり忘れてしまうほどに。
私のとなりで、マーサさんが腕を組んで、やれやれ、と首をふりました。
「まったく。あの二人ときたら、朝から晩まで、あの調子さ。……お社さま。世の中でいちばん間抜けなのはね。恋しい相手のことだけが、これっぽっちも見えてない、当人どうしなのさ」
気づいているのは、当人たち以外の、全員。——なるほど。私はうんうんと、深くうなずきました。まったく、そのとおりです。まわりがこんなにもはらはらして見守っているのに、当の本人たちだけがまるで気づかず、パンを焼いたり買ったりしている。世の中には、そういうじれったい二人が、いるものなんですねえ。よそさまのことなら、こんなにもよく見えるのに。まったく、恋というのは、ふしぎなものです。
——私は心から、しみじみと、そう思ったのでした。
* * *
お守りは、三日でできあがりました。
私はさっそくテオくんを社に呼んで、その赤い紐の縁結びを、手わたしました。テオくんはそれを、まるで割れ物でもあつかうように、両手でそうっと受け取って、ごくりと生つばを飲みこみます。
「……こ、これを、リナさんに」
「はい。片方をテオくんが持って、もう片方を、勇気を出して渡すんです」
テオくんはこくこくと、うなずきました。それは、それは、りっぱな決意の顔でした。——ところが。その決意が、まるでかたちにならないのです。
あくる日もテオくんは、茶屋でパンを三つ買い、お守りを渡せずに帰りました。その次の日も、そのまた次の日も。三日つづけて、ふところの縁結びを握りしめたまま、いつもの『毎度どうも』を言うのが精いっぱいで、すごすごと山を下りていくのです。三日目の夕方など、テオくんはふところに手を入れたまま、茶屋の前をなんども行ったり来たりして、けっきょく声もかけられずに、しょんぼりと石段を下りていきました。その背中の、なんとも情けないこと。せっかくの縁結びも、ふところで温まるばかりで、いっこうに出番がやってこないのです。
このままでは、らちがあきません。——そう思ったのは、どうやら私だけでは、なかったようです。
四日目の夕方でした。鳥居の下でどっしり構えていたはずの、狛犬のウンが、むくりと起きあがったのです。そうしてのっそりと、テオくんが置きっぱなしにした道具袋のところまで歩いていくと、なかから木槌を一本、ひょいと口にくわえ、そのままとことこと、茶屋のほうへ運んでいったではありませんか。
「あっ、こら、ウン! おれの木槌!」
あわてて追いかけるテオくん。その先の茶屋では、もう一匹の陽気なアンが、店先に立つリナさんの前掛けの裾を、くいっ、くいっ、と引っぱって、店の外へいざなっています。
むすっと無愛想なウンと、へらへら陽気なアン。ふだんはてんで、そりの合わないこの二匹が、よりにもよって、まるで示し合わせたように動いている。——私はぽかんと、口を開けました。まさか、うちの守り神さまたちが、二人の恋のお膳立てをはじめるなんて。ばちが当たらないかしら、それとも、これもまた神様のお導きなのかしら。私にはもう、さっぱりわかりませんでした。ただ、あの二匹の、やけに得意げな尻尾の振り方を見ていると、どうやら止めても無駄なようだと、それだけは、よくわかったのです。
* * *
狛犬たちに追い立てられて、テオくんとリナさんがばったり出くわしたのは、参道のなかほどにかかる、あの小さな橋の上でした。
夕暮れの光が、川の水面を、きらきらと染めています。ウンがくわえてきた木槌を、追いついたリナさんが先にひろいあげ、それをテオくんのほうへ、差し出しました。
「……はい。これ、あんたの、でしょ」
「……あ、ああ。悪い。狛犬に、いたずらされて、その」
木槌を受け取る、そのほんの一瞬。二人の指先が、かすかに触れました。テオくんの顔が、夕日のせいだけとはとても思えないほど、まっ赤に燃えあがります。——そして、その勢いのまま。テオくんはふところから、あの赤い紐の片割れを、ぐいっと突き出したのです。
「こ、これ! やる! ……いや、その。効くらしいんで。荷崩れ、とかに」
リナさんは目をぱちくりさせて、その木札とテオくんの顔を、かわるがわる見くらべました。
「……荷崩れ。あたし、荷物なんか、持たないけど」
「じゃ、じゃあ! ……ね、念のため。いつか、なにか重い荷を持つ日が、来るかもしれねえし」
なんという、しどろもどろでしょう。縁結びのお守りを荷崩れ除けだと言い張って渡す大工と、荷物なんか持たないと真顔で返す看板娘。あんまり不器用な二人のやりとりに、木の陰からのぞいていた私まで、思わず手に汗を握ってしまいました。——けれど。リナさんはしばらく、その木札をじっと見つめてから、ふいにぷいと横を向いて、それでもその赤い紐の片割れを、両手でそっと受け取ったのです。
橋の上でうつむいたリナさんの、耳のふちが。夕日よりもずっと赤く、染まっていました。
二人はそれきり、なんにも言えずに、ただ橋の上で、川の音だけを聞いていました。かたや木札を握りしめてうつむき、かたや木槌を抱えてうつむき。けれど、そのうつむいた二つの影が、いつのまにか、ほんの少しだけ、近づいているのです。夕日が二人の足もとに、長い影をひとつに重ねて、川面には、あかね色のさざなみが、いつまでもきらきらと揺れていました。やがてテオくんが、蚊の鳴くような声で「……い、家まで、送る」と言い、リナさんが、これまた消え入りそうな声で「……うん」と答えて。二人はぎこちなく、けれど、ちゃんと肩を並べて、夕暮れの参道を、ゆっくりと下りていったのでした。
少しはなれた木の陰から、ちゃっかりそれを見物していたアンとウンが、やれやれ、と言わんばかりに、そろってふさふさの尻尾をひとふり。——お手柄でしたね、と私は心のなかで、二匹にこっそり、大きな拍手を送ったのでした。




