縁結びの神様(一) ひと月かよって「毎度どうも」しか言えない片想い
店じまいの縁台の隅で、若い大工が、もう六回目の深呼吸をしていました。
ガンツさんの一番弟子のテオくんです。がっしりとした肩をまるめ、木くずのついた前掛けを意味もなく握りなおしては、私のほうをちらりとうかがい、また目を伏せる。それをかれこれ、さっきからずっと、くりかえしているのでした。日はもうすっかり傾いて、鳥居の影が参道に長くのびています。
私はそのとなりに、そっと腰かけました。
「テオくん。今日は私に、なにかお話があるんじゃありませんか」
テオくんはびくりと肩をはねあげ、それからゆでだこのようにまっ赤になって、うんうんと長いことうなったすえに、とうとう絞り出すように白状しました。
「……お、おれ、好きな人が、いて」
まあ。私は思わず両手を合わせました。若い人の恋のお話は、いつ聞いても心があたたかくなります。この社をひらいてからというもの、いろんな人のいろんな相談ごとを聞いてきましたけれど、こうしてまっすぐな恋の話を持ちこまれるのは、じつは、はじめてのことでした。
「その相手というのは」
「……マーサさんとこの、リナさん、です」
リナさん。ああ、あの看板娘さんですね。マーサさんゆずりの、くるくるとよく働く明るい娘さんで、朝から茶屋の窯の前に立ち、焼きたてのパンをこんがりと焼きあげては、参拝を終えた人たちに、香ばしいのを配ってまわっています。日に灼けたほっぺたの、ぽってりと可愛らしい娘さんです。なるほど、テオくんがあんなに顔を赤くするのも、無理はありません。
「それでテオくんは、リナさんにどんなふうに、想いを伝えているんですか」
私が尋ねると、テオくんは世にも情けない顔で、うなだれたまま、こう言いました。
「……毎朝、焼きたてのパンを、三つ、買ってます」
「三つ」
「あの店に行く口実が、それしか思いつかなくて。だから毎朝、だれよりも早く山を登って、パンを三つ買って。リナさんの顔を、ちらっと見て、それで、精いっぱいで」
「それで、それから、どうするんですか」
「……また、山を下りるんです」
私はそっと指を折って数えました。それを、かれこれ、ひと月。そういえば近ごろ、まだ露に濡れた石段をだれよりも早く駆けあがってくる、朝いちばんの常連さんがいるとは思っていたのです。お守りを買うでもなく、ただそわそわと茶屋のほうばかり気にしている。おかしな子だこと、と首をひねっていたのですが、なるほど、そういうわけだったのですね。テオくんは、いっそう深くうなだれて、消え入りそうな声で、こうつけ加えました。
「……もう、ひと月です。ひと月、毎朝かよってるのに。おれ、あの人に、『毎度どうも』しか、言えてねえんです」
好きな子の顔をひと目見るためだけに、朝いちばんの山道を、だれよりも早く登る。それを、ひと月も。それでいて、口にできたことばは、『毎度どうも』の、たったひとこときり。なんて健気で、なんて遠回りな恋でしょう。私は胸がきゅうっとなって、思わずぐっと身を乗り出していました。
「テオくん。任せてください。——恋の相談は、うちの得意分野です」
そう言いきってから、私は心のなかで、そっとつけ加えました。(※ただし、実績はありません。前世でも、今世でも、ただのひとつも。)——けれど、まあ。得意かどうかは、やってみなければわからないではありませんか。困っている人がいて、その背中を押す手立てがある。それなら、やってみる。それが、私の神様の、やり方なのですから。
* * *
そうと決まれば、まずは道具です。
私はその晩からさっそく、あれこれ考えはじめました。テオくんの、あのまっすぐで不器用な想いを、なにかかたちにして後押しできないものか。手をこまねいていては、あの子はきっと、来年の夏も、再来年の夏も、ただ『毎度どうも』と言いつづけているにちがいありません。——そうしてふと思いついたのが、縁結びのお守りでした。
人と人との縁を結ぶお守り。私の育った山里のお社にも、たしかそういうものがありました。赤い紐で二枚一組の小さな木札を結び、その片方を自分が持って、もう片方をいつか、想う人へ渡す。そういう、けなげな祈りのこもったお守りです。赤い紐にしたのには、わけがあります。私の里では、縁というものを、目に見えないあかね色の糸に、たとえていました。人と人との間には、細くて、けれど確かな糸が結ばれている。その糸を、そっとかたちにしてあげるだけ。あとは、持ち主が自分の足で、その糸をたぐっていくのです。
私は翌朝いちばんに、その図面を持って、ガンツさんのところへ走りました。ガンツさんはあいかわらず難しい顔で図面をにらんでいましたが、やがて太い指で木札のところを、とんとん、と叩きました。
「……この赤い紐で結んだ二枚。片方を渡すって言うが、もし渡せなかったら、どうなるんだ」
鋭いところを突きます。私はにっこり笑ってお答えしました。
「そのときは。——渡せるまで、効き続けます」
ガンツさんが、めずらしくきょとんとした顔になりました。私は続けます。
「うちのお守りはみんな、一年でそっと効き目が切れるように、こしらえています。でもこの縁結びだけは、別なんです。持ち主が想う人に、この片割れを渡すその日まで、何年でもずうっと効き続ける。だって、まだ縁が結ばれていないんですから。願いがかなうまで、神様がずっと、そのお背中を押しつづけてくださる。そういうお守りが、ひとつくらいあってもいいでしょう」
ガンツさんはしばらく黙って、それから、ふん、と鼻を鳴らしました。けれどその口もとが、ほんの少しゆるんでいたのを、私は見のがしませんでした。
「……変な守りだ。だが、まあ。あんたの店らしいや」
私は、その「あんたの店らしい」のひとことが、なんだかとても、うれしくなりました。神様にできるのは、糸を結んであげることまで。手を引いて、むりやり歩かせることは、できません。だからこそ、この縁結びは、渡すその日まで効き続ける。持ち主が自分で勇気を出すのを、いつまでも、辛抱づよく待っていてくれるのです。
お代はふつうのお守りと同じ、銅貨五枚。二枚一組でも、値上げはしません。祈りの値段は、祈った人の一食分。それ以上はいただかない。縁を結ぶのに法外なお代をとるようでは、それはもう祈りではなく、ただのあきないになってしまいますから。




