【幕間】いい返事
俺は、こういう場所が好きではない。
王宮の大広間。金と、宝石と、香の匂い。人いきれ。誰もが誰かに見せるための顔をして、笑い、ささやき、探り合う。ノルデン辺境伯ジークヴァルド・ノルデンは、その華やぎの隅で、柱に背をあずけて立っていた。
黒い手袋をした手を、後ろに組む。誰も、俺の半径三歩には近づかない。呪われた辺境伯——そう呼ばれる男の噂は、王都にも届いている。触れたものを凍らせる男。だから、これでいい。近づかれても、困る。
今夜ここへ来たのは、大司教ゲルニウスに呼ばれたからだ。名目は、新しい聖女の引き渡しの打ち合わせ。俺の領地へ送る、十三人目の。
十三人目、と胸のうちで数えて、俺は少しだけ笑いたくなった。むろん、顔には出さない。
これまで十二人。誰ひとり、ひと月ともたなかった。俺の呪いを解くのだと意気込んでやって来て、強い光を浴びせては失敗し、返り討ちにあって、泣いて、あるいはおびえて、逃げ帰った。最後のほうの聖女は、俺の顔を見ただけで震えていた。
もう、期待はしていない。呪いは、解けないものと決めている。聖女など、体裁のために送られてくる生贄のようなものだ。今度の娘も、どうせ数日で音を上げるのだろう。
壇の上では、光珠測定が続いていた。
聖女たちが、順に水晶玉へ光を注いでいく。強い光ほど格上——くだらない物差しだ、と俺は思う。光の強さで人の値打ちが決まるなら、この俺など、生まれたときからの、はずれ札だ。
やがて、ひとりの娘が壇に立った。
小柄で、目立たない。列のいちばん端にいた娘だ。光珠に手をかざす。——灯った光は、ろうそく一本ぶんの、頼りないものだった。
会場が、笑った。
俺は、笑わなかった。弱い光を笑う気には、どうしてもなれない。望んで弱く生まれた者など、いない。それを俺は、自分の身をもって知っている。
娘は、笑われても、平然としていた。むしろ、どこか別のことを考えているような、のんきな顔で。妙な娘だ、と思った。それきり、俺は視線を戻すつもりだった。
だが、その直後だ。
王太子が壇上に進み出て、高らかに婚約破棄を告げた。相手は、あの燭台級の娘。公衆の面前での、これ以上ない辱め。会場じゅうの目が、一斉に娘へ突き刺さる。同情と、嘲りと、好奇。
俺は、次に起こることを知っている。娘は泣くか、崩れるか、すがるかだ。人は、追い詰められれば、そうなる。十二人の聖女が、俺の前でそうだったように。
ところが。
娘は、深々と、最上級の礼をした。そして、一拍も置かずに、はっきりと言い切ったのだ。
「謹んで、お受けいたします」
——時が、止まった。
会場が凍りつく。王太子が、決めポーズのまま口を半開きにする。誰も、何も言えない。
その静寂の中で、俺は、口の端が緩むのを感じた。
あわてて、手の甲で口もとを覆う。まずい。何年ぶりだろうか。笑いそうになったのは。こんなにも、腹の底から。
あの娘は、辱められて、なお前を向いた。それどころか、破棄する側より先に、礼まで言ってのけた。恐怖でも、怒りでもない。あれは——晴れ晴れとした顔だった。まるで、ずっと欲しかったものを、たった今、手に入れたような。
続いて、大司教が娘の転出先を告げた。俺の領地。呪われた、ノルデンへ。
会場が、また娘に同情の目を向ける。あそこへ送られるくらいなら、と。俺自身、そう思う。よくよく、貧乏くじを引かされた娘だ。
だが、娘は違った。すっと手を挙げて、こう尋ねたのだ。
「あの、住み込みですか? お食事は、三食付きますでしょうか?」
俺は、今度こそ、危うく声を出して笑うところだった。
呪われた領地へ送られると知って、飯の心配をする聖女。逃げ出す算段でも、泣き出す気配でもなく、三食付くかどうかを、大真面目に。
——おかしな娘だ。
視線を感じたのか、娘が、ふとこちらを向いた。目が合う。澄んだ、まっすぐな目だった。
俺は、また口もとが動きそうになるのを、こらえた。こらえきれたかどうかは、分からない。娘が、少しむっとしたような顔をしたから、たぶん、ばれた。
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翌朝、俺は王宮の回廊を歩いていた。
早く領地へ戻るつもりだった。俺には、こんな華やかな場所は似合わない。長居するものではない。
回廊の向こうから、あの娘が歩いてきた。古びた鞄を胸に抱えて。あれから、そのまま辺境へ発つのだろう。荷は、驚くほど少ない。
すれ違う。それだけのはずだった。
なのに、俺の口から、勝手に声が出ていた。
「……いい返事だった」
言ってしまってから、自分でも驚いた。人に、こちらから声をかけるなど、いつ以来か思い出せない。
娘が、はっとして振り返る気配がした。だが、俺は足を止めなかった。振り向きもしなかった。振り向けば、何か、余計なことを言ってしまいそうだったから。
なぜ、あんなことを言ったのか。自分でも、うまく説明がつかない。
ただ——追い詰められて、なお前を向いたあの返事に、俺は、自分がとうの昔に失くしたものを見た気がした。それが何なのか、まだ言葉にはならない。
馬車が北へ発つ音を、俺は聞かなかった。聞けば、見送りたくなる。見送れば——期待してしまう気がしたから。
どうせ、また逃げ帰るのだろう。十三人目も。呪いは解けず、あの娘も、ひと月ともたずに。
そう、自分に言い聞かせた。何度も。
それなのに、あの澄んだ声だけが、いつまでも、耳の奥に残っていた。
「謹んで、お受けいたします」
——まったく。おかしな娘だ。




