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おみくじ騒動(三) まさかの「大凶」に、返せの大合唱

事件が起きたのは、お昼を少し過ぎた、じりじりと暑い、そのときでした。


 行列に並んでいたのは、あの陽気な行商人、ロッコさんです。この日も、山の噂を仕入れがてら、ふらりと立ち寄ってくれていたのでした。背負子をどしんと下ろすと、ロッコさんは、袖をまくって、にかっと笑います。


「よし、おれも、いっちょ、引いてみるとするか。どうせなら、大吉を、たのむぜ。景気のいいやつを、なあ」


 ロッコさんは、じゃらじゃらと、豪快に筒を振りました。ころん、と、一本の棒が転がり出ます。書かれた番号の紙を、私が手わたすと、ロッコさんは、いかにも意気揚々と、それを開いて——。


 ぴたりと、固まりました。


 その日に焼けた赤ら顔から、みるみるうちに血の気が引いていきます。あんなに陽気だった目が、まんまるに見開かれて。


「……だ、大凶」


 しん、と。あれほど賑わっていた縁台が、水を打ったように、静まりかえりました。大凶。だいきょう。おみくじのなかで、いちばん、悪い目です。誰かの手から、団子が、ぽとりと落ちました。


「せ、せ、聖女さん……」


 ロッコさんは、震える手で、その紙を私のほうへ突き出して、すがるように言いました。


「こ、これ、この銅貨一枚、返してもらえんか。おれ、これから、まだ長い長い、商いの旅が、あるんだ。だ、大凶なんぞ引いちまったら、げ、縁起でも、なんでも……」


「そうだそうだ、かわいそうに! 聖女さま、引き直させてやんなよ! こんなの、なかったことにしてやれって!」


 まわりの人たちまで、いっせいにロッコさんの味方につきました。返品しろ、引き直せの大合唱です。せっかくからりと晴れていた縁台が、たちまちお通夜のような、しめっぽい空気になってしまいました。


 けれど、私は。そんなみんなを見わたして、にっこりと、笑ったのです。


     *  *  *


「みなさん、どうか、落ち着いてください」


 私は、ぱんと手を打って、ゆっくりと口を開きました。


「この大凶は、返せません。だって、これは——おみくじのなかで、いちばん、お得なくじなんですから」


「お、お得ぅ?」


 ロッコさんが、間の抜けた声をあげました。まわりの人たちも、みんな、きょとんとした顔で、私を見ています。私は、大きくうなずいて、続けました。


「みなさん、大きな勘違いをしています。凶や大凶は、呪いじゃありません。神様のばちでも、たたりでもありません。あれはね、備えなさい、という、神様からの、親切な助言なんです」


 私は、ロッコさんの手から、そっと、その大凶の紙を、受け取りました。


「いいですか。おみくじで、ほんとうにいちばん困るのは、じつは大吉のほうなんですよ。大吉を引いた人は、つい油断します。今日はいい日だ、何をやってもうまくいく、とね。そうして気がゆるんだところで、思わぬ石につまずくんです。——でも、大凶を引いた人は、どうでしょう。今日は用心しよう、気をつけようと、朝から、しゃんとして過ごす。だから、かえって、いちばん安全に、一日を終えられるんです」


 しんと静まった縁台に、私の声だけがしみこんでいきます。みんな団子を持つ手も止めて、じっと聞き入っていました。


「悪い目を、先に、そっと教えてくれる。これほど、ありがたいことは、ありません。大凶はね、神様からの、いちばん親切な、お手紙なんです。だから、いちばん、お得。——さあ、ロッコさん。この紙に、神様が、なんて書いてくださったか。いっしょに、読んでみましょう」


 私は、その大凶の紙に書かれた助言の一行を、みんなに聞こえるように、はっきりと、読み上げました。


「——『荷の縄、古きを頼るべからず』」


 その瞬間。ロッコさんの顔色が、すうっと、また、変わりました。


「……お、おれの、荷の、縄」


「はい。荷の縄です」


「……あ、あの縄、たしか三年、いや四年、いや……とにかく、ずうっと換えてない、古いやつだ」


 縁台が、ふたたび、しん、と静まりかえりました。それから、いちばん前にいた、年寄りの猟師が、ぽつりと、つぶやいたのです。


「……こわ。あんた、そりゃあ、いますぐ換えたほうがいいぞ。神様が、わざわざ、そう言ってくださってんだ」


     *  *  *


 その大凶のおみくじが、ほんとうの評判になったのは。それから、幾日か経ってからのことでした。


 ロッコさんはあの日、山を下りるとすぐに、荷の縄を真新しいものに換えたのだそうです。半信半疑ではあったけれど、あの聖女さんがあんまりまっすぐな顔で言うものだから、なんとなく換えておく気になったのだ、と。あとから、そう話してくれました。


 それから、四、五日も経った、ある暑い日のこと。


 ロッコさんは、山をひとつ越えた先の、あの険しい崖道を、重い荷を担いで、ゆっくりと歩いていました。すると、すぐ前を行く、よその隊商の、いちばん大きな荷が。がくん、と、大きく傾いだのです。


 次の瞬間、ぶつり、という、いやな音がしました。


 古びてすっかりすり切れていた、その荷の縄が。まるで熟しきった実が落ちるように、あっけなく切れたのです。積まれていた荷は、まるごと、崖の下の深い谷底へ。もうもうと土煙をあげて、みるみる小さくなって消えていきました。もし、ほんの数歩、進む順が違っていたなら。谷底へ落ちていったのは、まちがいなくロッコさん自身の荷でした。


 その日の夕方、ロッコさんは、それこそ、真っ青な顔で、山道を、駆け上がってきました。そして、鳥居の前まで来ると、へなへなと、その場に座りこんで。それから、両手をぎゅっと合わせて、拝むように、叫んだのです。


「た、助かった……! あの、大凶の、おかげだ……! 聖女さんの、あのおみくじのおかげで、おれは、命拾いしたんだ……!」


 私は、あわてて、駆け寄りました。


「ロッコさん、落ち着いてください。助かったのは、大凶のおかげでは、ありません。ちゃんと、神様の助言を聞いて、自分で縄を換えた、ロッコさん自身の、おかげなんですよ」


 けれど、すっかり興奮しきったロッコさんの耳には、その言葉はもう、半分も届いていないようでした。ロッコさんはそれからずっと、行く先々でこの話を、それはもう、たっぷりと尾ひれをつけて語って歩いたのだそうです。

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