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おみくじ騒動(一) 神様の、今日のひとこと。おみくじ、はじめます

うだるような、夏の盛りです。


 鈴の社の参道は、朝からじりじりと、蝉しぐれに包まれていました。マーサさんの茶屋の軒先には大きな布の日よけが張られ、参拝を終えた人たちが、その日陰でほうっとひと息ついています。何もなかった呪いの山に、こうして夏の風景がすっかり根づいているのを見ると、私はいつも、なんだかくすぐったいような、うれしい気持ちになるのでした。


 その日、縁台で汗をぬぐっていたひとりのおかみさんが、ふと、こんなことをこぼしました。


「はあ……聖女さまのお守りは、ようく効くけどねえ。こう、なんていうかね。神様がいま、あたしのことをどう思ってなさるのか、それが聞けたら、いいのにねえ」


「神様の、お声がですか」


「そうそう。今日はいい日か、悪い日か。そういうのがぽろっとわかったら、毎日、心づもりってものが、できるじゃないか」


 ——それを聞いたとたん、私の前世の記憶が、ぱっと明るく光りました。


 おみくじ。そうです、おみくじがあるじゃないですか。神様からの、今日のひとこと。運勢をそっと書きつけた、小さなお手紙。私の育ったあの山里のお社でも、初詣ともなれば、みんなこぞっておみくじを引いて、一喜一憂したものでした。あの、紙をそうっと開くときの、どきどき。あれを、この人たちにも、味わってもらえたら。


 私がその話をひととおりしてみせると、マーサさんは太い腕を組んで、ふうん、と感心したようにうなずきました。


「へえ。紙を一枚引いて、その日の運勢を占うってのかい。……お社さま。そりゃあ、いい商売になるよ。まちがいなくね」


「商売、というよりも。神様からの、助言です」


「まあまあ、堅いこと言いなさんな。それでね、お社さま、ひとつだけ、いいこと教えてやろうか。その紙はね——ぜんぶ、"大吉"にしときな」


「……え」


「そのほうが、みんな喜ぶに決まってるだろ。考えてもごらんよ。せっかく銭を出したのに、悪いことなんぞ書かれてごらん。二度と、誰も引きゃしないよ。客商売ってのは、笑って帰ってもらってなんぼ、なのさ」


 なるほど。いかにも、長年茶屋をきりもりしてきたマーサさんらしい、抜け目のないお知恵です。たしかに、それがいちばん、よく売れるやり方でしょう。


 けれど、私は。ほうきを立てかけると、マーサさんのほうへ、まっすぐに向き直りました。


「いいえ、マーサさん。それだけは、できません」


 私は、はっきりと、言いました。


「——凶のないおみくじは、嘘の占いです」


     *  *  *


 さて。おみくじを作ると意気ごんだのは、いいものの。じつは、はじめる前から、ひとつ、大きな困りごとが、待ちかまえていました。


 紙の、数です。


 毎日、大勢の参拝客に引いてもらうとなれば。おみくじの紙は、何十枚、いえ、何百枚と、いります。しかも、ただ番号を書くだけでは、ありません。一枚一枚に、運勢と、そのひとに寄りそう助言を、書きこまなくては、ならないのです。それを、ぜんぶ、私ひとりで書いていたら。——朝から晩まで、筆を握りっぱなしでも、とても、間に合いません。


 うう、と、私が帳場で頭を抱えていると。


「——どうした」


 ふいに、低い声が降ってきました。ちょうどその日の夕暮れ、いつものように"視察"に登ってこられた、当主さまです。私はここぞとばかりに、おみくじの話を聞いてもらいました。神様からの助言を紙に書いて、銅貨一枚で授けたいこと。けれど、その書き手が、私ひとりでは、とても足りないこと。


 当主さまは、しばらく黙って聞いていましたが。やがて、ぽつりと、こうおっしゃいました。


「……その、悪い目。凶や、大凶というのは。民から金を取って、わざわざ、悪い報せを引かせるのか」


 まあ。私は、少し驚きました。この無口なお方が、参拝客のことを、そんなふうに気にかけてくださるなんて。


「凶を引いた者が、おまえを恨みはしないか。せっかくの評判に、傷がつくぞ」


 ——ああ。この方は、私の社の評判を、案じてくださっているのです。相変わらず、口はぶっきらぼうですけれど。その中身は、いつだって、あたたかい。


 私はにっこり笑って、お答えしました。凶は、呪いでも、ばちでもない。備えなさい、という、神様からの、親切な助言なのだ、と。大吉のほうが、かえって油断してあぶない。悪い目を、先に教えてもらえるのは、いちばん、お得なのだ、と。


 当主さまは、しばらく考えてから、ひとこと。


「……妙な、理屈だ」


「よく、言われます」


「だが。——悪くない」


 悪くない。ふふ。このお方の、最上級の褒め言葉です。私は、なんだか、うれしくなりました。


 ところが。話が、書き手の困りごとに、戻ったとたん。当主さまは、いともあっさりと、とんでもないことを、おっしゃったのです。


「書き手が足りぬのなら。——俺が、書こう」


「…………え?」


 私は、思わず、手にしていた筆を、ぽとりと落としました。


 俺が、書こう。いま、この氷の辺境伯さまが。あの、触れれば凍る手で。参拝客のために、『大吉。よいことがあります』などと、おみくじを一枚ずつ、書いてくださる。——その、あまりにあべこべな光景を想像して、私はあわてて、両手をぶんぶんと振りました。


「い、いけません、いけません! 当主さまに、おみくじを書かせるなんて、そんな、罰当たりな! 辺境をお守りするお手を、そんなことに、使えませんっ」


「そうか。……では」


 当主さまは、少し考えて。それから、さらに、斜め上を、いきました。


「領民に、触れを出す。明日にでも、字の書ける者を、百人、集めさせよう。なに、造作もない」


「お、多すぎますっ! 百人も、いりません! だいたい、お触れで、無理やり集められた人が、いやいや書いた札なんて。神様の助言に、心が、こもりませんっ」


「む。……では、兵を——」


「兵隊さんは、もっと、いりませんっ!」


 まったく、この方の考えることときたら。何もかもが、領主さまの桁で動くのです。俺が書く、領民を百人、いっそ兵まで。ひとつ突き返すたびに、次から次へと、規格外の案が飛び出してくる。私は、くらくらしながら、必死で押しとどめました。


「そんなに大げさに、しなくていいんです。ちょうど、いい塩梅の人を、私が自分で、探してきますから」


 そうして、当主さまの、壮大にすぎる申し出を、ひとつ残らず、やんわりと突き返して。私は、自分の足で、町へ、書き手を探しに、行くことにしたのでした。

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