王都に届いた噂(一) 「じんじゃ」って、なんだい?——都に流れた噂は、尾ひれつき
王都アウレリアは、光神の大結界に守られた「光の揺りかご」と呼ばれる都だ。ここに暮らす者は生まれてこのかた、光神教より古い信仰など見たことも聞いたこともない。だからその噂が北の果てから転がりこんできたとき、都の人々はそろって、こう首をかしげたのだった。
「……"じんじゃ"? なんだい、そりゃあ」
ことのおこりは、市場に荷を降ろしたひとりの行商人の世間話だった。
「だからよ。北の辺境に、でっかい"社"ってのが建ってな。そこの"みこ"さまが、そりゃあもう、たいそうな評判で——」
「みこ、って、なんだ」
「さあて。なんか、拝む役目の女の人らしいぜ」
「ははあ。つまり、聖女さまのことか」
「まあ、そんなとこだろうな」
こうして"巫女"は、都の入り口でさっそく"聖女"に化けた。噂というものは知らない言葉をみんなの知っている言葉に置きかえながらひろがっていく。そして置きかえるたびに、ひとまわりずつ大きくなっていくのだった。
水汲みの井戸端では、こうなっていた。
「ねえ聞いた? 北にね、天使さまが降りてきたんだって」
「天使?」
「そうそう。銀の翼の生えたお美しい天使さまが、北の空からふわあっと舞い降りて、あたらしい神殿をお開きになったんだって」
——翼など生えていない。ただの、そろばん勘定の得意な十七の娘である。
乗合馬車のなかでは、もっとふくらんでいた。
「その神殿にはな、地獄の番犬みてえなおっかない魔獣が二匹、門を守ってるらしいぜ」
「まあ、こわい」
「それがよ。片っぽは、いっつも、へらへら笑ってるんだと」
——魔獣ではない。社の門で来る人来る人に愛想をふりまく、ふさふさの毛玉が二匹である。
床屋の順番待ちの長椅子では、値段の話に尾ひれがついた。
「なんでも銅貨五枚で、どんな願いもかなうんだと」
「銅貨五枚で? そりゃまた、ばかに安いな」
「安いだろう。おまけによ、祈りが倍になって返ってくるらしいぜ。銅貨五枚あずけたら、御利益はたっぷり十枚ぶん」
——祈りに利息はつかない。返ってくるのは、預けた本人の祈りがきっかりそのぶんだけである。
そして話が広場をぐるりとひとまわりするころには、もう誰にも手がつけられなくなっていた。
「知ってるかい。北の"魔女"の話」
「魔女ぉ? おい、さっきは天使じゃなかったか」
「天使でも魔女でも、どっちでもいいさ。とにかくその北の魔女が、あの氷の辺境伯さまをすっかり骨抜きにしちまったんだと。触れれば凍るってあの呪いが、その魔女の色目ひとつで、とろっととけちまったってよ」
「へえええ……あの氷の辺境伯が、春の陽気に、な」
天使で、聖女で、魔女。神殿に、魔獣に、御利益。触れれば凍る呪いをとかす色目。——たったひとつの山の上の小さな社の話が、都の口から口へ渡るうちに、こんなにもけんらん豪華でとんでもない伝説に化けあがっていく。ほんとうのことはもう、ほんの申しわけ程度にそのなかへまぎれこんでいるきりだった。
* * *
その噂が、都でいちばん高い建物——大聖堂のぶあつい石壁の内側にまでしみこんでくるのに、そう長くはかかりませんでした。
大聖堂の会計室。月に一度の集金報告の日である。会計掛のドロス司祭がうずたかい帳簿を前に、さっきから滝のような汗を流していた。
「そ、それではですね。北部教区の先月の寄進でございますが……前の月にくらべまして、二割の減。第五教区、三割の減。第八教区にいたっては、その、四割の……」
「減、減、減、とな」
上座から、氷のように冷たい声が落ちる。
「そればかりではないか、ドロスよ。北の寄進はいったいどうなっておるのだ」
ドロス司祭は必死になって言い訳をひねり出した。
「て、天候不順にございます。北は今年、雨が多うございまして、それで巡礼の足が」
「天候」
「く、加えて街道のぬかるみに、橋の老朽化。このところ流行り病もちらほらと」
「病」
「さ、さらには北方の、魔物の活性化が——」
と、そのときだった。会計室の扉がばあんと音を立てて開き、ひとりの若い司祭が顔を真っ青にして転がりこんできた。
「た、大変です! 北に、て、天使が!」
「天使、だと?」
「翼の生えた天使が北の空から舞い降りて、光神さまとは別のあたらしい神殿をお開きに! しかも門には地獄の魔獣が二匹! 銅貨五枚でどんな願いもかなえ、祈りは倍になって返り、あの氷の辺境伯すら色目ひとつで骨抜きに——!」
しん、と。
窓ひとつない石の部屋の空気が、音を立てて凍りついた。
ドロス司祭は汗のふきだす額をそっとぬぐった。天候でも道でも病でも魔物でもなかった。北の寄進が雪みたいに溶けて消えていく、そのわけは。——どうやらもっとやっかいな何かのようだった。




