狛犬、就任(一) 銅貨5枚です!——金貨の山を突き返した朝と、泉の毛玉
さて。しんみりした夜が明けて、翌朝のことです。
屋敷の裏手の木戸から裏山を登って、いつものように社の掃除に出ていくと。
鳥居の下に、どん、と大きな革袋が置いてあったのです。
なんだろうと近寄って、口を開けてみて——私は危うく、腰を抜かすところでした。中にぎっしり詰まっていたのは、金貨。金貨。見渡すかぎりまばゆい、金貨の山でした。
そしてその袋の横に、見慣れた黒衣の人が、こともなげに立っているのです。当主さまでした。このお方、屋敷で顔を合わせたばかりだというのに、朝いちばんで、もう裏山を登ってきておられる。
「当主さま。これは、いったい」
「呪いを眠らせた礼だ」
当主さまはさも当然というように、言いました。
「受け取れ」
「銅貨5枚です!」
私は反射でそう叫んでいました。
「祈りのお代は銅貨5枚。それがうちの決まりです! こんな金貨の山だなんて、いただけません! だいたいこんなものいただいたら、私、夜おちおち眠れません!」
「では、これはどうだ」
当主さまはまったくひるみませんでした。今度はうしろからお付きの者が、するすると上等な絹の反物を抱えてきます。
「祭りの装束にでもするといい」
「いりません!」
「宝石は」
「もっといりません!」
いったいこの人は。昨夜のあの、静かで美しい人と同じ人なのでしょうか。手のひらのぬくもりに、あんなに心を震わせていた人が。朝になったら金貨の山と絹の反物と宝石で、私を埋め尽くそうとしてくる。……お礼の仕方というものを、この人は根本から間違えているのです。
私が金貨袋をうんうん言いながら、当主さまのほうへ押し返していると。
そこへ材木を担いだ人足たちが、山道を上ってきました。りっぱな木材の一山です。
「あの、これも当主さまが……?」
「社の修繕にでも使え。石段の傷んだところがあっただろう」
金貨は突き返しました。反物も宝石も突き返しました。けれど。
私はその木材の山を、じいっと見つめました。……たしかに。社の石段はこのところ参拝客が増えて、傷みが目立ってきていました。ガンツさんにも、そろそろ手を入れないとと言われていたところ。この木材があれば、当分、修繕には困りません。
「…………これは」
私はこほん、と咳払いをしました。
「これは社の修繕に使うので。ありがたく、いただきます」
金貨にはあんなに腰が引けたくせに、木材の一山にはちゃっかりと手が伸びる。——我ながら現金なものです。けれどこれは、私の懐に入るお金ではありません。社と参拝客のための、実のあるもの。それなら話は別なのです。ええ、別なのです。
当主さまはそんな私を見て、ふ、と息だけで笑ったようでした。それから、満足そうに、また山を下りていかれます。……朝いちばんに贈り物を突き返されて、なぜ、あんなに機嫌がよさそうなのでしょう。ふしぎなお方です。
こうして、その日を皮切りに、鈴の社の朝はしばしば、この「過剰な奉納」との戦いになりました。金貨袋、絹、宝石、干した肉の塊、上等な葡萄酒。当主さまは飽きもせず、あの手この手で法外なお礼を届けてよこす。そのたびに私は「銅貨5枚です!」と突き返す。ただし、社の役に立つ実用の品だけは、ちゃっかりいただく。——この奇妙な攻防が、のちのち参道町の名物になっていくのですが。それはまた、別のお話。
その一部始終を帳簿を片手に見ていたホルガーさんは、深い深いため息をひとつついて。それから懐から胃の薬を取り出して、いつもより一粒多く、口へ運んだのでした。
* * *
その日の、夕暮れどきのことです。
参拝の列もはけて、私は本殿の縁側に腰かけ、店じまいのついでに、一日の帳簿をつけていました。日が暮れる前に山を下りて、屋敷でまかないのおばさんの夕餉をいただくのが、私の毎日の締めくくり。あと少し、この帳面をつけ終えたら、屋敷へ帰らなければなりません。
今日授けたお守りの数。いただいたお代。つけ帳の名前。そして——「奉納」の欄に、私は几帳面に書き加えます。〈材木、一山。石段修繕用。ノルデン辺境伯さまより〉。金貨も宝石も断ったくせに、木材だけはしっかり帳面に載せる。ふふ。我ながら抜け目のないこと。
筆を置いて、私はふう、とひと息つきました。
茜色の空に、一番星。軒の鈴が、ちりん、と鳴ります。
ふと私は、自分の右の手のひらを、そっと開いてみました。
……なんだか。
(……手、まだあったかい気がする)
昨夜あの人の大きな手に握られた、この手。もう丸一日も経っているのに。手のひらのちょうど真ん中あたりに、まだほんのりと、あのぬくもりが残っているような。妙な心地です。
私はその手のひらをしばらく見つめて。それから、ぱ、と指を握って、考えるのをやめました。いけない、いけない。ぬくもりの意味なんて、そんなつかみどころのないものは、私のいちばん苦手とするところ。さあ、屋敷へ帰りましょう。
と、腰を上げかけた、そのときでした。
ころ。ころころ。
……はて?
中腹の泉のほうから、何やら妙な気配がします。小さな丸いものが、ころころと転がるような。それとも、ころころと笑うような。夕闇の迫る木々のあいだから、その聞き慣れない音が、たしかにこちらへ届いてくるのです。
私は提灯に火を入れて、そっと泉のほうへ足を向けました。屋敷へ下りる道の、すぐ途中です。ちょっとのぞいて、それから山を下りればいい。
夕映えの泉は、暮れなずむ空を映して、しんと静まっています。祈りのおかげか、このごろめっきり水位の上がった、静かの泉。その、ほとりに。
見慣れない毛玉が、ふたつ。ちょこんと座っていました。
……毛玉?




