銅貨5枚の波紋(二) 「もっと高くしろ」と、客が詰め寄る変な社
行列がようやく落ち着いてきたのは、日が、西にかたむきはじめたころでした。
その、店じまいの支度を始めた私のところへ。すっかり常連になった領民たちが、何やらもじもじと集まってきたのです。年かさの恰幅のいいおかみさんが、みんなを代表するように、口を開きました。
「あのねえ、聖女さま。前々から、言おう言おうと、思ってたんだけどねえ」
「はい、なんでしょう」
「あんたのとこのお守り、銅貨5枚ってのは……いくらなんでも、安すぎやしないかい」
まわりの人たちも、うんうん、と、いっせいにうなずきます。
「そうだそうだ。こんなに効くお守りが、たったの銅貨5枚たあ、こっちが申し訳ねえ」
「せめて、銀貨に、してくんな。それでも、安いくらいだ」
「あたしなんか、金貨出したっていいと思ってるよ」
——値上げの、圧力でした。しかも、かなりの、勢いの。
妙な話です。世の中の商売というものは、たいていお客が「まけろ」と言い、お店が「まかりません」と粘るもの。それがうちの社ときたら、お客のほうが「もっと高くしろ」と詰め寄ってくる。ありがたいような、困ったような。まったく、変わった土地に来てしまったものです。
けれど、これだけは。この、銅貨5枚だけは、何があっても、譲れないのです。
私は、ほうきをそっと立てかけると、みんなのほうへ、まっすぐ、向き直りました。
「みなさん。お気持ちは、本当に、ありがたいです。でもね——」
私は、ひと呼吸おいて、はっきりと、言いました。
「祈りの値段は、祈った人の、一食分。それ以上いただくと、祈りが、商品になっちゃうんです」
しん、と、静まりかえりました。
「銀貨をいただいたら、たしかに、私は儲かります。でも、そうしたら——今日、その銀貨を払えない人が、ここへ来られなくなる。本当に困って、藁にもすがる思いで、この山を登ってきた人が、鳥居の前で、しょんぼり引き返すことになるんです」
みんなが、言葉もなく、私を見つめています。
「それに、値段を吊り上げていったら。祈りが、だんだん、ただの商品になってしまう。高いから効く、安いから効かない——そんなふうに、値札で計られるものに、祈りだけは、なってほしくないんです。だから、銅貨5枚。一食分。これは、私がこの社をやっているかぎり、ずっと、変えません」
我ながら、いいことを、言いました。
みんな、感じ入ったように、深々と、うなずいています。中には、目に、うっすら涙まで浮かべているおかみさんも。ああ、いい空気だ。祈りの心が、ちゃんと、この人たちに、伝わった——。
——と、まさに、そのときでした。
「……聖女さま。あんた、さっきから、その手に、何を、にぎってるんだい」
年かさのおかみさんが、じいっと、私の手元を見つめていました。
……しまった、と思ったときには、もう、遅かったのです。
私の手には、いつのまにか、今日一日の売上を書きつけた帳簿と、銅貨のぎっしり詰まった小袋が、しっかりと握られていました。そして、私は、その帳面に目を落としながら——それはもう、実に、幸せそうに。にんまりと、していたのでした。
「ち、違うんです、これは、その」
「今の、いい話は、いったい、なんだったんだい」
「いい話が、台無しだよ!」
みんなが、いっせいに、突っ込んできました。ごもっともです。祈りは商品じゃない、と、あんなに立派なことを語ったその口の、その手で、私は、しっかり売上を数えて、にんまりしていたのですから。弁解の、しようもありません。
「だ、だって……塵も、積もれば……山、なんです」
消え入るような声で、私は、そう、つぶやくのがやっとでした。
これが——のちのち、この社の名物として、長く語り継がれることになる、「にんまり帳簿」の、記念すべき、はじまりでした。祈りには一食分の値しか取らないくせに、その一食分を数えては、うっとりする、変な聖女。尊い志と、しみったれたそろばん。その両方を、堂々と、同じ顔に乗せて生きている。私という人間は、どうやら、そういうふうに、できているのです。
ただ——そのにんまりの、中身については。少しだけ、弁解を、させてください。
私が数えていた銅貨は、けっして、そっくり私の懐に、しまわれるわけでは、ありません。まず、社の修繕費。それから、お守りの木札の、仕入れ代。そして——さっきの、あのお嫁さんのような人のための、「つけ帳」の埋め合わせ。今日、払えなかったぶんは、いつか、誰かの余裕が、そっと肩代わりしてくれる。そういう、めぐりの仕組みを、この帳簿は、支えているのです。
だから、私のにんまりは、守銭奴のにんまりのようでいて。その実、数えているのは、「これで、あと何人、困った人を、助けてあげられるか」という、勘定なのです。……まあ、傍から見れば、ただの、けちくさい笑顔で、しかないのですけれど。それでも、いいのです。この笑顔の下で、帳簿の数字は、ちゃんと、社と、人のために、めぐっていくのですから。
その、店じまいどきのこと。ふと、麓のほうを見下ろすと、一人、こちらを、じいっと見上げている人影が、ありました。
恰幅のいい、女の人です。太い腕を組んで、行列のはけた参道を、値踏みするように、眺めている。町で、茶屋か煮売り屋でも切り盛りしていそうな、貫禄たっぷりの女将さん、といった風情でした。
その人は、山の上の私と、目が合うと。にやり、というでもなく、ただ、あごに手を当てて、ひとこと。
「……ふうん」
と、つぶやいたように、見えました。それから、何やら、思案げな顔で、ゆっくりと山を下りていきます。はて、何を考えているのやら。……けれど、あの目。あれは、たしかに、何か、商売のにおいを、嗅ぎつけた人の、目でした。まあ、悪いことでは、なさそうですし。私は、深くは考えず、また、手元の帳簿に、目を戻したのでした。




