鳥居と巫女服(二) 朱の鳥居に頑固な棟梁が落ち、巫女装束に氷の領主が「…………似合う」
そうして幾日もかけて、ついに、社が姿を現しました。
こぢんまりとした、けれど凛としたたたずまいの本殿。まっすぐに伸びた参道。そして、その入り口に——朱塗りの、鳥居。
完成した鳥居の下で、ガンツさんが、腕を組んで、じっとそれを見上げていました。ずっと「壁のねえ門なんざ」とぶつぶつ言い続けていた、あのガンツさんが。長いこと、ひとこともしゃべりません。
「……どう、ですか」
私がおそるおそる尋ねると、ガンツさんは、鳥居を見上げたまま、ぼそりと言いました。
「……悪く、ねえ」
それだけでした。けれど、その短いひとことに、職人の精いっぱいの本音がこもっているのが、わかりました。あれだけ文句を言っていた人が、いちばん先に、この門に落ちてしまったのです。
朱色の柱が、山の緑と青い空にくっきりと映えています。二本の柱と、二本の横木。ただそれだけ。それだけなのに、その門の内と外とで、空気がまるで違って感じられる。ここから先は特別な場所。そう、門そのものが静かに告げているようでした。
私は、その鳥居の下を、そっとくぐってみました。すう、と背筋が伸びます。うん。ちゃんと、鳥居になっている。
外の世界と、祈りの場所と。そのあわいに立つ、たった一つの門。壁もなく、扉もなく、鍵もない。それでも、この門は、ちゃんと、人の心を分けてくれます。ここから先は、少しだけ背筋を伸ばす場所。ここから先は、願いを、声に出していい場所。——遠い前世で、私が守っていた、あの傾いた小さな社。その入り口にも、こんなふうに、朱の鳥居が立っていました。海を越え、生まれ変わって、それでも私は、またこうして、鳥居の下に立っている。めぐりめぐって、私は、帰ってきたのかもしれません。私の、いるべき場所に。
最後に私は、本殿の軒下に、ひとつだけ、持ってきたものを吊るしました。前世からの、古い鈴。教会にいた十年、とうとう誰にも取り上げられなかった、あの鈴です。
山の風が、ひとつ、吹き抜けました。
ちりん。
澄んだ音が、ひとつ、山にひろがりました。前世の境内で聞いたのと少しも変わらない、あの音。私は、その音を聞いて、社の名前を決めました。
「決めました。この社の名前は——鈴の社にします」
「鈴の、社」
ガンツさんが繰り返します。それから、少し拍子抜けしたような顔で。
「……そのまんまですな」
「はい。いい名前は、そのまんまなんです」
軒の鈴が、また、ちりん、と鳴りました。まるで、その名前を気に入ってくれたみたいに。ずっと私の胸もとで小さく鳴っていたこの鈴が、これからは、この山のいちばん高いところで、みんなのために鳴る。そう思うと、なんだか、胸がいっぱいになりました。
社が完成した記念に、私は、大工さんたちに、初めての参拝のやり方を教えました。せっかく建てたのですから、いちばん最初のお参りは、この社を建ててくれた人たちに、してほしかったのです。
「鳥居の前で、軽く一礼。手水で清めて、本殿の前へ。二回、おじぎをして、二回、手を打って、最後にもう一回、おじぎ。二礼、二拍手、一礼です」
ところが、これが、なかなかの騒ぎになりました。おじぎの数を間違える人、手を打つ調子がそろわず、ぱん、ぱらん、と間の抜けた音を立てる人。いちばん体の大きなあの若い大工さんにいたっては、力を込めて手を打ちすぎて、ぱあん、と山じゅうに響く音を鳴らし、自分でびっくりして飛び上がっていました。
「そんなに強く打たなくても、神さまには聞こえます」
「へ、へえ……つい、気合が」
ガンツさんだけは、さすが、といいますか。無骨な手で、ぎこちないながらも、ていねいに、二礼、二拍手、一礼を、きっちりこなしました。そして、深々と頭を下げたまま、しばらく、動きませんでした。何を祈っていたのかは、聞きませんでした。職人が、自分の建てたものの前で祈るとき。その胸のうちは、そっとしておくのが、礼儀というものです。
こうして、鈴の社の最初の参拝者は、皮肉にも、いちばん最初に「壁のねえ門なんざ」と文句を言っていた、大工さんたちになったのでした。
* * *
社が仕上がれば、次に用意するのは、巫女の装束です。
これも、前世の記憶が頼りでした。白い上着に、緋色の袴。屋敷のまかないのおばさんに相談したら、「あら、いいねえ」と大乗り気で、二人して何日もかけて縫い上げました。おばさんは、裁縫の名手でもあったのです。緋色の布を裁ちながら、「こういう晴れ着を縫うのは、何年ぶりだろうねえ」と、少し遠い目をしていました。この屋敷から、長いこと、晴れの日というものが消えていたのだと、その横顔が教えてくれるようでした。
仕立て上がった装束に、初めて袖を通した、その日のこと。
白い上着に、緋色の袴。鏡の代わりに泉の水面をのぞきこんでみると、そこには、前世の私が見慣れた、巫女の姿がありました。燭台級と笑われ、パン一切れで働かされていた、あの頃の私とは、まるで別人のよう。背筋が、自然と、しゃんと伸びます。
まだ普請の後片づけに残っていた大工さんたちが、巫女姿の私を見て、おお、と、どよめきました。
「聖女さま、見違えましたぜ」
「なんだか、こう……本物の、神さまのお使いみてえだ」
いつも「もったいねえ」だの「盗まれちまう」だの言っていた人たちに、まっすぐ褒められると、なんだか、くすぐったいものです。ありがとう、と笑って、私は、参道のほうへ歩きだしました。
その、ちょうどのことでした。参道の下から、当主さまが登ってくるのが見えたのは。相変わらずの、視察という名の様子見です。このところ当主さまは、三日にあげず、この山に登ってきます。領内の道路整備の進み具合を確かめるためだ、とおっしゃって。
「当主さま。今日は——」
声をかけて、私は、途中で言葉を止めました。当主さまが、石段の途中で、ぴたりと足を止めたからです。
こちらを見たまま、動きません。まったく動きません。まるで、時が止まってしまったかのように。
「……当主さま?」
返事はありません。当主さまは、直立不動のまま私の顔を見て、それから、すっと目をそらしました。視線が右へ泳ぎます。次に左へ泳ぎます。行き場を探すように宙をさまよって、最終的に、なぜか、真上の空を見上げました。耳が、ほんのり赤い。
「……あの、変でしょうか。この格好」
自分では、なかなか気に入っていたのですが。こんなに固まられると、さすがに不安になってきます。似合っていないのかしら。それとも、白と緋というのが、この土地では何か縁起の悪い色だったり——。
少し遅れて登ってきたホルガーさんが、主のただならぬ様子に気づいて、そっとその背中に声をかけました。
「……旦那さま。呼吸を」
どうやら当主さまは、息をするのも忘れていたようです。
やがて当主さまは、視線を空にさまよわせたまま、絞り出すように、ひとことだけ言いました。
「…………似合う」
たった三文字でした。なのに、その三文字を言うのに、この方は、山を登るよりもずっと苦しそうな顔をしていました。言い終えると、当主さまは、逃げるように、さっさと本殿のほうへ歩いていってしまいます。耳は、まだ赤いまま。
……なんでしょう、これは。
私は、自分の頬が、じんわりと熱くなっていくのを感じました。おかしいですね。似合う、と言われただけなのに。ただ、それだけなのに。なぜだか胸のあたりがそわそわして、落ち着かないのです。似合っていないと言われたわけでもないのに、うまく、お礼の言葉も出てきません。
胸もとの鈴が、ちりん、と小さく鳴りました。まるで、固まってしまった私の代わりに、返事でもするように。
ホルガーさんはといえば、私と当主さまを見比べて、それはもう、深々としたため息をつくと、いつもの胃の薬に、そっと手を伸ばしていました。この方の胃の薬は、当分、減り続けそうです。




