鳥居と巫女服(一) 門なのに、壁がねえんですかい?——壁のない鳥居と、鎖付き賽銭箱
裏山を下りて屋敷に戻ると、私は、さっそく社の図面を描きはじめました。
前世のおぼろな記憶を、一つひとつ手繰り寄せながら。傾いてはいたけれど、たしかにそこにあった、あの社の姿を。本殿に、参道、手を清めるための手水舎、そして——鳥居。かすれた記憶の線を羽根ペンでなぞって形にしていくたびに、胸が高鳴りました。
とりわけ、鳥居だけは、どうしても外せません。あれがなければ、そこはただの建物で、社にはならないのです。俗世と、祈りの場所と。その境目に立って、ここから先は特別な場所ですよ、と静かに教えてくれる門。私は、その一本を、いちばん大きく、いちばん丁寧に、図面の上へ描き込みました。何もなかった山に、これから私の社が建つ。そう思うと、夜、寝床に入ってもわくわくして、なかなか寝つけないほどでした。
そうして数日かけて図面が仕上がったころ、屋敷に、一人の大男が呼ばれてやってきました。
この土地でいちばん腕がいいという、大工の棟梁です。名を、ガンツさんといいました。丸太のように太い腕に、日焼けした厳めしい顔。いかにも頑固一徹といった風情の職人でした。当主さまの命で山道の石段を請け負うことになり、そのついでに、山のてっぺんに建てる建物のこともお願いしたい、と呼ばれたのだそうです。
「呪いの山に、聖女さまの思いつきで妙な建物を建てるって聞いてね」
ガンツさんは、椅子に座るなり、遠慮のない口ぶりでじろりと私を見ました。
「正直、気は進まねえ。あんな山に、まともな職人は誰も入りたがらねえんだ。……で。いったい、何を建てろってんです」
値踏みするような、鋭い目でした。腕のいい職人ほど、いい加減な仕事を嫌うもの。この人は、きっとそういう人です。だからこそ私は、この人にお願いしたいと思いました。
「棟梁。この図面のとおりに、建物を建てていただきたいんです」
差し出した図面を、ガンツさんは、ふむ、と低くうなって受け取りました。太い眉を寄せ、食い入るように見つめます。値踏みするようだった目が、見ているうちに、だんだんと、けげんそうに細くなっていきました。
一度、ひっくり返し。二度、ひっくり返し。三度、ひっくり返して。
それから、眉間のしわをこれ以上ないくらい深く刻んで、ガンツさんは、図面のいちばん上に描かれたあるものを、丸太のような指で、とん、と突きました。
「で、お社さま。この"とりい"ってのは——門なのに、壁がねえんですかい?」
お社さま。ガンツさんは、いつのまにか私を、そう呼ぶようになっていました。聖女さまでも、巫女さまでもなく、お社さま。なんだかこそばゆくて、けれど、悪くない響きです。
「そうです。壁は、ありません。柱が二本と、上に渡した木が二本。それだけの門です」
「門ってのは、壁があって初めて門でしょうが。壁のねえ門なんざ、通せんぼの役にも立たねえ。ただ、二本の柱が突っ立ってるだけだ」
ガンツさんは、心底わけがわからない、という顔をしています。職人として、どうにも納得がいかないのでしょう。私は、少し考えてから、こう答えました。
「壁のある門は、悪いものを外で食い止める門です。でも、壁のない門は——くぐる人の、心のほうが変わる門なんです」
「心が、変わる?」
「はい。あの門をくぐると、あ、ここから先は少しだけ背筋を伸ばそう、と思う。神さまの前に来たんだな、と自然に思える。体を止めるための門じゃなくて、心を切り替えるための門です。だから、壁はいらないんですよ」
ガンツさんは、しばらくぽかんとしていました。それから、太い腕を組んで、うーん、と長いことうなって。
「……壁、作っちゃ駄目なんですかい」
「駄目です」
「即答かい」
こればかりは、譲れません。壁のある鳥居なんて聞いたこともありませんし、そもそも、それはもう鳥居ではないのです。ガンツさんは、まだ何か言いたそうでしたが、結局、がしがしと頭をかいて、「わかりましたよ、壁のねえ門ね。……妙な仕事だ」と、ぶつぶつ言いながら引き受けてくれました。頑固そうに見えて、いざ引き受けたら、とことんやる。そういう職人の顔を、していました。
帰りぎわ、ガンツさんは、思い出したように、ぼそりと聞いてきました。
「……で、お社さま。あんた、あの呪いの領主さまの山で、いったい何をやらかすつもりなんです」
「やらかしません。ちょっと、みんなが、お参りに来たくなる場所を作るだけです」
「お参りに、ねえ。……あの、誰も寄りつかねえ山に」
ガンツさんは、信じられない、というふうに、首を振りました。それから、ふん、と鼻を鳴らして、「物好きなこった」と言い残し、太い背中を向けて帰っていきます。憎まれ口をたたきながらも、断らなかったあたり、この人も、たいがい、物好きなのだと思います。その証拠に、山を下りていくその背中は、なんだか、少しだけ、楽しそうに見えました。
* * *
こうして、眠り山の中腹で、社の建築が始まりました。
当主さまが命じてくださった山道の石段が、下から少しずつ組み上がっていくのと歩調を合わせて、開けた泉のほとりでは、社の骨組みが日ごとに姿を現していきます。木を切る音、槌を打つ音、大工衆の掛け声。長いあいだしんと眠っていた山に、久しぶりに、人の営みの音が響きました。あの、涸れかけた泉も、なんだか少しだけ、うれしそうに見えます。
私も、大工さんたちに混じって、できることは何でも手伝いました。板を運び、釘を渡し、お茶を配り。そして、事あるごとに、この土地の人が誰も知らない「作法」を、一つひとつ教えていくことになったのです。
たとえば、手水舎。
参道のわきに、水をためた石の鉢を据えて、柄杓を並べる。それを見た大工さんたちが、さっそく、けげんな顔で集まってきました。
「聖女さま。この水は、なんに使うんで?」
「お参りの前に、手と口を清めるんです。まず右手で柄杓を持って、左手にお水をかけて。次に持ちかえて、右手を清めて。それから左手にお水を受けて、口をすすいで——」
「飲むんですかい」
「すすぐ、だけです。飲みません」
「もったいねえ」
大工さんたちは、口々に「もったいねえ」と言いました。せっかくの水を飲まずに捨てるなんて、と。この土地は冬が長くて水も貴重ですから、その気持ちもわからなくはありません。けれど、そういうことではないのです。
「体を洗うんじゃなくて、心を洗うんです。汚れているのは手じゃなくて、そこまで登ってくる間に、うっかり心にくっついた、いろんな雑念のほうで」
「……雑念」
「今日の晩ごはんはなんだろうな、とか。あの人にひとこと言い返してやりたい、とか」
図星だったのでしょう。大工さんたちが、揃って、ぎくりとした顔をしました。私も、人のことはまったく言えません。手水を使うたび、いつも晩ごはんのことを考えてしまうのですから。清めても清めても、私の雑念だけは、なかなか流れていってくれないのでした。
ちなみに、いちばん体の大きな若い大工さんが、私の見ていない隙に、柄杓の水を、ごくり、と一杯飲んでしまったのは、ここだけの話です。あれほど「飲みません」と念を押したのに。「い、いや、のどが渇いてて」と、ばつの悪そうな顔で頭をかくその人に、私は、笑いながら、もう一杯すくってあげました。清めの水が、のどの薬にもなるのなら、それはそれで、神さまも大目に見てくださるでしょう。作法は大事です。でも、それ以上に大事なのは、来てくれた人が、気持ちよく帰れること。堅苦しいばかりの社になっては、誰も、登ってきてくれませんから。
そして、いちばんの騒動は、賽銭箱でした。
本殿の前に置く、お賽銭を入れるための箱。私がその図面を見せて説明したとたん、大工さんたちが、いっせいに大騒ぎを始めたのです。
「聖女さま、正気ですかい!? 金を入れる箱を、外に、置きっぱなしにするだって?」
「盗まれちまう! 一晩で空っぽですよ!」
「こんな山ん中だ。夜中に誰か忍び込んだら、ひとたまりもねえ」
みんな、真剣な顔で、私を止めにかかります。無理もありません。お金の入った箱を、鍵もかけずに雨ざらしの外へ置いておく。常識で考えれば、たしかに正気の沙汰ではないのです。けれど私は、にっこり笑って言いました。
「大丈夫です。だって——お金を盗もうなんて人は、そもそも、鳥居をくぐれませんから」
「…………は?」
「心を切り替える門をくぐってきた人が、神さまの前で、こっそりお賽銭を盗む。そんなこと、できると思います? できませんよ。……たぶん」
「たぶん!?」
大工さんたちの声が、みごとに揃いました。そこは、たぶん、では困る、というわけです。まあ、おっしゃることももっともです。人の心を当てにして、無用心に大金を晒すのは、経営者としていささか、しまりがない。志は志として、備えは備えとして。両方が大事なのです。
そこで、ガンツさんが、腕を組んで言いました。
「わかった。おれが頑丈なやつを作ってやる。分厚い樫の板で組んで、鎖で本殿の柱に、がっちり縛りつける。これなら、箱ごと持っていかれる心配はねえ」
「まあ。頼もしい」
「ただし、鎖は当分つけたままだ。あんたの言う"たぶん"が、"ぜったい"になるまではな」
こうして、鎖でぐるぐる巻きにされた、いかつい賽銭箱ができあがりました。心を切り替える神聖な鳥居の、そのすぐ奥に、まるで囚人のように鎖でつながれた箱が座っている。ずいぶんちぐはぐな眺めでしたが、これはこれで、私は嫌いではありませんでした。いつか、この鎖がいらなくなる日が来ればいい。心からそう思いながら、私は、その無骨な箱を、ぽんと叩いてやりました。




