使い道のない山(一) 金貨も宝石もいりません。——この、使い道のない山をください
「聖女さま。褒美の候補を、お持ちいたしました」
翌朝、朝食を終えた私のところへ、ホルガーさんが、いくつかの品を恭しく運んできました。前払いの褒美を、さっそく用意してくださったようです。仕事の速い方だこと、と感心しながら、私は姿勢を正しました。
まず、ひとつめ。ずしりと重たそうな木の箱です。ホルガーさんがうやうやしく蓋を開けると、中には金貨がぎっしりと詰まっていて、朝の光を弾いて山吹色にまばゆく光っていました。
私は、その箱をしばらく見つめてから、そっと蓋を閉めました。
(桁が、おかしい)
これを銅貨に直したら、いったい何枚になるのでしょう。頭の中で数えかけて、私はめまいを起こしそうになりました。こんな大金は生まれて見たことがありませんし、抱えて歩けば腰を痛める自信があります。夜、枕元に置いたりしたら、盗まれやしないかと気が気でなくて、一睡もできなくなってしまうでしょう。宝の持ち腐れ、とは、まさにこのことです。
「……ほかには、どんなものが?」
「はい。街に屋敷を一軒。それから、こちらの宝石などを」
ホルガーさんが、次々と品を並べていきます。石造りの立派な街屋敷の権利書に、手のひらほどもある真っ赤な宝石。どれもこれも、目がくらむほど結構なものばかりでした。
けれど、困ったことに、どれも、いまひとつ胸が躍らないのです。
立派なお屋敷は、掃除が大変そうでした。あんな大きな屋敷を私ひとりで切り盛りするとなったら、朝から晩まで雑巾がけをしても、まだ足りません。宝石のほうは、たしかにきれいですが、眺めていてもお腹はふくれませんし、いざ換金しようとしても、こんな大粒をぽんと買い取れるお店が、この辺境にあるとも思えない。足元を見られて買い叩かれるのが、目に見えていました。
私が欲しいのは、きらきらではなくて、ちゃりん、なのです。
せっかくのご厚意に、なんとも欲のない、いえ、面倒くさい客で、我ながら申し訳なくなってきます。それでも、身の丈に合わないものをいただいても、結局は持て余すだけ。私は、思いきって、正直に切り出すことにしました。
「あの、ホルガーさん。もっとこう、使い道のはっきりした、実のあるものは、ありませんか。たとえば、畑とか、田んぼとか。自分の手で、何かを生み出せるような」
ホルガーさんは、うーむ、としばらく考え込んでから、はた、と手を打ちました。
「でしたら、いっそ、領地の図面をご覧になりますか。ご入り用の土地がございましたら、遠慮なくお申しつけください」
領地の、図面。
その言葉を聞いた瞬間、なぜだか胸の奥が、とん、と鳴った気がしました。
執務机の上に、大きな領地図が広げられました。ノルデン辺境伯領の隅から隅までが、細かく描き込まれています。町があり、村があり、畑が広がり、川が流れ、北へ行くほど森が深くなっていく。私は、その図の上を指でなぞりながら、どこか私の性に合う土地はないものかと、時間をかけて見ていきました。
——そのときでした。
図の上、この屋敷のしるしの、すぐ裏手。そこに、ちょこんと描き込まれた、小さな山影に、私の目が、ふと吸い寄せられたのです。
そこには、小さな字で、こう記されていました。『眠り山』、と。
(……あら)
なんでしょう、この呼ばれたような感じは。昨夜、部屋の窓から見た、あの黒い山影。屋敷のすぐ裏手に、こんもりとそびえていた、あの山です。この土地に着いた夜から、なぜだか、気にかかっていました。あのとき、胸の鈴がちりんと鳴った気がしたのを、私は、はっきりと覚えています。
「ホルガーさん。この眠り山、というのは?」
私が指さすと、ホルガーさんは、ああ、と気の抜けた声を出しました。
「そこは、当家のすぐ裏手の——何もない山でございます。畑にもならず、鉱脈も出ず、猟師も途中から先へは入りません。なにしろ、呪われた当家の裏山ともなれば、木こりの一人も、寄りつきませんので。地図に載せる意味すら、ない山でして」
何もない山。畑にならず、鉱脈もなく、誰も寄りつかない。地図に載せる意味もない——なんだか、少し前の私の身の上話を聞いているようでした。誰にも期待されず、格付けは万年燭台級、列に並べばいつも最後尾。何もない、役に立たない、と言われ続けた、あの頃の私の話を。
私は、その小さな山影を、もう一度、指でそっとなぞりました。そして顔を上げ、はっきりと申し上げました。
「では、この山を、ください」
「……は?」
ホルガーさんが、聞き間違いでもしたかのように、間の抜けた声で聞き返しました。
「この山を、いただきたいのです」
「…………この、何もない山を、でございますか」
「はい」
「金貨、ではなく」
「山を」
ホルガーさんは、領地図にぐっと顔を近づけると、眠り山の位置を、指で一度、二度、三度と、確かめるようになぞりました。どこかに聞き間違いの種が隠れていないかと、疑っているようです。何度なぞっても、そこにあるのは、ただの小さな山影だけなのですけれど。
その様子を、少し離れた窓辺で見ていた当主さまが、ふっ、と小さく息を吐いたのが聞こえました。
……あら。今、笑いましたね?
振り向くと、当主さまは素知らぬ顔で窓の外を見ています。それでも、その口もとが、かすかにゆるんでいるように見えました。夜会のときと、同じです。この方はどうやら、私がまわりの人を困らせて目を白黒させているところを、眺めるのがお好きらしい。趣味の悪いこと、と思いつつ、なんだか少しだけ、こそばゆくもありました。
「聖女さま。本当に、よろしいのですか。あんな、使い道のない山で」
ホルガーさんが、念を押すように尋ねます。
「使い道なら、ちゃんとありますよ。……まだ、内緒ですけど」
私はにっこり笑って、そう答えました。胸の中では、もう、ひとつの考えが芽吹きはじめていたのです。何もない山、誰も寄りつかない静かな場所——そういう場所こそ、私のやりたいことに、ぴったりなのかもしれない。そんな予感が、ちりちりと胸を焦がしていました。




