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遅くて、確かな祈り(三) 三十年、この腰と付き合ってきた。……こんなのは、初めてだ

男の子の膝の話は、その日のうちに、市場の井戸端を、ぐるりと一回りしたようでした。


「なんでも、遅い祈りの聖女さまが、来なさったそうだよ」


「痛くないんだと。しかも、銅貨一枚だってさ」


 次の買い出しのとき、私に向けられる目は、少しだけ、変わっていました。相変わらず、遠巻きではあるのです。けれど、その中に、ほんのりと、あたたかいものが混じっている。呪いの家の、新しい聖女。そう、身構えるだけだった人たちが、一歩、こちらへ、近づいてくれたような。


 ただ、中にはそう簡単に心を開いてくれない人もいました。


 市場のはずれで石を切る、年老いた石工のじいさんです。深く刻まれたしわと、いつも不機嫌そうに曲がった背中。若い頃から何十年も石を切ってきた頑固者だと、町の子が教えてくれました。


 ある日、そのじいさんが腰を押さえてうずくまっているのを見かけました。だいぶ、つらそうです。私が駆け寄ると、じいさんはぎろりと私をにらみました。


「……聖女さんかい。けっこうだ。おれには、いらねえ」


「腰、痛むのでしょう?」


「痛かろうがなんだろうが、おれの勝手だ。あんたら聖女さんは、来てはこの土地に愛想を尽かして逃げて帰る。この十年で、いったい何人見送ったと思ってる」


 その声には、怒りというより疲れがにじんでいました。期待して、裏切られて。それを何度もくり返して。だからもう、期待するのをやめた——そういう疲れ方でした。


 私は言い返しませんでした。その代わり、じいさんの隣にそっとしゃがみ込みます。


「祈るだけなら、ただです。効かなかったら、お代はいりません。少しだけ、いいですか」


 じいさんはしばらく私をにらんでいましたが、やがて、ふんと鼻を鳴らしてそっぽを向きました。好きにしろ、ということのようです。


 私は、その曲がった腰にそっと手をかざしました。


 目を閉じて、時間をかけて。長い年月、石を切り続けてきた固い痛みの芯に、じんわりと温かいものを送り込んでいきます。急がず、焦らず。あなたの背中は、この町の石畳をいくつ敷いてきたのでしょう。そう語りかけるように。


 そっぽを向いていたじいさんの顔が、ふと、こちらを向きました。にらんでいた目が、だんだんまん丸に見開かれていきます。


「……なんだ、こりゃあ。あったかい。腰の芯から、じんわりと……」


「遅い祈りですから、急には効きません。でも、ゆっくり確かに、ほどけていきますよ」


 しばらくして手を離すと、じいさんはおそるおそる腰を伸ばしました。それから、もう一度。信じられないというふうに、自分の腰を手のひらで確かめて。


 やがて、そのしわだらけの目もとが、くしゃりとゆがみました。


「……三十年だ。三十年、この腰と付き合ってきた。どの聖女さんも痛いのを一瞬で焼き切るばかりで、こんなじんわりしたのは、初めてだよ」


 じいさんは、ごつごつした手で、懐から銅貨を数枚握って差し出しました。


「取っときな。……あんた、逃げるなよ」


 その一言に、この十年ぶんの重さが込もっている気がしました。私は銅貨を二枚だけ受け取って、残りをそっと押し返します。


「腰は、銅貨二枚です。それ以上はいただきません。——逃げませんよ。私、ここのごはんがとても気に入っているので」


 じいさんは、きょとんとして。それから、腹の底から大きな声で笑いました。


 そのやりとりを遠巻きに見ていた市場の人たちも、つられて、どっと笑います。その笑い声にはもう、身構えるだけだった頃には、なかったものが——ほんのりとした、あたたかさが、混じっていました。


 軒先で膝の悪いおばあさんに祈りをかければ、お代は銅貨二枚。荷運びで腰を痛めた若者には、銅貨三枚。ひとつずつ、ゆっくり、確実に。私の家計帳の頁は、少しずつ、けれど着実に、数字で埋まっていきました。


 教会にいた頃は、腐っている暇もない、と思っていました。今は、腐るどころか、毎日が、忙しくて、あたたかくて、しかたがありません。

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