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遅くて、確かな祈り(一) 呪われた辺境は、住み込み三食つきの天国でした

目が覚めて、私は、しばらく天井を見つめていました。


 知らない天井です。けれど、汚れも、しみも、雨漏りの跡もない、きれいな天井。頬に触れる寝具は、ふかふかと温かくて、すきま風の音も聞こえません。


 ……ここは、どこでしたっけ。


 寝ぼけた頭で、私は、ゆっくりと昨日のことを思い出しました。追放されて、十日の旅をして、辺境伯のお屋敷に着いて、就職して、初めての祈りを済ませて。そうだ。私は今、ノルデン辺境伯領の、お屋敷にいるのでした。


 起き上がって、寝台の縁に腰かけます。あてがわれたのは、屋敷の東側の、小さな一室。けれど、私にとっては、宮殿のようなお部屋でした。


(一人部屋……!)


 まず、それだけで、感激ものです。教会では、十人の聖女がひと部屋に押し込められ、寝返りを打てば隣の子の肘が飛んでくる暮らしでした。それが、ここでは、寝台も、机も、暖炉も、ぜんぶ私ひとりのもの。誰の肘も飛んできません。


 窓の外は、雪の残る、白い庭です。冷たそうな景色なのに、暖炉のおかげで、部屋の中はぬくぬくと暖かい。私は、しばらく、その温もりを、頬でしみじみ味わっていました。


 そのとき、扉が控えめに叩かれました。


「聖女さま。お目覚めでしたら、朝食のご用意ができております」


 朝食。


 その二文字が、私の背筋を、しゃんと伸ばさせました。寝ぼけまなこが、いっぺんに冴えます。


 急いで身支度を整えて、案内された食堂へ向かうと——机の上には、湯気の立つスープと、ふかふかの白いパンと、それから、こんがり焼けた腸詰めまでが、並んでいました。


「あの。これは……どなたの、朝ごはんですか」


 私が尋ねると、給仕の人は、きょとんとしていました。


「どなた、と申されますと……聖女さまの、朝食でございますが」


「わ、私の? これ、ぜんぶ?」


「はい。ぜんぶ、聖女さまのぶんでございます」


 私は、震えました。感激で、です。


 教会の朝ごはんは、固いパンが一切れきり。それも、遅く起きれば、後輩に譲ってなくなっていることもしばしばでした。それが、ここでは、温かいスープに、腸詰めまで。しかも、これが、毎朝、出るのだという。


(ここは……天国では?)


 真剣に、そう思いました。呪いの辺境だの、氷の領主だのと、王都のみなさんは同情してくれましたが。とんでもない。ここは、少なくとも私にとっては、極楽浄土です。


 私は、いただきます、と手を合わせて、スープを一口すすりました。あたたかい。じんわりと、体の芯まで、しみわたっていく。パンは、噛むほどに甘くて、腸詰めは、じゅわりと肉の脂がにじみます。おいしい。おいしくて、なんだか、涙が出そうになりました。


 残さず平らげて、私は、深々と頭を下げました。もったいなくて、パンくず一つ、机に残せません。


 ——さて。こんなに良くしていただいて、ただ、ぼんやり食べているわけには、まいりません。


 いただいたぶんは、お返しする。それが、前世からの、私の性分なのです。


 その足で、私が向かったのは、屋敷の厨房でした。


 湯気と、いい匂いの立ちこめる、広い厨房。かまどの前では、恰幅のいい年配の女の人が、大きな鍋をかき回しています。ここのまかないを一手に引き受けている人だと、あとで知りました。


「あの、おはようございます。朝ごはん、とてもおいしかったです。それで、あの、何か、お手伝いできることはありませんか」


 私が声をかけると、おばさんは、玉じゃくしを持ったまま、ぽかんとこちらを見ました。


「お手伝い……聖女さまが、かい?」


「はい。じっとしているのは、性に合わないんです。芋の皮むきでも、お鍋洗いでも、なんでもやります」


 おばさんは、しばらく私をしげしげと眺めて、それから、ぷっと吹き出しました。


「変わった聖女さまだねえ。今までの方は、厨房になんて、足も踏み入れなかったよ。それが、皮むきをやるだって」


 笑いながら、おばさんは、山盛りの芋と、小刀を、私の前にどんと置いてくれました。試すような、けれど、どこか楽しそうな手つきで。


 私は、袖をまくって、さっそく芋の皮をむきはじめました。教会で鍛えた手際です。皮は薄く、するすると、途切れずにむけていきます。


「おや。……上手なもんだ」


「これでも、水汲みと芋むきは、十年選手ですから」


 おばさんは、感心したように笑って、それから、かまどの火を見ながら、ぽつりと言いました。


「ここの当主さま——ジークさまはねえ。ほんとうに、召し上がる量が、少ないんだよ。せっかく作っても、半分も箸をつけずに、下げさせなさる。……もう、長いこと、そうさ」


 その声には、料理を作る人ならではの、切なさがにじんでいました。丹精込めた料理を、残される。それは、作り手には、こたえるものでしょう。


「食が細いと、体にさわりますね」


「そうなんだよ。だから、あんたが来て、たんと食べてくれるのは、あたしゃ嬉しくてねえ。作りがいがあるってもんさ」


 そう言って、おばさんは、味見だよ、と、焼きたての腸詰めを一本、ひょいと私の口に放り込んでくれました。


(……ここは、やっぱり、天国です)


 もぐもぐしながら、私は、しみじみ確信したのでした。


 その日から、私は、屋敷のあちこちに、顔を出すようになりました。


 厨房で芋をむき、洗い場で鍋を磨き、廊下の窓を拭く。掃除も、洗い物も、教会で嫌というほどやらされた仕事です。むしろ、体を動かしていないと、落ち着かないくらい。


 最初は、遠巻きにしていた屋敷の人たちも、だんだん、私に気を許してくれるようになりました。すきま風のことも、洗濯物の乾かし方も、みんな、気さくに教えてくれます。呪いの家だなんて、外の人は言うけれど。中にいる人たちは、あたたかい人ばかりでした。


 ただ、ひとつ。当主のジークヴァルドさまとは、あまり、顔を合わせません。


 あの方は、一日の多くを執務室で過ごし、食事も、湯浴みも、着替えも、すべてお一人でなさる。廊下でたまにすれ違っても、軽く会釈をするくらい。


「ああ、聖女さま。……その、変わりは、ないか」


「はい。おかげさまで、毎日、よく食べて、よく眠っております」


「……そうか」


 それだけの、短いやりとり。


 でも、なんだか、あの方——最初にお会いしたときより、ほんの少しだけ、雰囲気が、やわらかくなったような。氷でできた彫像みたいだと思っていたのに。気のせい、でしょうか。


 まあ、いいでしょう。私は、私のお仕事を、丁寧にやるだけです。

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