苦は色変える松の風
暗に「りくたっぼさんは、何者なんですか?」と問う涼多に、ルテは「私も、詳しいことは知らないのです」と眉をハの字にした。
「分かっているのは、薄氷さんよりも、ずっとずっと長く生きておられるということくらいです。あと、お姿は今も昔も変わりませんね」
ルテ曰く、『化生界の神、とでも言える存在なのではないか』『恐竜の魂が人の形を取った存在』などと噂する者もいるのだそうだ。
「噂を耳にしても、りくたっぼさん本人は笑って流されていました。……私も、何度か伺ったことがあるのですが、ヒミツ、と言われてしまって」
(聞いたことがあるんだ……)
羽織に施された孔雀の羽を脳裏に浮かべ、涼多は相槌を打つ。
「真偽のほどは分かりません。ただ、薄氷さんに向ける眼差しには、特別な何かを感じることがあります。……その、親近感や愛といったものではありませんが」
ルテは「『懐かしさ』が一番しっくりくるかな」と独り言ちた。
それを聞いた涼多は、「懐かしさ」と言葉を反芻する。
(それだけ長い時間を生きるって、どんな感じなんだろう。ご両親とか、ご兄弟はいないのかな。それとも、薄氷さんみたいに――)
俯いてしまいそうな心に気づき、涼多は慌てて首を横に振った。
『懐かしさ』という言葉が気にはなったが、質問を変える。
「穢れが溜まっている場所というのは、どんな感じなんですか?」
「……極々、普通ですね」
日の光が全く降り注がない、暗く陰鬱とした場所を想像していた涼多は、「そ、そうなんですか?」と心底意外そうな顔をした。
「はい。……ですが、『見た目は』というだけで、多くの方が、この間の兎火さんや緑泥さんのようになってしまいますね」
一見すると、何の変哲もない森や池に見える。
だが、周囲に漂う空気や気配が全く違うのだそうだ。
「私は、肌で感じ取るくらいが精々ですが、赤黒い靄のような塊が見える、という方もおられますね。言ってしまえば、かなり個人差があります」
いずれにせよ、気分が悪くなってしまうことに変わりはない。
余程のことがない限り、近づかないが吉だ、とルテは語る。
「……その穢れを吸い上げて、浄化することができるタツノオトシゴ(仮)さんもすごいですね。体を壊したりしないんですか?」
「人間にとっては大丈夫なものでも、他の動物が食べたら毒になる。それと同じ、としか言えませんね。犬や猫がネギを食べられないように」
「言われてみれば……」
そう考えると、そこまで不思議なことでもないのか、と涼多は思う。
冷たい風が吹き抜け、小さく鼻を啜る。
ルテは、思い切り伸びをすると「そろそろ戻りましょうか」と言った。
「浮かしますね」
そう前置きし、ルテは涼多をふわりと浮かし部屋へと入れた。
畳に足をつけると同時に、涼多は僅かによろめく。
まだ体が浮いているような、不思議な感覚に襲われた。
「大丈夫ですか?」
「は、はい、ちょっとふらついてしまっただけです」
ルテは安堵の息を吐くと、部屋の隅に置かれたショルダーバッグに目をやる。
勾異紫陽花のストラップが、光鈴の光を反射していた。
「詳しいことは明日の朝にお伝えしますが、暫くの間、ショルダーバッグをお借りしてもよろしいでしょうか?」
ルテにそう尋ねられ、涼多は「はい」と頷いた。
◇◇◇
「二週間ほど、周囲を探索してこようかと思います」
朝食を終えた後、ルテは姿勢を正し、涼多と緑泥に告げた。
体力も神力も回復した今、ただ待っているだけというわけにはいかない。
それに、新しい発見があるかもしれない、とルテは言った。
「一人で行くんか?」
「はい」
村には、長距離を移動できる者はいない。
加えて、穢れが溜まっている場所を通る可能性もある。
「だ、大丈夫なんか?……いや、アンタが凄い方なんは知っとるけど」
二人がこの村に来たときの記憶が蘇り、緑泥は視線を彷徨わせた。
「以前のような事にはならないと、お約束します」
「ああっ、ちょ、そない畏まらんでもええて」
緑泥は、床に手をつき頭を下げようとしたルテを慌てて制止した。
二人を交互に見ながら、涼多は「僕も一緒に」と手を上げそうになった。
(……ルテさんの言う『周囲』って、かなり広範囲だよね。そうなると、僕がいたら足手まといになってしまうのは目に見えている)
名月が一路の里で大けがを負った際、鵙がどれだけ急いでも二時間はかかってしまう距離をルテは三十分で駆け抜けた、と蕉鹿は言っていた。
だが、そこに自分がいたら話は別だ、と涼多は俯く。
涼多の表情をどう捉えたのか、ルテは視線を向け、微笑んだ。
「必ず、戻ってきます」
「い、いえ、その、…………はい」
ごねるわけにもいかず、どうにか笑みを作り、ぎこちなく頷いた。
緑泥はその様子を、複雑な表情で見つめていた。
◇◇◇
「僕に、何かお手伝いできることはありませんか?」
ショルダーバッグに必要な物を入れているルテに、涼多は問うた。
村から出ることは叶わないが、木札に色を塗ったり、札か何かに文字を書いたり、とにかく、何か出来る事はないだろうか、と。
「そうですね……」
顎に手を当て、ルテは考え込む。
しかし、これといったものは浮かんでこない。
戦いに行くわけでも、結界を張るわけでもないからだ。
その時、ふと、勾異紫陽花のストラップが目に入った。
同時に、涼多たちに透明粘土の指導をした日を思い出す。
綺麗な形にならなかったと肩を落としながらも、楽しそうに作っていた。
練習を重ね、最終的には店に置ける程の出来になった。
春が贈った布や寒梅屋の店主が贈ったショルダーバッグ同様、心が籠った物。
ルテは「……そうだ」と声を発し、ストラップの紐を外す。
そして、自身の髪を結んでいる紐と取り換える。
次いで、勾異紫陽花を涼多の手のひらの上に置いた。
「先程は、大丈夫だ、と大見得を切ってしまいましたが、本当のところ少し不安なのです。なので、起床後と就寝前に無事を祈ってはいただけませんか?」
ルテの気遣いであろうことは、容易に想像ができた。
それでも、涼多は勾異紫陽花を持つ手に力を籠め、大きく頷いた。
「ありがとうございます」
黄金色の眼を細め、ルテは嬉しそうに頭を下げる。
「旅の無事を祈っています。……お気をつけて」
ルテの笑みを見て、涼多は、努めて明るい声を出した。
◇◇◇
「迷惑じゃなければ、お供させてくれないかしら」
いざ、と舟から降りたルテの目の前に、薔薇がふわりと現れた。
剥き出しになった骨には、匂い袋や薬がぶら下がっている。
薔薇は、「私、こう見えて結構強いのよ?」と青い目でルテを見つめた。
「移動は……貴方の頭か肩に乗せてもらう形になるけど、私のこの地獄耳は、絶対、役に立つと思うの。メラウ探しのときに出会った神様たちに、白蛇様の町についての情報が、何か入ってきていないかも聞きたいし」
弁を振るう薔薇に、ルテは静かに頷いた。
差し出された手に、薔薇は鰭を当てる。
「よろしくお願いいたします」
「こちらこそ」
挨拶を終え、ルテは薔薇を頭に乗せると、朝焼けに染まる森を歩いて行った
残された涼多と緑泥は、互いに顔を見合わせ、何とも言えない溜息を吐いた。




