木の葉時雨
「あら、皆さんお揃いで」
パラナ松然とした木から、薔薇がするすると降りてきた。
「……ピクニックをするにしても、場所は選ぶべきだと思うわ」
「ちゃうちゃう」
皮肉めいた笑みを浮かべる薔薇に、緑泥は首を横に振った。
彼は、説明を求めるようにルテを見る。
「この辺りで、最も気の流れが悪い場所を探しているのです」
「そう。それなら、この場所を選んだのは正解ね」
薔薇は、「ここはまだマシだけれど、……そうね。分かりやすく言うと、三キロくらい先までかしら?それ以上は、穢れの溜まり場よ」と言った。
「ルテさんは、溜まり場の中心に行きたいんだって」
シラの言葉に、薔薇は微かに眉を顰めた。
「……ルテさんのことだから、遊山で行くのではないのでしょうけど、それでもお勧めはしないわね。貴方が想像している以上に酷いから」
ひゅう、と風が森を吹き抜け、木の葉が雨のように散る。
嫌に冷たさを孕んだそれに、涼多は思わず二の腕を擦った。
「あと、貴方たちが行けるのは、さっき言った三キロ先までよ。……いえ、生身の人間である涼多は、それより前で引き返すのが吉ね」
シラたちから涼多に視線を移し、薔薇は険しい顔で告げた。
ルテは、「ご安心ください」と森の奥を見つめる。
「今日は、薔薇さんが仰った『三キロ先』の手前までしか行きません。少し先の話になりますが、『本番』のときは、私一人で向かいます」
瞳に鋭い光を宿したまま、ルテは顔にかかる髪を掻き上げた。
ぞくり、とするものを感じとった薔薇の鰭を、緑泥は指でつつく。
「シラたちと涼多がおるんは、薪拾いも兼ねとるからや。『本番』のときは、なんぼごねても連れてけぇへん。来たとしても、この辺りまでや」
「……そう。倒れても知らないわよ」
「ご心配なく。もしもの時は、私が迎えに行きますですじゃ」
屈曲が、お道化たような口調で言った。
彼もまた、この非日常を楽しんでいるのだな、と薔薇は感じた。
「ふふふ、そうね。屈曲さん、いざと言う時はとても速いものね」
「ええ、疾風の如く駆けつけましょうぞ」
二人の会話を聞き、ルテは「とても有難く心強いのですが、なるべく、お手を煩わせないようにしなければ」と心中で拳を握った。
「そろそろ行こか」
緑泥の視線を受け、ルテは「ええ」と頷いた。
「薔薇さん、失礼いたします」
「気をつけてね。……今日も、『本番』も」
何をするのかは知らないけど、と薔薇は涼多たちと反対の方角へ泳いでゆく。
食い破られた皮が揺れる様子を、涼多はじっと見つめていた。
◇◇◇
「…………うっ、すみません。これ以上は……」
足を止めた涼多の背を、隣を歩いていた屈曲が優しく撫でた。
「兎火さん」
先頭を歩いていたルテは、慌てて背後を振り返る。
「あっ、だ、大丈夫です。倒れそうとか、そういうのではなく……」
涼多は、少しでもルテを安心させようと、歪な笑みを作って見せる。
しかし、喉の奥が砂か何かでせき止められてしまったかのような息苦しさを感じ、涼多の手は、自然と首へ向かって伸びていた。
「はい、どうぞ」
伸ばしかけていたその手に、シラが水の入った湯呑みを握らせる。
「あ、ありがとう」
「僕たちは、少し戻った所で待機しています」
涼多の手を引くウダイに向かい、ルテは「お願いします」と頭を下げた。
緑泥が、「俺もそうさせてもらうわ」と一歩後ずさる。
「正直、止まってくれて助かったわ。さっきから、なんやこう、吐きそうとはまたちゃうんやけど、とにかく気分が悪うてしゃあなかったんや」
薔薇が言っていた『三キロ先』まで、まだ距離があった。
だが、「少なくとも、幽霊や生身の人間はここまでや」と緑泥は言った。
「手頃な薪がいっぱい落ちているし、ちょうど良かったよな!」
ダケはそういうと、数本の薪をジャグリングのように動かし始めた。
「(どうせ無理するんやろうけど)無理しぃなや」
「はい」
ルテは緑泥に微笑むと、屈曲と共に森の奥へと進んで行った。
日の光が樹木に遮られているせいか、直ぐに二人の姿は見えなくなる。
「ほな、薪拾いながら、のんびり待つとしよか」
水を飲み、気を落ち着けた涼多は「はい」と頷き、薪を拾い上げた。
◇◇◇
辺りが夕焼け色に染まる少し前に、ルテと屈曲は戻ってきた。
怪我も何もしておらず、涼多は胸を撫で下ろす。
(……てっきり、土か何かを持って帰ってくるのかなと思ったけど)
ルテの手に視線を向けると、指先が僅かに汚れていた。
(なんだろう。木くず?いや、苔……かな?)
涼多は、懐から布を取り出しルテに差し出す。
「ありがとうございます」
会釈をするルテに、涼多は、「何をされていたんですか?」と問う。
「大樹の根の張り具合や気の流れを見て、どう進めば早く穢れの溜まり場の中心まで行けるのか、調べていたのです。……こんな風に」
ルテはその場にしゃがみ込むと、木の幹に手の平を置いた。
曖昧に頷く涼多に、緑泥は「そういうもんなんや」と耳打ちをする。
「屈曲さんのお陰で、思っていたよりも早く最短ルートを見つけることができました。本当にありがとうございます」
「いえいえ。礼を言うのは私の方です。久方ぶりに、こうした力の使い方ができて、てんしょんが上がりましたわい」
胸を張り、屈曲は「はっはっはっ」と体を震わせる。
虫取りに興じる少年のような無邪気さを感じ、涼多は顔を綻ばせた。
「では、帰りましょうか」
ルテは涼多に歩み寄ると、彼が背負っていた三束の薪の一つを抱えた。
「え?あ、あの、ルテさん、これくらいなら大丈夫ですから」
涼多は慌てた声を出すが、当の本人は涼しい顔をしている。
「私も、薪と無縁ではないのですよ?」
「で、でも、お疲れなんじゃ……」
「ご心配なく」
気遣いと本心が混ざり合った笑みを向けられ、涼多は何も言えなくなった。
ルテは薪の束を手に、しっかりとした足取りで歩き出す。
青年姿のルテよりも、どこか弾んだ歩き方だ。
(やっぱり、僕がよく知るルテさんって、かなり抑えられたルテさんなのかな。今の方が『素』というか、なんというか……)
ふと、美月の笑顔が涼多の脳裏をよぎった。
様々な思いを呑み込み、周囲を気遣い、実年齢よりも大人びている妹。
「(人間界に)帰ったら、もっと(魔法少女エラごっこなんかをして)遊んであげないと。(兄なのに、美月に)すごく気を遣わせてばかりで……」
心の中で呟いたつもりが、要所要所が声になってしまっていた。
ルテは足を止め「はい?」とでも言いたげな表情で、眼を瞬かせる。
涼多の背後で、緑泥が「はははっ」と笑いだす。
ツボに入ってしまったようで、咽て涙目になっている。
「ごほっ、あ、あんなぁ、……いや、アンタはそれでええわ。おもろいから」
言葉の意味を噛み砕き終え、涼多の顔は羞恥で赤く染まった。
(た、確かに、さっきのやり取りの後に今の言い方だと、ルテさんに向けて言ったように聞こえるかも。ど、どうしよう……)
「ふふっ、あははは、では、帰ったら枕投げと洒落こみましょうか」
涼多が詫びるよりも先に、ルテはそう言った。
無邪気や豪快とはまた違う、初夏の風を思わせるような爽やかな笑顔。
初めて見る、……『照』の名にふさわしい笑みだった。




