澎雨
思考は、矢のように放たれたら、的を射る。
注意しないと自分の放った矢で倒れることになる。
ナホバ族の格言
◇◇◇
自分がいなくなったことで、困ってほしいとまでは思わない。
だが、以前と変わりなく、全てが円滑に回ってゆくのも――。
「……その、言い訳がましくなってしまうのですが、いつも思っているわけではなく、ふとした時に思ってしまうのです」
ルテは、着物越しに心の臓がある場所を押さえ眉を顰める。
力を籠めすぎているせいか、指先が白くなっていた。
「私自身、どう言葉にすべきなのか分からないのです。……いえ、それ以前に、何故、こうもドロドロとした思いが湧いてしまうのかすら分からない」
必要とされたい、という思いはある。
だが、周囲の感情を押しのけてまで、そこに座りたくはない。
そう思っていた筈なのに、とルテは唇を噛む。
同時に、心中で「いや――」と首を振った。
(この感情は、今に始まったモノではない。豊穣の神でなくなった時から感じていたことだ。いつのころからか、「後祭町には、私が絶対にいないといけない」と思っ……驕った考えを持つようになってしまっていたから)
実際は、自分が消えた後も、村は滅ぶことなく今日まで続いている。
喜ばしい、それ以外の言葉なんて、謝罪の言葉以外ないはずだ。
ルテは口を閉じると、涼多から視線を逸らす。
暫しの沈黙の後、ゆっくりと口を開いた。
「…………この間から、同じような言葉ばかり吐いていますが、その、忘れてください。すみません、寝る間際に、つまらない話をしてしまって」
「ルテさんの気持ち、よく分かります」
俯いてしまったルテに、涼多はハッキリと言った。
ルテは勢いよく顔を上げると、驚きに眼を瞬かせる。
年相応な彼の表情に、涼多は心中で安堵の息を吐いた。
「僕も、ふと、思ってしまう事があるんです。……普段は、『誰にも注目されたくない』『ひっそりと静かに生きていけたらいい』と思っているのに、『やっぱり兎火がいないとダメだ、と言ってほしいな』なんて思ってしまうときがあって」
(……けど、実際に言われたら、「任せて!」と胸を張れもしない。それなのに、期待の言葉を欲してしまう。必要とされたいと思ってしまう)
何とも勝手な、と心中で溜息を吐く。
そして、涼多はルテに向かい「すみません」と頭を下げた。
「分かります、と言ったのに、かなり方向性が違いますよね」
自嘲気味に笑む涼多に、ルテは「そんなことありません」と首を横に振る。
「えっと、末枯さんの言葉を借りる形になってしまうんですけど、きっと、認めることが恐ろしいんだと思います」
「恐ろしい……ですか?」
首を傾げるルテに、涼多は「はい」と頷いた。
彼の脳裏に、いつぞやの晩稲の言葉が蘇る。
晩稲もまた、行き場のない感情に苦しんでいた。
『もし、弟弟子が画名を広めていて順風満帆だったら、嬉しくはあるし、安心もする。……しかしそれは、「自分がいなくても、末枯派は成り立っている」と言うのを、認めることでもある。それを知るのが恐ろしい』
皮肉気に口角を歪めた晩稲を思い出し、涼多は窓に手をつけた。
晩稲の表情の意味を、自分なりに纏める。
「末枯さんの言った『恐ろしい』が、何に対してのことなのかは分かりません。自分がいなくても成り立っている現状になのか、認めないといけない自分に向けてのことなのか、もしくは、その両方なのか……」
結論から言うと、晩稲が知る頃には、末枯派は途絶えてしまっていた。
それも、絵とは全く関係のないことで。
当時の晩稲の気持ちを想像し、涼多は微かに眉を顰めた。
そんな彼を横目に、ルテは「恐ろしい」と言葉を反芻する。
「……確かに、そうですね。私は、こんな泥のような思いを抱えてしまっている自分が恐ろしい。ですが、捨てることのできない思いでもあるのです」
「僕も同じです。何度も堂々巡りをするんですけど、結局は同じ場所に戻ってきてしまって。半ば、諦めの境地に達しているというか……」
格好のつく言葉が吐けず、涼多は、眉をハの字にして頬を掻く。
一匹の光鈴が、窓のすぐ近くを通り過ぎて行った。
二人して、淡い光を目で追う。
遠ざかってゆく光鈴を眺め終え、どちらが言い出すでもなく寝床に入る。
「……私は、兎火さんがいないとダメでしたよ」
「えっ!?」
暗闇の中、声が裏返ってしまった涼多に、ルテは「ふふ」と笑う。
そして、涼多が言葉を返す前に、「おやすみなさい」と布団を被った。
「……ぇ、あ、はい。おやすみなさい」
気持ちの整理がつかぬまま、涼多は目を閉じた。
◇◇◇
「自分ら、寝る前に小難しい話するんが趣味なんか?」
翌日の朝。口をもごもごと動かしながら、緑泥は涼多たちに問うた。
「ああ、前にも言うたけど、別に聞き耳たてとったわけちゃうで?この家に防音設備が皆無っちゅうだけの話や。間違えんといてな」
湯気の立つみそ汁を啜り、緑泥は漬物に箸を伸ばす。
ぽりぽり、と咀嚼音を響かせる彼に、「すみません」と二人は言った。
緑泥は、一階の板の間に置かれた一枚の畳の上に、布団を敷いて寝起きをしている(曰く、昔は二階で寝ていたのだが、面倒くさくなったのだそうだ)。
涼多とルテの頭に「一階で眠っている緑泥さんが気にしてしまうほど、大きな声で会話をしていたのだろうか」という思いが芽生える。
「ちゃうちゃう」
二人の表情から察したのか、緑泥は箸を持ったまま手を振った。
「五月蠅かったて言うてるわけやのぉて、寝る前に、そないに小難しい話して、変な夢見ぃひんのか心配になっただけや」
「……今のところは」
「大丈夫です」
涼多とルテの言葉に、緑泥は「さよか。ならええわ」と茶を飲み干した。
緑泥は、食事を再開させた二人を見て、頭に疑問符を浮かべる。
(自分がおらんくっても、世の中は回る。それに「ムカつく」「複雑や」「悔しい」て思うんは、あないに考え込まなアカンことなんやろか……)
少なくとも、目の前の二人は『思うだけ』だ。
周囲に当たり散らすようなことはしないだろう。
(心ん中でぐらい、好きに振舞ってもええんちゃうかな。……って、それができとったら、朝からこないな会話してへんか。難儀なこっちゃ)
胃が痛くならないことを祈りつつ、緑泥は食事を続ける。
秋の風が吹き入り、暖簾がふわりと浮いた。
◇◇◇
湿り気を含んだ風が、土道を歩く涼多の頬を行き過ぎる。
顔を上げると、太陽が中天に差し掛かろうとしていた。
「ねぇ、本当に行くの?」
「やめておいた方が、いいと思うんだけどなぁ」
「ほな、帰り」
苦笑いを浮かべた緑泥に、シラとダケは「ちぇ」と唇を尖らせる。
「僕は、非日常な時間を過ごせるから、気分が高揚しているんだけど」
ウダイの言葉に、「それは、こっちも同じだよ!」とシラとダケは言った。
「ルテさん、病み上がりなのに遠出をして大丈夫ですか?」
「お気遣いありがとうございます。大丈夫です」
不安げな涼多の声に、ルテは拳を握って見せた。
最後尾を歩いていた屈曲が、「頼もしいですな」と微笑む。
「……それに、今日は見に行くだけですので」
ルテは表情を引き締め、視線の先にある、薔薇の家がある森を見据えた。




