惏露雨
更新を再開いたしました。
「その末枯さんっちゅう人に、いっぺん合うてみたいなぁ」
雷鳴が轟いた日から、五日目の夕方。
緑泥は、シラたちにせがまれ、自由帳に絵を描いていた涼多に言った。
「話を聞く限り、めっちゃおもろいお人やん?」
「え、えっと、すごい方です。……その、色々と」
「とても、肝が据わっておられる方です。一歩間違えれば、あの方のようになっていたかもしれないのに……」
二人の会話を、籠を編みながら聞いていたルテは、自身のふがいなさを恥じるような声を出す。幽霊であった彼に、あのような選択肢を取らせてしまった、と。
「けど、そのお陰で、『結界守代理』っちゅうヤツになれたんやろ?」
緑泥の問いに、ルテは「それは……」と視線を彷徨わせた。
「……俺も、屈曲さんから、幽霊が妖怪や神さんになろうとする危険性は、もう耳に胼胝ができるんちゃうかってぐらい聞かされたわ。無理に、自分に流れる『気ぃ』を捻じ曲げてしもたら、ろくなことにならん、てな」
『死した直後に妖怪や神になったのならいざ知らず、化生界の住人となった後に変えようとすれば、何かしらの弊害は起こるというもの』
器用に屈曲の声を真似、緑泥は、かつて言われた言葉を口にする。
ダケが「相変わらず上手いなぁ」と拍手を送った。
(確かに、末枯さんは、見た目は幽霊だった頃とあまり変わらないけど、……絵柄の雰囲気が、なんというか、弟弟子さんに近くなってしまったし)
だが、徐々に戻りつつある、と涼多は感じていた。
果無寺で見た襖絵や、出会った当初に見た絵に近い、と。
(……僕は、末枯さんしか見ていないから、あんまり実感が湧いていないけど、気を捻じ曲げる事って、かなり禁忌なことなんだろうな)
だが、特に法が敷かれている訳ではない。
涼多には、それが不思議でならなかった。
(法が無くても、幽霊になったら、本能的に「ヤバい」と思うのかな……)
自身の手のひらを見つめ、涼多は「分からないなぁ」と呟いた。
「ルテさん、こうして籠を編んでいて、しんどくない?靄を払ってから、ずっと寝込んでいたんでしょう?」
シラは、ルテの隣に座ると「緑泥さんみたいなことを言うけど、熱が下がったからって、無理は禁物だよ」と彼の額に手を置いた。
「は、はい。重々承知しています」
ルテは、照れくさそうに目を細めると素直に頷いた。
涼多は、籠編みを再開させたルテの手元をじっと見つめた。
彼の脳裏に、五日前の出来事が蘇る。
(……人の生を終えて永い眠りから目覚めたら、不思議な力を持っていた。それは確かに、心強い反面、怖いだろうな。僕には、その時のルテさんの気持ちを、想像することしかできないけど)
心強いが、いつ消えてしまうか分からない恐怖が付き纏う力。
それが、杞憂であるかどうかは別として――。
涼多は、いつもどこか肩肘を張っていたルテが見せた『弱さ』に、慰めひとつ返すことができなかった事実が悔しく、心中で唇を噛む。
(……そういえば、前に屈曲さんが、「自分の持っている力に、人の祈りや思いが合わさって――」って話をしてくれたけど、それって、昔話の影響もあったりするのかな?『大蜘蛛と白蛇の昔話』と)
話の中で、豊穣の神様は大蜘蛛によって殺されたことになっている。
だが、村の為に戦ってくれた彼に感謝し、祈る者はいたはずだ。
(600年という時間の中で、『豊穣の神様』の名が消えることはなかった。そこのシーンを省いて、村人が大蜘蛛に悩まされている場面からでも、物語は始められたはずなのに。……そして、昔話はまた、子供たちに伝わった)
涼多の耳の奥で、「ほうじょうのかみさま、負けないで!」「がんばれ!」と声援を送っていた子供たちの声が蘇った。
成長した彼らの中には、改めて昔話を調べてみたり、自分たちのように、何かしらの形で次の世代に伝える人はいるはずだ。
(いろんな場所の昔話を収集している人だっているだろうし、人数の多い少ないはあるかもしれないけど、ルテさんや白蛇様が、忘れられることは――)
そこまで考えて、涼多はハッとする。
昔話がある限り、大蜘蛛のことも伝えられてゆくのだ、と。
『大蜘蛛と白蛇の昔話』は、言ってしまえば『勧善懲悪』の話だ。
だが、全ての人間が、そう捉えることはない。
『お上に逆らった人たちを、大蜘蛛、としただけ』
『歴史は勝者によって作られる、というやつだ』
『……新しい神様が入ってきたことによって、その土地にいた神様が、鬼や悪魔にされてしまったって話を聞いたことがあるし』
『昔話の中では悪役だけど、本当は、大蜘蛛の方がいい奴だったのかもしれない。仕方のないことなのかもしれないけど、……気の毒に』
(もしかすると、こんな感じで、大蜘蛛を信仰していた人たちもいたかもしれない。……いや、僕が知らないだけで、今でもいるのかも。そうなると、白蛇様やルテさん同様、大蜘蛛の力も消えることは――)
「涼多お兄さん、首が切れちゃってます!!」
ウダイの慌てた声に、涼多は我に返った。
シラからのリクエストで、花を持った少女を描いていたのだが、考え事をしている間に、鉛筆があらぬ方向に動いてしまっていた。
「……百合の花から、ビームが出ているみたいになってんな」
「いっそ、ネックレスでもしているってことで誤魔化せないかな」
「いや、消そうよ」
案を出し合うウダイとダケに、シラは苦笑い気味に言った。
「どうしたの?お兄さんらしくないね」
首を傾げるシラに、涼多は「……ちょっとね」と曖昧な笑みを浮かべた。
(考えすぎだ。……それに、当たっていたとしても、どうしようもない。昔話を消すなんてできっこないし、変に何かしたら、それこそ危なそうだ)
絵に集中しよう、と鉛筆を持ち直した涼多を、ルテは静かに見つめていた。
◇◇◇
「……私が寝込んでいる間、つきっきりで看病をしてくださっていたので、その疲れが出てしまっているのではないですか?」
夜、ルテは布団を敷きながら、申し訳なさそうに涼多に問うた。
夕方の一件を言っているのだと察した涼多は、首を横に振る。
「つきっきり、と言えるほどではないですよ」
ルテの問いに、涼多は暗に大丈夫だと返した。
「その、みんな今頃どうしているかなって考えていて……」
忙しなく彷徨う視線を見て、ルテは「そうですか」と目を伏せた。
額の布の交換から始まり、汽車土瓶の水や着替えの用意、汗を拭いてもらうなど、様々なことをしてもらった記憶がある。
だが、それを告げても、先程の答えで押し切られてしまうだろう。
ルテは顔を上げ、黄金色の瞳を涼多へと向けた。
「再度、お礼を言わせてください。ありがとうございます」
戸惑いの表情を見せる涼多に向かい、ルテは微笑んだ。
丸窓に近づき、月明りに照らされた水の引いた田畑を眺める。
耳を澄ますと、さわさわと草の擦れる音が聞こえてきた。
「……見える月は同じですが、こんなにも遠い」
白蛇の町を思うルテの隣に立ち、涼多も「……はい」と頷いた。
「…………酷く身勝手なことを言ってもいいですか?」
ズルい問い方だと自覚しつつ、ルテは涼多の返事を待つ。
「はい」
望んだ答えが返ってきたことに、ほっと安堵の息を吐く。
「私がいなくなっても『いつも通り』でいてほしい。……そう、思っていた筈なのに、いざこうなってみると、何とも言えない気持ちになってしまうのです」




