第46話 信頼の重さと、鼓動の温度
「ところで、王妃候補ってのはいいけど……俺、具体的に何をすりゃいいんだ?元日本人で、こっちに来てからも単なる兵士みたいなもんだったし。王妃どころか貴族の作法とか、何も分からないからな」
セルガの腕の中から辛うじて脱出した俺は、熱くなった顔を隠すように後頭部を掻きながら至極真っ当な疑問を投げつけた。
魔王の伴侶。その響きだけで、山のような公務や複雑怪奇な派閥争いに放り込まれる未来が容易に想像できてしまう。
俺にあるのは現代日本の断片的な知識と、戦場での荒っぽい振る舞い、そして十年間使い潰された経験だけだ。
だがセルガは、拍子抜けするほどあっさりと俺の懸念を笑い飛ばした。
「難しく考える必要はねぇよ。先代王妃……つまり俺の母親だって、出自は貴族でもなければ魔族ですらねぇんだ」
「……は? 魔族ですらない?」
思わず聞き返した。この国を統べる魔王の伴侶が、魔族ではない。それはつまり――。
「ああ。俺の母上はエルフだ。それも、森の奥に住んでいた一介のエルフの男だ」
「エルフの……男……」
思わず言葉を失った。先代も男性だったというライゼルの言葉が、急激なリアリティを伴って脳内に定着していく。
そうか、セルガの母親はエルフだったのか。
そういえば少し前、セルガはエルフ領との外交会談から戻ったばかりだった。
かつて母がいた場所へ赴き、淡々と仕事をこなしてきた親友の心中を勝手に察して、胸の奥が少しだけ痛んだ。
若くして王位を継いだ彼にとって亡き両親の面影がある場所へ行くのはどんな気分だったのだろうか。
「先代が森で見初め、強引に連れ帰ってきたらしい。最初は母上も、お前と同じように『自分には務まらない』と先代に詰め寄っていたそうだ。……お前のその顔、きっと当時の母上にそっくりだろうよ」
セルガが懐かしむように目を細め、一歩近づいてくる。
「……母上が『何をすればいい』と問うた時、先代がなんて答えたか知りたいか?」
「……なんて言ったんだ?」
「『俺の隣で、俺を甘やかしていればそれでいい』……だそうだ」
「…………」
その言葉が今のセルガの態度と重なりすぎて、変な汗が背中を伝う。
この親子の独占欲と、伴侶に求める『役割』の極端さは、どうやら筋金入りの血筋らしい。
「とはいえ、お前はそれでは納得しないんだろう? 『戦える妃がいい』と言ったのはお前の方だ」
「……ああ。それは揺るがないよ。絶対にお荷物にはなりたくない」
俺が食い気味に答えると、セルガは満足げに唇の端を上げた。
「なら、まずはこの城を知ることから始めろ。ライゼルを呼んで、城内の管理権限の一部を譲渡させる。……それと追々でいいが、エルフ領へも挨拶に行かなきゃならんな」
「挨拶?エルフの長老たちにか?」
当然、外交上の儀礼だろう。亡き母の同族たちへの筋通し、といったところか。
そう思って聞き返した俺にセルガは事も無げに爆弾を落とした。
「いや。隠居してあちらで暮らしている、俺の両親にだ」
「…………え?」
思考が一瞬フリーズし、数秒遅れて素っ頓狂な声が出た。
「生きてんの!?」
「ああ、隠しているわけじゃなかったんだが、言うタイミングを逃していた。二人ともいたって元気だぞ。先代が隠居して王位を譲ると言い出した時は、当時の宰相が胃を壊しそうになっていたがな」
セルガは愉快そうに言いながら、俺の肩を軽く叩いた。
てっきり死別したとばかり思っていた先代たちが、実は隣国で悠々と隠居生活を送っている。
あまりに予想外な事実に眩暈がしたが、セルガの瞳はどこまでも真剣だった。
「お前が何をするか、ではない。お前が俺の隣にいることが、この国にとっての意味になる。そしてお前が俺の背を護るというなら、俺もまた、お前の力を誰よりも信じる」
「……信じる、か」
その言葉が、すとんと胸の奥に落ちた。
人間領での十年間、俺に向けられるのはただ消費されるための視線だけだった。
奴隷として兵器として、機能することだけを求められそこに『期待』なんて高尚なものはなく、あったのはただの利用価値の査定だけだ。
けれど今、セルガが俺に預けているのはもっと重くて温かくて、逃げ出したくなるほど真っ直ぐな『信頼』だ。
一人の人間として、戦友として、俺の力を認めている。
俺は深く、一度だけ大きく息を吐いた。
「ったく……どんだけ俺を甘やかすんだよ、お前は」
呆れたような、熱い吐息が漏れた。
「俺はただの元奴隷で、お前は魔王だ。普通、俺みたいな奴に『信頼』なんて重いもん、簡単に預けたりしないよ。王様としての自覚が足りないんじゃないのか」
「自覚ならあるさ。だからこそ、自分の唯一の『番』に何を望むかは俺の自由だろう」
「……『番』とかさらっと言うな。心臓に悪いだろ。……それに一応、まだ『候補』なんだよな? 王妃候補」
急激にせり上がってきた気恥ずかしさを誤魔化すように、俺はその肩書きに逃げ道を求めた。
まだ確定じゃない、まだ引き返せる余地がある――そんな淡い期待を込めて。
だがセルガはそんな俺の目論見を極上の笑みで一蹴した。
「ああ、形式上はな。だがこの国で俺が選んだということは、決定したも同然だ。お前がその肩書きに慣れるための猶予期間だと思っておけばいい」
「猶予って……お前の中じゃもう決まってんのかよ……」
毒を食らわば皿まで。俺は真っ赤になった顔を隠すようにセルガの肩口に額を押し当て、彼の鼓動を聴いた。
トク、トクと――自分と同じリズムで刻まれるその鼓動が、ここが俺の居場所なのだと静かに告げていた。
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