第45話 魔王の檻、安らぎの微熱
「セルガ……ちょっと二人で話がしたい」
石造りの廊下に響いた俺の声は自分でも驚くほど硬く震えていた。
背後に立つ魔王――かつての親友であったはずの男から放たれる、肌をじりじりと焼くような気配。
そこから逃げ出すように、俺は振り返ることさえできずただ前方の虚空を見つめたままそう告げた。
数秒の沈黙が永遠のように長く感じられ、やがて鼓膜を震わせる低い声が返ってくる。
「……そう来るだろうと思ってた。俺の部屋にいこう」
驚きも動揺もない。
俺なら当然その疑問を抱くだろうと予見していたような、静かな確信だけがそこにあった。
促されるままに歩き出す。
向かう先は開放された執務室でも、俺に宛がわれた豪華すぎる『王妃の間』でもない。
彼個人の、限られた者しか立ち入ることの許されない私室だ。
いつもなら皮肉の一つでも言いながら隣を歩いてくれるライゼルは、その場に釘付けられたように立ち止まっていた。
深く頭を下げ、静止画のように動かず俺たちを見送っている。一度もこちらを見ようとしない徹底した『臣下』としての距離感。
昨日までの砕けた信頼関係が嘘のような光景が俺の孤独感を容赦なく煽った。
◇
重厚な扉が開き、すぐに静かに閉じられた。カチリ……と鍵の掛かる音が室内に響き、静寂が支配する。
「さて、話とは何だ? コノエ」
セルガは入り口の扉に背を預けたまま、腕を組んで俺を見つめていた。優雅でありながら獲物を追い詰めた肉食獣のような立ち姿。
窓から差し込む陽光さえも、彼の影を濃く落とすための舞台装置に見えた。
逃げ道は、もうどこにもない。
「……何だって、全部だよ!ライゼルの態度も、リリィが言ってた『寵愛』だの『至宝』だのって話も。極めつけは王妃候補って、どういうことだ。俺は男だぞ」
堰を切ったように言葉が溢れ出す。
声を荒らげることで自分の中の動揺を誤魔化そうとしていた。
「ライゼルから聞かなかったか?この国では些事だ。先代のことも含めてな」
「そういう問題じゃない!俺はお前とは……ただの、気の合う友人だと思ってたんだ」
『友人』――その言葉を口にした瞬間、室内の空気がわずかに冷えた。
セルガがゆっくりと歩み寄ってくる。
「友人、か。ああ、再会してすぐの頃は俺もそう思おうとしていた。だが……もうとうにそんなものは通り過ぎている」
セルガの手が伸び、俺の首筋をなぞった。
指先から伝わる魔力の熱がかつて隷属の紋章があった場所を執拗に追いかける。
「初めは、友人を傷つけられた怒りだと思っていた。だが夢を見るようになってから人間領で傷つけられ、磨り潰されていくお前の姿を見ているうちに、俺の腕の中で安らがせてやりたい、守りたいと……狂おしいほどに願うようになった」
「……セルガ」
「そもそもお前……俺が今日まで本当にただの『友』として接していたと思うか?それを許していたのも、お前だろ、コノエ」
その指摘が、鋭利な刃物のように胸を突いた。
そうだ――彼の過剰なまでの優しさも、肌が触れ合うほどの不自然な距離感も……俺はどこかで『彼だから』と甘受していた。
十年の孤独が、その異常さを麻痺させていたのかもしれない。いや……そんなのは言い訳だ。
無意識のうちに、俺もまたこの熱に依存して彼が踏み込んでくることを許していた。
「……でも、対等でいるって言っただろ。俺がただ守られるだけなんて……それはやっぱり対等じゃない」
最後の抵抗として彼の胸板を弱々しく押し返した。視線は泳ぎ、声は震える。
そして、頭上に柔らかな溜息が降ってきた。
セルガは突き放すどころか、愛おしくてたまらないといった手つきで俺の髪を指先で梳いた。
「だったら、お前は俺の心を守ればいい」
「……え?」
予想外の言葉に顔を上げると、そこには魔王としての冷徹さなど微塵もない一人の男としての切実な眼差しがあった。
「お前がいる限り俺の心は穏やかだ。お前が笑えば俺の闇は晴れ、お前が傍にいれば俺は正気でいられる。……これ以上の『守護』が他にあるか?」
もはや王としての命令ではなく、一人の男としての告白だった。沈黙が室内の熱を濃くしていく。
俺は長い溜息とともにピンと張っていた肩の力を抜いた。
「……わかったよ。俺の負けだ」
観念して両手を挙げると、セルガの瞳が満足げに細まった。勝利を確信した魔王の笑み。
だが俺は引き寄せられる前に彼の胸元を指先で強く突いた。これだけは譲れない、俺のプライドだ。
「だけど条件がある。いざという時、俺を守られるだけのお荷物にしてくれるなよ。俺は戦える。お前がピンチの時は、俺がその背中を守る。……お互いに守りあおう。……いいな?」
王に対してあまりに生意気な言い草だったかもしれない。王妃としての自覚も何もない、ただの我が儘だ。
けれど、それが俺なりの「対等」への執着であり、彼への最大限の誠実さだった。
セルガは一瞬だけ、虚を突かれたように目を見開いて、やがて堪えきれないといった様子で低い笑い声を漏らす。
その笑みは、これまでで一番、俺の知っている『畝峨」』に近かった。
「ああ。最高に心強い。……約束しよう、我が騎士にして我が妃」
そう言って、セルガは今度こそ逃がさないと言わんばかりに俺を腕の中に閉じ込めた。
もう『友人』という都合の良い逃げ道はない。
これからはもっと複雑で、もっと重く、もっと熱い関係が続いていく。異邦人がいきなり魔王の妃なんて恐らく茨の道だろう。
だが、彼の胸の中から響くトク……トクという力強い鼓動を聴く俺の心は驚くほど穏やかだった。
結局、俺も彼に『生きていていい』という平穏を守られていたのだと、彼の腕の中でようやく自覚した。
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