第44話 臣下の礼、親愛の果て
翌朝。
視界に飛び込んできたあまりに場違いな光景に、眠気が一瞬で吹き飛んだ。
「さあコノエ様!朝の身支度を始めましょう。今日は最高の一着をご用意しましたから!」
リリィが鼻息荒く宣言する。その背後では、ハルクが場違いなほど大きな銀盆を恭しく捧げ持っていた。
二人が持ち込んできたのは、いつもの着慣れた綿のシャツではない。細かな刺繍が施された上質なシルクに、袖口には本物の宝石が縫い込まれた一目で高価と分かる正装だった。
「……待って待って、リリィ。何だよそのキラキラしたやつ。俺はいつもの綿のシャツでいい。それにハルク、お前は俺の護衛だろ。なんでそんな執事みたいなことしてるんだよ」
ハルクは鋭い眼光を銀盆に向けたまま、石像のように微動だにせず答えた。
「……バルハ殿より直々に仰せつかったのです。『騎士の務めとして、至宝の守護と装いの補助に万全を期せ』と。不慣れながら、お力添えいたします」
真面目すぎるがゆえに、盆を持つ手にも力が入りすぎている。
リリィの瞳はかつてないほど燃え上がり、ハルクはその勢いに気圧されながらも重々しい足取りで着替えの準備を整えていく。
あまりの気迫に一歩引くと、リリィが逃がすまいとぐいっと顔を近づけてきた。
「ダメですよコノエ様、拒否なんて受け付けません! 昨晩、陛下が直々に全軍へ宣言されたのです。『コノエには唯一無二の寵愛を注ぐ』と!そんな地味な格好では、陛下の隣に立つ『至宝』の名が廃ります!」
「は? ちょーあい? しほう……?」
聞き慣れない、そして不穏すぎる単語の羅列に背筋が凍る。
そもそもこのままでは間違いなく生きた着せ替え人形にされる――。
本能的な危機感に突き動かされ、俺は逃げるように靴をひっつかんだ。
「ごめん、俺ちょっとエルミナさんに……そう、棚の整理を手伝う約束があって!」
そのまま部屋を飛び出した。
背後から「ああっ、コノエ様! まだ袖を通していません!」というリリィの悲鳴と、「……逃したか。バルハ殿に合わせる顔が……」というハルクの重苦しい呟きが聞こえたが、振り返る余裕などなかった。
◇
廊下へ逃げ出したものの、すぐに妙な違和感に気づいた。
すれ違う兵士たちの態度が、昨日までとは明らかに違う。
曲がり角で鉢合わせた二人の兵士が、俺の姿を見た瞬間に直立不動となり、胸に拳を当てる最敬礼を捧げた。
昨日までは湿った同情か、遠巻きに様子を伺うような視線だったはずだ。だが今は違う。
畏怖と、純粋な好奇心と羨望が入り混じった視線。
出会う者すべてが足を止め、深々と頭を下げる。
まるでものすごく高貴な人物にでもなったかのような扱いに、俺の動揺は限界に達していた。
そんな中、廊下の向こうから書類の束を抱えたライゼルが歩いてくるのが見えた。
俺は救いを求めるように駆け寄った。
「ライゼル!これ、一体どういうことだ!?リリィは変な服を着せようとしてくるし、兵士たちの態度もおかしいし……」
だが俺の声を聞いたライゼルは、いつもなら浮かべる皮肉げな笑みも見せず、その場で足を止めて深々と頭を下げた。
「……おはようございます、コノエ様。朝からお元気そうで何よりです」
その丁寧すぎる物腰に、心臓が変な跳ね方をした。
いつもなら「騒々しい、少しは落ち着けませんか」と呆れたように言うか、もう少し砕けた態度で接してくれるはずなのに。
今のライゼルからは、見えない壁で隔てられたような他人行儀な距離感が漂っている。
「ちょ、ライゼル……?何だよその態度、気持ち悪いからやめてくれ」
困惑して詰め寄ると、ライゼルは眼鏡のブリッジを指先で押し上げ、視線をわずかに逸らした。
「……何かおかしなことがありますか? 貴方は正式に『王妃候補』として定義されました。臣下として、当然の礼を失するわけにはいきません」
思考が、真っ白に染まった。
「……は? いやいや待て、今なんて言った? 王妃?」
「ええ。陛下が貴方を『唯一の寵愛の対象』と宣言されましたので」
「待て待て待て!冗談だろ!?確かに今まで『王妃の間』を使えって言われてたけど、それは便宜上の話だとなぁなぁにしてたんだぞ!そもそもだ、俺は男だぞ!? 王妃になんてなれるわけないだろ!」
俺の必死の訴えに対し、ライゼルは心底不思議そうに、あるいは自分に言い聞かせるように淡々と答えた。
「それが何か?我が魔族領において、魂が惹かれ合うことに性別の障壁はありません。婚姻も、法的に何ら問題なく可能です。……貴方の意思がどうあれ、陛下がそう望まれた。それがこの国の理です」
「可能でも理でも俺の心が無理だよ!大体、跡継ぎとかどうすんだよ。魔王の血筋って大事な話だろ!?」
「それについても及びません」
ライゼルは淡々と、事務的な口調で爆弾を落とした。
その声はどこか痛みを耐え忍んでいるようにも聞こえた。
「子供自体は作ることは可能ですし、養子としても魔力による継承の儀式もあります、何より――先代の魔王妃も男性でしたから」
「…………」
口が、金魚のようにぱくぱくと動いた。
『先代』つまりセルガの父親の伴侶も、男だったということだ。
「……は? 嘘だろ。……え、普通なの?ここでは普通のことなの?」
「ええ、極めて一般的な婚姻の形の一つですが。……そもそもコノエ様、陛下が本気でないとお思いでしたか?」
ライゼルがわずかに目を細め、どこか突き放すような、それでいて深い何かを隠しきれない表情を浮かべる。
「あの方は一度決めた『至宝』を、決して手放しませんよ。……たとえ、それが私にとってどのような意味を持つとしても」
最後の一言はあまりに小さく、俺の耳には届かなかった。
逃げ場はない。城の常識も、王の決意も、そして「俺は男だから」という最後の防波堤さえもこの国では最初から存在していなかったのだ。
呆然と立ち尽くす俺の背後から、重厚な足音が響く。
振り向かなくてもわかる。
この圧倒的な魔力の熱と、俺を絡め取るような濃厚な気配。
「――朝から賑やかだな、コノエ」
昨日までの『優しい友人』の仮面を脱ぎ捨てた魔王が、すぐ後ろに立っていた。
ご一読いただき、ありがとうございます。
完結まで走り抜けられるよう、一話一話大切に更新してまいります。
もし少しでも「続きが気になる」と思っていただけたら、ブックマークや下の【☆☆☆☆☆】で応援いただけると、執筆の大きな励みになります!
次回もよろしくお願いいたします。




