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ただの補給兵だった息子の葬儀に、陸海空すべての英雄が集まった ~戦死したはずの息子は、今も敵地で仲間を逃がし続けている~  作者: てへろっぱ


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第53話 地上に出られないので、空を地下まで届けます

 リナが地表活動を終えて地下へ戻り始めた頃、《スウィフト》の艦橋では、百一歳のオスカー・ベルマンに関する医療データが大型画面に表示されていた。


 循環器系の機能低下、慢性的な呼吸不全、筋力低下。それに四十二年間の閉鎖環境生活による複数の持病まで重なっている。地下居住区の医療設備でよくここまで維持できたと評価するべき状態で、長時間の移動はもちろん、何度も昇降機を乗り継いで六千二百メートルを上がることなど現実的ではなかった。


「地上へ出すのは危険です」


 軍用AIはいつものように大げさに騒ぐことなく、淡々と結論を告げた。


「《アレス・プライム》側の医療班とも照合しましたが、現在の状態で地表まで移動させた場合、循環器への負担が大きすぎます。本人が希望しても、私は許可できません」


 湊はしばらく医療データを眺めていたが、反論はしなかった。


「じゃあ、出さない」


 あまりにも素直な返事だったため、軍用AIの方が一瞬反応に困ったらしい。


「……今回は説得する必要がないんですね」


「危ないなら駄目でしょ」


「あなたにもその判断ができたんですね」


「俺を何だと思ってるの?」


「救難対象を見ると距離と常識を忘れる人です」


 白波凪沙が吹き出し、神代玲華も小さく笑った。久遠沙耶はその間にも、オスカーが現在利用している医療補助椅子の仕様を確認している。


 湊は少し考えたあと、地表でリナが撮影した映像をもう一度開いた。


 火星の赤い大地。


 遠くまで続く地平線。


 そして、その上に広がっていた、天井のない空。


「これ、オスカーさんにも見せられないかな」


「録画なら地下へ送れますよ。リナさんの地表活動映像も既に保存されています」


「録画じゃなくて」


 湊は画面を指した。


「今の空」


 軍用AIの表示灯が、ゆっくり赤くなった。


「その言い方をすると、また嫌な予感がします」


「外へ行けないなら、外を中に持ってくればいいと思って」


「空を物資みたいに扱わないでください」


 それでも久遠は、すでに必要な機材の洗い出しを始めていた。


「完全に同じ体験にはできませんが、地表へ全天周カメラを設置して、地下側へリアルタイム映像を送ることは可能です。視線追従型の表示装置を使えば、顔を向けた方向の景色がそのまま見えるようにもできます」


 白波が目を輝かせる。


「それなら、オスカーさんだけじゃなく、地上へ出られない高齢者や病人の方にも見てもらえますね」


「音も送れる?」


 湊が尋ねると、軍用AIは少し困ったように答えた。


「火星地表では人間がそのまま聞けるような音はほとんどありません。大気も薄いですから、地球の屋外とはかなり違います。ただ、地表活動服や観測装置が拾った振動を補正して再生することはできます」


「じゃあ、それも」


「完全に『空を地下へ配送する』つもりになっていますね」


「補給できる?」


「できてしまうから困っているんです!」


     ◇


 計画は、思っていた以上に大がかりになった。


 最初はオスカー一人へ映像を見せるだけのつもりだったが、第四十三深部採掘区には、地上へ出ることが難しい住民が他にもいる。高齢者、重症から回復途中の者、幼い子供。そして何より、まだ外へ出る決心がつかない人間が大半だった。


 それなら一人ずつ端末を渡すより、地下居住区の共同食堂そのものを一時的な観測室へ変えた方がいい。


 大型表示壁。


 天井投影装置。


 全天周映像処理器。


 地表側の観測カメラ。


 通信中継器。


 必要な機材を調べると、《アレス・プライム》側の救難備蓄と、地球から送った補給物資の残りだけで大半を揃えられることが分かった。


「またありますね」


 湊が感心すると、軍用AIが即座に答える。


「救難拠点ですからね。何でもあなたのために都合よく置かれているわけではありません」


「でも使える」


「それは認めます」


 久遠が設計図を完成させる。


 地上には、リナが最初に空を見た旧第七換気縦坑の近くへ全天周観測機を設置する。映像は地下へリアルタイム送信し、共同食堂の壁と天井へ投影する。


 ただ映像を映すだけではない。


 地表の明るさ。


 太陽の位置。


 地平線の方向。


 リナが歩いた地点まで、可能な限り現実と一致させる。


「そこまでやるの?」


 神代が少し驚いて尋ねると、久遠は真面目な顔で答えた。


「地下の人たちは、空間の広がりを体験したことがありません。小さな画面を見るだけでは、リナさんが感じたものに近づけないと思います」


 軍用AIが沈黙する。


 そして、やがて静かに言った。


「久遠技術大佐まで、相良特務少佐の補給概念に感染していませんか?」


「技術的に可能なので」


「最近、それが一番危険な返答になっています」


     ◇


 地下へ戻ったリナは、共同食堂でオスカーの隣に座っていた。


 地表活動服を脱いだばかりで、髪にはまだ少し汗が残っている。十五分ほどの外出だったはずなのに、その顔つきは出発前とは明らかに違っていた。


『空、どうだった』


 オスカーが尋ねる。


 リナはすぐには答えず、何度か言葉を探した。


『広かった。映像で見たのと全然違った。上を見ても終わらないし、横を見ても壁がなくて……最初は怖かったけど、途中からずっと見てたくなった』


 オスカーは静かに頷いた。


『そうか』


『おじいちゃんも見ればいいのに』


『私はもういい』


 穏やかな返事だった。


 諦めたというより、本当にそう思っているように聞こえた。


『昔、十分見た。あとはお前たちが見ればいい』


 リナは納得していない顔をしたが、それ以上は言わなかった。


 その直後、共同食堂の管理端末へ、地上側から新しい工事予定が届いた。


《全天周地表観測システム設置》


《共同食堂映像設備更新》


 リナが文字を読み上げる。


『……何これ』


 オスカーも眉を寄せた。


『また相良湊か』


 地下管理AI。


《発案者 相良湊特務少佐》


 老人は深く息を吐いた。


『やはりか』


     ◇


 設置作業は、その日のうちに始まった。


 地表側では新型工兵機が全天周観測カメラを固定し、四十年前の旧式作業機が風除け用の低い防壁を築く。火星では砂塵による機材汚染が避けられないため、観測装置には自動清掃機構まで追加された。


 地下側では、共同食堂の古い照明が一部外され、天井へ投影装置が並べられていく。


 七百八十一人が一度に集まることはできないため、居住区ごとに時間を分けて観覧する予定だった。


 オスカーだけは、最初から興味がないと言い続けていた。


『私は地上を知っている。わざわざこんなことをする必要はない』


「四十二年前と同じか確認してもらえませんか?」


 湊がそう答える。


『私に確認させるために作ったのか』


「それもあります」


『嘘をつけ』


「少しだけ」


「そこで認めるんですか」


 軍用AIが呆れる。


 オスカーはしばらく黙っていたが、最後には折れた。


『一度だけだぞ』


「はい」


『見たら終わりだ』


「分かりました」


 軍用AIは小さく表示灯を明滅させた。


「相良特務少佐」


「何?」


「絶対、一度だけで終わらないと思っていますね」


「本人が決めることだから」


「否定しないんですね」


     ◇


 翌日。


 第四十三深部採掘区の共同食堂には、第一回の観覧を希望した百二十人ほどが集まっていた。


 子供。


 高齢者。


 医療区画から移動許可が出た患者。


 そして、オスカー。


 照明がゆっくり落とされる。


 最初は。


 真っ暗だった。


 地下の人々にとって。


 暗闇そのものは珍しくない。


 だから誰も驚かなかった。


 次の瞬間。


 天井が。


 消えた。


 実際に消えたわけではない。


 地表から送られてきた映像が、壁から天井まで継ぎ目なく投影されたのだ。


 それでも。


 そこにいた人々には。


 本当に岩盤がなくなったように見えた。


 赤い大地が。


 遠くまで続く。


 その向こうに。


 地平線。


 そして。


 薄い火星の空。


 誰も。


 すぐには声を出さなかった。


 首を上げる。


 さらに上げる。


 どこまで見ても。


 天井がない。


 幼い子供が、反射的に母親の服を掴んだ。


『落ちてこない?』


 母親も。


 答えられない。


 昨日。


 リナも同じことを聞いた。


 彼女は子供の隣へしゃがむ。


『大丈夫。私、本物を見てきたけど、落ちてこなかったよ』


『ほんと?』


『ほんと』


 その言葉を聞いた子供は。


 もう一度。


 恐る恐る上を見た。


     ◇


 オスカーだけは。


 最初。


 俯いていた。


 見る必要などない。


 そう思っていた。


 四十二年前。


 毎日見ていた景色だ。


 赤い空も。


 遠い地平線も。


 自分は知っている。


 しかし。


 リナが。


 隣で小さく言った。


『おじいちゃん』


 オスカーは。


 ゆっくり。


 顔を上げた。


 そして。


 何も言えなくなった。


 同じではなかった。


 四十二年前にはなかった建造物がある。


 遠くには《アレス・プライム》の新しい地上設備。


 地平線付近では。


 地球から来た新型無人機と。


 四十年前の旧式重機が。


 並んで動いている。


 その中には。


 《EX-031》もいる。


 昨日まで。


 自分たちが。


 世界から忘れられた証拠だと思っていた。


 古い機械。


 古い採掘場。


 古い補給隊。


 全部。


 今は。


 新しい世界と。


 繋がっている。


『……変わったな』


 オスカーが呟いた。


 リナが老人を見る。


『何が?』


『火星だ』


 百一歳の男は。


 もう一度。


 空を見る。


『私が知っている頃より、ずっと変わった』


 少しだけ。


 笑った。


『だが……まだ火星だ』


     ◇


 《スウィフト》では。


 地下側から届く映像を。


 湊たちも見ていた。


 白波は目元を拭うふりをして端末へ視線を落とし、神代は何も言わずに共同食堂の様子を見守っている。


 久遠は。


 なぜか。


 投影の歪みを調整していた。


「そこ、今直す必要ある?」


 軍用AIが尋ねる。


「地平線が〇・七度ずれています」


「感動的な場面なんですけど」


「だから直します」


「あなたも相当ですよね……」


 湊は。


 オスカーを見ていた。


 老人は。


 長い間。


 空を見上げている。


 やがて。


 通信。


 接続。


『相良湊』


「はい」


『これは……補給なのか』


 軍用AIの表示灯が点滅した。


 神代と白波が。


 同時に湊を見る。


 少しだけ。


 返答を楽しみにしているようだった。


 湊は。


 普通に答えた。


「必要だったなら」


 オスカーは。


 しばらく。


 呆れたように黙ったあと。


『そうか』


 とだけ言った。


 そして。


 笑った。


     ◇


 空の中継は。


 予定していた三十分を。


 大きく超えた。


 誰も。


 終わりにしてほしいと言わなかった。


 だから。


 湊も。


 止めなかった。


 現在の火星の日没時刻を確認し。


 そのまま。


 中継継続。


 しばらくすると。


 赤い地平線の向こうへ。


 太陽が沈み始めた。


 地下の人々が。


 また。


 静かになる。


 空の色が。


 ゆっくり変わる。


 そして。


 夜。


 星。


 リナが前日に見られなかった。


 本物の。


 火星の星空。


 共同食堂の子供たちは。


 誰も。


 眠ろうとしなかった。


 オスカーも。


 見続けた。


 四十二年ぶりの。


 夜空だった。


『……こんなに星があったか』


「四十二年前も、たぶん同じくらいあります」


 軍用AIが答える。


『そうか。私が忘れていただけか』


 老人は。


 少し寂しそうに。


 それでも。


 穏やかに笑った。


     ◇


 その時。


 地表観測装置が。


 一つの明るい点を。


 夜空に捉えた。


 人工天体。


 火星へ接近中。


 軍用AIが識別する。


「《スウィフト》ではありません。先行救難船団の補助艇ですね」


 地下側から。


 子供の声。


『あれ何?』


 リナも分からず。


 空を見上げる。


 湊が答えた。


「宇宙船」


『人が乗ってる?』


「うん」


『外から来た人?』


「そう」


 子供。


『また補給?』


 艦橋。


 一瞬。


 静かになる。


 軍用AIが。


 大笑いした。


「教育が早すぎます!」


 湊は。


 少し考え。


「今回は救難隊かな」


『補給じゃないの?』


「たぶん」


「自信を持ってください!」


 地下六千二百メートルに。


 笑い声が広がった。


 四十二年間。


 外は。


 恐ろしい場所だった。


 誰もいない場所だった。


 自分たちを捨てた。


 遠い世界だった。


 今は。


 空に光が見えるだけで。


 誰かが来ていると。


 分かる。


 道も。


 通信も。


 補給も。


 繋がっている。


     ◇


 中継終了後。


 オスカーから。


 一件の要求が届いた。


《地表観測映像 継続希望》


 軍用AIが表示を見て。


 しばらく。


 何も言わなかった。


 湊。


「ずっと見たいって」


「そうですね」


「なら置いとこう」


「そうなると思いました」


「駄目?」


「いいえ」


 軍用AIは。


 少しだけ。


 優しい声で答えた。


「今回は、私も必要な補給だと思います」


 地上へ出られないなら。


 無理に出なくてもいい。


 空を見たいなら。


 空の方を。


 届ければいい。


 水や。


 食料や。


 薬とは違う。


 それでも。


 七百八十一人が。


 四十二年間。


 足りなかった物だった。


 そして。


 《スウィフト》が火星へ到着するまで。


 あと十日と二時間。


 地下の人々が。


 初めて。


 湊が乗っている船の到着予定を。


 毎日確認するようになった。


 誰かが。


 来る。


 そう信じて。


 待つことができるようになったからだった。


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