第51話 四十二年遅れでも、届け先は変わっていません
四十二年前の第二救難補給便が発見された旧第二輸送坑では、新旧合わせて二十機以上の無人作業機が、暗闇の中で慎重に車両の調査を進めていた。
大型貨物車十二台、護衛車三台、工兵車六台。
記録に残されていた二十一台すべてが確認されたものの、保存状態は一様ではない。落盤の直撃を受けて車体が大きく変形したものもあれば、岩盤の陰に入ったことで原形を保っている車両もあった。四十二年という時間を考えれば、内部に積まれている救難物資についても、当時のまま使えると考える方が危険だった。
《スウィフト》の艦橋では、湊が回収された積載一覧を眺めていた。
「食べ物と薬は、やっぱり駄目?」
「駄目です、と言い切っておきます」
軍用AIは、湊が余計な期待を持つ前に先回りして答えた。
「非常食の一部は密閉状態を維持していますが、四十二年間の品質保証など存在しません。医薬品は論外ですし、酸素生成剤も化学的劣化が進んでいます。『見た目が大丈夫そうだから食べてみよう』などとは絶対に考えないでください」
「そこまでは考えてないよ」
「本当ですか?」
「たぶん」
「最後の二文字で信用が消えました!」
軍用AIが声を上げる一方、久遠沙耶は物資を用途別に分類していた。
消耗品の多くは使用不能だったが、救難物資のすべてが失われたわけではない。工兵車に積まれていた高強度支保材、折り畳み式架台、耐圧扉用の補修板、手動工具、掘削機用の交換刃などは、腐食や金属疲労の検査を通過すれば今でも使用できる可能性が高かった。
さらに、封印された非常用水タンクについても、そのまま飲料水として使うことはできないが、《アレス・プライム》の現行浄水設備で再処理すれば工業用水として利用できる見込みがある。
「全部捨てなくて済むんだ」
湊が少し嬉しそうに言うと、久遠は頷いた。
「当時の救難隊が第四十三採掘区へ運ぼうとしていた物のうち、重量換算で三割弱は再利用できそうです。特に支保材がかなり残っています。現在の地下補給路を人間が安全に通れるよう拡張する場合にも使えます」
その説明を聞いた湊は、旧第七換気縦坑から第四十三深部採掘区までの構造図へ目を移した。
今ある補給路は、あくまで物資を送り込むためのものだ。小型工兵機や円筒形補給容器なら通せるが、人間が自由に往来できる構造にはなっていない。
地下の七百八十一人に外へ出ることを強いるつもりはない。
ただ、オスカーに言った通り、選べる道だけは残しておきたい。
「四十二年前の支保材を使って、今の道を広げられる?」
「できます。ただし全区間を一度に拡張する必要はありません。第四十三採掘区から旧換気縦坑へ接続する最後の区間を補強し、人員用昇降設備を追加すれば、緊急時には地上側へ移動できる経路になります」
久遠が概算を出したところ、必要な支保材の七割近くを、四十二年前の第二救難補給便から回収できることが分かった。
神代玲華がその数字を見て、静かに息を吐く。
「結局、届かなかった救難物資が四十二年後に同じ人たちを助けることになるんですね」
「届け先も変わってない」
湊が言った。
四十二年前。
この支保材は、第四十三採掘区に取り残された人々を救うために積まれた。
そして今。
そこには、その人々の子供や孫たちが暮らしている。
時間だけが大きく過ぎた。
目的地は、十三キロ先のままだった。
◇
第二救難補給便の調査を続けていた小型探査機が、貨物車群から少し離れた場所で新しい痕跡を見つけた。
崩落地点の北側。
自然にできたものではない細い通路が、岩盤の奥へ続いていた。
壁面には古い掘削痕が残り、床には手動工具や切断された支保材が散らばっている。
「これ……救難隊が掘ったんですか?」
白波が映像へ身を乗り出すと、軍用AIが四十二年前の車載音声と方向を照合した。
「最後の記録で『北壁を掘れ』と言っています。位置も一致します。第二救難補給隊は車両が動けなくなったあと、隣接する整備坑へ人力と工兵機材で抜けようとしていたようです」
作業跡は百メートル以上続いていた。
重機を通せるほど広くはない。
人と、持ち運べるだけの物資を通すための穴だった。
途中には、貨物車から移動させられた小型コンテナも残されていた。救急用品、飲料水、携帯食料。現在では使えない物ばかりだったが、それらが置かれている間隔を見るだけで、当時の救難隊が何をしようとしていたのかは理解できた。
「車両を捨ててもいい、物資だけでも持っていくって、本当にやってたんだ」
湊の声が少し低くなる。
第二救難補給隊は、崩落した時点で諦めてはいなかった。
車両を降り。
壁を掘り。
自分たちで運べる量へ荷物を小分けし。
第四十三採掘区へ近づこうとしていた。
その通路は、さらに奥で二度目の崩落に塞がれていた。
そこで。
止まっている。
久遠が旧地図を重ねる。
「ここから第四十三採掘区まで直線で十一・八キロです。四十二年前の設備配置では、あと二百メートルほど掘れば旧整備坑へ出られたはずです」
「二百メートル……」
軍用AIが、湊より先に反応した。
「相良特務少佐。『近い』と言う前に忠告しますが、私はもうあなたの距離感を信用していません」
「でも新しい掘削機なら?」
「だから久遠技術大佐の方を見ないでください!」
視線を向けられた久遠は、すでに作業時間を計算していた。
「岩質は安定しています。旧式機と新型機を合わせれば四時間ほどで到達できます」
「久遠技術大佐!」
「聞かれたので」
「最近その回答が一番怖いんです!」
結局、作業は開始された。
ただし目的は、四十二年前の救難隊が掘りかけた道を、そのまま第四十三採掘区まで貫通させることではない。途中に残る整備坑へ入り、現在使用している地下補給線へ安全に接続できる場所を探すためだった。
救難隊の仕事を無理に再現する必要はない。
彼らが残した場所から。
今使える機械で。
続きを作ればいい。
◇
オスカー・ベルマンにも、第二救難補給便の調査結果が伝えられた。
第四十三深部採掘区の旧管理室で、百一歳の老人は椅子に身体を預けたまま、探査機から送られてくる映像を見ていた。
岩壁。
掘削痕。
並べられた小型コンテナ。
どれも初めて見る物だった。
けれど。
四十二年前。
自分たちは、その向こう側にいた。
『……ここまで来ていたのか』
「はい。車を置いて、そこから歩いて進もうとしてたみたいです」
湊の声が通信端末から聞こえる。
『あと十三キロもあった』
「だから、少しでも近い道を探したんだと思います。隣の整備坑へ抜ければ距離を縮められたみたいだから」
オスカーは画面から目を離さなかった。
『私は……あの頃、毎日通信室にいた。救難信号を送って、それでも返事がなくて……子供たちが何度も、いつ助けが来るのかと聞きに来た』
掠れた声が、途中で一度途切れる。
『来ていたのだな。こんな近くまで』
距離だけなら。
十三キロ。
今なら何でもない。
だが。
崩落した地下では。
その十三キロが、四十二年間を隔てるほど遠かった。
「オスカーさん」
『何だ』
「残ってる支保材、使わせてもらっていいですか?」
老人が思わず顔を上げた。
『……何の話だ』
「第二補給便に積んであったやつです。状態のいい物がかなり残ってるから、今の補給路を人も通れるようにするのに使えるそうです」
軍用AIの表示灯が点滅した。
「今の流れで支保材の使用許可を聞ける精神構造について、私は一度詳しく検査した方がいいと思っています」
「だってオスカーさんたち宛ての荷物でしょ。勝手に使ったら駄目かなって」
通信の向こうで。
老人が黙った。
しばらくして。
小さな笑いが漏れた。
『……四十二年前の荷物の受領者に、今になって使用許可を求めるのか』
「一応」
『好きに使え。もともと我々のために積まれた物なのだろう』
「じゃあ届けます」
オスカーの笑い声が。
また少し。
泣き声へ変わった。
『そうか……届けてくれるのか』
◇
回収作業が始まった。
四十二年前の支保材は一本ずつ非破壊検査を受け、腐食や微細亀裂のあるものは除外される。使用可能と判定された部材だけが新型作業機に積み替えられ、先ほど掘り抜いた連絡坑を通って地下補給線へ運ばれていった。
当時の飲料水は現地で再処理するため別系統へ送られ、工具や掘削用交換部品も洗浄と再検査を受ける。
食料と医薬品は使用しない。
湊もそこには異論を挟まなかった。
「ちゃんと諦めてくれて安心しました」
軍用AIが言うと、湊は怪訝そうな顔をした。
「危ないなら食べないよ」
「最初からずっとその常識を発揮していてほしかったです」
「俺、そんな変な物食べたことないけど」
「今回は食事の話ではありません!」
白波の笑い声が艦橋に広がった。
火星で続いていた緊張が。
ほんの少しだけ。
ほどけた。
◇
支保材の設置には、新型工兵機だけでなく、四十二年前の旧式機も参加した。
《EX-031》を含む古い掘削機たちが拡幅部分を削り、新型機が岩盤を測定して補強位置を決め、そこへ四十二年前の第二救難補給便から回収した支保材を組み込んでいく。
古い機械が。
古い荷物を運び。
新しい機械と一緒に。
四十二年前には完成しなかった道を作る。
最初は貨物容器しか通れなかった区間が、人ひとりなら安全に歩ける幅へ広がっていった。
さらに緊急用の気密扉。
酸素供給口。
通信中継器。
照明。
簡易昇降設備。
必要なものが次々と追加される。
十二時間後。
地下管理AIから。
《人員用緊急避難路 接続確認》
という報告が届いた。
第四十三深部採掘区から。
地上へ。
四十二年ぶりに。
人間が通れる道が繋がった。
◇
オスカーは、完成した通路の映像を長い間見ていた。
『地上まで、本当に行けるのか』
「途中で昇降機を何回か乗り換えないといけませんけど、緊急時なら使えます。今すぐ全員出るための道じゃないから、もっとちゃんとした通路はこれから作る必要がありますけど」
『それでも十分だ』
老人は静かに目を閉じた。
四十二年前。
出口は。
失われた。
それからずっと。
地下で何かが起きても。
逃げる場所はなかった。
今は。
外へ出なくてもいい。
誰にも強制されない。
ただ。
出たいと思った時には。
道がある。
『相良湊』
「はい」
『ありがとう』
湊は少しだけ困ったように笑った。
「俺より、四十二年前の人たちに言った方がいいと思います。支保材も、その人たちが持ってきた物だから」
オスカーは返事をしなかった。
その代わり。
深く。
ゆっくり。
頭を下げた。
◇
第二救難補給便の車両内部からは、その後も乗員記録が次々と回収された。
救難隊員と運転手、護衛兵、工兵。
確認された名簿は七十四名。
全員。
四十二年前から行方不明者として扱われていた。
《アレス・プライム》側では、遺族確認のための手続きが始まった。四十二年という時間が過ぎても、子や孫が生きている可能性は十分にある。
そして第四十三深部採掘区へも。
七十四名の名前が。
送られた。
共同食堂の大型表示端末には。
一人ずつ。
名前が表示されていく。
地下の住民たちは。
黙って。
それを見た。
自分たちの祖父母を。
助けようとした人々。
会ったことはない。
顔も知らない。
けれど。
確かに。
来てくれていた人たち。
最後の名前が表示されたあと。
オスカーが。
住民たちの前へ出た。
補助具なしでは長く立つことも難しい。
それでも。
今日は。
椅子に座らなかった。
『私は、皆に謝らなければならない』
地下全域へ。
百一歳の声が。
流れた。
『四十二年間、私は地上が滅びたと教えてきた。それは真実ではなかった。最初は、誰も助けに来ない理由を子供たちへ説明できなかったからついた嘘だった』
人々は。
黙って聞いている。
『だが今日、分かった。助けは来なかったのではない。来られなかったのだ。そして、来ようとしていた者たちはいた』
オスカーは表示された七十四の名前を見る。
『私は……間違っていた』
その言葉を口にするまで。
四十二年かかった。
◇
長い放送が終わったあと。
地下側から。
湊への個人通信が入った。
発信者は。
オスカーではない。
《リナ》
十七歳。
地上を一度も見たことがない少女。
「もしもし」
『……湊さん?』
「うん」
前より。
声がはっきり聞こえる。
『道、本当にできたんだよね』
「できたよ。まだ緊急用だから、勝手に入っちゃ駄目だけど」
『うん。それは分かってる』
少し。
間があった。
『あのね』
「何?」
『お願いしてもいい?』
「必要な物?」
軍用AIがすぐに表示灯を赤くする。
「何でも補給要求だと思わないでください!」
通信の向こうでリナが笑った。
『違うよ』
「そっか」
『でも、必要な物かも』
少女は。
しばらく。
言葉を探していた。
『外に出る時って……何を着ればいいの?』
湊が瞬きをした。
軍用AIも。
神代も。
白波も。
久遠も。
誰もすぐには口を開かなかった。
火星の地表。
薄い大気。
低い気圧。
放射線。
人間がそのまま外へ出ることはできない。
必要なのは。
火星地表用の気密服。
酸素。
通信装置。
そして。
外へ一歩踏み出す覚悟。
『私……』
リナの声が少し震えた。
『空を見てみたい』
四十二年間。
誰も外へ出なかった地下で。
初めて。
一人の少女が。
自分から。
地上へ行きたいと言った。
湊は。
火星までの残り航路を一度だけ見てから。
すぐに補給物資の一覧を開いた。
「身長、何センチ?」
『え?』
「服、送るから」
軍用AIの表示灯が真っ赤になった。
「だから決断が早いんですってばあああああああ!」
四十二年間届かなかった補給便は。
ようやく。
本来の仕事を終えた。
そして次に地下へ送られる荷物は。
人を生かすための物ではない。
初めて空を見る少女が。
その一歩を踏み出すための。
地表活動服だった。




