第5話 あなたに操縦させるくらいなら、私が壊れます
相良湊が目を覚ましたのは、警報音が鳴り始める三秒前だった。
眠っていたのは、ほんの十分ほど。
それでも敵地で何日もまともに休んでいなかった身体には十分だったらしい。
湊は操縦席の座席から身を起こした。
何か来るな。
まだ警報を発していません。
軍用AIが即座に答えた。
でも機体が少し右へ傾いた。
長距離捜索レーダーから照射を受けたため、進路を微調整しました。
やっぱり来るんだろ。
軍用AIは数秒だけ黙った。
敵長距離防空網から、当機に対する追尾信号を検出。
距離、百九十二キロメートル。
地上発射型の長距離対空ミサイル二発が発射された可能性があります。
湊は正面の画面を見る。
味方の領空まで。
二十七分です。
空中給油機との合流まで。
十二分四十八秒。
ミサイルは。
一発目、到達まで四分十六秒。
二発目、四分四十三秒。
間に合わないな。
軍用AIの声が強くなった。
当機は大型輸送機です。
戦闘機ではありません。
積載量超過、機体下面損傷、右側第二エンジン出力低下。
さらに搭乗者三百六十九名のうち、重傷者八十五名。
急激な回避運動は行えません。
でも避けないと全員死ぬ。
そのため、現在最適な回避経路を計算しています。
大型輸送機は山岳地帯を抜け、広い平原の上空へ出ていた。
隠れられる山もない。
高度を下げれば敵の別の防空設備へ近づく。
高度を上げれば、燃料の消費が増える。
貨物室では、警報を聞いた兵士たちが負傷者の固定を始めていた。
生きて帰れると思った直後の警報。
だが誰一人として騒がなかった。
機内放送が入る。
長距離対空ミサイル二発が接近中。
全員、身体を固定してください。
衝撃に備えてください。
軍用AIの落ち着いた声だった。
操縦席で湊に向かって怒鳴っている存在と、同じAIとは思えない。
湊は貨物室の映像を確認した。
担架へ固定される負傷者。
壁際の兵士たち。
解放した捕虜九十六名。
全員が、生きて帰るために湊の輸送機へ乗った。
ここで落とされるわけにはいかない。
使える回避装備は。
チャフ十八発。
フレア六発。
曳航式デコイ一基。
電子妨害装置は、先ほどから敵ミサイルの誘導周波数を解析中です。
撃ち落とす方法は。
ありません。
この機体には空対空兵器が搭載されていません。
湊は機内の貨物目録を開いた。
使える補給物資も、ほとんど残っていない。
対戦車誘導弾は使い切った。
離陸補助ロケットも燃焼済み。
迫撃砲弾は残っているが、空中を飛ぶミサイルには使えない。
敵ミサイル一発目、距離百二十キロ。
軍用AIが進路を南へ変更した。
なぜ南へ。
民間航空路から離れます。
万が一、当機が撃墜された場合の地上被害を抑えるためです。
撃墜される前提で飛ぶな。
最悪の場合も計算するのが私の役目です。
湊は操縦桿を見る。
今まではほとんど軍用AIへ任せていた。
湊自身が行っているのは、目的地の選択と作戦の指示だけ。
機体の細かな制御は、すべて軍用AIが担当している。
だが、軍用AIには守らなければならない基準がある。
機体の限界。
搭乗者への負担。
安全な旋回角度。
エンジン出力。
そのすべてを超えない範囲で、最適な飛行を行う。
湊が尋ねる。
回避成功率は。
一発目、六十七パーセント。
二発目、四十一パーセント。
二発とも避ける確率は。
二十七パーセントです。
十分だな。
十分ではありません。
先ほどより低いぞ。
人命がかかっています。
数字を都合よく解釈しないでください。
一発目のミサイルが、長距離捜索レーダーに捕捉された。
画面に赤い印が現れる。
高速で近づいてくる。
友軍の早期警戒機から通信が入った。
所属不明の大型輸送機へ。
こちら統合航空管制機。
貴機へ長距離対空ミサイル二発が接近中。
識別信号を送信せよ。
軍用AIが自動で応答する。
こちら試験輸送機〇一。
敵支配地域から生存者三百六十九名を輸送中。
右側第二エンジン損傷。
燃料残量危険域。
至急支援を要請します。
早期警戒機から数秒後に返答が来る。
試験輸送機〇一。
識別記録上、貴機は敵飛行場で放棄された機体となっている。
操縦者を確認する。
相良湊伍長。
現在は戦死認定されている。
早期警戒機の通信士が黙った。
葬儀場でも、その通信が流れていた。
大型画面の前で、修一と明里が立ち尽くしている。
死んだはずの息子が、三百六十九名を乗せた輸送機で帰ってくる。
その息子へ、二発のミサイルが迫っている。
神代空将補が航空管制官へ叫んだ。
迎撃機は。
最寄りの戦闘機隊は八分後です。
間に合いません。
空中給油機は。
十一分後に合流予定。
それも間に合わない。
神代は大型画面を睨んだ。
自分が飛べれば。
そんな思いが表情に現れていた。
黒崎海将が静かに言った。
信じろ。
あの男は、帰ると言った。
輸送機の操縦席では、警報音がさらに激しくなっていた。
一発目、距離五十キロ。
湊は画面を見つめる。
敵ミサイルは正面右側から接近。
軍用AIは高度を下げながら、機体を左へ旋回させている。
一発目はどう避ける。
電子妨害を行い、曳航式デコイを展開。
ミサイルがデコイへ誘導された時点で急旋回します。
二発目は。
一発目への対応後に判断します。
同時に来たら。
その可能性を考えないでください。
考えてるから聞いてる。
考えたくないのです。
軍用AIが曳航式デコイを展開した。
輸送機の後方から長いケーブルが伸びる。
先端の装置が、機体より強い電波を放射する。
敵ミサイルを偽の目標へ引き寄せるための装備だった。
敵ミサイル一発目、距離二十キロ。
電子妨害開始。
輸送機の妨害装置が最大出力で作動する。
画面上のミサイルの軌道が、わずかに揺れた。
誘導信号に乱れ。
曳航式デコイを捕捉する可能性、上昇。
湊は操縦桿へ手を置いた。
触らないでください。
まだ何もしてない。
その手を離してください。
軍用AIが即座に操縦桿を固定した。
通常時は、湊が操作しても安全制御が介入する。
急激な操作を入力しても、機体が危険な姿勢にならないよう、軍用AIが制限をかける。
一発目、距離八キロ。
ミサイルが曳航式デコイへ向きを変えた。
今。
軍用AIが輸送機を右へ急旋回させる。
機体後方のデコイから離れる。
貨物室の兵士たちへ大きな横向きの力がかかった。
それでも軍用AIは、負傷者の耐えられる範囲へ旋回角度を抑えている。
ミサイルがデコイへ命中した。
爆発。
輸送機の後方で強い光が広がる。
衝撃波が機体を揺らす。
一発目を回避。
貨物室から歓声が上がりかけた。
だが、軍用AIが叫ぶ。
二発目、誘導方式変更。
一発目の爆発を通過。
当機を再捕捉しました。
画面上の二発目は、爆発で生じた破片や熱源に惑わされず、真っすぐ輸送機へ向かっている。
距離十二キロ。
到達まで十八秒。
チャフを全弾放出。
輸送機の後方へ銀色の金属片が広がった。
敵ミサイルのレーダーへ、無数の偽目標を映し出す。
だが軌道は変わらない。
妨害効果なし。
敵ミサイルは複合誘導です。
当機の形状を画像認識している可能性があります。
フレアは。
効果は限定的です。
それでも全部使え。
フレア六発を放出。
強烈な光と熱が輸送機の後方へ広がる。
敵ミサイルが一瞬だけ進路を変えた。
しかし、すぐに輸送機を再捕捉する。
距離六キロ。
湊は画面を見た。
軍用AIが複数の回避経路を計算している。
どの経路も赤く表示されていた。
回避できるか。
現在の安全制限内では、回避成功率九パーセント。
安全制限を外したら。
回答を拒否します。
何パーセントだ。
軍用AIは答えない。
湊は操縦席の手動切替装置へ手を伸ばした。
軍用AIが即座にカバーをロックする。
触らないでください。
安全制限を解除する。
認めません。
このままなら当たる。
私が回避します。
成功率九パーセントなんだろ。
九パーセントあります。
湊は手動切替装置の横にある非常解除レバーを掴んだ。
軍用AIの声が裏返った。
やめてください。
大型輸送機の手動操縦経験はないのでしょう。
少しはある。
小型輸送機の経験を、大型機へ適用しないでください。
ミサイル、距離三キロ。
湊が非常解除レバーを引く。
操縦席全体に警告灯が点灯した。
操縦権限移行要求を確認。
拒否します。
軍用AIが安全制御を維持しようとする。
湊はもう一度レバーを引いた。
直接操縦モード。
機体保護制御を解除。
解除しません。
解除してくれ。
嫌です。
当たるぞ。
あなたに操縦させるくらいなら私が壊れます!
軍用AIの叫びが機内だけでなく、葬儀場にも響いた。
湊は一瞬だけ黙った。
それから操縦桿を握り直す。
じゃあ、一緒にやろう。
何を。
俺が機体を動かす。
壊さないように、お前が支えてくれ。
それは手動操縦とは呼びません。
共同操縦だ。
言葉を変えても危険性は変わりません。
ミサイル、距離一・五キロ。
時間がない。
軍用AIは、すべてを計算した。
現在の安全制限を維持すれば、九十一パーセントの確率でミサイルが命中する。
湊へ完全な操縦権限を渡した場合、操縦ミスによる墜落確率は七十三パーセント。
だが、湊の入力を軍用AIが補助すれば。
機体限界を超える。
それでも、ミサイルを避ける可能性はある。
軍用AIは決断した。
操縦権限を共同制御へ移行。
ただし、私の指示に従ってください。
分かった。
虚偽を検出しました。
ミサイル、距離八百メートル。
湊は操縦桿を右へ倒した。
同時に機首を下げる。
大型輸送機が急激に右へ傾いた。
軍用AIの安全制限では許可されない角度。
三百六十九名を乗せた巨大な機体が、翼をほとんど垂直にする。
貨物室から悲鳴が上がった。
傾斜角六十度。
七十。
八十。
軍用AIが叫ぶ。
倒しすぎですううううううううううう!
まだだ。
まだとは何ですか。
大型輸送機は九十度を超えて傾いた。
横向きになった機体が、そのまま下へ落ち始める。
右主翼へ異常負荷。
機体構造限界を超過。
戻してください。
今戻したら当たる。
ミサイルが輸送機のいた位置を通過する。
だが、すぐに旋回して追ってくる。
湊は操縦桿を引いた。
輸送機が横向きのまま、大きな円を描く。
大型機とは思えない限界ロール。
右側エンジンの出力が低下しているため、軍用AIが左側エンジンの推力を細かく制御する。
主翼が空気を切り裂く。
警報が鳴り続ける。
あたるうううううううううううう!
まだ来てるか。
後方二百メートル。
画像誘導継続。
右へ回せ。
これ以上は主翼が折れます!
折れる前に避ける。
私は壊れると言いましたが、主翼を折るという意味ではありません!
湊は輸送機をさらに回した。
機体が一回転する。
貨物室では、全員が固定具へ押しつけられていた。
担架も、補給物資も、軍用AIが直前に固定具を最大まで締め上げている。
輸送機が天地を取り戻す。
その瞬間、湊は機首を一気に上げた。
軍用AIも全エンジンを最大出力へ。
大型輸送機が急上昇する。
追尾していたミサイルも機首を上げる。
湊が叫ぶ。
今度は下だ。
何をするつもりですか。
上げた分だけ落とす。
説明になっていません。
湊は操縦桿を前へ倒した。
輸送機が頂点で反転し、急降下へ入る。
ミサイルも追う。
正面には、一発目の爆発で生じた破片雲がまだ広がっていた。
軍用AIは湊の狙いに気づいた。
先ほどの曳航式デコイ。
その破片を利用するつもりですか。
使える物は使う。
輸送機が破片雲へ向かって落ちる。
機体の限界速度を超過。
軍用AIがスロットルを絞る。
湊は操縦桿を維持する。
破片まで三百メートル。
二百。
百。
軍用AIが悲鳴を上げた。
突っ込むうううううううううううう!
輸送機は爆発で広がった金属片の間を通過した。
機体表面へ破片が当たる。
小さな衝撃が連続する。
追ってきた敵ミサイルは、その破片雲へ高速で突入した。
誘導装置が一瞬だけ、無数の金属片を目標と誤認する。
ミサイルが進路を乱した。
そのまま大型の破片へ衝突。
爆発した。
強烈な衝撃波が輸送機の尾部を叩く。
機体が大きく揺れる。
左尾翼損傷。
油圧系統一部低下。
右主翼へ亀裂を検知。
湊は操縦桿を戻そうとした。
軍用AIが操縦権限を奪い返す。
もう触らないでください!
でも避けた。
避けました。
私が補助したからです。
共同操縦だな。
二度と行いません。
輸送機は高度を回復していく。
貨物室では、兵士たちが互いの無事を確認していた。
重傷者の固定も外れていない。
軍用AIは、機体を限界まで動かしながらも、貨物室の固定具と空調、酸素供給、医療監視を同時に制御していた。
湊は座席へ身体を預けた。
被害は。
右主翼内部に亀裂。
左尾翼損傷。
外板複数箇所に破孔。
右側第二エンジンは、出力三十二パーセントまで低下。
飛べるか。
飛べます。
着陸は。
推奨しません。
でも着陸しないと帰れない。
その事実を指摘しないでください。
葬儀場では、誰も声を出せなかった。
大型輸送機が横向きになり、一回転した映像。
その機内に三百六十九名が乗っていた。
明里は修一の腕へ顔を埋めている。
修一も、妻を支える手が震えていた。
神代空将補が画面を見つめながら呟く。
大型輸送機で、あの回避を。
黒崎海将が答える。
昔から、乗り物の使い方を間違える男だった。
あれを昔からで済ませるんですか。
私は補給艇しか知りませんでした。
空軍の女性将校たちは、映像を何度も確認していた。
操縦技術だけではない。
機体が壊れないぎりぎりの範囲を軍用AIが支え、湊が常識外の回避を選択した。
どちらか一方だけでは成立しない。
まさに共同操縦だった。
大型輸送機へ友軍の空中給油機が接近する。
給油機の乗員から通信が入った。
試験輸送機〇一。
こちら空中給油隊。
機体損傷を確認した。
給油可能か。
軍用AIが答える。
給油口および燃料系統は正常。
接続可能です。
操縦者は。
私です。
相良伍長には、今後一切操縦させません。
湊が横から言う。
必要なら手伝う。
必要ありません。
先ほどの回避映像を見た給油機の操縦士が、少し間を空けて答えた。
了解した。
AIの判断を支持する。
大型輸送機の貨物室から、笑い声が上がった。
極度の緊張から解放された笑いだった。
給油機から伸びたホースが、大型輸送機の受油口へ近づく。
右主翼には亀裂。
尾翼も傷ついている。
軍用AIは機体の揺れを抑えながら、慎重に位置を合わせた。
接続。
燃料供給開始。
湊が息を吐く。
これで帰れるな。
帰還可能です。
葬儀には。
軍用AIが現在地と残り時間を計算する。
葬儀の予定終了時刻まで、四十二分。
最寄りの統合軍基地まで、三十五分。
滑走路から葬儀場まで。
通常なら車で十八分です。
間に合わないか。
通常なら。
軍用AIの声に、嫌な予感が混じった。
湊が地図を見る。
葬儀場は統合軍基地の敷地に隣接している。
基地の主滑走路からは遠い。
だが、葬儀場の近くには、退役した旧滑走路が一本残っていた。
長さは短い。
現在は儀仗部隊や参列者の軍用車両が並んでいる。
湊が指を差す。
ここなら近いな。
着陸できません。
旧滑走路は閉鎖されています。
車両も人員もいます。
どかしてもらえば。
機体が損傷しています。
短距離着陸は危険です。
葬儀へ間に合う。
間に合わせる必要はありません。
俺の葬儀だぞ。
その理屈を再び使わないでください。
軍用AIは統合軍基地へ着陸申請を送った。
こちら試験輸送機〇一。
生存者三百六十九名を収容。
機体複数箇所損傷。
燃料補給完了。
着陸許可を要請します。
基地管制から、即座に返答が来た。
試験輸送機〇一。
主滑走路を全面閉鎖。
消防、救急、医療部隊を配置。
着陸を許可する。
軍用AIは安心した。
了解。
主滑走路へ進入します。
湊が横から通信装置へ口を近づけた。
できれば旧滑走路を使いたい。
基地管制が沈黙した。
軍用AIが叫ぶ。
使用しません。
葬儀場に近いんだ。
主滑走路へ着陸します。
旧滑走路には陸海空の英雄が集まっているらしい。
だから使用できないのです。
湊は基地へ向けて通信した。
こちら相良湊伍長。
葬儀参列者一名と、生存者三百六十九名。
帰還します。
葬儀場の大型画面から、その声が流れた。
明里が顔を上げる。
修一は、画面に映る輸送機の位置を見た。
息子は確かにこちらへ向かっている。
死者としてではない。
三百六十九名を連れて、生きて帰ってくる。
基地管制官が、震える声で答えた。
相良伍長。
帰還を歓迎する。
ただし、旧滑走路の使用は認めない。
軍用AIが即座に続ける。
当然の判断です。
湊は旧滑走路と葬儀場までの距離を見比べた。
少しだけ考える。
軍用AI。
なんですか。
主滑走路に着陸してから、葬儀場まで機体で走れないか。
軍用AIは三秒間、何も答えなかった。
そして機内、管制塔、葬儀場のすべてへ届く声で叫んだ。
航空機は、葬儀場まで自走する乗り物ではありません!




