第48話 地上を知らないので、まず「外はある」と伝えます
お名前は控えさせていただきますが、誤字報告有難う御座います!
『……そと……まだ……あるの?』
新型通信端末から届いたその一言に、《スウィフト》の艦橋はしばらく沈黙した。
火星まで、まだ十数日。
湊たちは地球と火星の間を航行している。それなのに、六千二百メートル地下の相手の息遣いだけは、すぐ近くにいるように聞こえた。
通信品質は決して良くない。ところどころノイズが混ざり、声もかすれている。それでも、その質問が聞き間違いではないことだけは分かった。
外は、まだあるのか。
湊は大型画面に映る火星を一度見てから、通信端末へ向き直った。
「あるよ」
軍用AIも、今度ばかりは何も言わなかった。
「火星の地上もあるし、町もある。地球もあるよ。今はちょっと火星の町が大変だけど、みんな生きてる」
返事はすぐには来なかった。
通信回線の向こうで、かすかな物音だけが続く。誰かが息を呑んだようにも聞こえたし、別の誰かへ話しかけているようにも聞こえた。
やがて。
『……地球……ほんとうに?』
「うん」
『……なくなって……ない?』
「ないよ」
『……戦争は?』
今度は湊が少し黙った。
神代玲華が素早く過去記録を検索し、軍用AIも同時に四十二年前の火星史を開く。
地下の相手が言った「戦争」が、何を指しているのか。
程なくして、一件の記録が見つかった。
「四十三年前、火星北部で大規模な植民行政紛争が発生しています」
神代が声を落として説明した。
「戦争と呼べる規模ではありませんが、複数の採掘企業と自治政府の間で武装衝突がありました。死者百八十七名、行方不明者五百名以上。その翌年に第四十三深部採掘区が閉鎖されています」
白波凪沙が眉を寄せる。
「行方不明者……」
久遠沙耶は既に閉鎖記録を追っていた。
「公式には、採掘区画の全作業員が退去したことになっています。ただし、最終退去名簿と従業員登録数が一致していません」
「どれくらい?」
湊が尋ねる。
「記録上の差分は、三百十二名」
艦橋の空気が変わった。
四十二年前。
三百十二名。
現在の生命反応。
七百八十一。
数字だけなら。
あり得ない話ではない。
「……子供が生まれた?」
湊が呟く。
軍用AIはすぐには否定しなかった。
「四十二年です。もし当時の三百人前後が地下に残され、その後も生活を続けていたなら……人口が増えていても不思議ではありません」
「でも、どうやって?」
白波の疑問は当然だった。
地下六・二キロ。
閉鎖区域。
地上との物流なし。
それで四十二年間。
七百八十一人。
食料。
水。
酸素。
医療。
電力。
どれか一つ欠けても維持できない。
軍用AIが地下管理AIへ質問を送る。
《生存維持方式を回答》
返事。
《水循環 稼働》
《菌類培養槽 稼働》
《藻類酸素生成槽 部分稼働》
《地熱発電 稼働》
《医療設備 著しく劣化》
《食料生産能力 限界》
久遠が息を吐いた。
「閉鎖区画そのものが、非常時の長期避難拠点として設計されています」
図面を呼び出すと、第四十三深部採掘区のさらに奥に、公式資料では用途不明となっていた巨大空間が存在した。
水再生設備。
閉鎖型農業区画。
医療室。
居住モジュール。
地熱井。
単なる鉱山には不要な設備が揃っている。
「これ、最初から避難所だった?」
湊が尋ねる。
軍用AIの声が低くなる。
「少なくとも、通常の採掘区画ではありません」
◇
《アレス・プライム》中央救難司令所でも、同じ資料が開かれていた。
エレナ・フォーク大佐は腕を組み、四十二年前の記録と現在の地下構造を何度も見比べている。
「こんな設備が、なぜ公式図面に載っていない」
「旧企業機密区画だった可能性があります」
通信士が答える。
「当時この鉱区を運営していた《マルス資源開発公社》は、行政紛争後に解体されています。資料の大半は散逸しています」
「三百十二人が消えたことも?」
「公式報告では、混乱期の記録欠損として処理されています」
エレナの表情が険しくなる。
「三百人以上だぞ」
「はい」
「それを四十二年間?」
誰も答えられない。
事故だったのか。
意図的に閉じ込められたのか。
逃げ込んだのか。
それとも。
地上側が本当に、全員死んだと思っていたのか。
今ある情報では。
何も断定できない。
ただ。
地下には七百八十一人いる。
その事実だけは。
もう疑いようがなかった。
◇
通信端末の向こうから、再び声が届いた。
『……あなた……だれ?』
先ほどと同じ声だった。
若い。
おそらく。
女性。
ただし音質が悪く、年齢までは分からない。
湊は迷わず答えた。
「相良湊。補給兵です」
軍用AIの表示灯が小さく明滅したが、今回は訂正しなかった。
『……ほきゅう……?』
「足りない物を届ける仕事」
『……上の人?』
「今は宇宙にいる」
『……宇宙……』
また。
長い沈黙。
どうやら「宇宙」という言葉そのものが、日常語ではないらしい。
湊は少し考え、説明を変えた。
「地上より、もっと上」
『……天井の……上?』
「うん。ずっと上」
『……そとに……天井ないの?』
誰も。
すぐには答えられなかった。
四十二年間。
地下で暮らしてきた集団。
もし今話している相手がそこで生まれた世代なら。
空を。
知らない。
神代が目を伏せ、白波も口元から笑みを消した。
湊はただ。
普通に答えた。
「ないよ」
『……こわくない?』
「最初は怖いかも」
少し考え。
「でも広いよ」
『……どのくらい?』
「すごく」
軍用AIが小声で突っ込む。
「説明が雑です」
「数字で言っても分からないと思って」
「……それはそうですね」
湊は続けた。
「火星の地上なら、ずっと向こうまで見える。空もある。昼は明るいし、夜は星が見える」
『……ほし……』
「地球も、空に見える時があるよ」
ノイズの向こうで。
誰かが。
泣き始めた。
一人ではない。
何人か。
声を殺している。
湊は困ったように軍用AIを見る。
「変なこと言った?」
「違います」
軍用AIの声は、珍しく穏やかだった。
「たぶん、聞きたかったんです」
◇
第二便。
第三便。
地下補給リレーは止まらず動いていた。
第一便で水、流動食、医薬品を送った結果。
地下管理AIから、より正確な要求量が届き始めている。
七百八十一人。
成人。
四百九十二。
未成年。
二百八十九。
重症者。
三十七。
中等症。
百四。
栄養状態不良。
三百八十一。
高齢者。
七十九。
その数字を見た瞬間。
艦橋の全員が。
未成年二百八十九という項目で止まった。
「そこで生まれた子たちがいる」
白波が小さく言った。
軍用AIも過去の人口推計を進める。
「ほぼ確実でしょう。当時地下へ入った者だけでは、現在の年齢構成を説明できません」
「学校は?」
湊が聞く。
「はい?」
「子供いるなら学校ある?」
軍用AIが地下管理AIへ問い合わせる。
《教育区画》
返答。
《稼働》
続いて。
《教員》
《十八》
「先生もいる」
湊。
「じゃあ大丈夫そう」
「何がですか?」
「字読める」
「そこを心配していたんですか?」
「説明できるから」
湊は新型通信端末を見た。
「外のこと」
◇
ほどなくして。
地球側から地下へ。
補給物資とは少し違う荷物が追加された。
大型表示端末。
耐衝撃型。
一台。
記録媒体。
一式。
中身。
現在の火星地図。
《アレス・プライム》の映像。
地球。
月。
火星の空。
太陽。
星。
そして。
海。
山。
森林。
街。
地下の七百八十一人が。
これまで見たことのない。
「外」。
軍用AIが呆れたように尋ねる。
「相良特務少佐。これは救難物資ですか?」
湊。
「いると思う」
「食料でも医薬品でもありません」
「でも外があるって、言葉だけじゃ分からないでしょ」
軍用AIは。
しばらく黙った。
「……送ります」
◇
大型表示端末が地下へ到着したのは、六時間後だった。
第四十三深部採掘区。
旧共同食堂。
そこへ。
七百人以上が。
集まった。
映像。
最初。
火星地表。
赤い大地。
青黒い空。
地下で生まれた子供たちは。
誰も喋らなかった。
次。
地球。
青い惑星。
一人の子供が。
画面へ手を伸ばす。
『……これが……地球?』
新型通信端末越しに。
声が届く。
湊。
「うん」
『……水?』
「海」
『……こんなに?』
「ほとんど水」
地下側。
ざわめき。
水循環設備で一滴ずつ再利用してきた人々にとって。
惑星の大半を覆う水。
それ自体が。
信じられない。
次。
森林。
地下から。
また声。
『……これは?』
「木」
『食べられる?』
「種類による」
「そこは正確なんですね」
軍用AIが思わず口を挟んだ。
そして。
夜空。
無数の星。
映像が表示された瞬間。
地下から。
声が消えた。
誰も。
質問しない。
長い。
長い。
沈黙。
やがて。
最初に湊へ話しかけた声が。
小さく言った。
『……天井……ないんだ』
「うん」
『……ほんとうだった』
「うん」
◇
そこから。
少しずつ。
地下側との会話が増えた。
最初に話していた人物は。
名前を。
リナ。
と名乗った。
年齢。
十七歳。
地上を。
見たことはない。
両親も。
地上を見たことがない。
「両親も?」
神代が思わず聞き返す。
『うん。おばあちゃんは、ちょっとだけ覚えてるって』
四十二年前。
地下へ入った第一世代。
その子供。
さらに。
その子供。
三世代。
もう。
地上は。
昔話になっている。
リナが続ける。
『上は、毒になったって教わった』
「毒?」
『戦争で全部壊れたって。外へ出たら死ぬって』
軍用AIの表示灯が。
静かに赤くなった。
エレナのいる中央救難司令所でも。
同じ言葉を聞いている。
「誰が教えた?」
湊が尋ねる。
リナは。
少し迷った。
『管理者』
「AI?」
『違うよ』
艦橋。
全員が。
顔を上げた。
『人』
「今もいる?」
沈黙。
『……いる』
軍用AIが即座に地下管理AIへ照会をかける。
《登録管理者》
返答。
《一名》
《管理責任者 生存》
年齢。
表示。
百一歳。
四十二年前から。
地下にいる。
そして。
その人物だけが。
地上が滅んだと。
三世代にわたって。
教え続けていた。
リナの声が。
さらに小さくなる。
『管理者は……外と話しちゃだめって言ってる』
「今、話してるけど」
『だから……見つかったら……』
そこで。
通信が。
突然。
切れた。
ノイズ。
無音。
軍用AIが接続を試す。
「地下側から回線を遮断されました」
「リナが?」
「違います。管理系統から強制切断です」
湊の表情から。
少しだけ。
いつもの柔らかさが消えた。
「食料は送れる?」
「補給リレーは別系統です。動いています」
「水も?」
「送れます」
「薬も?」
「問題ありません」
湊。
「じゃあ止めないで」
「もちろんです」
通信は切られた。
理由も。
まだ分からない。
管理者が何者なのか。
四十二年前に。
何があったのか。
それも。
まだ分からない。
けれど。
補給だけは。
切れない。
湊は。
地下六・二キロの表示を見ながら。
静かに言った。
「話したくないなら、今はいいよ」
軍用AIが見る。
「ただ」
湊は。
地下へ降りていく。
第九便の補給容器を。
見た。
「ご飯まで止める理由にはならないから」
六千二百メートル下。
七百八十一人。
その中には。
空を知らない子供が。
二百八十九人いる。
そして。
彼らを四十二年間。
地上から遠ざけ続けた。
最後の管理者が。
ようやく。
外から来た補給兵の存在に。
気づいた。




