第46話 地下六・二キロに人がいるので、まず空気を送ります
《アレス・プライム》地下六・二キロ。
四十二年前に閉鎖された旧採掘層から、救難信号が出ていた。
生命維持危機をようやく脱したばかりの中央救難司令所では、歓声の余韻など完全に消えている。
エレナ・フォーク大佐は大型画面へ表示された一点を見つめた。
「もう一度確認しろ。本当に救難信号なのか?」
「確認済みです。旧式の鉱山用非常ビーコンですが、識別符号は間違いありません」
通信士が周波数解析を表示する。
規格そのものが古い。現在の火星都市では使われていない方式で、最後に更新された記録も四十年以上前だった。
だからこそ最初は、設備故障による誤信号が疑われた。
しかし信号は一定間隔で繰り返されている。
しかも。
《救難要請》
《生命維持低下》
《補給要求》
三種類の符号を順番に送っていた。
「補給要求まで出しているのか」
エレナが眉を寄せる。
「はい。自動故障信号では説明できません」
「人が操作している?」
「そこが分かりません」
閉鎖区域の記録上。
人間はいない。
四十二年前、採掘層の資源枯渇と地盤不安定化を理由に全員が退去したことになっている。
それ以降。
誰も入っていない。
少なくとも。
公式には。
◇
「何が足りないの?」
《スウィフト》の艦橋で、湊が最初に聞いたのはそこだった。
軍用AIが数秒黙る。
「普通は先に『誰がいるのか』を聞きませんか?」
「でも補給要求なんでしょ?」
「……そうですが」
「なら、何か足りない」
湊にとっては単純だった。
誰なのか。
なぜそこにいるのか。
どうして四十二年間誰にも知られなかったのか。
それらも重要だ。
だが。
救難信号が出ている。
しかも。
補給を求めている。
なら。
先に必要なのは。
届くかどうかを調べることだった。
久遠沙耶が旧採掘層の設備記録を呼び出す。
「第四十三深部採掘区。最終稼働は四十二年前。深度六千二百十七メートル。現在の都市とは旧搬送坑で接続されていますが、途中に大規模崩落記録があります」
「通れる?」
「人間は難しいです。小型探査機なら可能性があります」
白波凪沙が通信状態を解析する。
「救難信号の強度はかなり弱いですね。地下の旧通信線を経由して、辛うじて地表側へ漏れているだけです」
神代玲華が聞いた。
「音声通信は?」
「無理です。ただし低速データ通信なら」
軍用AIが古い通信規格へ変換を始める。
「接続を試みます」
数十秒。
応答なし。
さらに。
十秒。
画面に。
一文字。
現れた。
《受》
受信。
それだけだった。
艦橋の空気が変わる。
「誰かいる」
湊が言った。
「少なくとも」
軍用AIも、今度は冗談を挟まなかった。
「こちらの通信を理解して返しています」
◇
最初に送った質問は。
《人数》
返答。
なし。
二度目。
《生命維持残量》
数秒後。
《酸素 二十一》
久遠がすぐに反応する。
「単位がありません」
「残量二十一パーセントの可能性があります」
白波が言う。
次。
《人数》
今度は。
《不明》
「不明?」
神代が眉をひそめた。
さらに。
《負傷者》
返答。
《多数》
軍用AIの声が低くなった。
「これは……人間が単独で入力しているとは考えにくいですね」
湊が見る。
「何で?」
「自分たちの人数が分からないのに、負傷者が多数だと判断している。避難区画全体を管理しているシステムが返答している可能性があります」
「管理AI?」
「おそらく」
旧採掘層。
四十二年前。
閉鎖された区画。
その奥で。
何かの管理AIが。
今も。
誰かを守っている。
そして。
酸素が減っている。
「二十一って、どれくらい持つ?」
湊が聞く。
「人数が分からないので断定できません」
「一番悪い場合」
軍用AIが計算する。
旧採掘区画の最大収容人数。
一千二百人。
生命維持装置の経年劣化。
酸素再生能力。
現在の信号内容。
「最悪なら」
軍用AIは。
短く答えた。
「三十時間を切っています」
湊。
「俺が着くのは十六日後」
「はい」
「間に合わない」
「はい」
沈黙。
しかし。
今回は誰も。
湊へ「行くな」とは言わなかった。
本人が届かないなら。
何を先に届けるのか。
もう全員。
分かっていたからだ。
◇
「空気」
湊が言う。
軍用AI。
「……はい?」
「人が行けないなら、先に空気送れない?」
また。
始まった。
そう思った。
だが今回、軍用AIは怒鳴らなかった。
すぐに旧採掘層の配管図を開く。
「待ってください」
四十二年前の採掘場には。
地表から地下深部へ伸びる。
巨大な換気設備があった。
採掘時に発生する熱。
粉塵。
ガス。
それらを排出するため。
直径数メートルの換気縦坑が。
複数。
掘られていた。
多くは閉鎖。
崩落。
しかし。
一系統だけ。
第四十三深部採掘区近くまで。
構造が残っている。
「旧第七換気縦坑」
久遠が位置を表示する。
「地表側入口は、現在の《アレス・プライム》外縁から十一キロです」
「中は?」
「一部閉塞。ただし完全崩落ではありません」
「機械入れる?」
「小型掘削機なら」
湊。
「じゃあ穴あけよう」
軍用AIが反応する。
「地下六キロですよ!」
「全部掘るんじゃなくて」
湊が旧縦坑を指す。
「詰まってるところだけ」
軍用AI。
停止。
「……そうですね」
新しいトンネルを六キロ掘る必要はない。
元からある。
壊れた場所だけ。
直せばいい。
◇
火星地表。
生命維持設備の搬入を終えたばかりの旧式重機群へ。
新しい命令が届いた。
《旧第七換気縦坑 復旧》
《最優先》
四十年前の管理AI。
新型工兵AI。
双方が。
同時に作業計画を開始する。
地表側入口。
砂に埋没。
旧大型掘削機。
三十六機。
出動。
その中には。
修理された《EX-031》もいた。
大きな作業腕が。
再び。
火星の赤い砂へ食い込む。
◇
《アレス・プライム》中央救難司令所。
エレナは届いた新計画を見ていた。
「つまり」
「はい」
通信士が答える。
「旧換気縦坑を復旧し、地下六・二キロの救難信号発信地点へ空気を送ります」
「酸素ボンベを運ぶのではなく?」
「送風設備を繋ぎます」
「六キロ下まで?」
「既存の換気坑を使います」
エレナは。
少し考え。
意外にも。
すぐ頷いた。
「それが一番早いな」
通信士が驚く。
「慣れましたね」
「誰のせいだと思っている」
◇
問題は。
何を送るかだった。
地上から普通の火星大気を送り込んでも意味がない。
火星大気の大部分は二酸化炭素。
人間は呼吸できない。
必要なのは。
酸素を含んだ呼吸可能な混合気体。
しかし。
《アレス・プライム》は先ほどまで生命維持危機だったばかり。
大量の酸素を地下へ回す余裕はない。
「どれくらい必要?」
湊が尋ねる。
「人数不明では計算できません」
軍用AIが答える。
「じゃあ少しずつ送って、向こうに聞く?」
「酸素濃度が上がったか確認する?」
「うん」
旧管理AIへ。
通信。
《換気開始予定》
《酸素濃度変化を報告》
返答。
《了解》
これで。
向こうに。
計測機能もあると分かった。
◇
三時間後。
旧第七換気縦坑。
地表入口。
開放。
新型探査機が内部へ入る。
深度百メートル。
正常。
三百。
五百。
八百。
そして。
一千百四十メートル地点。
閉塞。
岩盤。
瓦礫。
長さ。
推定十七メートル。
久遠が確認する。
「ここを抜けば、その先は少なくとも四・八キロ地点まで通っています」
「掘れる?」
「小型掘削機を降ろせば」
旧式重機では大きすぎる。
そこで。
先行補給物資として送られていた小型工兵機が。
ワイヤーで。
縦坑へ降ろされた。
地下。
一千メートル。
誰もいない。
真っ暗な縦坑。
そこで。
小さな機械が。
掘り始める。
◇
六時間。
閉塞部。
貫通。
さらに。
四・八キロ地点。
二つ目。
閉塞。
こちらは。
七メートル。
貫通。
そして。
深度六・〇キロ。
最後の障害。
崩れた防火扉。
油圧。
死亡。
開かない。
軍用AIが言う。
「ここから先が第四十三深部採掘区です」
「壊せる?」
湊。
久遠。
「できます」
「じゃあ」
「ただし」
久遠が止める。
「向こう側の気圧が分かりません。急激に開放すると、残っている空気をこちらへ逃がす可能性があります」
湊も。
すぐ理解した。
「穴だけ小さくあける?」
「はい」
防火扉。
直径。
三センチ。
穿孔。
そこへ。
細い管を通す。
センサー。
向こう側。
気圧。
低い。
酸素濃度。
十二・四パーセント。
危険域。
でも。
まだ。
人が。
生きられる範囲にはいる。
「間に合った?」
湊が聞く。
「まだです」
軍用AIは静かに答えた。
「これから上げます」
◇
地上。
《アレス・プライム》から。
非常用酸素生成装置。
二基。
旧第七換気縦坑へ。
接続。
今回届いた。
地球製。
新品。
四十二万人を救った設備の一部。
都市側の酸素循環が安定したからこそ。
少しだけ。
地下へ回せる。
送風。
開始。
酸素濃度。
十三。
十三・八。
十四・五。
向こう側から。
通信。
《酸素 上昇》
中央救難司令所。
誰も。
声を出さない。
十五。
十六。
十七。
《生命維持 改善》
それを見たエレナが。
大きく息を吐く。
「生きてる」
通信士が。
小さく頷いた。
◇
《スウィフト》。
湊も。
同じ表示を見ていた。
「よかった」
軍用AI。
「はい」
「これで十六日持つ?」
「分かりません」
「何で?」
「問題は酸素だけではないからです」
画面に。
新しい通信。
地下管理AIから。
《酸素改善》
《補給継続希望》
その下。
新しい要求。
《水》
さらに。
《医療》
そして。
最後。
《食料》
湊。
「足りないんだ」
「……はい」
空気だけでは。
救助ではない。
生き延びる時間を。
少し伸ばしただけ。
地下六・二キロ。
人が行けない。
道も。
ほぼない。
それでも。
水。
医療品。
食料。
必要なものは。
届けなければならない。
軍用AIは。
覚悟を決めたように聞いた。
「次は何を考えています?」
湊は。
縦坑の断面図を見た。
「この穴」
「はい」
「空気通るなら」
軍用AIの表示灯が。
赤くなり始める。
「相良特務少佐」
「何?」
「嫌な予感がします」
「物も通る?」
軍用AI。
沈黙。
直径。
最大三・八メートル。
深度。
六・二キロ。
ほぼ垂直。
上から。
下まで。
繋がった。
元換気縦坑。
そして。
下には。
補給を待つ誰かがいる。
「……通ります」
軍用AIは。
小さく答えた。
湊。
「じゃあ送ろう」
「やっぱりそうなりますよね!」
地下六・二キロ。
人数不明。
正体不明。
四十二年前から閉鎖された。
誰も知らない区画。
それでも。
救難信号は。
確かに届いている。
だから。
ただの補給兵は。
今度は。
火星の地下へ。
六千二百メートルの。
荷物用の穴を。
見つけてしまった。




