第44話 砂嵐が来るので、着地点だけ晴らします
「荷物が通るところだけ、風を止めればいい」
「結局やること大きいじゃないですかああああああああ!」
軍用AIの絶叫が《スウィフト》の艦橋に響いた。
第三波の降下まで、一時間五十八分。
火星上空を周回する先行補給船団には、《アレス・プライム》の生命維持を支える最重要貨物が残されている。
酸素分離膜、二酸化炭素除去設備、冷却系制御器、循環ポンプ。どれも壊れれば代用品がなく、次便を地球から送っていたのでは到底間に合わない。
一方、旧第三資源採掘盆地へ迫る砂嵐は、予測よりも速い速度で拡大していた。
白波凪沙が観測データを拡大する。
「地表付近の風速は毎秒三十八メートル。上空では五十を超えています。ただ、問題は風そのものより砂塵ですね。視界と地形観測精度が大きく落ちます」
「誘導ビーコンは?」
湊が尋ねる。
「電波誘導自体は可能です。ただし地表付近で横風を受ければ、最後の数百メートルで着地点がずれます」
久遠沙耶が第三波の貨物カプセルを画面上へ並べた。
「第一波と第二波なら多少転がっても問題ありませんでした。ですが今回は精密機器です。安全に降ろすには、最終降下区間だけでも風速を下げる必要があります」
神代玲華が火星の採掘盆地を見つめる。
「砂嵐そのものが過ぎるのを待つ選択肢は?」
「最短でも十九時間。悪化すれば三十時間以上です」
軍用AIが即答した。
《アレス・プライム》に残された時間を考えれば、待てない。
だからこそ湊は、先ほどから採掘盆地の古い施設配置図をじっと眺めていた。
「昔ここで採掘してた時、砂嵐の日はどうしてたの?」
その問いに、軍用AIが一瞬止まった。
「……作業を中止していたと思いますが」
「四十年前の記録ある?」
久遠がすぐに検索を始めた。
旧第三資源採掘場は、最盛期には火星でも有数の大規模鉱山だった。露天採掘だったため、当然ながら砂塵対策も行われている。
数秒後、久遠の画面に古い設備図が表示された。
「ありました。採掘坑周辺に大型防塵設備が設置されています」
「防塵?」
「採掘時に発生する粉塵を周辺居住区へ流出させないための設備です。高出力静電集塵塔が二十四基、それから……」
久遠が言葉を止めた。
「どうしたの?」
「大型気流制御塔が十二基あります」
軍用AI。
「……嫌な物が見つかりましたね」
採掘場では、大型爆破や鉱石粉砕の際に大量の粉塵が舞う。
それをそのまま放置すれば、無人機の光学センサーや冷却系へ悪影響が出る。そのため採掘区域周辺には、薄い火星大気を強制的に流して粉塵の進行方向を変える巨大送風設備が設置されていた。
もちろん。
天候を変えるための設備ではない。
ところが。
湊は嬉しそうに聞いた。
「動く?」
「聞くと思いました!」
旧採掘場管理AIへ診断要求が送られる。
十二基の気流制御塔。
稼働可能。
五基。
要修理。
四基。
完全故障。
三基。
「五個動く」
「五基です」
「直せるのは?」
久遠が故障内容を確認する。
「三基は電力供給系の断線。新型作業機で修復できます。残り一基は主送風機の軸受けが固着しています」
「じゃあ八個」
「まだ修理前なのに稼働数へ入れないでください!」
それでも軍用AIは計算を始めた。
八基の大型気流制御塔を同時稼働させた場合。
砂嵐全体を止めることなど不可能だ。
だが。
採掘盆地内部。
しかも。
直径数百メートル程度の範囲なら。
「……できます」
軍用AIの声が小さくなった。
湊。
「何が?」
「地表付近に限りますが、気流を相殺して風速を毎秒十メートル以下まで落とせます」
「それなら降ろせる?」
「理論上は」
「じゃあやろう」
「毎回、理論を現場予定に変換する速度が早すぎます!」
◇
火星では、旧採掘場管理AIが新たな指示を受信していた。
《大型気流制御塔復旧》
《最優先》
四十年間使われていなかった採掘盆地の外周で、古い塔が一つずつ自己診断を開始する。
砂に埋もれた吸気口。
固着した調整翼。
劣化した送電線。
人間が修理するなら、数日はかかる。
しかし今は。
新型工兵作業機と、旧式重機が二百機以上いた。
旧管理AIが作業を割り振る。
新型機が精密な配線修理を担当し、四十年前の大型掘削機が塔の周囲に堆積した砂を取り除く。
さらに。
先ほど修理された《EX-031》も、その列に加わっていた。
新しい油圧ポンプを搭載した旧式機は、以前より滑らかな動きで作業腕を振るう。
地球から届いた新型機。
四十年前の旧式機。
どちらが先輩で、どちらが後輩なのか。
もう誰にも分からなかった。
◇
「相良特務少佐から、また追加計画です」
《アレス・プライム》中央救難司令所で通信士が報告すると、エレナ・フォーク大佐は無言で天井を見た。
「今度は何をする」
「砂嵐への対応です」
「……砂嵐を止めるとは言わないだろうな?」
「本人も、それは無理だと言っています」
「よかった」
「着地点だけ風を止めるそうです」
エレナは目を閉じた。
「なぜ一度安心させた」
大型画面には、旧採掘盆地に残された気流制御塔が表示されている。
四十年前の鉱山設備。
本来なら、局地的な粉塵対策に使う程度の装置でしかない。
それを八基同時に稼働させ、互いに向き合うよう気流を発生させる。
砂嵐の風を正面から止めるわけではない。
外から流れ込む風を左右へ逃がし。
中央の狭い区域だけ。
気流を弱める。
その中心へ。
生命維持設備を落とす。
説明を最後まで聞いたエレナは、しばらく何も言わなかった。
「……理屈は通っているな」
「はい」
「それが一番困る」
通信士も深く頷いた。
◇
第三波降下まで、一時間十二分。
最初の気流制御塔が起動した。
四十年間停止していた巨大ファンが、最初は鈍い音を立てながら回り始める。
火星の薄い空気を吸い込み。
吐き出す。
一基。
二基。
三基。
続いて修復を終えた塔も起動する。
七基。
最後の八基目。
久遠が状態を確認した。
「全基、定格出力の七十パーセント以上を確保しました」
軍用AIが風況を再計算する。
砂嵐の到達時刻は、さらに早まっている。
第三波降下と。
ほぼ同時。
「試験運転を始めます」
八基の気流制御塔が向きを変えた。
それぞれが異なる方向から大気を押し出す。
一見すると。
ただ砂が余計に舞っているだけだった。
だが。
中央。
降下予定地点付近。
風速。
毎秒三十二メートル。
二十七。
二十一。
十五。
十一。
最終。
八・九。
軍用AIが黙った。
湊。
「止まった?」
「止まってはいません」
「弱くなった?」
「……はい」
「じゃあ大丈夫」
「もう少し感動してください! 四十年前の採掘設備で砂嵐の中に人工的な静穏域を作ったんですよ!」
「みんなが直してくれたからね」
軍用AIは、また言葉を失った。
この男にとって。
自分の案が成功したことより。
現場の機械が動いたことの方が大事らしい。
◇
そして。
砂嵐が来た。
火星の地平線が。
消える。
高さ数キロにも達する赤褐色の砂塵の壁が、旧第三資源採掘盆地へ押し寄せた。
地表観測カメラの映像が一気に暗くなる。
旧重機群は作業を中止し、指定された待避区画へ移動した。
新型機も固定脚を展開し、姿勢を低くする。
八基の気流制御塔だけが。
動き続ける。
砂嵐が盆地を飲み込む。
外周。
風速。
毎秒四十一メートル。
中央降下区画。
十一・二。
十三・一。
一瞬。
十六。
久遠の目が険しくなる。
「変動が大きいです」
軍用AIも即座に出力配分を修正する。
「第三塔を十二パーセント増加。第七塔を九パーセント減。南西からの流入が強い!」
久遠が旧管理AIへ新しい設定を送る。
気流制御塔の向きがわずかに変わる。
風速。
十二。
十。
八・六。
「安定しました」
白波が息を吐いた。
神代は時計を見る。
「第三波、降下開始まで?」
「三分十二秒です」
もう。
止められない。
◇
火星周回軌道。
第三波貨物カプセル。
第一基。
分離。
内部には。
酸素分離膜。
二酸化炭素除去装置。
四十二万人の呼吸を支えるための設備。
推進試験艇が噴射を始め、慎重に軌道速度を削る。
降下軌道へ。
投入。
第二基。
第三基。
続く。
砂嵐の上空へ。
火球が現れた。
◇
《アレス・プライム》では。
多くの人間が。
同じ映像を見ていた。
画面いっぱいに。
赤い砂。
何も見えない。
その奥に。
地球から来た生命維持設備が降りてくる。
子供が。
母親の手を握る。
「見えないね」
「大丈夫よ」
「どうして?」
母親は。
返事に迷った。
本当は。
怖かった。
けれど。
これまで何度も。
無理だと思った。
宇宙港が壊れた。
それでも物資は来た。
道路がなかった。
機械が作った。
受け取る車がなかった。
昔の採掘車を二台繋げた。
今度は砂嵐。
それでも。
どこか遠くにいる補給兵が。
また方法を見つけた。
「……届けてくれるって言ったから」
母親はそう答えた。
◇
高度。
十キロメートル。
第一貨物カプセル。
姿勢正常。
五キロ。
横流れ。
許容範囲。
二キロ。
砂塵濃度。
最大。
地上誘導ビーコン。
捕捉。
千メートル。
軍用AIが言う。
「静穏域へ入ります」
風速。
毎秒九・一メートル。
五百メートル。
降下スラスター。
最終噴射。
二百。
百。
五十。
衝撃吸収材。
展開。
着地。
通信。
一瞬。
途切れる。
艦橋に。
誰も声を出さない。
三秒後。
《貨物状態 正常》
久遠が大きく息を吐いた。
「成功です」
神代が目を閉じる。
白波も笑った。
湊。
「よかった」
軍用AI。
「もう少し!」
「何?」
「もう少し達成感を出してください!」
「まだ残ってるよ?」
軍用AIが止まる。
その通りだった。
第二基。
降下。
第三基。
第四基。
次々と。
砂嵐の中へ。
落ちてくる。
いや。
届けられてくる。
第二基。
成功。
第三基。
成功。
第四基。
着地点誤差。
三十二メートル。
正常。
やがて。
最後の一基。
着地。
《第三波 全貨物正常》
その表示が出た瞬間。
《アレス・プライム》中央救難司令所で。
歓声が上がった。
酸素設備が。
届いた。
冷却系が。
届いた。
都市を生かすための部品が。
全部。
火星の地面にある。
◇
砂嵐は。
まだ続いている。
それでも旧採掘場では、新型無人機たちが貨物カプセルへ集まり始めた。
四十年前の鉱石運搬車二台を横に繋いだ即席輸送車も、待機場所からゆっくり姿を現す。
最初のカプセルが。
荷台へ固定される。
行き先。
六十八キロ先。
《アレス・プライム》。
軍用AIがその光景を見ながら呟いた。
「届きましたね」
「まだ」
湊が答える。
「え?」
「地下まで持っていかないと、補給終わってないよ」
軍用AIは。
数秒黙った。
それから。
少しだけ笑ったような声で言った。
「そうでしたね」
宇宙港はない。
砂嵐も止まっていない。
それでも。
八百七十二トンの救難物資は。
一つずつ。
四十二万人のもとへ近づいている。
そしてその先頭を走るのは。
最新鋭の軍用輸送車ではなかった。
四十年前に捨てられた。
二台の鉱石運搬車だった。
荷台には。
地球から届いた。
四十二万人分の呼吸が。
載っていた。




