第43話 新入りが来たので、四十年前の先輩を修理します
火星旧第三資源採掘盆地へ着地した第一降下カプセルから、新型掘削無人機がゆっくりと立ち上がった。
赤い砂を払い落とすように車体を振り、周囲を旋回するセンサーを起動する。
その正面には、四十年前に製造された旧式重機が百八十六機。
新型機と比べれば、どれも明らかに古かった。
装甲板は色褪せ、作業腕には傷があり、補修用の溶接痕が幾重にも重なっている。設計思想そのものが違うため、車体形状にも共通点はほとんどない。
それでも、新型機は迷わず短い通信を送った。
《第一特別救難補給隊所属》
《救難作業参加》
旧採掘場管理AIが応答する。
《参加を承認》
《作業区域情報を共有》
四十年前の機械と、地球から九日かけて飛んできた最新型の機械。
製造年代も。
規格も。
所属も違う。
けれど、救難という目的だけは同じだった。
火星上空の《スウィフト》ではない。
まだ地球と火星の間を航行しているその艦内で、湊は数時間遅れで届いた映像を見ながら、小さく頷いた。
「ちゃんと合流できた」
「合流という表現でいいのか分かりませんが、通信規格の変換は正常に機能しています」
軍用AIはそう答えながら、次々と表示される降下データを確認していた。
第二カプセル。
着地成功。
第三カプセル。
着地成功。
第四カプセルは予定地点から二百七十一メートル西へずれたものの、機体損傷なし。
膨張式衝撃吸収材を使った即席降下方式は、今のところ想定以上に安定している。
「第一波二十四基、すべて正常です」
久遠沙耶が結果を読み上げると、神代玲華もようやく肩の力を抜いた。
「これで荷下ろし場の造成に入れますね」
「はい。ただし、旧重機群は既に予定面積の三割ほどを整地しています」
白波凪沙が映像を切り替える。
地球側で計画を作っていた間にも、火星の旧管理AIは仕事を止めていなかった。
大型掘削機が地面を削り、旧式運搬車が岩を除去し、地表を均している。さらに一部の車両は、都市へ続く六十八キロの緊急輸送路造成へ戻っていた。
新型機が到着したことで作業速度は一気に上がり、当初十四時間と見積もっていた荷下ろし場の完成予定は九時間後まで縮まっている。
「早いね」
湊が感心すると、軍用AIがすぐに返した。
「あなたが褒めるたびに作業量が増える気がするので、ほどほどにしてください」
「俺、命令してないよ?」
「だから余計に怖いんです。火星側が勝手にあなたと同じ発想を始めています」
湊は何が問題なのか分からない様子だった。
◇
《アレス・プライム》中央救難司令所。
エレナ・フォーク大佐の前には、これまでなら考えられない光景が広がっていた。
宇宙港は失われている。
地表輸送路も壊れている。
それなのに。
地球から届いた救難物資の第一陣が、もう火星地表で活動を始めていた。
「第一波二十四基、全機正常。旧管理AIとの情報共有も完了しました」
通信士の報告に、エレナは思わず聞き返した。
「本当に一機も壊れていないのか?」
「軽微な外装損傷が三機ありますが、作業に支障はありません」
「軌道から落としたんだぞ?」
「正確には制御降下です」
「見た目は落としていただろう」
先ほどの観測映像を思い出す。
火星の空に火球が現れ、そのまま巨大な貨物カプセルが降ってきた。
常識的な惑星救難作戦なら、見ているだけで胃が痛くなる光景だった。
ところが砂煙が晴れるたび、中から機械が立ち上がって仕事を始める。
その結果だけを見れば。
成功している。
「第二波は?」
「荷下ろし場造成完了後に降下します。非常用電源、通信中継器、道路補修資材が中心です」
「生命維持設備はまだか」
「第三波です。精密機器を含むため、地上側で誘導設備を設置してから降下精度を上げるそうです」
順番にも意味がある。
最初に働ける機械を送る。
その機械が受け入れ場所を作る。
次に設備を送って降下精度を上げる。
それから壊してはいけない生命維持装置を降ろす。
最初に計画を見た時は無茶だと思った。
今も無茶だとは思う。
だが、筋は通っていた。
「相良特務少佐は、今どこだ?」
「《スウィフト》で火星へ向かっています。到着までおよそ十七日です」
エレナは眉を寄せる。
「本人より仕事の方が先に着いているな」
「補給物資ですから」
通信士も、もう慣れてきたのか自然に答えた。
エレナは苦笑する。
「普通は、指揮官が到着してから仕事を始めるんだがな」
◇
旧採掘盆地の東端。
他の機械たちから少し離れた場所に、大型掘削機《EX-031》は停止したままだった。
四十年間の休眠。
再起動後の長距離移動。
道路造成。
その負荷に、右側油圧系が耐えられなかった。
旧管理AIは既に《作業不能》と判定し、道路脇へ退避させている。
しかし。
第一降下便の中には。
一つだけ。
本来の救難計画にはなかった荷物が入っていた。
新型掘削無人機用。
予備油圧ポンプ。
一基。
そして。
規格変換用アダプター。
作業担当に指定された新型工兵機二機が、《EX-031》の前で停止する。
旧管理AIから、確認通信が入った。
《当該機は旧式規格》
《交換部品非互換》
新型機側が返す。
《変換部品受領済み》
《修理を実施》
数秒。
旧管理AIは返答しなかった。
やがて。
《修理対象機は救難作業能力を喪失》
《他作業優先を推奨》
地球から来た新型機は、すぐに答えた。
《修理命令受領済み》
それだけだった。
誰が出した命令なのか。
旧管理AIには分からない。
しかし、正式な救難部隊の指示である以上、拒否する理由もなかった。
《修理を承認》
二機の工兵機が作業を始める。
砂に半ば埋もれた外装板を外し、劣化した配管を切断する。
四十年前の機体と現行機では、油圧規格も電力制御方式も違う。
そのままでは使えない。
そこで久遠が遠隔で設計した変換アダプターを挟み、新型ポンプの出力を旧式機の許容値まで落とす。
一時間。
二時間。
三時間。
やがて。
《EX-031》の右側油圧系に、再び圧力が戻った。
古い作業腕が。
わずかに動く。
工兵機が後退する。
旧管理AI。
《EX-031 機能診断》
《右側油圧系 正常》
《走行系 正常》
《掘削能力 七十二パーセント》
《作業復帰可能》
四十年間眠り。
一度は寿命を迎えたはずの機械が。
もう一度。
ゆっくりと起き上がった。
◇
「動いた」
映像を見ていた湊が、少し嬉しそうに言った。
軍用AIはしばらく黙ってから答えた。
「動きましたね」
「よかった」
「相良特務少佐」
「何?」
「一応、確認しておきます」
声には、いつものような呆れが混じっている。
「その予備部品は、本来なら新型掘削機の故障に備えるための物です」
「うん」
「十二基しかありません」
「まだ十一基ある」
「そういう話ではなく、救難物資の一部を四十年前の機械の修理へ使ったことについてです」
湊は少し考えた。
「でも、直したら働けるんでしょ?」
「働けます」
「その機械が働けば、四十二万人を助けるのが早くなる」
「はい」
「じゃあ救難に使ってるよ」
軍用AI。
沈黙。
神代が小さく笑った。
「正論ですね」
「神代空将補まで援護しないでください」
白波も《EX-031》の復帰後の作業速度を確認する。
「実際、旧式とはいえ大型掘削機です。一機復帰しただけでも道路造成の進行は少し早くなっています」
久遠が付け加えた。
「それに、交換した新型ポンプの負荷率は五十八パーセント。旧式機の要求出力が低いので、むしろ寿命は長くなる可能性があります」
「久遠技術大佐は、もう完全に改造する側ですね」
「修理です」
「あなたたち二人、最近言葉の使い方まで似てきましたよ!」
湊が久遠を見る。
「似てる?」
「分かりません」
二人とも本気だった。
軍用AIは諦めた。
◇
復帰した《EX-031》は、修理直後にもかかわらず待機しなかった。
旧管理AIから新しい作業区画を割り当てられると、すぐに走り出した。
向かった先は。
第一降下地点。
地球から到着したばかりの新型掘削無人機たちが整地を進めている場所だった。
一機の新型機が《EX-031》を検知する。
《作業機識別》
《旧第三採掘場所属》
《作業能力確認》
《EX-031》は、言葉を返す能力を持っていない。
代わりに旧管理AIが応答した。
《作業参加》
新型機。
《了解》
それだけで。
四十年の差はなくなった。
最新型の掘削機が地表を削る。
その横で、旧式機が削り残した岩盤を掘り起こす。
新型機の方が速い。
精度も高い。
燃費もいい。
けれど。
旧式機には旧式機の仕事がある。
大型の作業腕が赤い岩を持ち上げるたび。
地球から届いた新入りたちが、その後を整えていった。
◇
第二波の降下が始まったのは、その四時間後だった。
今度は一度目とは違う。
地上には既に。
誘導ビーコン。
通信中継器。
地形観測装置。
そして。
二百機を超える作業機が待っている。
最初の降下で得られた実測データもある。
火星大気の密度。
上空風。
地表気圧。
砂塵濃度。
その全てを反映し。
第二波は第一波よりさらに正確に降りてきた。
貨物カプセル。
着地誤差。
平均七十六メートル。
最小。
十九メートル。
最大。
百四十二メートル。
旧採掘場管理AIは、それぞれの着地点へ運搬車を差し向ける。
貨物カプセルを回収。
指定区域へ運搬。
開封。
通信設備を設置。
非常用電源を接続。
作業が進むたび。
何もなかった旧採掘盆地が。
少しずつ。
救難拠点へ変わっていった。
管制塔はない。
滑走路もない。
格納庫もない。
しかし。
貨物を受け取り。
分類し。
都市へ送り出せる。
それだけなら。
もう十分だった。
◇
《アレス・プライム》では、その変化を見守る人々が増えていた。
中央司令所だけではない。
地下居住区。
医療区画。
避難所。
学校。
工場。
使える映像設備の多くで、地上の救難作業が中継されている。
都市の上では、まだ地殻変動が続いていた。
小さな揺れは途切れず。
生命維持設備の残存時間も減り続けている。
それでも。
地球から届いた機械が。
火星に残っていた機械と一緒に働いている。
その光景だけで。
地下に閉じ込められた人々には、はっきり分かった。
自分たちは。
忘れられていない。
子供が画面を指差した。
「また落ちてきた」
母親が苦笑する。
「落ちてきたんじゃなくて、届けてくれてるのよ」
「でも落ちてるよ?」
「……そうね」
否定しづらかった。
赤い空を。
また一つ。
大きな光が走る。
◇
第三波。
最重要物資。
生命維持設備。
降下開始まで。
あと二時間。
軍用AIは、それまでの全データを再確認していた。
「第一波成功率百パーセント。第二波、全貨物回収済み。地上誘導設備正常。気象条件も許容範囲内です」
久遠が第三波の降下軌道を表示する。
「酸素分離膜、二酸化炭素除去設備、冷却系制御器。最も衝撃へ弱い貨物です。安全係数は十分ですが、第一波より着地速度をさらに落とします」
神代が頷く。
「ここまで来れば、計画通りですね」
「はい」
軍用AIも、珍しく素直に同意した。
そこへ。
警告音。
一度。
二度。
三度。
大型画面の火星気象情報が、一斉に赤く変わる。
「何?」
湊が尋ねる。
軍用AIはすぐにデータを解析する。
「砂嵐です」
火星北半球。
旧第三資源採掘盆地から西へ。
広大な砂塵の壁が形成されつつある。
通常の局地的な砂嵐ではない。
地殻変動によって大量の粉塵が巻き上げられ、上空風と合流して急激に拡大している。
到達予測。
二時間十一分後。
第三波降下予定。
二時間後。
ほぼ同時だった。
「延期できる?」
湊が尋ねる。
「できます。しかし」
軍用AIが生命維持残存時間を表示した。
《アレス・プライム》。
主要生命維持系。
安全運用可能時間。
五日と七時間。
第三波を一周回分延期すれば。
約七時間遅れる。
さらに砂嵐の規模次第では。
次の降下機会そのものが。
一日以上失われる可能性があった。
神代の表情が険しくなる。
「待つ余裕はないですね」
「でも砂嵐の中に精密機器を降ろせば、着地点が大きくずれます」
白波が地図を確認する。
「採掘盆地から外れれば?」
「衝撃吸収条件を保証できません。最悪の場合、生命維持設備を失います」
艦橋が静かになる。
ここまで。
すべて順調だった。
宇宙港が消えても。
荷下ろし場を作った。
道路がなくても。
作った。
運搬車がなくても。
作った。
だが。
空そのものが荒れれば。
地上側だけではどうにもならない。
湊は砂嵐の予測図を眺めた。
しばらく。
何も言わない。
軍用AIは警戒しながら待つ。
やがて。
湊が尋ねた。
「火星の砂って」
「はい」
「何で飛んでるの?」
「風です」
「風は何で動く?」
「……」
軍用AIの表示灯が。
ゆっくり。
赤くなった。
「相良特務少佐」
「何?」
「お願いがあります」
「うん」
「今度こそ、火星そのものをどうにかしようとしないでください」
湊は少し驚いた顔をした。
「そんなことしないよ」
「本当ですか?」
「砂嵐全部を止めるのは無理でしょ」
軍用AIは。
心底安心した。
しかし。
次の言葉で。
すぐに後悔した。
「荷物が通るところだけ、風を止めればいい」
「結局やること大きいじゃないですかああああああああ!」
第三波降下まで。
あと。
一時間五十八分。
四十二万人の生命維持設備を乗せた貨物は。
今度は。
火星最大級の砂嵐へ。
向かおうとしていた。




