第41話 宇宙港がないので、火星に荷下ろし場を作ります
# 第41話 宇宙港がないので、火星に荷下ろし場を作ります
「火星は広いです! 着陸できそうな場所だけなら、いくらでもあります!」
「じゃあ大丈夫だ」
「何が大丈夫なんですかああああああああ!」
軍用AIの絶叫が《スウィフト》の艦橋に響いてから三分後、正面の大型画面には火星北半球の詳細地形図が広げられていた。
状況そのものは、ひどく単純だった。
九日後、地球から送り出した八百七十二トンの救難物資が火星へ到着する。その中には酸素循環設備、冷却系の交換部品、医薬品、非常用電源、掘削無人機など、《アレス・プライム》の四十二万人を生かすために欠かせないものが詰まっている。
ところが、その物資を受け取るはずだった地上宇宙港が、第二次大規模落盤によって消滅した。
滑走路だけではない。貨物搬入口も、誘導設備も、地下都市と宇宙港を結ぶ輸送路も失われている。周辺の代替着陸候補地まで地殻変動の影響を受けており、大型貨物艇を安全に降ろせる場所は残っていなかった。
物資は届く。
しかし、下ろせない。
湊はしばらく火星の地図を眺めたあと、ふと思いついたように口を開いた。
「船を着陸させなきゃいいんだよね?」
「……もう一度お願いします」
軍用AIの声が、嫌な予感を隠そうともせず低くなる。
「物資を届けたいだけなら、船まで地面に降ろす必要はないんじゃないかな。火星の周りまで来てもらって、荷物だけ下ろせばいい」
神代玲華がわずかに眉を上げ、白波凪沙は先行補給船団の軌道データへ視線を移した。久遠沙耶だけは返事をするより先に端末を操作し、貨物艇十二隻の仕様書を呼び出している。
軍用AIは数秒の沈黙のあと、渋々答えた。
「考え方としては間違っていません。第一高速補給船団を火星周回軌道へ投入し、船体を軌道上に残したまま貨物だけを分離することは可能です。ただし、相良特務少佐」
「うん」
「八百七十二トンあります」
「知ってる」
「宅配便ではありません!」
怒鳴られて、湊は少しだけ首を傾げた。
「でも荷物ではあるよね?」
「あなたがそういう認識だから怖いんです!」
白波が口元を押さえた。笑ってはいけない場面だと分かっているのだろうが、肩がほんの少し揺れている。
久遠は二人のやり取りを気にする様子もなく、貨物一覧を分類し始めた。
「全部を同じ方法で降下させる必要はありません。医薬品、酸素分離膜、精密制御器は衝撃に弱い。一方で、高圧配管や構造材、放射線遮蔽材、工兵資材は、ある程度の衝撃に耐えられます」
「壊れていい物もある?」
湊の問いに、白波が即座に首を振った。
「壊れていい物はありませんよ」
「そっか」
「どうして少し残念そうなんですか」
「壊れてよければ簡単だったから」
「簡単にしようとして救難物資を壊さないでください」
軽いやり取りを交わしながらも、画面上では着実に分類が進んでいく。
そして湊の視線が、ある項目で止まった。
掘削無人機、百六十機。
工兵用自動作業機、四十二機。
「これ、自分で動けるんだよね?」
「もちろんです。地表作業用ですから」
「じゃあ、都市のすぐ近くまで下ろさなくてもいいんじゃないかな」
その言葉を聞いた久遠が、火星北半球の地形を拡大した。
《アレス・プライム》周辺には巨大な亀裂が幾筋も走り、旧輸送路も複数箇所で途切れている。一方、都市から北東へ六十八キロ離れた場所には、地殻変動の影響が比較的小さい区域が残っていた。
旧第三資源採掘盆地。
四十年前まで大規模な露天採掘が行われていた場所で、現在は完全に閉鎖されている。
岩盤は安定しており、居住施設もない。何より、長年の採掘によって直径十一キロもの巨大な窪地が形成されていた。
「ここなら着地点が多少ずれても、人的被害が出る可能性はほぼありません」
久遠が候補地点を示すと、湊は画面を覗き込んだ。
「広いね」
「非常に広いです。大型貨物の分散降下にも向いています」
「じゃあ、ここを荷物置き場にしよう」
「話が早すぎます!」
軍用AIが割り込んできた。
「場所が決まっただけです! どうやって八百七十二トンを軌道から安全に下ろすつもりですか!」
言われて、湊は少し考える。
火星の大気は地球よりはるかに薄い。パラシュートだけでは、大型貨物を十分に減速できない。かといって精密な着陸装置を新しく作って地球から送っていたのでは、到底九日には間に合わない。
しばらく画面を見ていた湊は、貨物一覧の一角を指した。
「これ、使えない?」
「何ですか?」
「袋」
「袋?」
表示されていたのは、折り畳み式の大型資材袋だった。
本来は火星表面の砂――レゴリスを詰め込み、放射線遮蔽壁を構築するための資材である。軽量で、気密性があり、非常に丈夫だ。補給船団には大量に積み込まれている。
「膨らませて、機械を包む」
軍用AIが数秒黙った。
「……エアバッグ方式ですか?」
「たぶん、それ」
「今、初めて正式名称を知りましたね?」
「うん」
「堂々と言わないでください!」
久遠はすでに構造計算へ入っていた。
「方法としては成立します。ただし、衝撃吸収材だけでは減速が足りません。大気圏突入前に軌道速度の大部分を落とす必要があります」
そこで、白波が別の機体を画面へ呼び出す。
「あの推進試験艇は?」
地球から八百七十二トンの貨物を高速輸送するため、湊の発案で貨物艇と組み合わせた高出力推進試験艇が八隻、先行船団に組み込まれていた。
それを見た軍用AIの表示灯が、一瞬だけ消えた。
「……使えます」
「よかった」
「よくありません!」
湊が振り向くと、軍用AIは本気で怒っていた。
「前回の無茶を成立させるために追加した装備が、次の無茶まで成立させているんですよ! こういう成功体験を積み重ねないでください!」
「でも使えるなら使った方がいいよ」
「正論だから困るんです!」
結局、計画は急速に具体化していった。
推進試験艇が貨物カプセルを火星周回軌道から減速させ、大気圏へ投入する。一定高度で推進艇を切り離し、貨物側は姿勢制御スラスターを使用。最後の降下速度を膨張式衝撃吸収材で受け止める。
最初に落とすのは、多少の衝撃で壊れず、自力で起き上がれる掘削無人機と工兵用自動作業機だけだ。
久遠が何度も条件を変えて計算し、最終的な予測成功率を表示する。
「九十九・九六パーセントまで上げられます」
「じゃあ、これでいこう」
「決断が早い!」
「九日しかないから」
軍用AIは何か言い返そうとして、結局黙った。
それについてだけは反論できなかった。
◇
火星地下都市。
中央救難司令所では、エレナ・フォーク大佐が地球側から送られてきた計画書を三度読み直していた。
「第一高速補給船団は火星周回軌道に残留。船体そのものは着陸させず、貨物のみを旧第三資源採掘盆地へ降下……」
そこまでは理解できる。
問題は、その先だった。
「第一波として掘削無人機と工兵作業機を先行投入。着地後、無人機自身が第二波以降の貨物を受け入れる荷下ろし場を造成……?」
エレナは文章から顔を上げた。
「つまり、荷下ろし場がないから」
「はい」
隣にいた通信士が答える。
「荷下ろし場を作る機械を最初に下ろすそうです」
「その機械は普通に着陸できるのか?」
「できません」
「……できない?」
「掘削機ですので」
しばらく沈黙したあと、エレナは眉間を揉んだ。
「相良特務少佐か?」
「相良特務少佐です」
「そうだろうな」
妙な納得だけはあった。
月面都市でも、移民船団でも、小惑星採掘都市でも、あの男は「今あるもの」でどうにかしてきたらしい。
そして今回も、新しい宇宙港を作るのではない。
宇宙港そのものを必要としない方法を考え始めている。
「それで、採掘盆地からここまで六十八キロあるが?」
「その件についても追加計画が来ています」
「聞きたくない気がするが、読んでくれ」
通信士は一瞬ためらってから、届いたばかりの文章を読み上げた。
「『先行降下した掘削無人機百六十機および工兵用自動作業機四十二機を使用し、緊急輸送路を造成する』」
エレナは目を閉じた。
「荷物として届いた掘削機に、荷物を運ぶ道路まで作らせるのか」
「そういうことになります」
「完成予定は?」
「十四時間です」
「……早いな」
「私もそこに一番驚きました」
◇
《スウィフト》の艦橋でも、ちょうど同じ十四時間という数字が表示されていた。
「六十八キロですよ!」
軍用AIが訴える。
「旧輸送路は途中で何度も崩落していますし、地表には亀裂もあります。荷下ろしに成功しても、《アレス・プライム》まで物資を運べなければ意味がありません!」
「だから掘削機を最初に下ろすんでしょ?」
「そういう目的で積んだ機械ではありますが!」
「なら、道がなければ作ってもらえばいい」
湊はごく普通のことを言うように答えた。
久遠が掘削無人機百六十機と工兵用自動作業機四十二機の稼働能力を合算し、作業ルートを引いていく。完全な道路を造る必要はない。大型輸送車が低速で通行できればいいのだから、亀裂を迂回し、段差を削り、危険地帯だけ簡易橋梁で越えればよい。
「同時作業なら、およそ十四時間です」
「ほら」
「『ほら』じゃありません!」
軍用AIの悲鳴に、神代が苦笑した。
「ですが、現実的ではあります。宇宙港を新設するより遥かに早い」
「第一波の無人機が第二波の受け入れ準備をし、その後は都市までの輸送も担う。補給物資そのものに受け入れ態勢を作らせるわけですね」
白波も感心したように頷く。
軍用AIだけが納得していない。
「最近、皆さんが相良特務少佐側へ回るのが早すぎませんか?」
「成功率が出てるから」
「あなたは黙っていてください!」
◇
地球の相良家でも、火星救難のニュースが流れていた。
『続いて、火星地下都市の大規模災害についてです。地殻変動によって宇宙港が完全に失われたことを受け、第一特別救難補給隊は先行する八百七十二トンの救難物資について、新たな輸送計画を発表しました』
明里は食卓で手を止め、画面を見た。
隣では修一も同じニュースを眺めている。
「湊はまだ火星へ向かってる途中なんだよな?」
「そう聞いてるけど」
「じゃあ今回はさすがに、何もしてないだろ」
修一がそう言った直後、ニュース画面に計画責任者の名前が表示された。
『計画立案責任者は、第一特別救難補給隊の相良湊特務少佐です』
夫婦そろって黙った。
『救難物資を積載した船体は火星周回軌道へ残し、貨物のみを旧採掘盆地へ降下させます。さらに先行投入される掘削無人機を用いて、六十八キロ離れた《アレス・プライム》までの緊急輸送路を造成する予定です』
修一はゆっくり両手で顔を覆った。
「……まだ火星にも着いてないんだよな?」
「うん」
「何で火星に道路作ってるんだ」
「補給するためじゃない?」
明里が自然に答える。
修一は両手の隙間から妻を見た。
「お前まで湊みたいなこと言い始めたぞ」
◇
計画はまとまった。
第一波で自走可能な無人機と工兵作業機を降下させる。
それらが採掘盆地を整地し、後続貨物を受け入れる。第二波で電源と通信設備、第三波で生命維持関連設備、最後に最も衝撃へ弱い医薬品と精密機器を下ろす。
同時に、無人機群は《アレス・プライム》へ向けて六十八キロの緊急輸送路を造成する。
宇宙港はない。
だから、宇宙港を使わない。
道路もない。
だから、最初に届けた機械に作らせる。
湊にとっては、それだけの話だった。
「相良特務少佐」
軍用AIが疲れ切った声で呼びかけた。
「何?」
「最後に確認しますが、今回は火星そのものを改造したりしませんね?」
「しないよ」
軍用AIの表示灯が、ほんの少し落ち着いた。
「荷物を置く場所を整えるだけだから」
「それを規模によっては惑星開発と言うんです!」
「でも穴は元からあるよ?」
「そういう問題ではありません!」
そのとき、艦橋へ新しい通知音が響いた。
先行高速補給船団の自動航法AIから、火星到着時刻と降下計画の再計算が届いたらしい。
久遠が内容を確認する。
「降下計画、実行可能判定です」
「よかった」
「ただし、追加確認事項があります」
大型画面へ一行の警告が現れた。
《第一降下予定地点に大型移動物体を複数検出》
神代の表情が変わる。
「旧採掘盆地は無人区域では?」
「そのはずです」
軍用AIが火星周回観測衛星の映像を呼び出した。
赤褐色の砂に覆われた巨大な採掘盆地。その中央付近で、何かが動いている。
一つではなかった。
二つ、十、五十。
解析範囲が広がるにつれて数は増え続け、最終的に百八十七の反応が表示された。
砂塵の中を進んでいたのは、人間ではない。
大型採掘車。
鉱石運搬車。
旧式掘削機。
四十年前、採掘場の閉鎖とともに置き去りにされた無人重機群だった。
「四十年間停止状態にあった機械です」
軍用AIの声から、先ほどまでの騒がしさが消える。
久遠が身を乗り出した。
「なぜ今になって再起動を?」
「確認します」
旧採掘場の管理記録が引き出される。
管理AIは、完全には死んでいなかった。
最低限の監視機能だけを維持したまま、四十年間、赤い砂の下で眠っていたのだ。
そして数時間前。
《アレス・プライム》から発信された大規模災害救難信号を受信していた。
軍用AIが、管理AIに最後に残されていた命令を読み上げる。
「『都市に重大災害が発生した場合、保有機材を救難活動へ転用せよ』」
艦橋が静かになった。
四十年前に採掘場を去った誰かが、いつか起こるかもしれない災害のために残した命令。
それを機械たちは、忘れていなかった。
整備する者もいない。
動かす者もいない。
名前を呼ぶ者さえいないまま、四十年間待ち続けて。
救難信号が届いた瞬間。
百八十七機すべてが、自分たちの役目を思い出した。
古びた車輪が火星の砂を踏みしめ、巨大な履帯が赤い地表に新しい跡を刻んでいく。
進行方向は一つ。
六十八キロ先の《アレス・プライム》。
その映像をしばらく見ていた湊が、ほんの少しだけ笑った。
「先にいたんだ」
「何がですか?」
「補給隊」
軍用AIは、すぐには答えなかった。
補給隊と呼ぶには古すぎる機械たちだった。武器もなければ、華々しい救難装備もない。ただ掘り、運び、道を作るためだけに作られた重機だ。
けれど四十年前に託された命令を守り、助けを求める都市へ向かっている。
それなら。
湊の言う通りなのかもしれない。
「……そうですね」
軍用AIが、珍しく素直に答えた。
九日後。
地球から飛んでくる二百機以上の無人機と、火星で四十年間眠っていた百八十七機の古い重機が、同じ赤い大地で合流する。
宇宙港はもうない。
けれど、荷物を待つ人々はいる。
道がなければ作ればいい。
受け取る者がいなければ、先に送り込んだ機械が受け取ればいい。
そして、誰かが四十年前に残した「助けに行け」という命令まで、今になってその列へ加わった。
史上最大の火星荷下ろし作業は、地球から届いた物資だけで始まるのではなかった。
ずっと昔から。
火星の側でも、準備されていたのである。




