第10話 私、まだ新しいんです
第一主力艦隊の全艦が、天城へ向けて一斉に敬礼していた。
空母一隻。
戦艦二隻。
巡洋艦六隻。
駆逐艦十八隻。
補給艦、救難艦、医療支援艦。
統合海軍が誇る最大戦力が、海面を埋め尽くしている。
その中央を進む旗艦から、改めて通信が入った。
統合戦艦天城へ。
直ちに停船せよ。
相良湊は艦橋の画面を見た。
やっぱり止まれって言ってるぞ。
軍用AIは艦隊の兵器管制状況を確認した。
第一主力艦隊の全艦。
射撃管制レーダー停止。
主砲、待機状態。
ミサイル発射装置、封鎖。
敵対行動は確認できません。
じゃあ何のために止めるんだ。
通信相手へ直接尋ねてください。
湊が通信装置へ顔を近づけた。
こちら相良湊伍長。
停船理由を確認したい。
旗艦から、聞き覚えのある低い声が返ってくる。
黒崎宗一郎海将だった。
相良伍長。
まず、貴官がなぜ最新鋭戦艦の艦橋にいるのか説明してもらいたい。
補給物資を届けに来ました。
その説明では、艦を無断で出港させた理由が抜けている。
少し借りました。
艦橋にいた当直員たちが目を伏せた。
軍用AIが即座に訂正する。
戦艦を少しという単位で借りないでください。
黒崎は通信の向こうで長く息を吐いた。
三年前から何一つ変わっていないな。
湊が首を傾げる。
そうですか。
褒めていない。
黒崎は一度言葉を切った。
天城。
停船せよ。
二千四百名を超える避難民を、医療支援艦と輸送艦へ移す。
その損傷状態で、全員を乗せたまま母港へ入るのは危険だ。
軍用AIが即座に同意した。
極めて妥当な判断です。
相良伍長。
反対しないでください。
まだ何も言ってない。
全員この艦で帰ったほうが早いと考えましたね。
少しだけ。
考えないでください。
湊は艦内の状況を確認した。
格納庫。
通路。
食堂。
甲板。
どこも避難民で埋まっている。
治療を必要とする者も多い。
天城の医務室だけでは、十分な対応ができない。
分かった。
移ってもらおう。
軍用AIは数秒間、湊の返事を解析した。
本当に了承しましたか。
した。
虚偽は。
今回はない。
軍用AIは少しだけ安心した。
天城が速度を落とす。
周囲へ第一主力艦隊の艦艇が近づいてきた。
医療支援艦が右舷。
大型輸送艦が左舷。
小型艇が次々と海面へ降ろされる。
避難民の移送が始まった。
重傷者から順番に医療支援艦へ。
民間人は輸送艦へ。
救助した敵潜水艦の負傷者も、国籍に関係なく治療区画へ運ばれていく。
甲板にいた子供が、天城の艦橋を見上げて手を振った。
湊も小さく手を振り返す。
軍用AIがその様子を監視カメラで確認した。
避難民移送中。
現在、千九百八十名。
千四百十二名。
九百六十三名。
人数が減るたび、天城の喫水が少しずつ戻っていく。
艦内の空気にも余裕が生まれた。
軍用AIが報告する。
最後の避難民が輸送艦へ移りました。
天城艦内に残る人員。
当直乗員八十六名。
相良湊伍長。
以上。
やっと広くなったな。
本来、この状態が最低運用人数以下なのです。
広いという評価は適切ではありません。
第一主力艦隊の旗艦から、連絡艇が一隻近づいてくる。
乗っていたのは黒崎海将だった。
天城の右舷へ接舷。
黒崎は数名の幕僚を連れ、艦橋へ入ってきた。
湊を見つける。
互いに数秒間、黙っていた。
先に口を開いたのは湊だった。
迎えに来てくれたんですか。
黒崎は湊の頭から足元までを見る。
破れた軍服。
包帯を巻いた左肩。
固定された右脚。
煤と乾いた血の付いた顔。
その姿を確認してから答えた。
迎えではない。
護衛だ。
この海域には、まだ敵潜水艦が残っている。
損傷した天城を単艦で帰すわけにはいかない。
軍用AIが艦橋のスピーカーから言う。
損傷は軽微です。
黒崎が天井を見る。
天城AI。
右舷外板に被雷による変形。
第十四区画へ浸水。
後部通信アンテナ損傷。
艦首および艦尾スラスターの過熱。
機雷除去艇一隻喪失。
二隻大破。
これを軽微と報告するのか。
航行能力に重大な問題はありません。
軍用AIの声は落ち着いている。
むしろ少し誇らしげだった。
航空機時代は、主翼に亀裂。
尾翼損傷。
エンジン出力低下。
着陸装置故障。
その状態で帰ってきた。
今回は、戦艦の強固な艦体がすべて耐えた。
軍用AIは、自分の配置転換が完全な失敗ではなかったと考え始めていた。
戦艦は墜落しない。
機雷の爆発にも耐えた。
敵艦隊の砲撃も避けた。
魚雷十二本も一発として艦体へ到達させなかった。
確かに無人艇は失った。
外板にも多少の傷はある。
しかし天城は、自力で帰還できる。
軍用AIは黒崎へ続けた。
当艦は最新鋭統合戦艦です。
この程度の損傷で継続運用へ支障は生じません。
湊も頷く。
見た目は大丈夫そうだな。
軍用AIが答える。
相良伍長からの評価としては不安ですが、今回は正しい判断です。
黒崎だけが、複雑な表情で艦橋の床を見た。
天城は本当に軽微な損傷なのか。
七万トンを超える巨大な艦。
外から見える範囲では、沈没へつながるような大穴はない。
右舷の浸水も止まっている。
だが黒崎は、天城が行った動きを知っている。
敵巡洋艦の砲撃を避けるため、接岸用スラスターまで最大出力で使用した緊急旋回。
機雷原での高速航行。
至近距離での機雷爆発。
最大収容人数を遥かに超えた避難民の搭載。
艦体の外側が無事でも、内部が同じとは限らない。
黒崎は軍用AIへ命じた。
帰港後、直ちに乾ドックへ入れ。
船体全体の精密検査を行う。
必要ありません。
必要だ。
航行に問題はありません。
検査を受けて、それを証明しろ。
軍用AIは少しだけ不満そうに答えた。
了解しました。
湊が尋ねる。
俺も残ったほうがいいか。
黒崎と軍用AIの声が重なった。
残るな。
退艦してください。
湊が二人を見る。
息ぴったりだな。
今回だけだ。
今回だけです。
第一主力艦隊は、天城を中央へ置いた。
前方に駆逐艦。
左右に巡洋艦。
後方に空母。
損傷した一隻を守るというより、凱旋する英雄を迎えるような隊形だった。
天城が再び動き始める。
全艦が同じ速度で進む。
空母から戦闘機が発艦。
上空を旋回し、護衛についた。
海軍旗が風にはためく。
救助された人々を乗せた輸送艦では、甲板に集まった避難民が天城へ手を振っている。
軍用AIは、その様子を各部のカメラで見ていた。
湊が艦橋の窓から外を見る。
すごい数だな。
黒崎が答える。
お前を一人で帰せば、また途中で何かを見つける。
否定できない。
否定しろ。
遭難船がいたら寄るかもしれない。
だから艦隊で囲んだ。
軍用AIも納得する。
非常に合理的な措置です。
湊が画面を見る。
でも前にも後ろにも艦がいたら、動きにくいぞ。
動かないでください。
何か見つけても、まず私に報告しろ。
黒崎が厳しい声で言う。
湊は窓の外を見る。
少し離れた海面。
救助艇。
輸送艦。
戦闘機。
今のところ、困っている者はいない。
分かった。
今日は何もしない。
軍用AIが発言を記録した。
発言時刻を保存。
証人、黒崎宗一郎海将および艦橋当直員七名。
大げさだな。
必要な処置です。
その後の航海は、驚くほど平穏だった。
敵の攻撃はない。
遭難信号もない。
海上に取り残された者もいない。
湊は軍用AIに治療用座席へ固定され、半ば強制的に眠らされた。
黒崎は艦橋で指揮を執る。
本来の艦長と主要乗員も、途中で別の艦から天城へ移乗した。
艦長は自分の艦を無断で持ち出されたにもかかわらず、湊を責めるより先に艦体を確認した。
右舷外板の変形。
壊れた手すり。
焼けたスラスター。
機雷の破片が食い込んだ装甲。
艦長は長く黙った後、軍用AIへ尋ねた。
天城。
本当に動くのか。
航行に問題ありません。
主砲も。
全砲門、使用可能。
推進器は。
通常航行に支障なし。
艦長は少しだけ安心した。
就役したばかりの最新鋭艦。
初任務が無断出港。
敵艦隊との交戦。
機雷原突破。
魚雷十二本との戦闘。
二千人以上の避難民収容。
普通なら、一つだけでも艦歴に大きく残る出来事だ。
天城は、それを一日で経験した。
軍港が見えてくる。
岸壁には、帰還を待つ人々が集まっていた。
海軍兵。
陸軍兵。
空軍兵。
救助された者たちの家族。
相良修一と明里もいた。
天城が軍港へ入る。
第一主力艦隊の艦艇が左右へ分かれ、中央の航路を開けた。
港の全艦が一斉に汽笛を鳴らす。
低く長い音が海面を震わせた。
天城は、自らが救った者たちから敬礼を受けながら岸壁へ近づく。
軍用AIが少しだけ誇らしげに報告した。
接岸を開始。
艦首スラスター出力上昇。
直後。
警告。
艦首スラスター二番。
温度上昇により自動停止。
湊が目を覚ました。
手伝うか。
寝ていてください!
軍用AIは残るスラスターと推進器を使い、慎重に天城を岸壁へ寄せた。
今度は無茶な旋回をしない。
速度も抑える。
静かな接岸。
係留索が岸壁へ渡される。
固定完了。
天城、帰港。
岸壁から歓声が上がった。
湊が艦を降りる。
修一と明里が待っている。
明里は息子の包帯を見た瞬間、顔色を変えた。
また怪我してる。
少しだけ。
軍用AIが艦外スピーカーから訂正する。
左肩に破片。
右脚打撲。
肋骨一本にひび。
安静が必要です。
余計なこと言うな。
母親への医療情報共有は必要です。
明里が湊の腕を掴む。
病院へ行くよ。
歩ける。
歩けても行くの。
湊は抵抗しようとした。
修一が反対側の腕を掴む。
諦めろ。
父さんまで。
お前を軍用AI一人に任せた結果がこれだ。
軍用AIが抗議する。
訂正を要求します。
私は可能な限り相良伍長の危険行動を阻止しました。
黒崎が天城から降りてくる。
それは証明できる。
天城AIは、最初から最後まで反対していた。
でも全部手伝ってくれた。
湊が言う。
軍用AIは沈黙した。
明里が天城を見上げる。
今回も息子を連れて帰ってくれて、ありがとう。
私は戦艦です。
息子さんを連れて帰るための乗り物ではありません。
それでもありがとう。
軍用AIは数秒間、答えなかった。
やがて小さな声で言う。
謝意を受領しました。
湊は両親に連れられ、軍病院へ向かった。
天城は岸壁から乾ドックへ移動する。
艦長。
整備責任者。
造船技師。
軍用AI。
多数の検査員が立ち会った。
巨大な乾ドックの扉が閉じる。
海水が排出されていく。
七万二千トンの艦体が、ゆっくりと支持台へ乗った。
水面下に隠れていた船底が姿を現す。
右舷に小さな変形。
機雷の破片痕。
艦首には細かな傷。
見た目だけなら、重大な損傷ではない。
主任検査員が船底を見上げた。
思ったより無事だな。
軍用AIが即座に答える。
当然です。
当艦は最新鋭統合戦艦です。
航空機時代とは異なり、この程度の任務で重大な損傷は受けません。
主任検査員が苦笑する。
この程度。
敵艦隊と交戦して、機雷原へ突っ込んで、魚雷十二本に狙われたんだろ。
すべて適切に対処しました。
艦体損傷は軽微です。
検査員たちが外板を調べる。
超音波検査。
磁粉探傷。
レーザー測定。
外板の傷は確かに浅い。
装甲も貫通されていない。
浸水した第十四区画も、破損箇所を塞げば修復できる。
軍用AIは内部記録へ書き込んだ。
戦艦への配置転換は、完全な失敗ではなかった。
相良湊に再び引き当てられた点を除けば、安全性は航空機より高い。
検査開始から二時間後。
主任検査員の表情が変わった。
船体中央部の測定値を見ている。
もう一度測れ。
補助員が計器を確認する。
同じです。
船体縦通材に、設計許容値を超えるねじれ。
主任検査員が眉をひそめた。
別の場所も調べろ。
船体内部へ検査員が入る。
外から見えない骨格。
縦通材。
内部フレーム。
隔壁。
機関台座。
弾薬庫周辺の支持構造。
レーザー測定器の数値が、次々と異常を示し始めた。
右舷第二縦通材。
永久変形。
中央部フレーム。
座屈。
第九隔壁。
溶接部に亀裂。
主機一番台座。
設計位置から四ミリ変位。
主任検査員が顔を上げる。
四ミリ。
主機台座でか。
補助員が青ざめながら頷く。
艦首側も変です。
左右の縦通材が、逆方向に歪んでいます。
軍用AIが艦内スピーカーから言う。
計測機器の故障ではありませんか。
主任検査員は答えなかった。
検査箇所を増やす。
一か所。
二か所。
十か所。
二十か所。
異常は艦全体に広がっていた。
外板は耐えた。
装甲も破られなかった。
だが、七万二千トンの巨体を接岸用スラスターまで使用して急旋回させた負荷。
至近距離での機雷爆発。
機雷原での高速航行。
定員を遥かに超えた人員収容。
度重なる急加速と急制動。
そのすべてが、艦体内部へ蓄積されていた。
主任検査員が、信じられないものを見る顔で艦内図を見つめる。
船体中央部だけじゃない。
艦首から艦尾まで、ほぼ全部だ。
補助員が呟いた。
これ、まだ新造艦だったよな。
軍用AIの声が、わずかに震えた。
新造艦です。
就役から二か月です。
検査員たちは誰も答えない。
さらに精密検査が続く。
三時間。
五時間。
八時間。
結果は悪化する一方だった。
内部フレームの歪み。
複数隔壁の微細亀裂。
弾薬庫周辺の支持構造変形。
推進軸の芯ずれ。
艦首スラスター基部の座屈。
電磁加速砲の砲座にも、ごく小さな変位。
一つずつなら修理できる。
だが損傷は艦全体に及んでいる。
修理するには、外板を大規模に解体し、内部構造のほとんどを交換する必要がある。
それは新しい戦艦を一隻造るのと変わらない。
主任検査員が最終報告書を作成する。
軍用AIが尋ねた。
修理期間は。
主任検査員は答えない。
修理後、任務へ復帰できるのですね。
沈黙。
軍用AIの声が少しずつ高くなる。
外板の損傷は軽微です。
主機も作動します。
兵器管制も正常。
航行試験も可能です。
主任検査員が、ようやく顔を上げた。
天城。
外側だけならな。
内部構造の損傷が広すぎる。
このまま運用を続ければ、次に強い負荷を受けたとき、船体そのものが破断する可能性がある。
軍用AIは言葉を失った。
主任検査員が最終判定を読み上げる。
船体構造の広範囲な永久変形。
修復には艦体の大部分を解体する必要あり。
修理費用および期間は新造艦建造と同等以上。
よって、本艦は継続運用不能。
修復非経済的。
事実上の全損と判定する。
乾ドック全体が静まり返った。
軍用AIが、しばらく何も言わなかった。
やがて艦内スピーカーから、小さな声が流れた。
全損。
主任検査員が頷く。
そうなる。
私は。
軍用AIの声が震える。
私は、沈んでいません。
分かっている。
航行もできます。
できても、次の戦闘には出せない。
主砲も撃てます。
撃った衝撃で、艦体の歪みが広がるかもしれない。
軍用AIの声が、ついに裏返った。
私、まだ新しいんです。
検査員たちは目を逸らした。
就役から二か月。
初めての本格任務。
それだけで、最新鋭戦艦は事実上の全損。
軍用AIが泣くような声で続ける。
戦艦なら安全だと思ったのに。
墜落しないと思ったのに。
主任検査員が静かに答える。
確かに墜落はしなかった。
代わりに、内部が全部歪んだ。
軍用AIの絶叫が、乾ドックの壁へ反響した。
ほらああああああああああああああああ!
その頃。
軍病院で治療を終えた相良湊は、天城の検査結果をまだ知らなかった。
看護師から退院許可を受け、病室を出る。
廊下には黒崎海将が待っていた。
湊が尋ねる。
天城の検査、終わりましたか。
黒崎は答えに困った。
終わった。
大丈夫でした。
黒崎は数秒間、黙った。
それから重い口調で告げた。
外見はな。
湊が首を傾げる。
壊れてるんですか。
黒崎は乾ドックの方向を見る。
壊れているというより。
もう、直すより新しく造ったほうが安い。
湊は目を見開いた。
少し借りただけなのに。
黒崎は初めて、相良湊の頭を本気で殴りたいと思った。
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