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テケテケの足|異常観測記録ファイル NINE 01  作者: 苔葉


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第四章 六キロ先の約束

テケテケの話は、全国にある。

ところが、女が現れるという踏切は、調べるたびに場所が変わる。

事故が起きた場所だという説明はついていても、年代も、亡くなった人物も一致しない。

噂だけが、各地の踏切に住みついている。


全部を信じるなら、女はずいぶん広い範囲を這い回っていることになる。


「日本で最も忙しい女かもな」


呟いて、パソコンの地図へ目を戻す。

どこの踏切でも呼べる、という証拠はない。

ただ、特定の場所でなければならない理由も、読んだ資料からは見つからなかった。

それなら、少なくともこちらが道を選べる場所にしたい。


目をつけたのは、町の南側、古い住宅街と倉庫街の境にある踏切だ。

昨夜、下半身だけのものを撮影した施設まで、道路沿いに六・二キロ。

途中で川や線路を渡らずに済み、曲がる箇所も少ない。

画面の隅には、徒歩一時間二十分と表示されている。


地図は親切だ。所要時間まで教えてくれる。

ただし、後ろから何かに追われた場合は、自分で考えなければならない。

機材を担いで、それ以上歩いたことならある。

昼間の道を自分の歩調で進むなら、どうにかなりそうな距離だった。


俺は地図の隣に開いた資料へ目を移した。

夜中の踏切で、石を使ってレールを叩く。

そして、「足を返す」と三回唱える。

それを聞いた女が現れるという。


名前を呼ぶ方法や、決まった時刻に踏切を渡る方法もあったが、この手順だけは読み流せなかった。

昨夜、駐車場で試したものとよく似ている。

石で叩き、同じ言葉を三回繰り返す。


あちらは「迎えに来た」。こちらは「足を返す」。

誰かが一方の怪談を真似て、もう一方を作っただけかもしれない。

それでも、二つを並べてみると、どちらも呼び出す側が相手に何かを約束する言葉だった。


机の上には、昨夜の映像から切り出した静止画がある。

塞がれた窓を背に、二本の足が立っている。

身体が続いているはずの場所には何もなく、背後の壁や駐車場の白線が見えていた。


映像を再生すると、足がこちらへ向き直る。

一歩近づき、俺が後ずさると、それ以上は来なかった。

しばらく向き合ったあと、また建物の奥へ戻っていく。


何度見ても、来た理由も、戻った理由も分からない。

それなのに、こちらを向いて止まるたび、再生を止めるのをためらった。

まだ続きを待たれているような、落ち着かなさが残る。


上半身を連れていけば、何かが変わるのではないか。

そこまで考えて、椅子の背にもたれた。

足が見つかった。持ち主を呼ぶ方法もある。

あとは引き合わせればいい。


ずいぶん都合のいい筋書きだ。同じ身体の一部だという証拠もないのに、俺はもう、二つが再会する場面まで想像している。

しかも、上半身の方は人を襲うという。

追いつかれれば足を奪われる。腰から身体を切られる。

細部の違う話でも、そこだけはよく似ていた。


机の下で足を動かすと、靴先が椅子の脚に当たった。

昨夜は、一歩近づかれただけで後ずさった。

画面を見ながら考えている今の俺より、あの時の俺の方が、よほど相手との距離を分かっていた気がする。


*


午後、候補の踏切へ車を走らせた。

近くの時間貸し駐車場に車を置き、カメラを持って線路沿いを歩く。

低い住宅の屋根の向こうを電車が通り、しばらくして遮断機が上がると、待っていた軽トラックが一台、線路を越えていった。


あとは静かだった。

黄色と黒の遮断機に、古い街灯。向こう側には、シャッターを下ろした倉庫が並んでいる。

どこにでもありそうな踏切で、昼間の光の中では、女が這い出してくるところなど想像しづらい。


全景を撮り、道路の幅や周囲の足元を確かめる。

列車が近づく音も、どのくらい前から聞こえるのか注意しておいた。

怪異を呼ぶ前に列車と出会っては、取材どころではない。


施設へ向かう道は、線路を渡らず、今いる側から北へ延びている。

住宅街を抜け、大通りの交差点を一度曲がれば、倉庫街を通って町外れへ出る。

短い経路もあったが、細い路地や見通しの悪い角が多く、少し遠回りでも、先の見える方を選んだ。


車を使うことも考えた。

だが、場所を伝える前に走り去れば、女がついてくるとは限らない。

追ってきたとしても、後ろばかり見ながら運転するわけにはいかないし、見失ってから車を降りることを考えると、あまり乗り気にはなれなかった。


俺が試したいのは、足のある場所を伝え、そこまで案内することだ。

言葉に反応して現れるのなら、その後の説明にも、何か反応があるかもしれない。

昨夜の足は、少なくとも呼びかけたあとに出てきた。

そこから先まで期待できる根拠はないが、今のところ、ほかに頼れるものもない。


近くを歩いていれば、話しかけることはできる。

その代わり、襲われれば、自分の足で逃げなければならない。

六キロを走り切れるはずもなかった。

途中で姿を隠せる場所と、そこから抜けられる道くらいは見ておきたい。


地図を開き、施設へ向かって歩き始めた。


*


初めの一キロほどは、古い住宅と小さな商店が続いていた。

自転車の老人が追い越していき、開いた窓から掃除機の音が聞こえる。

昼間なら、何かあれば声をかけられそうな場所だ。

ただ、夜も同じように人がいるとは限らない。


店の営業時間と街灯の位置を確かめながら進むうちに、家々の間隔が広がり、倉庫と空き地が目立ち始める。

二キロを過ぎた辺りで、歩道が途切れた。

道の端には砂が溜まり、側溝の蓋がところどころ沈んでいる。

車で通れば気にも留めない段差に靴先を引っかけ、俺は足を止めた。


ここを暗い中で走るのか。

振り返ると、道は緩く曲がり、さっきまで見えていた住宅は倉庫の陰に隠れている。

次の角まで街灯もない。


試しに走ってみた。

数十メートルでバッグが脇腹を叩き始め、手で押さえると腕が振れなくなる。

肩紐を掴み直すうちに息が上がり、結局、道の端で立ち止まった。


「……向こうの速さを調べる前に、こっちの遅さが分かったな」


肩紐を短くして、呼吸が落ち着くのを待つ。

機材を担いで山道を歩くことと、後ろを気にしながら走ることは違う。

足元を見るだけで精いっぱいになれば、女がどこにいるのかも分からなくなる。


その先では、道路脇の塀が折れ曲がった陰と、資材置き場の金属製の囲いを確かめた。

塀の裏は身を隠せそうだが、奥が狭い。

囲いの方は、向こう側にも出口がある。


地図に印をつけ、写真を撮る。

カメラを構えていると、いつの間にか、そこで息を殺している自分を想像していた。

囲いの向こうから、手のひらで地面を打つ音が近づいてくる。

足元に落としたライトが、点いたまま転がっている。


まだ聞いたこともない音まで、頭の中でははっきりしていた。

写真を確認し、その場を離れる。

施設に着く頃には西日が傾き、駐車場の半分が建物の影に入っていた。

薄れた白線も、塞がれた窓も、昨夜と同じ場所にある。


入口で立ち止まると、足の裏にじんわりと痛みを感じた。

歩くだけなら、確かに来られる。

だが、ここへ無事に着いたことが、今夜の役にどれほど立つのかは分からなかった。

駐車場の奥へカメラを向け、少し待ってみたが、風が雑草を揺らすばかりで、靴音は聞こえない。


帰りも同じ道を歩き、車を回収した。

事務所に戻る頃には、地図を見なくても曲がり角が浮かぶようになっていた。

歩いた距離は、足の裏にも十分残っている。


*


机に地図を広げ、下見で分かったことを書き込んでいく。

暗い区間。足元の悪い場所。塀の陰と、囲いの出口。

印が増えるほど、準備が進んでいる気になる。

何も知らずに歩くよりはいい。ただ、女が噂どおりの速さで来るなら、隠れ場所に着く前に追いつかれるかもしれない。


そもそも、俺の説明を聞いてくれるという前提が怪しかった。

メモ帳の中央には、「足を返す」と書いてある。

その言葉で呼んでおいて、施設にいるのが別の足だったらどうする。

同じ身体の一部でも、元に戻せなかったら。


「返却窓口は、俺か」


ペンを置く。

女にしてみれば、返すと言った人間が目の前にいる。

それなのに何も持っておらず、六キロ先にあるから歩いてこいと説明するのだ。


窓口に座った経験はないが、苦情を言いたくなる気持ちくらいは分かる。

やめるなら、まだやめられる。

下半身だけのものを撮った映像はある。

公開するかどうかは別として、NINEの記録に残し、ここで取材を終えることもできる。

続きを頼んだ者はいないし、俺が上半身を探していることを、あの足が知っているわけでもない。


カメラを手に取り、昨夜の映像を再生した。

足が進み、止まる。向きを変え、また歩く。

行き先を決めかねているように見えるのは、俺がそう見たいからだろうか。

困っている相手だと思えば、危ないことをする理由ができる。

俺自身が気になっているだけのことを、相手のためだと言い換えようとしていないか。


映像を止めると、こちらを向いた二本の足が画面に残った。

昨夜、「迎えに来た」と言ったのは俺だ。

だから何かをしてやらなければならない、というのも、俺が勝手につけた意味かもしれない。

それでも、呼びかけたあとに何が出てきたのかを、撮れたというだけで分かったことにはできなかった。


俺は映像をもう一度、最初から再生した。


*


その夜に備え、持っていく機材を減らすことにした。

三脚と交換レンズを棚へ戻し、片手で扱えるカメラ、小型ライト、録音機を机に並べる。

予備の電池と水を一本加え、バッグへ収めて肩にかけてみた。


身体に寄せて固定すると、昼間ほどは揺れない。

何歩か動いて確かめ、余った紐を留める。

靴も履き替えた。軽く、履き慣れていて、踵の減っていない方を選ぶ。

底を確かめ、紐を結び直しているうちに、ずいぶん長く足元を見ていることに気づいた。


「……頼むぞ。今日はお前らが頼りだ」


靴に言ったのか、足に言ったのか。

どちらにも頑張ってもらわなければ困る。

準備を終え、机にカメラを置いて録画を始める。

自分の顔は入れず、地図の二つの地点を指で示した。


「NINE、取材記録。昨夜、閉鎖施設の駐車場で下半身だけの存在を確認。今夜は踏切で上半身の呼び出しを試し、現れた場合は、足を見た場所を伝える」


地図に引いた六・二キロの経路を辿る。


「両者が同じ身体なのかは不明。言葉が通じるかも分からない。こちらの説明に反応がなければ、案内は断念する」


そこで、言葉が止まった。

断念すれば帰れる。

自分で決めていいのは、そこまでではないかもしれないのに、ずいぶん落ち着いた口ぶりで話していた。


「……予定は、以上。相手の予定は聞けてない」


録画を止め、カメラをバッグへ収める。


*


照明を消すと、部屋の隅の機材が窓明かりの中に沈んだ。

充電器から外したケーブルが、机の端に垂れている。

片づけようかと手を伸ばしかけ、戻ってからでいいと思い直した。


扉を閉めて鍵をかけ、階段を下りる。

靴底が硬い段を叩く音が、一段ごとに耳へ残った。

昨夜の駐車場でも、あの足は、こんなふうに重さのある音を立てていた。


足首が曲がり、靴底が地面を押す。

その動きだけなら、人間と変わらない。

腰から上に何もないのを見ても、音は最後まで、誰かが歩いている音だった。


外へ出ると、車道を走る車のヘッドライトが足元を横切った。

車に乗り込み、助手席に地図を置く。

車内灯の下で、下見の印が見えた。

踏切から暗い道へ、塀の陰と囲いの出口を通り、施設の駐車場まで。


その線を、指で一度だけ辿った。

逃げる準備ばかりしていたが、女が現れたら、まず足の場所を伝えなければならない。

そのために行くのだ。昨夜のように、後ずさってから言葉を探していては、間に合わないかもしれない。


エンジンをかけると、助手席の地図がかすかに震えた。

俺は車内灯を消し、踏切へ向けて車を出した。

呼ぶ時には、「足を返す」と言うことになる。


返せるかどうかは、まだ分からない。

そのことを、現れた相手にも話さなければならなかった。

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