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6 算木の弟子

寺子屋に居座った奇人――平賀源内。

騒ぎを起こすかと思いきや、源内は境内を歩き回りながら、草木の絵を描いているだけでした。

そんな中、寺子屋では算法の時間。

鏡之介は、ある寺子に特別な道具を渡します。



「ほう、水絵ちゃんが解いたのか。たいしたもんだ」


 源内に言われたが、水絵はすぐには返事ができなかった。どう返すべきか、迷ってしまったからだ。

「水絵ちゃん」と言われたことに文句を言うべきか――せっかく、鏡之介が「水絵先生」と言ってくれたのに、その心配りが水の泡だ。

 だが、水絵はそれは不問に付すことにした。それ以上に、訂正しなければならないことがあったからだ。


「わたしが全部解いたんじゃありません。掛算は鏡之介さんが。わたし算法は苦手なんで」


 源内は、ははっと笑った。


「あの程度の算、鏡なら朝飯前だろうよ」


 礼次はなにか言いたげに源内を見ていたが、鏡之介が本堂から、


「手習いを始めるぞ、急げ」


 と言ったので、なにも言わず本堂に駆けていった。


 手習いをはじめてしばらくの間、水絵は落ち着かなかった。源内が、乱入してくるのではないかと心配していたのだ。

 しかし、そんなことはなかった。

 源内は、おとなしく待っているわけではなかったが、寺子の邪魔もしなかった。縁側に座って、ぼんやり空を見上げていたり、お地蔵さまの周りをぐるぐると回ったり……。かと思うと、懐から矢立と紙を出して、草や木の絵を描いたりしている。

 新吉は気にしてちらちら見ていたが、ほかの寺子はほとんど気にしていない様子だったので、水絵も安心して手習いを教えられた。


「次は算法。そろばんの用意」


 鏡之介が言うと、寺子たちは一斉に立ち上がった。礼次も立ち上がろうとしたのを、鏡之介が呼び止めた。


「礼次はこっちだ」


 そして、礼次の文机の上に、風呂敷包みを置いた。


「開けてみろ」


 期待に震える手で、礼次が風呂敷を解く。そこには、一尺ほどの木箱があった。礼次が見上げると、鏡之介が頷く。

 礼次はふっと一つ息を吐き、箱の蓋を持ち上げた。


「っ!」


 礼次が声にならない声を上げる。

 ――赤と黒の算木が、それぞれ違った美しい木目模様を見せながら、秩序正しく並んでいた。


「おれが、使っていいの?」


 おそるおそる尋ねた礼次に、鏡之介は微笑む。源内に向けたのものとはまるで違う、優しい笑みだった。


「そのために持ってきた」


 やがて、そろばんを手に戻ってきた寺子たちも算木に気づき、それを取り囲む。


「おいらも頑張れば、これ、使えるようになる?」


 新吉が訊くと、鏡之介が答える前に、周りの寺子たちが揶揄した。


「無理無理」


「新吉は九九も言えねえじゃん」


「足し算も、しょっちゅう間違えてるしなぁ」


 そんな風に言われ、さすがの新吉もしゅんと肩を落とした時――。


「努力を始めるのに、遅すぎることはない」


 鏡之介の言葉が、揶揄する言葉をびしっと遮った。そして、新吉に目を向ける。


「まず、九九だ。それから、そろばんで掛け算割り算が間違いなくできるようになったら、算木の番になる」


「うん。おいら頑張る!」


 それから、鏡之介は寺子たちには、それぞれの技量にあった問題でそろばんを教えながら、礼次には算木の扱いを教えるという器用なことをやり始めた。

 千代たちに裁縫を教えながら、大変そうなら手伝おうとちらちらと気にしていたが、鏡之介に困る様子は全く見えない。


『同時にいくつもの算をするなんて、頭がこんがらからないのかしら』


 その時、水絵は源内の言葉を思い出した。


「あの程度の算、鏡なら朝飯前だろうよ」


 褒め言葉なのだろうが、その中に、水絵は不穏なものを感じてしまう。ふらふらと境内を歩き回っている源内の姿を目の端に感じながら、水絵はそれを直視しないよう、必死で自分を抑えていた。


 ――夕方。


「ありがとうございました!」


 帰りの挨拶をして、寺子たちが三々五々、本堂を後にする。

 終わりの気配を察したのか、庭で絵を描いていた源内が、矢立をしまって本堂のほうにやってきた。それに気づいた新吉が、言った。


「おじさん、じゃあね。また、面白い物、見せてね」


「おう」


 ほかの寺子たちも、源内にも挨拶して帰って行く。


「またね」


「あのきらきら、また見せてね」


「おう。気をつけて帰れよ」


 寺子たちが全員山門に向かうと、鏡之介が苦い顔をして源内に言った。


「できない約束は、しないでもらいたい。……子どもは、ちゃんと憶えている。約束が破られれば、傷つく」


 源内は、山門を出て行く寺子たちを見ながら、


「守るよ。明日明後日って訳にゃいかねえが、また必ず来る。今度は、火浣布(かかんぷ)でも持ってきてやろうかね」


 火浣布と聞いて、鏡之介の表情は、ますます苦いものになった。


「持ってくるのなら、タルモメイトルにしてください」


 鏡之介の言葉に、源内はちょっと眉を上げて見せた。


「さて、話を聞いてもらおうか」


 源内は本堂に上がってきたが、鏡之介は、


「後始末が先です」


 と、あっさりいなす。水絵ははらはらしたが、源内の顔を見るとにやにや笑っている。このふたりにとって、こんなやりとりは普通なのかもしれない。

 水絵は、気にせず、自分も片付けをすることにした。

 手持ち無沙汰になったのか、源内は、水絵に話しかけてきた。


「水絵ちゃんは、はなから俺が平賀源内だってわかってたようだな。鏡に聞いたのか?」


 水絵が答えるより先に、鏡之介が言った。


「水絵は、あの判じ物を見ただけで、書いたのは源内さんだって、気付いてましたよ」


「ええっ!? 鏡ならともかく、なんで水絵ちゃんが?」


 源内は鏡之介に問いかけたのに、返事をしようとしない。仕方がないので、水絵が答えた。


「源内先生だとわかったわけじゃありません。わたしは風来山人先生だと思って……。そうしたら、それは源内先生の号だって、鏡之介さんが教えてくれたんです」


「そりゃあ、わかったのと同じことだ。なんで気付いた?」


「反古紙が、『風流志道軒伝』の刷り損ないだったので……」


 結局、水絵は昨日鏡之介に披露した見立てを繰り返さなければならなかった。


「ほう、たいしたもんだねぇ」


 感心したように頭を振る源内に、鏡之介は皮肉な笑みを見せながら言った。


「ついでに、『風流志道軒伝』を読んでどう思ったか、水絵に訊いてみるといい。かなり的を射ていると、俺は思う」


「ちょっと、鏡之介さん!」


 水絵は慌てて声を上げた。悪口と取られかねないあんな所感を、作者本人に言うことなどできない。

 だが、源内は期待に満ちた目で、水絵を見ている。水絵は、反古紙を揃えながら、


「……とても、面白かったですよ。普通は考えつかないような新しいことが、どんどん出てくるし。書いた人は、ずいぶん博識なんだろうなって、思ってました」


 鏡之介に話した前半部分だけを、早口で言った。目は反古紙からあげない。とても、本人を見ては言えなかった。

 しかし、源内は騙されなかった。


「それだけで、鏡が『訊いてみろ』なんて言うわけはねえな。その続きは?」


 言えるはずがない。水絵は恨みがましい目で見上げたが、鏡之介は全く動じない。それどころか、ひどく面白そうな口調で言った。


「博識や才という風呂敷を、畳の上に広げて見せてる……って言ったんだ、水絵は」


「鏡之介さん!!」


 水絵の叫び声は、悲鳴に近かった。


お読みいただき、ありがとうございます。

この回では、礼次の算木と、源内の奇妙な存在感が描かれました。

そして水絵は、うっかり作者本人の前で『風流志道軒伝』の批評をすることに。

才気あふれる奇人・平賀源内。

さて、彼の頼みごとはいったいどんなものなのでしょうか。


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