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3 風来山人

判じ物の答えは「助けて」。

けれど、それは誰に向けられた言葉なのでしょうか。

水絵は、判じ物に使われていた反古紙にある名前を見つけます。


「きょう、たすけて……?」


 礼次の隣で、妹のるいが首をかしげる。


「今日、助けてって言われてもさぁ。誰を助けりゃいいのかわかんないし、いきなり、今日って言われても、困るよな。何日か前に言ってくれなきゃ」


 新吉がぼやく。


「誰かのいたずらだ。気にするな」


 鏡之介の声が聞こえる。


「手習いは終わりだ。算の稽古をするぞ。そろばんの用意」


「えー、そろばん? おいら、さっき鏡之介先生が使ってた……ええと、算木? あれ使ってみたい」


 そんな会話を聞きながら、水絵は判じ物が書かれていた反古紙を裏返した。そこにあったのは、挿絵と文章。瓦版や番付ではなく、読本の一丁らしかった。挿絵に見覚えがあったので、文章に目を走らせた時、


「新吉に算木は、早すぎるな」


 という声がすぐそばで聞こえ、綺麗に整えられた爪の手が、反古紙をひょいっと取り上げた。


「え?」


 水絵が顔を上げた時、反古紙は四つに折りたたまれ、鏡之介の袖におさまっていた。


「算の稽古を始める。今日は少し難しいことを教えるから、千代たちには裁縫を教えてやってくれ」


 鏡之介の言葉に、千代たちははしゃぎ、新吉は「いいなあ」などとぼやく。

 この判じ物の話は終わりだと告げているのだな、と水絵は気づき、立ち上がった。


「じゃあ、千代ちゃんたちはこっちに。新吉も裁縫がよければ来ていいわよ」


 からかう口調で言うと、新吉は口をとがらせて、「わかったよ」と言いながら、そろばんを準備した。それでも、まだ、未練があるのか、


「算木、使ってみたいなぁ」


 などと言っている。

 すると、鏡之介が真面目な口調で言った。


「算木に心惹かれるのはわかる。だが、おまえたちが世に出た時、便利なのはやはりそろばんだ。まず、加法……足し算、引き算、それから九九。算木の出番は、その後だ」


 全員が頷いた中、礼次だけが、強い渇望を宿した目で鏡之介を見上げていた。水絵が、それをさりげなく知らせるために立ち上がろうとした時、鏡之介は礼次の前に座り、視線を合わせて言った。


「算木が使いたいか?」


 礼次が頷く。鏡之介の手が、自分の懐を押さえた。


「この算木は小さいから使いにくい。明日、使いやすい大きな算木を持ってきてやろう」


「算木、使っていいの?」


 礼次の目が、キラキラと輝く。


「そろばんをはじくおまえの指に、迷いはないからな」


 新吉は、小さな声で「いいなぁ」と言ったが、それ以上の文句は言わなかった。寺子の誰もが、算法では礼次が一番と認めているからだろう。


 ――夕方。

 寺子たちが帰った後、水絵は鏡之介とふたりで後片付けをしながら、どう切り出すべきかを考えていた。

 あの判じ物について、鏡之介に聞きたいことはたくさんあった。だが、真正面から聞いても、きっとはぐらかされてしまうだろう。だから、最初に問う言葉は、選ばなければならない。千代たちに裁縫を教えながら、ずっと考えていたが……。やはり、これしかない、と水絵はそれを口にした。


「鏡之介さん、風来山人(ふうらいさんじん)って、どなたの号だか、ご存じですか?」


 鏡之介は驚きに絶句し、片付けようとしていた文机を取り落とした。

 水絵は、動じず答えを待った。


「……なんで、いきなり『風来山人』なんだ?」


 取り落とした文机を部屋の隅に片付けながら、鏡之介は振り返りもせず訊いた。

 水絵は、鏡之介の真正面に立ち、手を差し出した。


「なんだ?」


「さっきの判じ物、見せてください」


 すると、鏡之介はぷいっと横を向いて、


「ただのいたずらだ」


 と、出そうとしない。でも、水絵には言えることがあった。


「あれ、読本の一丁です。『風流(ふうりゅう)志道軒伝(しどうけんでん)』。風来山人先生の、談義本ですよね?」


「あの刹那で、わかったのか?」


 鏡之介は驚きに目を見開き、諦めたように、袖から反古紙を出した。

 水絵はそれを広げると、


「やっぱり」


 とつぶやいた。


「何故わかった?」


「挿絵に見覚えがありました」


 異様に足の長い男が、同じく異様に手の長い男を肩車している絵だった。その長い手は、部屋の中にいる色男から、団扇を奪おうとしている。


「それに、文の方……ここに『浅之進』とあります。『風流志道軒伝』は、浅之進という男の物語ですから」


「……見事」


 鏡之介は、降参という風に苦笑したが、水絵は手を緩めるつもりはなかった。


「それで、どなたなんです。風来山人先生は?」


「どうして、俺が知っていると?」


「だって、これ……」


 水絵は、判じ物の「鏡」の一文字を指した。


「きょう、たすけて……新吉は、昨日今日の今日だと思っていたようですけど、これは『鏡』のきょう。つまり、鏡之介さんのことじゃないんですか? そう考えれば、判じ物の謎も解けます。『かがみ』ではなく『きょうのすけ』と読めば、六番目の文字は『け』になります。『鏡、助けて』。鏡之介さんを『きょう』と呼ぶ誰かが、あなたに助けを求めている……わたしは、そう思いました」


「それが風来山人だと? たまたま、使われてた反古紙が、あいつの戯作だったってだけだろう?」


 水絵は、ゆっくりと首を横に振った。


「この反古紙、折り目がありません。本をほどいて作った反古紙じゃないんです。それに、かすれているところがある。つまり、刷り損ない。『風流志道軒伝』が世に出たのは五年くらい前です。そんな反古紙をわざわざ使うなんて、意味があるとしか思えません」


 それに……と、水絵はくすっと笑った。


「鏡之介さん、語るに落ちちゃってますよ。さっき、『あいつの戯作』って言ったじゃないですか。知り合いじゃなきゃ、言いませんよね。そんなこと」


 鏡之介は、深く深く、ため息を吐いた。


「まったく。水絵にゃ、叶わねえな」


 鏡之介は、判じ物を水絵の手から取り上げ、広げて見せた。


「おまえの言うとおり、これは、俺を『きょう』と呼ぶやつからの助太刀を請う手紙だ」


「で、誰なんです、その人は?」


「本草学者であり、戯作者でもあり。奇人、才子、風変わり。様々に呼ばれている……風来山人は、平賀源内の号だ」



ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

判じ物の送り主は、鏡之介を「きょう」と呼ぶ人物。

そして、その正体は――

奇人として名高い平賀源内でした。


さて、次回は…………?

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