第156話 今夜の場所
広間の入口を抜けると、足音が通路の壁に返ってきた。
前を行くヴェラの丸盾が、エルザの灯りを受けて鈍く光っている。その少し先にはラウルとフィロス。俺は二人の背中を見ながら、腕に抱えた布包みの位置を直した。
中にあるのは、岩柱の裏で見つけた古い筒だ。軽いとはいえ、片腕が塞がると剣を抜きにくい。
「ノワールさん、それ、後ろで持ってもらいませんか?」
エルザに言われて、ようやく足を止めた。
「そうですね。見つけたのが嬉しくて、つい」
「それは分かりますけど、帰るまでが探索ですよ」
先にいたラウルが振り返り、仲間の一人へ声を掛ける。
「悪いが、包みを頼めるか。ノワールには剣を使えるようにしておいてほしい」
「分かった」
仲間が戻ってきて、両手で包みを受け取った。岩に当てないようにと頼むと、彼は頷いてミレイの隣へ下がる。
両手は空いた。それなのに、包みが遠ざかるのは少し惜しい。
「そんなに名残惜しくしなくても」
「……分かってます」
◆
先ほど休んだ幅の広い通路へ戻ると、ラウルが短く足を止めた。マルタは広間の方を見たまま、盾を持ち直している。
「ここも広いんだけどね」
「あの広間に近すぎるな」
ラウルが答えた。
「逃げた三体が戻ってくるかもしれない。寝る場所を探すなら、もう少し戻ろう」
俺たちは来た道を引き返した。倒した二体の〈クリフクロー〉が残る通路を抜け、前の探索でも通った岩室へ戻る。背嚢の重さが肩へ食い込んできた。
左には今しがた戻ってきた上り道。その正面には、以前から気になっていた岩の割れ目があった。
あれも、まだ調べていない。
「ここなら、休めそうでしょうか」
ヴェラが言った。
「寝る場所だけならありそうだな。だが、正面の割れ目が残っている」
ラウルは岩室の奥を示した。確かに、床が広くても、どこから魔物が来るか分からなければ落ち着いて眠れない。
エルザが懐中時計を取り出す。小さな蓋を開けて灯りを寄せると、ラウルもそちらを見た。
「どうだ?」
「出発前に決めた、日帰りに切り替える時刻までは、まだ少しあります」
「なら、その間に確かめよう。休めない場所なら、予定どおり引き返す」
ラウルとフィロスが正面の割れ目を見に行き、俺とエルザは少し後ろから灯りを向けた。ヴェラとマルタは壁際を確かめ、ミレイたちは帰り道の方に残っている。
近くで見ると、岩が斜めに重なってできた割れ目らしい。灯りを差し向けても奥までは届かず、どこへ続いているのか分からなかった。
「今ここで入るつもりはない」
ラウルが言う。
「ただ、ここを見ないまま眠るわけにもいかないな」
「魔物は、この辺りには感じないぞ。だからって奥までいないとは言わんが」
フィロスが割れ目から目を離し、左の上り道へ向き直った。
しばらくして、マルタがこちらへ手を振った。
「ラウル、こっちに来てみて」
壁際に立ったマルタの位置からは、正面の割れ目と左の上り口が両方見えた。少し離れた岩室の入口へ目を向けると、そこはもう一人で見張れそうだ。
「ここを空けておけば、二人で三方向を見られるね」
「割れ目から何か出れば、こっちへ来る前に分かると思います」
ヴェラが寝具を置こうとしていた場所を示す。そこは壁寄りで、入口へ戻る道を塞がない。
ラウルは二人の立ち位置と岩室を見回し、最後に時計を持つエルザへ顔を向けた。
「時間はまだ大丈夫か?」
「はい」
「分かった。今夜はここで休もう」
言われて、肩が少し軽くなった気がした。
「ただし、割れ目は未調査だ。奥の安全が分かったわけじゃない。見張りは割れ目と上り口を見る者、帰り道を見る者で交代する。何かあれば休みは終わりだ」
ラウルは正面へ目をやった。
「明日はあの入口を少し確かめてから、地上へ戻ろう。奥へは踏み込まない」
「了解!」
最初の見張りはフィロスとラウルの仲間の一人が担当することになった。ミレイが荷物を置く場所を空けてくれる。
俺はもう一度、正面の割れ目を見た。今日は岩柱の裏で、思いがけないものを見つけた。あそこにも、何かあるんだろうか。
◆
見張りの二人を残して、ほかの者が荷物を下ろした。
俺が寝具を広げようとすると、エルザが少し先の床を指した。
「ノワールさん、こっちの方が平らですよ」
「俺はどこでも眠れますけど」
看護師時代は、仮眠で熟睡しないように床で寝たこともある。
「明日、背中が痛いと言わないなら、そこでもいいですよ」
手元の石を押してみる。動かなかった。
「……移動します」
「はい」
エルザが先に布を広げる。俺もその隣へ寝具を移すと、さっきの場所よりずいぶんましだった。
ヴェラは自分の寝具の脇に丸盾を伏せ、手を伸ばして持ち手の位置を確かめていた。俺も寝具の横へ剣を置いてみる。寝返りを打って鞘にぶつかるのは嫌だし、遠すぎるのも困る。
「ノワールさん、そちらだと通り道に掛かりますよ」
エルザに言われて、もう少し壁側へ剣を寄せた。宿の寝台とは、勝手が違う。
ラウルの仲間が持っていた布包みを戻してくれた。エルザと一緒に、筒が転がらないよう余った布を重ね、荷物の間へ置く。
「今夜、開けないんですよね?」
エルザが聞く。
「ああ。町で詳しい者に見てもらおう」
ラウルが答えた。
包みの中身はまだ分からない。それでも、あの岩棚にあったものが今はすぐそばにあると思うと、時々そちらへ目が向いてしまう。
◆
食事には火を使わなかった。火を起こす場所も換気も、ここでは十分に確かめられない。持ってきたパンと干し肉を出すと、俺の隣でもあちこちの荷袋が開き始めた。
見張りの分を先に取り分けていたミレイから、パンを一つ渡される。
「ありがとうございます」
「どういたしまして。フィロス様の分も、ちゃんと残してありますから」
「……おい、ミレイ」
帰り道の方から声がした。
「前にも全部召し上がってしまわれたことがありましたので」
「何度その話をする気だ」
「食べ物の恨みは根深いものですから」
ミレイはいつもと変わらない顔でパンを包み直す。俺は笑うのをこらえながら、それを半分に割った。
食べ始めようとしたところで、ヴェラが手袋を外した。指先には灰色の砂がついていた。
「少し水を出しましょうか」
「お願いできますか?」
ヴェラが布を手の下に広げる。そこへ細く水を落とすと、指先についた砂が流れた。ヴェラは布で手を拭きながら、自分の丸盾を見下ろした。
「盾も、結構汚れてしまいました」
「そっちは町へ戻ってからにしましょう。ここで洗ったら床まで濡れそうです」
「そうですね」
ヴェラが笑った。
「ノワールさん、私もお願いします」
エルザが自分の布を持ってきた。手を洗い終えると、その後ろにラウルが立っている。
「俺も頼めるか?」
「はい、どうぞ」
「では、私も」
ミレイが続いた。マルタとラウルのもう一人の仲間まで、それぞれ布を持って後ろに並ぶ。
あっという間に行列になった。
「……手洗い場を開いた覚えはないんですけど」
「手が洗えるなら、並びますよ」
エルザは当然のように答える。
俺は布を敷いた手へ、順番に細く水を流していった。列の後ろが通り道を塞ぎかけ、皆で少し壁側へ寄る。ダンジョンの奥で、手洗い待ちの行列ができるとは思わなかった。
「おい、石ころ。俺にも使わせろ」
見張りをしているフィロスの声が飛んできた。
「交代してから来てください。フィロスさんは銅貨一枚で」
「なぜ俺だけ金を取る!」
反応が良い。つい、弄りたくなる。
エルザの髪際からリンが出てきて、俺の手元をくるりと回った。さっきまで水があった場所を覗き込んでいる。
「リンも使いますか?」
ちりん。
「……使いませんか」
リンはそのまま、エルザの肩へ戻っていった。
「ノワールさん、リンまで順番に並べるつもりですか?」
「仲間ですからね」
エルザが笑った。
◆
食事の片づけが済む頃、最初の見張りが交代した。マルタとラウルのもう一人の同行者がそれぞれの持ち場へ向かい、フィロスと最初に見張っていた仲間が岩室の奥から戻ってくる。
二人とも布を持って、俺の前へ並んだ。
「……本当に全員来るんですね」
「金は払わんぞ」
「残念です」
フィロスの手へ水を流し、もう一人にも手を洗ってもらう。そこで自分の手を見ると、俺だけまだ洗っていなかった。
「……最後が俺ですか」
自分の手にも細く水を落とし、布で拭いた。これで九人全員だ。
ミレイは取っておいたパンの包みをフィロスへ差し出した。
「フィロス様の分です」
「ああ」
フィロスはパンを受け取って腰を下ろした。ラウルもその近くで干し肉をかじっている。少し前まで広間で魔物と戦っていた二人が並んで遅い食事をしているのは、何だか妙な眺めだった。
俺は寝具の端へ腰を下ろした。エルザは灯りを弱め、ヴェラは盾の紐を確かめている。見張りの持ち場では別の灯りが揺れていた。
「石ころ」
顔を上げると、食べ終わったフィロスがこちらを見ていた。
「はい?」
「少し付き合え。お前の剣の腕を見せろ」
「……今からですか?」
「見張りは終わった。長くはやらん」
休むつもりで下ろした腰を、もう一度持ち上げた。今日の戦いではヴェラの盾に助けられてばかりだった。剣を扱うところを、改めて見たいのだろうか。
「師匠には、まだ毎回直されてますよ」
「なら、お前が今どの程度か分かるだろう。やるのか?」
「やります」
答えると、ラウルが顔を上げた。
「待て。見張りの邪魔にならないところで、短くやるんだぞ」
「分かっている。鞘付きでやる」
「頭は狙わない。強く打ち込むのもなしだ。何かあったらすぐやめろよ」
フィロスは少し面倒そうに頷いた。俺も頷き、寝具から離れた平らな床へ移る。マルタたちの警戒位置からは離れていて、帰り道も塞がない場所だった。
「少しだけですよ、ノワールさん」
エルザが寝具の端から声を掛ける。
「はい。無理はしません」
フィロスは腰の刀を鞘ごと外し、柄元を紐で留めた。俺も剣が鞘から抜けないように確かめてから、両手で持つ。鞘の分だけ、いつもの稽古とは重さのかかり方が違った。
「石ころ。遠慮するなよ」
「こっちから打ってもいいんですよね?」
「当たり前だ。剣の腕を見たいと言っただろう」
「それなら、遠慮しません」
「言うじゃないか」
フィロスが刀を構える。俺も足の位置を確かめ、鞘付きの剣を向けた。
「ほら、来い」
「はい」
俺は一歩踏み込んだ。




