第157話 先に置いた剣
踏み込んだ足が床を擦った。
鞘を付けたままの剣を、フィロスの左肩へ向けて振る。届くと思ったところへ横から刀の鞘が入り、剣を外へ流された。胸の前で刀の先が止まる。
「一本だな」
「……早いですね」
「お前が素直すぎるんだ」
フィロスは何事もなかったように刀を引いた。俺も距離を取り、もう一度足を開く。師匠に教わったとおりに踏み込んだつもりだったが、簡単にはいかないらしい。
今度は正面から行くと見せて右へ回り、腕を狙って剣を振り上げる。
また受けられた。返ってきた鞘を防ごうとした時には、左腕へ軽く触れられていた。
「二本目」
「数えるんですか?」
「嫌なら、俺に一本入れるか防いでみせろ」
フィロスが鼻を鳴らした。
向こうから打ち込まれると、さらに厄介だった。上から来ると分かっても剣を上げるのが遅れ、横からの一撃には足が間に合わない。どれも寸前で止めてくれるが、それでも腕の差はよく分かった。
もう一度攻める。フィロスが半歩退いただけで剣先が空を切り、戻す前に肩を叩かれた。
「石ころ……お前は何というか……不器用だな」
「……わかります?」
「体の動きに流れるような美しさがない」
フィロスの独特の表現だった。だが言い返せない。
さっきから気になっていた。身体をうまく動かせていない。フィロスの刀が動いてから受けようとしても、いつも遅れる。師匠にも何度も言われてきたことだ。
見てから動くんじゃ、間に合わない。
じゃあ、何を見ればいいんだろう。
俺が自分から攻めずに構えていると、フィロスが刀を持ち直した。岩室の端で、誰かが荷物を動かす音がする。足裏には石床の小さな凹凸が当たり、鞘付きの剣は両手に重い。
フィロスの刀を追うのをやめた。足と肩と、そこに立っている身体の向きを見る。どれか一つを見ようとすると、ほかが分からなくなる。だから、視線を一か所に止めずにいた。
フィロスの肩が、わずかに下がった。
右の脇。
そう思った瞬間、刀はまだ正面にあった。どうしてそこだと思ったのか、自分でも分からない。けれど、そこを空けておくのは嫌だった。
剣を右へ寄せる。
まだ、何も来ていない。
かんっ。
握った柄に硬い衝撃が伝わった。フィロスの鞘が、俺の剣にぶつかって止まっている。さっきまで何度やっても間に合わなかった一撃だった。
「……ん?」
フィロスが刀を引く。俺も自分の剣を見た。腕に残っている重さはいつもと同じだ。急に速く振れた気はしない。
ただ、剣を置いた後から、相手の刀が来た。
「……偶然だろ。なら、これはどうだ」
フィロスは足を開き直し、さっきより少し身体を斜めに向けた。
今度はどこだ。
刀が持ち上がるのを待つより前に、左の肩が気になった。
左肩。
剣を斜めに上げる。鞘の先はまだ俺に向いていない。間違えたか、と思いかけたところへ、上から一撃が落ちてきた。
かんっ。
ぶつかった勢いで腕が少し沈む。剣を押し返すのに力が要った。それでも、受け損なわなかった。
フィロスは刀を引くと、すぐに持ち方を変えた。足がわずかに横へ動く。
回り込まれる?
いや、右の胴だ。
下げるなら今。
考えを言葉にするより先に、剣が動いた。上げていた腕を下ろし、腰の横へ鞘を寄せる。ちょうどそこへ、横から振られた刀が重なった。
かんっ。
今度は横へ押された。足が床を擦り、何とか姿勢を保つ。受けるのが楽になったわけじゃない。ちゃんと重いし、押されれば身体も揺れる。
でも、間に合っている。
フィロスが一度止まった。こちらの剣を見てから、踏む位置を変える。刀の柄がわずかに引かれた。
次は――。
左腕の外側。
まだ鞘の先はそこを向いていない。それでも俺は、左へ踏み直しながら剣を立てていた。
かんっ。
四度目の衝撃が、柄を通って指へ響いた。
それきり、次の一撃は来なかった。
フィロスは刀を引いたまま俺を見ていた。俺も剣を構えたまま、次の動きを待ってしまう。打ち込まれた後で受けるのとは違う。相手がそこへ来ると、先に分かるような気がした。
そのくせ、どうして分かったのかは説明できない。
握り直した柄が、少し汗で滑った。息を吐こうとして、止めていたことに気づく。
「……おい」
「はい?」
「今の、全部受けたな」
「……そうですね」
さっきまでの自分が嘘みたいだ。受けられた理由も、自分では分からない。
フィロスが俺の剣と足を見比べる。
「見てから動いたんじゃない。俺が振るところへ、先に置いてやがる」
少し離れて見ていたラウルも、こちらへ身を乗り出した。
「今の四つは、俺にもそう見えた」
「だろう? それまでまるで受けられなかったんだぞ」
俺にも不思議だった。でも、さっきの感覚をもう一度確かめてみたい。刀が動く前に、次の場所が気になってしまう。そこへ剣を置くと、本当に刀が来る。
面白い。次はどう来るんだろう。
「石ころ。今度はお前から攻めてこい」
「はい」
どう打てば届くだろう。右からか、それとも一歩深く踏み込んで――。
考えた途端、さっきまで近くに感じていたフィロスの動きが遠くなった。自分の足と剣に気を取られると、向こうが次にどう動くのか、もう分からない。
それでも踏み込み、左肩へ剣を振った。あっさり払われる。右へ回る動きも半歩で塞がれ、振り直した剣は鞘で押さえられた。
「……何だ?」
フィロスが首を傾げた。
「もう一度だ。来い」
今度は足を深く入れて振り下ろす。少しは近づけたと思ったが、剣を外へ流され、戻す間に刀の先が迫ってきた。
右から来る。
そう気づいた時には遅かった。鞘が脇腹の前で止まる。
「……参りました」
俺が剣を下げると、フィロスも力を抜いた。
攻めれば簡単にあしらわれ、受けに回っても、さっきのようには動けない。何が違うんだろう。
「何だお前? よく分からない奴だな」
「俺も、ちょっと分からないです」
「そこは少しは分かってろ」
ラウルが片手を上げた。
「よし、そこまでにしよう。長くはやらない約束だったからな」
「分かっている」
俺たちはそれぞれ鞘付きの武器を腰へ戻した。肩と腕は少し疲れたが、痛むところはない。
「フィロス。どうだった?」
ラウルの問いに、フィロスが眉を寄せる。
「剣の腕はまだまだだ。攻めは素直、戻しも遅い。なのに俺が打ち込んだ時だけ、妙な受け方をする」
「四つ続けて、だったな」
「ああ。偶然じゃ説明できん。……なのに攻めさせたら元に戻った」
「そこまで言わなくても」
「事実だろうが」
フィロスはまだ納得できないようだった。
「石ころ。あとで少し話せるか」
「はい。俺も聞きたいことがあります」
◆
手合わせの場所から戻ると、エルザが寝具の端から声を掛けてきた。
「終わりましたか?」
「はい。思っていた以上に、一方的でした」
「その割には、楽しそうでしたね」
「途中で四回続けて、うまく受けられたんです」
「ええ、見ていました。その前と後は、ずいぶん違いましたけど」
「……そこも見てたんですね」
エルザが笑う。ヴェラも俺の腕へ目を向けた。
「ノワール様、お怪我はありませんか?」
「大丈夫ですよ。フィロスさん、ちゃんと止めてくれましたから」
「それなら、よかったです」
ラウルに呼ばれ、二人に断って壁際へ向かった。大きな岩の張り出しが間に入り、寝具の方からは少し離れている。見張りの二人の姿は見えるが、こちらの小声までは届かなさそうだった。
「さっきの受け方について、聞かせてくれ」
ラウルが声を落とす。
「打たれる場所が、先に分かったような気がしたんです」
「最初の一つだけか?」
「いえ。そのあとも。打ってこられる前に、ここだなって」
「俺がお前に攻めろと言ったら、できなくなったのは?」
フィロスに聞かれ、首を傾げた。
「自分の打ち方を考えていたら、さっきの感じがなくなってしまって。師匠との稽古でも似たことはありましたけど、いつもできるわけじゃないんです」
「意識して使っているわけじゃないのか」
「はい」
ラウルは少し考えてから頷いた。
「普通の反応の速さには見えなかった。守る時に、何かを察しているようではあったな」
「変な力だ」
フィロスは腕を組んだ。
二人とも真面目に考えてくれている。なら、まだ話していなかったことを先に伝えておこう。
「お二人には、言ってませんでしたよね。俺も落人なんです」
「ほう」
フィロスは驚いた様子がない。
「驚かないんですね」
「そうじゃないかとは思っていた。確かめたことはなかったがな。お前の索敵も今の能力も、十中八九《授かり》なんだろう?」
「フィロスさんの索敵も《授かり》ですか?」
「ああ。それ以外説明つかんだろ」
それもそうだ。
「ずいぶん当たり前に話すんですね」
「俺は公言しているからな。明かすメリットの方がでかい。即席の探索パーティでも有効活用できるし、おかげで貴族の雇われにもなれた」
なるほど。そういう考え方もあるのか。
「俺も落人で、《授かり》も持っている。俺も公言しているぞ」
「ラウルさんも《授かり》持ちですか?」
ラウルの言葉に少し驚く。
「ああ、俺の《授かり》はちょっと特殊でな。戦いの中で、仲間をどう配置して動いてもらうか、感覚的に分かるんだ」
戦闘中のラウルの指揮を思い出した。そして納得した。
「そうなんですね……お二人とも《授かり》持ちでしたか……」
この二人と相談すれば、さっきの疑問が解消するかもしれない。
「フィロスさん。ああいうのって、《授かり》なんでしょうか?」
フィロスが眉を上げた。
「何だ。お前、自分の《授かり》を知らんのか?」
「あるのかどうかも、分からないんです」
「……何言ってるんだ? 《授かり》なら使い方は初めから分かるだろう?」
「え……そうなんですか?」
思わず聞き返した。まるで、知っていて当然という口ぶりだ。
「俺は最初から分かっていたぞ。お前は違うのか?」
「はい。そんなふうに分かったことはありません」
「俺もフィロスと同じだったな」
ラウルが言う。
「自分に何ができるか、どう扱うかは最初から分かっていた」
「お二人とも、ですか」
魔物がいると何となく分かる。師匠の剣も、動くより先に分かることがある。でも、その正体は知らない。剣を受ける方は、使おうと思って使えたこともない。
「……俺には、そういう自覚が一度もないですね」
「落人なのにか?」
「はい」
「あんな変な能力を持ってるのに?」
「はい」
フィロスは何か言いかけ、口を閉じた。
「今ここで答えは出ないだろう」
ラウルが言った。
「守る方に働く《授かり》なのかもしれない。だが、決めつけるのは早いな」
「俺も守る方だと思うが……索敵はなんなんだという話になる。だが、あの防御は《授かり》でないと説明つかん」
フィロスは少し間を置いた。
「その後の打ち込みは、綺麗に入ったがな」
「……そこは忘れてもらえませんか?」
「一生言ってやる」
フィロスが意地悪く笑うと、ラウルも小さく笑った。つられて俺も笑う。
「ノワールが落人だということと、今の力の話は、ひとまず俺たちだけにしておこう」
ラウルの言葉に、俺もフィロスも頷いた。自分でもよく分からないことを、いま皆へ説明できる気はしなかった。
◆
「それにしても、石ころ」
フィロスがいつもの調子に戻った。
「攻める時のお前、あんなに素直でよく剣士を名乗れるな」
「剣士を名乗った覚えはないんですけどね」
「師匠について稽古してるんだろうが」
「だから、まだ稽古中なんですよ」
ラウルが横で笑った。
「フィロスも昔は似たようなものだったろう」
「お前は黙っていろ」
「へえ。フィロスさんも、よく叱られてたんですか?」
「余計な想像をするな、石ころ」
「ラウルさん、あとで教えてください」
「ラウル! 絶対言うなよ!」
ラウルは肩を揺らしている。フィロスは不機嫌そうにしていたが、やがて自分でも笑い出した。
岩陰から戻り、俺たちは寝具の近くへ腰を下ろした。もう声を潜める必要はない。
「そういえば、今日の〈クリフクロー〉なんですけど」
「何だ?」
「入口の上から降りてきた二体、どうやってあの岩棚に張り付いていたんですか? 下から見ると、すごい角度でしたよね」
「ほう。気づいたか」
フィロスは刀を脇へ置き、空いた手で岩の形を示した。
「前脚だけでぶら下がっているようでも、後ろ脚をちゃんと岩へ押しつけているんだ。爪を掛ける向きも独特でな。だから横へ回れる」
「そんなところまで見てたんですか?」
「見るだろう、普通」
「普通かどうかは、ちょっと」
ラウルが口を挟んだ。
「俺はあの時、入口を塞がれないかの方が気になったけどな」
「それはそれ、これはこれだ。あの二体、降りる前に一度止まっていただろう。あそこで脚の置き方が変わったんだ」
俺は全然気づかなかった。
そこからフィロスの話は、右の段差にいた個体の爪や、左の岩陰で聞こえた石を削る音へ広がっていった。同じ魔物でも岩への取り付き方が違うらしい。
「でも、そんなに細かく観察していたら、戦う時に忙しくないですか?」
「忙しいから面白いんだろうが」
「……なるほど」
ちょっとわかる。好きなことの面倒ごとは面白い。
「いや、そこは納得するところか?」
ラウルが笑う。
「フィロスさん、そういうことは書き残したりするんですか?」
モンスター図鑑みたいな。
「書ける時はな。絵まで描くこともある」
「えっ、見たいです」
「お前に見せるために描いたんじゃないぞ」
「分かってます。でも、珍しい魔物の絵とか面白そうで」
「……ふん。機会があればな」
ラウルが水筒を持ち上げた。
「気をつけろよ、ノワール。一度見せてもらうと、話を聞き終わるまで帰してもらえないからな」
「お前が前に質問を続けたんだろうが!」
「ああ、あれは俺が悪かった」
「そこで素直に謝るな!」
また笑ってしまった。フィロスは真面目に話しているのだろうが、いつの間にか一番声が大きい。
「ラウルさんは、何か集めているものとかあるんですか?」
「俺か? 古い地図を見るのは好きだな。描かれていない道があると、どこへ続いているのか考えてしまう」
「分かります。今日みたいな隠し部屋も、見つけたくなりますよね」
「お前は常に、その先に宝箱があると思ってそうだが」
「宝箱なら、もちろん嬉しいですよ」
フィロスが呆れたように首を振った。
「まったく、お前らも大概だな」
「今夜一番長く話してるのは、フィロスさんですよ」
「俺の話は役に立つ!」
「はい。すごく面白いです」
「……そういう意味じゃない」
灯りの向こうでは、エルザとヴェラがこちらを見ていた。ミレイも二人の隣にいる。
「ノワール様。ずいぶん楽しそうですね」
「ええ。魔物の話を聞いてました」
「それは、よく聞こえていました」
エルザが言うと、ミレイが小さく息をついた。
「フィロス様は、好きな話になると長いですから」
「お前まで何だ、ミレイ」
「いつものことですので」
見張りに立つマルタも、こちらへ手を振った。
「そろそろ静かにしてよー。こっちまで全部聞こえるから!」
「……分かった」
フィロスが素直に返したので、今度は俺が笑いをこらえる番だった。
「ほら、石ころ。寝るぞ」
「はい。でも、さっきの魔物の話、また聞かせてください」
「……お前も好きだな」
寝具へ戻ると、エルザの髪際でリンが小さく揺れていた。灯りが少し落とされ、岩室が静かになっていく。
横になって目を閉じた。
明日はあの割れ目の入口を確かめて、町へ戻る。
それなのに、今はもう少しだけ、剣の話も魔物の話も聞いていたかった。




