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明日も、ダンジョンへ。  作者: 為書結依
第五章 知らない道の向こう

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第157話 先に置いた剣

 踏み込んだ足が床を擦った。


 鞘を付けたままの剣を、フィロスの左肩へ向けて振る。届くと思ったところへ横から刀の鞘が入り、剣を外へ流された。胸の前で刀の先が止まる。


「一本だな」


「……早いですね」


「お前が素直すぎるんだ」


 フィロスは何事もなかったように刀を引いた。俺も距離を取り、もう一度足を開く。師匠に教わったとおりに踏み込んだつもりだったが、簡単にはいかないらしい。


 今度は正面から行くと見せて右へ回り、腕を狙って剣を振り上げる。


 また受けられた。返ってきた鞘を防ごうとした時には、左腕へ軽く触れられていた。


「二本目」


「数えるんですか?」


「嫌なら、俺に一本入れるか防いでみせろ」


 フィロスが鼻を鳴らした。


 向こうから打ち込まれると、さらに厄介だった。上から来ると分かっても剣を上げるのが遅れ、横からの一撃には足が間に合わない。どれも寸前で止めてくれるが、それでも腕の差はよく分かった。


 もう一度攻める。フィロスが半歩退いただけで剣先が空を切り、戻す前に肩を叩かれた。


「石ころ……お前は何というか……不器用だな」


「……わかります?」


「体の動きに流れるような美しさがない」


 フィロスの独特の表現だった。だが言い返せない。


 さっきから気になっていた。身体をうまく動かせていない。フィロスの刀が動いてから受けようとしても、いつも遅れる。師匠にも何度も言われてきたことだ。


 見てから動くんじゃ、間に合わない。


 じゃあ、何を見ればいいんだろう。


 俺が自分から攻めずに構えていると、フィロスが刀を持ち直した。岩室の端で、誰かが荷物を動かす音がする。足裏には石床の小さな凹凸が当たり、鞘付きの剣は両手に重い。


 フィロスの刀を追うのをやめた。足と肩と、そこに立っている身体の向きを見る。どれか一つを見ようとすると、ほかが分からなくなる。だから、視線を一か所に止めずにいた。


 フィロスの肩が、わずかに下がった。


 右の脇。


 そう思った瞬間、刀はまだ正面にあった。どうしてそこだと思ったのか、自分でも分からない。けれど、そこを空けておくのは嫌だった。


 剣を右へ寄せる。


 まだ、何も来ていない。


 かんっ。


 握った柄に硬い衝撃が伝わった。フィロスの鞘が、俺の剣にぶつかって止まっている。さっきまで何度やっても間に合わなかった一撃だった。


「……ん?」


 フィロスが刀を引く。俺も自分の剣を見た。腕に残っている重さはいつもと同じだ。急に速く振れた気はしない。


 ただ、剣を置いた後から、相手の刀が来た。


「……偶然だろ。なら、これはどうだ」


 フィロスは足を開き直し、さっきより少し身体を斜めに向けた。


 今度はどこだ。


 刀が持ち上がるのを待つより前に、左の肩が気になった。


 左肩。


 剣を斜めに上げる。鞘の先はまだ俺に向いていない。間違えたか、と思いかけたところへ、上から一撃が落ちてきた。


 かんっ。


 ぶつかった勢いで腕が少し沈む。剣を押し返すのに力が要った。それでも、受け損なわなかった。


 フィロスは刀を引くと、すぐに持ち方を変えた。足がわずかに横へ動く。


 回り込まれる?


 いや、右の胴だ。


 下げるなら今。


 考えを言葉にするより先に、剣が動いた。上げていた腕を下ろし、腰の横へ鞘を寄せる。ちょうどそこへ、横から振られた刀が重なった。


 かんっ。


 今度は横へ押された。足が床を擦り、何とか姿勢を保つ。受けるのが楽になったわけじゃない。ちゃんと重いし、押されれば身体も揺れる。


 でも、間に合っている。


 フィロスが一度止まった。こちらの剣を見てから、踏む位置を変える。刀の柄がわずかに引かれた。


 次は――。


 左腕の外側。


 まだ鞘の先はそこを向いていない。それでも俺は、左へ踏み直しながら剣を立てていた。


 かんっ。


 四度目の衝撃が、柄を通って指へ響いた。


 それきり、次の一撃は来なかった。


 フィロスは刀を引いたまま俺を見ていた。俺も剣を構えたまま、次の動きを待ってしまう。打ち込まれた後で受けるのとは違う。相手がそこへ来ると、先に分かるような気がした。


 そのくせ、どうして分かったのかは説明できない。


 握り直した柄が、少し汗で滑った。息を吐こうとして、止めていたことに気づく。


「……おい」


「はい?」


「今の、全部受けたな」


「……そうですね」


 さっきまでの自分が嘘みたいだ。受けられた理由も、自分では分からない。


 フィロスが俺の剣と足を見比べる。


「見てから動いたんじゃない。俺が振るところへ、先に置いてやがる」


 少し離れて見ていたラウルも、こちらへ身を乗り出した。


「今の四つは、俺にもそう見えた」


「だろう? それまでまるで受けられなかったんだぞ」


 俺にも不思議だった。でも、さっきの感覚をもう一度確かめてみたい。刀が動く前に、次の場所が気になってしまう。そこへ剣を置くと、本当に刀が来る。


 面白い。次はどう来るんだろう。


「石ころ。今度はお前から攻めてこい」


「はい」


 どう打てば届くだろう。右からか、それとも一歩深く踏み込んで――。


 考えた途端、さっきまで近くに感じていたフィロスの動きが遠くなった。自分の足と剣に気を取られると、向こうが次にどう動くのか、もう分からない。


 それでも踏み込み、左肩へ剣を振った。あっさり払われる。右へ回る動きも半歩で塞がれ、振り直した剣は鞘で押さえられた。


「……何だ?」


 フィロスが首を傾げた。


「もう一度だ。来い」


 今度は足を深く入れて振り下ろす。少しは近づけたと思ったが、剣を外へ流され、戻す間に刀の先が迫ってきた。


 右から来る。


 そう気づいた時には遅かった。鞘が脇腹の前で止まる。


「……参りました」


 俺が剣を下げると、フィロスも力を抜いた。


 攻めれば簡単にあしらわれ、受けに回っても、さっきのようには動けない。何が違うんだろう。


「何だお前? よく分からない奴だな」


「俺も、ちょっと分からないです」


「そこは少しは分かってろ」


 ラウルが片手を上げた。


「よし、そこまでにしよう。長くはやらない約束だったからな」


「分かっている」


 俺たちはそれぞれ鞘付きの武器を腰へ戻した。肩と腕は少し疲れたが、痛むところはない。


「フィロス。どうだった?」


 ラウルの問いに、フィロスが眉を寄せる。


「剣の腕はまだまだだ。攻めは素直、戻しも遅い。なのに俺が打ち込んだ時だけ、妙な受け方をする」


「四つ続けて、だったな」


「ああ。偶然じゃ説明できん。……なのに攻めさせたら元に戻った」


「そこまで言わなくても」


「事実だろうが」


 フィロスはまだ納得できないようだった。


「石ころ。あとで少し話せるか」


「はい。俺も聞きたいことがあります」


◆


 手合わせの場所から戻ると、エルザが寝具の端から声を掛けてきた。


「終わりましたか?」


「はい。思っていた以上に、一方的でした」


「その割には、楽しそうでしたね」


「途中で四回続けて、うまく受けられたんです」


「ええ、見ていました。その前と後は、ずいぶん違いましたけど」


「……そこも見てたんですね」


 エルザが笑う。ヴェラも俺の腕へ目を向けた。


「ノワール様、お怪我はありませんか?」


「大丈夫ですよ。フィロスさん、ちゃんと止めてくれましたから」


「それなら、よかったです」


 ラウルに呼ばれ、二人に断って壁際へ向かった。大きな岩の張り出しが間に入り、寝具の方からは少し離れている。見張りの二人の姿は見えるが、こちらの小声までは届かなさそうだった。


「さっきの受け方について、聞かせてくれ」


 ラウルが声を落とす。


「打たれる場所が、先に分かったような気がしたんです」


「最初の一つだけか?」


「いえ。そのあとも。打ってこられる前に、ここだなって」


「俺がお前に攻めろと言ったら、できなくなったのは?」


 フィロスに聞かれ、首を傾げた。


「自分の打ち方を考えていたら、さっきの感じがなくなってしまって。師匠との稽古でも似たことはありましたけど、いつもできるわけじゃないんです」


「意識して使っているわけじゃないのか」


「はい」


 ラウルは少し考えてから頷いた。


「普通の反応の速さには見えなかった。守る時に、何かを察しているようではあったな」


「変な力だ」


 フィロスは腕を組んだ。


 二人とも真面目に考えてくれている。なら、まだ話していなかったことを先に伝えておこう。


「お二人には、言ってませんでしたよね。俺も落人なんです」


「ほう」


 フィロスは驚いた様子がない。


「驚かないんですね」


「そうじゃないかとは思っていた。確かめたことはなかったがな。お前の索敵も今の能力も、十中八九《授かり》なんだろう?」


「フィロスさんの索敵も《授かり》ですか?」


「ああ。それ以外説明つかんだろ」


 それもそうだ。


「ずいぶん当たり前に話すんですね」


「俺は公言しているからな。明かすメリットの方がでかい。即席の探索パーティでも有効活用できるし、おかげで貴族の雇われにもなれた」


 なるほど。そういう考え方もあるのか。


「俺も落人で、《授かり》も持っている。俺も公言しているぞ」


「ラウルさんも《授かり》持ちですか?」


 ラウルの言葉に少し驚く。


「ああ、俺の《授かり》はちょっと特殊でな。戦いの中で、仲間をどう配置して動いてもらうか、感覚的に分かるんだ」


 戦闘中のラウルの指揮を思い出した。そして納得した。


「そうなんですね……お二人とも《授かり》持ちでしたか……」


 この二人と相談すれば、さっきの疑問が解消するかもしれない。


「フィロスさん。ああいうのって、《授かり》なんでしょうか?」


 フィロスが眉を上げた。


「何だ。お前、自分の《授かり》を知らんのか?」


「あるのかどうかも、分からないんです」


「……何言ってるんだ? 《授かり》なら使い方は初めから分かるだろう?」


「え……そうなんですか?」


 思わず聞き返した。まるで、知っていて当然という口ぶりだ。


「俺は最初から分かっていたぞ。お前は違うのか?」


「はい。そんなふうに分かったことはありません」


「俺もフィロスと同じだったな」


 ラウルが言う。


「自分に何ができるか、どう扱うかは最初から分かっていた」


「お二人とも、ですか」


 魔物がいると何となく分かる。師匠の剣も、動くより先に分かることがある。でも、その正体は知らない。剣を受ける方は、使おうと思って使えたこともない。


「……俺には、そういう自覚が一度もないですね」


「落人なのにか?」


「はい」


「あんな変な能力を持ってるのに?」


「はい」


 フィロスは何か言いかけ、口を閉じた。


「今ここで答えは出ないだろう」


 ラウルが言った。


「守る方に働く《授かり》なのかもしれない。だが、決めつけるのは早いな」


「俺も守る方だと思うが……索敵はなんなんだという話になる。だが、あの防御は《授かり》でないと説明つかん」


 フィロスは少し間を置いた。


「その後の打ち込みは、綺麗に入ったがな」


「……そこは忘れてもらえませんか?」


「一生言ってやる」


 フィロスが意地悪く笑うと、ラウルも小さく笑った。つられて俺も笑う。


「ノワールが落人だということと、今の力の話は、ひとまず俺たちだけにしておこう」


 ラウルの言葉に、俺もフィロスも頷いた。自分でもよく分からないことを、いま皆へ説明できる気はしなかった。


◆


「それにしても、石ころ」


 フィロスがいつもの調子に戻った。


「攻める時のお前、あんなに素直でよく剣士を名乗れるな」


「剣士を名乗った覚えはないんですけどね」


「師匠について稽古してるんだろうが」


「だから、まだ稽古中なんですよ」


 ラウルが横で笑った。


「フィロスも昔は似たようなものだったろう」


「お前は黙っていろ」


「へえ。フィロスさんも、よく叱られてたんですか?」


「余計な想像をするな、石ころ」


「ラウルさん、あとで教えてください」


「ラウル! 絶対言うなよ!」


 ラウルは肩を揺らしている。フィロスは不機嫌そうにしていたが、やがて自分でも笑い出した。


 岩陰から戻り、俺たちは寝具の近くへ腰を下ろした。もう声を潜める必要はない。


「そういえば、今日の〈クリフクロー〉なんですけど」


「何だ?」


「入口の上から降りてきた二体、どうやってあの岩棚に張り付いていたんですか? 下から見ると、すごい角度でしたよね」


「ほう。気づいたか」


 フィロスは刀を脇へ置き、空いた手で岩の形を示した。


「前脚だけでぶら下がっているようでも、後ろ脚をちゃんと岩へ押しつけているんだ。爪を掛ける向きも独特でな。だから横へ回れる」


「そんなところまで見てたんですか?」


「見るだろう、普通」


「普通かどうかは、ちょっと」


 ラウルが口を挟んだ。


「俺はあの時、入口を塞がれないかの方が気になったけどな」


「それはそれ、これはこれだ。あの二体、降りる前に一度止まっていただろう。あそこで脚の置き方が変わったんだ」


 俺は全然気づかなかった。


 そこからフィロスの話は、右の段差にいた個体の爪や、左の岩陰で聞こえた石を削る音へ広がっていった。同じ魔物でも岩への取り付き方が違うらしい。


「でも、そんなに細かく観察していたら、戦う時に忙しくないですか?」


「忙しいから面白いんだろうが」


「……なるほど」


 ちょっとわかる。好きなことの面倒ごとは面白い。


「いや、そこは納得するところか?」


 ラウルが笑う。


「フィロスさん、そういうことは書き残したりするんですか?」


 モンスター図鑑みたいな。


「書ける時はな。絵まで描くこともある」


「えっ、見たいです」


「お前に見せるために描いたんじゃないぞ」


「分かってます。でも、珍しい魔物の絵とか面白そうで」


「……ふん。機会があればな」


 ラウルが水筒を持ち上げた。


「気をつけろよ、ノワール。一度見せてもらうと、話を聞き終わるまで帰してもらえないからな」


「お前が前に質問を続けたんだろうが!」


「ああ、あれは俺が悪かった」


「そこで素直に謝るな!」


 また笑ってしまった。フィロスは真面目に話しているのだろうが、いつの間にか一番声が大きい。


「ラウルさんは、何か集めているものとかあるんですか?」


「俺か? 古い地図を見るのは好きだな。描かれていない道があると、どこへ続いているのか考えてしまう」


「分かります。今日みたいな隠し部屋も、見つけたくなりますよね」


「お前は常に、その先に宝箱があると思ってそうだが」


「宝箱なら、もちろん嬉しいですよ」


 フィロスが呆れたように首を振った。


「まったく、お前らも大概だな」


「今夜一番長く話してるのは、フィロスさんですよ」


「俺の話は役に立つ!」


「はい。すごく面白いです」


「……そういう意味じゃない」


 灯りの向こうでは、エルザとヴェラがこちらを見ていた。ミレイも二人の隣にいる。


「ノワール様。ずいぶん楽しそうですね」


「ええ。魔物の話を聞いてました」


「それは、よく聞こえていました」


 エルザが言うと、ミレイが小さく息をついた。


「フィロス様は、好きな話になると長いですから」


「お前まで何だ、ミレイ」


「いつものことですので」


 見張りに立つマルタも、こちらへ手を振った。


「そろそろ静かにしてよー。こっちまで全部聞こえるから!」


「……分かった」


 フィロスが素直に返したので、今度は俺が笑いをこらえる番だった。


「ほら、石ころ。寝るぞ」


「はい。でも、さっきの魔物の話、また聞かせてください」


「……お前も好きだな」


 寝具へ戻ると、エルザの髪際でリンが小さく揺れていた。灯りが少し落とされ、岩室が静かになっていく。


 横になって目を閉じた。


 明日はあの割れ目の入口を確かめて、町へ戻る。


 それなのに、今はもう少しだけ、剣の話も魔物の話も聞いていたかった。


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