第154話 九人の間
左の岩陰から、低く身を伏せた〈クリフクロー〉が現れた。岩柱の向こうでも灰色の影が動く。
「全部〈クリフクロー〉か?」
「そうだ。八体。右の三体が近い。上の二体は、もう入口の真上だぞ」
振り返りかけると、ラウルの声が飛んだ。
「ノワール、右だけ見てくれ。上はマルタに任せる」
「はい!」
ヴェラの丸盾の向こうに目を戻す。右手の段差から、爪を掛けた前脚が一本、床へ伸びてきた。
「ヴェラ、今は押し返さなくていい。そこを通すな」
「はい。ここは守ります」
「左は俺が止める。フィロス、数が動いたら頼む」
「言われるまでもない」
ラウルは中央の岩柱の左へ寄った。太い根元が入口側へ張り出し、左の岩との間は狭い。魔物も一度には並べそうになかった。
俺はヴェラの盾の内側で剣を構える。右の三体から目を離さない。
最初の一体が段差を飛び降りて、こちらに向かってくる。
ヴェラは盾を動かさない。魔物がその縁に爪を掛け、横から抜けようと首を伸ばす。
「足元!」
エルザの声で目を落とす。盾の右下に別の爪が伸びていた。二体目が低い段差を伝い、ヴェラの脚へ寄っている。
俺が剣を下げかけるより早く、ラウルの声が飛ぶ。
「ノワール、盾に掛かった奴を見ろ! 足元はヴェラに任せろ!」
「分かりました!」
ヴェラが盾を右へ傾け、伸びた爪を弾いた。短槍がその前脚を段差の下へ押し戻す。
盾に掛かっていた一体が顔をこちらへ向けた。短く突いた剣が肩口を捉えたが、魔物は身をひねった。
追って剣を振ろうとすると、背嚢が肘に当たる。
間に合わない。
ヴェラの盾が前へ出た。戻る場所を塞がれた魔物が足を滑らせる。そこへ短槍が伸び、首元を捉えた。
灰色の身体が段差の下へ崩れた。
「右、残り二体!」
剣を引き戻す。背中の荷物が揺れ、肘がまた窮屈になった。
左で槍が岩を擦る音がした。横目に、柱の根元へ寄る二つの影と、側面を登るもう一体が見えた。ラウルは槍先を上下させ、三体を近づけずにいる。
「入口の上、降りるぞ!」
背後で丸盾を打つ鈍い音が響いた。
「こっちは大丈夫!」
振り返ると、岩棚から飛び降りた魔物が、入口を背に構えるマルタの盾へぶつかっていた。
マルタは盾を斜めに立て、入口へ抜けようとする魔物を押し返した。灰色の身体が広間側へ落ちる。
ラウルの仲間がその後を追おうとした。
「追わないで! 入口を空けておいてください!」
ミレイの声に、動きかけた仲間が足を止めた。
「フィロス! 入口を頼む。俺は左を離れられない!」
「分かった!」
フィロスがこちらへ走ってきた。俺が避けようと動き出す前にフィロスの声が飛んできた。
「ノワール、柱側へどけ!」
岩柱へ身体を寄せると、ヴェラの盾との間に隙間ができた。フィロスがそこを駆け抜ける。
抜いた刀が、マルタの盾の前で起き上がろうとする魔物へ落ちた。灰色の身体が倒れ、そのまま動かなくなった。
「入口の上、まだ一体残ってるぞ!」
「見えてます!」
ミレイの指した岩棚に、もう一体が爪を掛けていた。マルタの盾の外へ回ろうとしている。
フィロスが刀を向けると、そいつは岩棚の奥へ跳ねた。
「上の一体を通すな!」
俺は右へ目を戻した。こちらにも、まだ二体いる。
そのうち一体が段差を蹴り、ヴェラの盾の外へ跳んだ。壁沿いに入口へ走る。
「ノワールさん、追わないで!」
エルザの声に、踏み出しかけた足を止めた。
「ラウルさん、右を抜けます!」
「ヴェラ、入口側を閉じてくれ。ノワールはそこにいろ!」
「はい!」
ヴェラが斜め後ろへ半歩下がり、盾を壁側へ向けた。出口を塞がれた魔物が急に向きを変え、俺へ寄ってくる。
剣先を合わせた。大きく振る必要はない。短い突きが胸の下へ入り、ヴェラの盾が横への逃げ道を閉じた。
刃を引くと、魔物は石床に倒れた。
追いかけていたら、この位置にはいなかった。
「右、残り一体。左はまだ三体だ!」
フィロスの声が飛ぶ。
左の岩柱を登っていた一体が、側面を伝って下りてくる。ラウルが穂先を向けると、そいつは爪を掛け直して止まった。
その下で、別の一体がラウルの足元へ飛び込んだ。
「左、下!」
エルザが灯りを寄せる。
ラウルが半身を引き、短い突きで胸元を捉えた。灰色の身体が岩柱の根元へ転がる。
残る二体は柱の向こうへ下がった。
ラウルは追わず、俺たちの方へ顔を向けた。
「ヴェラ、そのまま右を頼む。ノワールも剣を戻しておけ!」
「はい!」
まだ剣先を右へ向けたままだった。背嚢を避けながら、刃を手元へ戻す。ヴェラの盾は、その間も前にあった。
右の残り一体が段差の上で爪を立てた。飛びかかってくるかと思ったが、岩陰の奥から爪音が響くと、そちらへ身をひるがえした。
「……引いていくぞ。右に一体、左に二体だ」
俺は息を吐きかけ、入口の上を見た。
もう一体いるはずだ。
「上は?」
「残ってる。そいつだけ動きが違う」
フィロスが言い終わるより早く、岩棚から石の粉が落ちた。
〈クリフクロー〉が岩棚の端で身を縮め、マルタの背後にある下り通路の方へ顔を向けた。
「マルタ、入口を守れ。フィロス、マルタの右から入れ」
「了解」
マルタは入口を背に、丸盾を斜め前へ構えた。通路へ通じる床は空けない。
魔物が岩棚を蹴った。
マルタの正面へ落ちる直前、そいつは身体をひねり、盾の右脇へ回ろうとした。
そこにフィロスがいた。
刀が一度だけ光り、着地しかけた魔物の前脚を払う。姿勢を崩したところへマルタの盾が横から当たり、魔物は石床へ転がった。
フィロスの二撃目を受けて、灰色の身体が動かなくなる。
「……終わりましたか?」
フィロスは入口の上を確かめてから刀を下げた。
「今、近くで動いているのはいない。三体は引いていった」
「三体?」
「右に一、左に二だ。ちゃんと数えろ、石ころ」
「あれ? さっき俺のこと名前で呼んでくれましたよね?」
「……気のせいだ」
フィロスは顔をそらした。面白い。
「全員、怪我は?」
マルタが盾を持つ腕を動かし、ヴェラも足元を確かめた。ミレイが後ろの二人へ声を掛ける。大きな怪我を訴える者はいない。
俺も手足を確かめた。剣を持つ腕は重いものの、爪に触れられてはいない。
「ここに留まるのは危ない。一度、通路へ戻ろう」
倒した五体は床に残り、逃げた三体の姿は見えない。中央の岩柱の裏もまだ確かめていなかった。
「マルタ、入口を頼む。ミレイは後ろをまとめてくれ。フィロスは動きを見ていてくれ。エルザ、灯りは広間へ向けたままで」
「任せて!」
マルタがミレイたちを先に通し、エルザは灯りを広間へ向けたまま下がった。俺もヴェラの盾の内側で後退する。ラウルとフィロスが最後についた。
通路へ入る直前、中央の岩柱の向こうから、水が落ちるような音がした。
思わず振り返ったが、灯りはまだ柱の向こうへ届かない。
◆
広間から少し戻り、通路の幅が広がるところで足を止めた。入口側ではマルタとフィロスが警戒を続け、ラウルの仲間も前後を見ている。
ようやく背嚢へ手を回す。右肘の後ろに当たる位置が、やっぱり気になる。
「ノワール、荷物は大丈夫か?」
ラウルが声を掛けてきた。
「正直、重いです。少し肩紐を直します」
引き直すと、右へ寄っていた背嚢がわずかに中央へ戻った。
ラウルはヴェラへ頷いた。
「右を守ってくれて助かった」
「ノワール様が内側にいてくださいましたから」
「いや、俺はほとんど動けてませんでしたけど」
「だから、私が動けたんです」
言われて、すぐには返せなかった。
エルザが俺の背嚢を見た。
「荷物の見直しは、帰ってからですね」
「……そうですね」
帰る、という言葉に下り道を振り返った。さっきの広間は、まだ地図の外だ。岩柱の向こうで聞こえた音も、何だったのか分からない。
「まだ奥が気になりますか?」
エルザに聞かれ、頷いた。
「……はい。もう少し、見てみたいですね」
エルザも下り通路の先へ目を向けた。
「私もです」
ヴェラが丸盾の持ち手を握り直す。
「進めるかどうかは、まだ分かりませんけど」
広間は、もうここからは見えない。
あの岩柱の奥には、まだ道が続いているかもしれない。




