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明日も、ダンジョンへ。  作者: 為書結依
第五章 知らない道の向こう

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第153話 見えない二体


 石の転がる音が消えても、フィロスは曲がり角から目を離さなかった。


「〈クリフクロー〉だ。二体いる」


「……もう種類まで分かるんですか?」


「お前とは違うんだよ、石ころ……一体は右下。もう一体は左上だ。上の奴が少し動いている」


 曲がり角の向こうには、まだ何も見えない。


 水気のある奥へ、いつものように感覚を伸ばしてみる。押して戻るような弱い反復が伝わってきた。


 何かがいる。だが、二体かどうかは分からなかった。


「ノワールも何か感じるのか?」


 ラウルに尋ねられ、頷く。


「はい。奥に生き物はいると思います。でも、俺には二体とは言い切れません」


「そうか」


 ラウルはそれ以上聞かず、フィロスへ顔を向けた。


「どんな出方をしそうだ?」


「右下はこっちへ寄ってる。左上は横に動いてるな。岩棚でもあるんだろう。あいつらは爪を掛けられりゃ壁も登る」


「分かった。ここで受ける」


 ラウルは曲がり角の手前にある、少し幅の広い足場を指した。


「ヴェラ、右を頼む。俺は左を見る。ノワールは盾の内側だ。マルタ、俺の左後ろについてくれ。後方は任せる」


 ラウルの仲間の一人が返事をし、もう一人は後方を警戒した。


 ヴェラが右、ラウルが左に立つ。マルタはラウルの一歩後ろで盾を構え、エルザとフィロス、ミレイは少し距離を取った。


「ノワール様、私の少し後ろ、内側をお願いします」


「はい。前へ出すぎないようにします」


「そこまで言ってませんけど」


「師匠の教えです」


 ヴェラが小さく笑い、丸盾を前へ向けた。


 俺も剣を抜いた。背嚢の端が肘に触れる。町で試した時と同じだ。


◆


 最初に姿を現したのは、右下にいた一体だった。


 曲がり角の先、床が少し落ち込んだところから灰色の毛並みがのぞいた。短い牙と、石に引っ掛ける太い爪。見覚えがある。


 前に俺の左腕を傷つけた、あの魔物と同じ種類だ。


「右の一体が来る」


 フィロスが言う。


 〈クリフクロー〉は低い姿勢で駆け出した。ヴェラが丸盾を前へ向ける。


 ところが魔物は、盾にぶつかる手前で右へ折れた。


 魔物は斜めに張り出した右壁へ爪を掛け、身体を持ち上げた。石を引っ掻く音が、目の高さより上へ移る。


「上から来ます!」


 ヴェラが盾を持ち上げる。魔物はその上を越えようと、後ろ脚でも岩を蹴った。


 左腕が上がりかけて、止めた。前はあの爪で裂かれた。


 盾の内側から剣を短く突き出し、岩へ掛かっている前脚の爪を狙った。刃が硬いものに当たり、爪が石から滑る。


 魔物の身体が傾いた。


 剣を引こうとして、背嚢が肘につかえた。


 もう一度振る余裕はない。


 ヴェラが丸盾を押し上げた。支えを失った魔物は盾の縁に横腹をぶつけ、そのまま石床へずり落ちる。


 ヴェラの短槍が、起き上がろうとした魔物の首元へ入った。


 穂先を抜くと、魔物は前脚を引き寄せるように動かし、それきり止まった。


「一体、倒しました!」


 俺が声を出すと、フィロスがすぐに応じた。


「もう一体は左! そっちから後ろへ抜けようとしてるぞ!」


 左の壁に細い岩棚が見えた。灰色の魔物がそこへ爪を掛け、横へ進んでいる。


 あのまま来られたら、ラウルの横を抜けて後ろのエルザたちへ届いてしまう。


「マルタ、そこを塞いでくれ」


「任せて!」


 マルタがラウルの外側へ半歩移り、丸盾を岩の張り出しへ寄せた。


 盾の縁が〈クリフクロー〉の行く手を塞ぐ。爪が岩を削り、石の粉が落ちた。


 魔物が上へ回ろうと頭を持ち上げた。


 その瞬間、ラウルの槍が短く伸びた。穂先が岩棚と盾の間へ入り、魔物の胸元を捉える。


 灰色の身体が大きく震え、爪が一つずつ岩から外れた。ラウルは槍を引いて距離を保つ。魔物は狭い床へ崩れ落ち、そのまま動かなくなった。


 俺は剣を構えたまま、曲がり角を見た。


 まだ、何か来るだろうか。


「二体。これで終わりだ」


 フィロスの声に、すぐ隣でヴェラが息を吐いた。俺もようやく剣先を下げる。


◆


「本当に二体でしたね」


 剣を鞘へ戻しながらそう言うと、フィロスが眉を上げた。


「何だ。疑っていたのか?」


「いえ。俺には何かいるとしか分からなかったので」


「当然だろう」


 ずいぶん嬉しそうに言う。


 姿を見る前に、種類も数も位置も当てていた。俺が感じているものとは、どうも違うらしい。


「石ころ、お前はよくそれで今まで無事だったな」


「ありがとうございます」


「……褒めてないぞ」


「そうなんですか?」


 横でミレイが口元を押さえた。


 魔物の死骸を通路の片側へ寄せると、ラウルが曲がり角の先を確かめた。左の岩棚は続いていたが、人が通れる幅ではない。右下には爪で削られた跡が残っている。


「先を見よう。ただし、ここへ戻る道は覚えておいてくれ」


「はい」


 エルザが手帳へ短く書き込み、俺たちと一緒に歩き出す。


 曲がり角の先も下りが続いていた。天井の低いところでは背嚢を前へ傾ける。足元には水の流れた跡が残っていた。


 進むうち、音の響き方が変わってきた。ヴェラが小石を踏んだ音が、近くの壁ではなく、もっと遠くから返ってくる。


「……広くなってる?」


 思わず声が出た。


「まだ先は見えませんね」


 エルザが灯りを高く送る。


 その光が、通路の終わりでふっと広がった。


◆


 思わず足が止まった。


 石の床が左右に大きく広がり、天井も高い。灯りは奥の壁まで届かなかった。


 中央には太い岩柱のようなものが立ち、その向こうは見えない。右手に低い段差、左には大きな岩が重なっている。


 振り返ると、下ってきた通路の入口が少し高い位置に見えた。その上の岩棚は壁沿いに奥まで続いている。


「おお……」


 声が漏れた。


「すごいですね」


 ヴェラが俺の隣へ来た。丸盾を持ったまま、ゆっくり天井を見上げている。


「まだ地図には載っていない場所、ですよね」


「ええ。少なくとも、私たちが持っている地図には」


 エルザが答える。


 俺たちはまだ入口から数歩しか進んでいない。ラウルとフィロスが前にいて、マルタとミレイ、ラウルの仲間二人は出口近くで待っていた。


 ラウルが、広間の奥を確かめようとした時だった。


「待て」


 フィロスの声に、ラウルの手がすぐ上がった。


 フィロスは右、左と目を走らせ、最後に入口の上を見上げた。


「寄ってきてる」


 右の段差の奥で、石が擦れる音がした。


「右に三、左にも三。奥の二体は……入口の上へ回ってる」


 灯りの外で、別の音が重なった。


「囲まれてるぞ」


 ラウルは問い返さなかった。


「ヴェラ、右。マルタ、入口を守れ。左は俺が見る。ノワールはヴェラの内側から離れるな。ミレイ、後ろをまとめてくれ。フィロス、動きを知らせ続けてくれ」


 マルタが出口へ向き直り、ヴェラは丸盾を右へ向けた。俺はその内側へ下がる。エルザの灯りが少し高くなり、ミレイたちの立つ場所が見えた。


 左の岩陰で、影がひとつ動いた。続いて、別の場所からも。


 今度は、二体だけじゃなかった。


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