第152話 知らない側へ
「フィロスさんも来るんですね」
そう言うと、向かいの席からじろりと睨まれた。
「来ては悪いのか、石ころ」
「いえ。むしろ、来てくれると助かります」
「……ふん」
フィロスは鼻を鳴らして、卓の上の地図へ目を戻した。隣に座るミレイが俺へ会釈する。
「フィロス様も、今回は積極的に探索するおつもりです」
「ミレイ、余計なことは言わなくていい」
「はい。では、必要なことだけお話ししますね」
言い方は丁寧なのに、ちっとも引いていない。
昨日は三人で荷物を背負って町を歩いた。その翌日の午後、ラウルに呼ばれてギルドへ来てみれば、奥の卓には思った以上に顔が揃っていた。
ラウルとマルタ、前の調査でも一緒だったラウルの仲間が二人。フィロスとミレイに、俺たち三人。九人だ。
「前より一人少ないんですね」
「ああ。こちらの一人は別の仕事が入った。残りの者とは予定を合わせられそうだ」
ラウルはそう答えて、地図をこちらへ向けた。
第二分岐の左奥、前回通った岩室からさらに上り、下りに転じたところで、地図の線は途切れていた。
「今回、確かめたいのはここだ」
指が、何も描かれていない紙の上で止まる。
地図の上では指一本ぶんの空白だ。けれど、実際にそこまで歩いてきたことを思い出すと、やけに遠く感じる。
「その先に、何があるか分かっている人は?」
俺が尋ねると、ラウルは首を振った。
「少なくとも、今使っている記録にはない」
「じゃあ、本当に初めてなんですね」
ヴェラが少し身を乗り出した。
「……楽しみです」
声は小さかったが、卓にいたマルタがすぐに顔を上げる。
「私も。前はあそこで帰ったからね」
マルタがヴェラの丸盾へ目をやった。
「ただし、今回は荷物もある」
「昨日、背負って試してみました」
「どうだった?」
「盾を引くと布包みに当たりました。でも、直せそうです」
「だったら、出発までに一度見せてよ。参考にしたいから」
「はい。ぜひ」
話が早い。俺がドランに相談した時とはずいぶん違う。
◆
「石ころ」
フィロスに呼ばれ、地図から顔を上げた。
「お前は、ダンジョンに何を求めてるんだ?」
「何を、ですか?」
「どうせ宝箱だの隠し部屋だのと言うんだろう」
「……どうして分かるんです?」
「フィロス様も最初の頃そんな感じでした」
隣のミレイさんが口を挟んだ。
「そんなことない!」
フィロスも同じ道を通っていたのか。
「でも、フィロスさんは魔物が気になるんじゃないですか?」
「当然だ。今までと違う魔物がいるなら、先に知っておく必要がある」
「新しい魔物って、少しわくわくしますよね?」
「……お前と一緒にするな。知らずに踏み込めば、誰かが死ぬ」
思いがけず低い声だった。
俺が口を閉じると、フィロスは地図の線の端を指で叩いた。
「だが、何がいるのか分からんからといって、いつまでも手前で止まっているわけにもいかん。見に行くからには、見て帰る。それだけだ」
「……そうですね」
「お前は、見つけた物へすぐ手を出すなよ」
「俺だけですか?」
「特にお前だ」
隣でエルザが頷いた。昨日のことは、まだ覚えているらしい。
ラウルが地図を畳みかけて、手を止めた。
「先へ行きたいのは俺も同じだ。ただし、戻れなくなるような進み方はしない。泊まるかどうかも現地で決める」
「それで、出発は?」
マルタが尋ねる。
「三日後の朝を考えている。俺たちとフィロスたちは都合がついた。君たち三人はどうだ?」
ようやく、出発の日が見えてきた。
エルザが手帳を開いたが、すぐに書くのをやめて俺たちを見た。
「大丈夫そうですか?」
「俺は行けます」
「私も大丈夫です」
ヴェラの返事は早かった。エルザも頷き、ラウルへ向き直る。
「では、私たち三人とも参加します」
「ありがとう。なら、三日後の朝で決まりだ。受付の方は俺から通しておく。明日のうちに分担だけ相談させてくれ」
「分かりました」
俺はもう一度、畳まれる前の地図を見た。
線の先は、やっぱり白いままだった。
◆
三日後。
〈灰石の口〉の前に立つと、いつもの朝と少しだけ景色が違って見えた。
入口脇ではガイルが木札を並べている。集まったのは、あの日ギルドの卓にいた九人だ。
俺の背中にも、今までより重い背嚢がある。
「ノワールさん、今日はちゃんと戸柱を避けられましたね」
「もうその話はいいでしょう」
エルザは何も答えず、俺の肩越しに背嚢を見た。
横ではヴェラが丸盾を構え、左へ少し引いてから戻していた。布包みは以前より中央へ寄せてある。盾の縁は当たらない。
「大丈夫そうですか?」
「はい。マルタさんにも見てもらいました」
「全員、揃ったな」
ラウルに呼ばれ、九人が入口の前へ集まる。
「前の調査で通れた道でも、今日は同じとは限らない。何かあれば、その場で声を掛けてくれ」
「分かった。まずは行こう」
フィロスが応じると、ミレイが横から笑みを向けた。
「フィロス様。木札をまだ受け取っていませんよ」
「……今、受け取るところだった」
ガイルが差し出した札を、フィロスは何事もなかったように受け取る。
俺も自分の札を受け取り、番号を確かめた。いつもと同じ木の手触りなのに、今日は帰ってくるまでが少し長くなるかもしれない。
それを鞄へしまったところで、エルザが隣へ並ぶ。
「緊張してます?」
「少し。楽しみでもありますけど」
「私もです」
エルザはそれだけ言い、先に入口へ目を向けた。
岩の向こうから冷たい空気が流れてくる。
◆
第一層の第三道標を過ぎ、最初の分岐を左へ進む。
白墨の印が灯りに浮かぶ。曲がり角を抜けるたび、前に通った道だと思い出した。
第二分岐の左側へ入ると、前回魔物と戦った場所に近づいた。先頭のラウルが立ち止まり、奥を見渡す。
「ここで一度、後ろを確かめる」
後ろから返事が届いた。狭い場所は前回と同じように、何人かが広い方に残って順に進む。
岩室に入ると、岩の割れ目が見えた。
あちらもまだ調べていない。けれど、今日向かうのはその左側だ。
上りへ入る前に、背嚢の重みを肩で支え直す。町で背負った時とは違い、足元は平らではない。
慎重に進む。上りを抜けると、道は緩やかな下りへ変わる。
ここまでは知っている。
ラウルが足を止める。エルザの灯りが届くのは、下り道が右へ曲がるところまでだった。
「この辺りで前回は引き返したな」
「ああ」
ラウルの言葉に、フィロスが短く応じた。
俺は後ろを振り返った。ヴェラの丸盾、その隣のマルタ、少し奥に残る仲間たちの灯りが、曲がり角の向こうまで続いている。
さっきまで普通に話していた人たちが、今は誰も無駄な声を出さない。
「……進むぞ」
ラウルが足を踏み出す。
一歩、二歩。
エルザが灯りを少し前へ送った。下りの先から、濡れた石の匂いが漂ってくる。
「待て」
フィロスの声に、ラウルはすぐ足を止め、片手を上げた。俺たちもその場で立ち止まる。
「この先に魔物がいる」
俺は灯りの先へ目を凝らした。曲がり角の向こうまでは見えず、物音も聞こえない。
「何か聞こえたんですか?」
俺が尋ねると、フィロスは短く答えた。
「いや。だが、いる」
その時、暗い奥の方で何かが小さく鳴った。
石が転がるような音だった。ひとつだけで終わり、あとは何も聞こえない。
俺は剣の柄へ手を添えた。
音のした場所は、まだ見えなかった。




