第149話 泊まる条件
食堂で魚を分け合った日から、三日が過ぎた。
その間、俺はいつもどおり朝の稽古へ通い、日中は三人で町の仕事を探し、宿へ戻って夕食を食べていた。変わったことといえば、エルザの手帳に荷物の項目が少しずつ増えているくらいだろうか。
今朝もその手帳を眺めていると、俺の向かいでヴェラが丸盾の革紐を締め直した。
「ノワール様。前に話していた、荷物を背負って剣を振る稽古はどうでしたか?」
「師匠に相談はしましたよ」
「何て言われたんです?」
「『まず普通に振れ』でした。おかげで三日間剣を振りっぱなしです」
全然、剣を受ける稽古をさせてもらえなかった。
エルザが手帳を閉じた。
「ずいぶん短いお返事ですね」
「饒舌な師匠は想像したくないです」
荷物を背負う前に、剣を戻す手をどうにかしろ。要するにそういうことらしい。言われたことはもっともなので、今のところ反論の余地はない。いざとなったら荷物を降ろそう。
女将に空いた皿を渡し、三人で〈鈍色亭〉を出た。今日はギルドへ寄ったあと、午後に受けられる仕事がないか見るつもりだ。
ところが、受付へ向かうなりミラがこちらを見つけた。
「ノワールさん、エルザさん、ヴェラさん。ちょうどよかったです」
「おはようございます。何かありました?」
「先日の合同調査の件で、ラウルさんからお話があるそうです。今日、皆さんが来たら声を掛けてほしいと頼まれていて」
エルザと顔を見合わせる。三日前に会った時は、まだ行程も組めないという話だった。
「もう、次の依頼が決まったんですか?」
「依頼の内容と条件はまとまりました。ただ、参加される方たちのお返事は、これからです」
ミラが手元の紙を持ち上げる。
「お時間があれば、奥の卓で説明を受けていただけますか。受けるかどうかは、聞いてから決めてください」
「はい。お願いします」
ヴェラも頷いた。エルザはすでに鞄から手帳を出している。
◆
奥の卓には、前に見せてもらった第一層の地図と、新しい依頼書が置かれていた。
ラウルは俺たちが座るのを待ち、地図と依頼書を重ねずに並べて見せてくれた。今日はマルタの姿はない。
「急に呼んですまんな。ようやくギルドと話がまとまった」
「いえ。何をする仕事になったんですか?」
「前に引き返した岩室の周りを、もう少し確かめたい。とくに、左から上った先の下り道だ。あれがどこへ続くのか、分かるところまで記録する」
ラウルの指が、地図の細い線の終わりで止まった。
前にエルザが、ここから先は描けないと言った場所だ。下り始めるところまでは見たが、その先へは入っていない。
「岩室の正面の割れ目も調べるんですか?」
「そちらは入口の状態を確かめる程度だな。二つ同時に奥まで入ろうとは思っていない。まずは上りの先を優先する」
「一度に全部ではないんですね」
「知らない道が二本あるからといって、二本とも進める理由にはならんだろう」
それなら、前に通った道を案内する役も必要になる。俺がそう言うと、ラウルは頷いた。
「一度通ったから安全だと決めつけるつもりはないが、足を置いてはいけない場所を知っているのは助かる。前の調査と同じところを、また確認してもらいたい」
エルザが依頼書に目を落とした。
「最大で二日間、ということですか」
「ああ。日帰りで奥へ入って、慌てて戻ることはしたくない。ただし、必ず一泊するという意味じゃない」
「どういうことでしょう」
ヴェラが尋ねる。
「夜を越せる場所が確保できるなら、そこで休んで二日目に調べる。場所が見つからない、灯りや見張りを置けない、退路が悪くなった。そういう時は、一日目の帰還に間に合うところで引き返す」
「帰れる時刻を過ぎてから、寝る場所がないと分かるのは困りますね」
「だから、その時刻は出発前に決めておく。現地で無理に延ばさん」
ラウルが依頼書の一行を指した。そこには、調査を途中で終えても、確認できた範囲を報告すれば依頼として扱うと書かれている。
エルザはその行を指で押さえた。
「ここは大事ですね。戻ったから失敗、という扱いではないんですね」
「そうしてもらった。先を見たい気持ちで、戻る判断が遅くなっては困るからな」
「報酬は、日帰りになった場合と一泊した場合で違いますよね」
エルザは依頼書に並んだ二つの金額を見比べ、下の方を指で示した。
「日数が違えば金額も変わる。そこはその時の状況次第だ」
「分かりました。必要な道具の費用は、どこまでこちらで持つんでしょう」
「自分の寝具や食料は各自だ。全員で使う物は、顔ぶれが揃ったところで分担を相談する。準備に無理があるなら、その時点で言ってくれ」
「ありがとうございます。そこも三人で確かめておきます」
俺は地図へ目を戻した。前に立った岩室の広さは覚えているが、あそこに全員の寝る場所を作れるかと聞かれたら、答えようがない。魔物と戦った場所でもある。
「泊まれる場所の候補は、もうあるんですか?」
「候補を考えることはできる。だが、実際に使えると決めるのは当日だ。広いだけで寝られるわけじゃない」
「そこは、見てからですね」
「そういうことだ」
ラウルが地図を横へ寄せ、今度は持ち物の欄を見せた。
◆
「水と食料、灯りの予備、休むための布。それに、いつもより荷物が増える」
「ラウルさん。この紙だと、人数分の寝る物と、全員で使う物が一緒になってませんか?」
エルザが尋ねると、ラウルは紙を覗いた。
「確かに、分かりにくいな。自分で持つ物と、人数で分ける物に分けよう」
「前に私たちも、それを話していたんです」
エルザが手帳を開く。『歩きながら使う物』『休む時に出す物』と書かれた欄には、すでにいくつかの印が付いていた。
「ほう。準備が早いな」
「まだ買ってない物ばかりですけど」
「買っていないなら、これから決めればいい」
そう言ってもらえるのはありがたい。俺はここ数日、鍋の売り場を二度ほど通り過ぎている。
ヴェラは依頼書を自分の方へ引き寄せた。
「マルタさんも参加されるんですか?」
「本人は行きたいと言っている。だが、向こうにも予定がある。まだ確定ではない」
ヴェラは少し頷いた。肩の力が抜けたようにも見えた。
「ほかの方は?」
エルザが聞く。
「こちらの仲間にも確認中だ。フィロスたちにも話はするつもりだが、返事はもらっていない。前回と同じ人数になるとは限らん」
なるほど。十人分の鍋を今から選ばなくてよさそうだ。
「フィロスさんも来てくれるといいですね」
俺が言うと、ラウルは頷いた。
「あいつの感知は、未知の道を調べる時に頼りになる」
「確かに」
「ただ、フィロスと険悪にならずに一緒に仕事ができる冒険者は、そう多くないんだ」
エルザとヴェラが同時に頷く。少し笑ってしまった。
「……俺たちも、結構言い合ってますけど」
「言い合いはしても、必要な報告は止めなかっただろう。あいつも仕事の話なら聞いていた。そういう相手は貴重なんだよ」
「仲良くしているかと言われると、少し違いますけどね」
エルザが手帳から顔を上げた。
「仲良しである必要はないさ。前の調査では、三人とも自分の役目を果たしてくれた。お前たちにまた声を掛けた理由の一つだ」
「でも、俺はまだ石ころなんですよね」
「そこはフィロス本人に言ってくれ」
ラウルが笑った。
「ノワールは何かあるか?」
「俺ですか。水なら、いざという時に魔法で補えます。前にも話しましたけど」
「ああ、覚えている。使わずに済むなら、それが一番だ」
「もちろん、持っていく分は減らしません」
「それでいい」
ラウルが水の欄に小さく印を付ける。自分にもできることが一つあるのは、やはり嬉しい。
その下には、火を使う道具の欄もあった。
「食事は、温められる場所が見つかればいいですね」
「火を使えるかは、空気の流れも含めて確かめてからだ。まずは火が使えなくても食べられる物を持っていく」
「分かりました」
やっぱり鍋は、まだ先だな。
エルザがこちらを見て、何も言わずに手帳の『鍋』に丸を付けかけた鉛筆を止めた。
「今、付けようとしました?」
「いいえ」
「絶対付けようとしてましたよね」
「ノワールさんが見ているからですよ」
俺のせいになった。
◆
依頼書の最後まで目を通してから、ラウルが俺たちを見た。
「どうだろう。まだ顔ぶれは揃っていないし、出発もすぐではない。無理なら断ってくれて構わん」
「三人で、少し話してもいいですか?」
ヴェラが先に尋ねた。
「もちろんだ」
ラウルは依頼書を卓に残し、少し離れた別の卓へ移った。俺たちは顔を寄せるほどでもない距離で、声を落として話した。
「俺は、行きたいと思ってます。前に見たところの先が気になりますし」
「私もです」
エルザが頷く。
「ただ、行程が決まってから荷物を試して、無理だったら相談し直せることは確認しておきたいです」
「それはそうですね。ヴェラさんは?」
ヴェラは依頼書をもう一度読み、休憩と帰還の条件が書かれたところを指でなぞった。
「私も行きたいです。ただ、荷物は試してから決めたいです」
ヴェラの言葉に頷いた。
「じゃあ、参加したいという返事はして、荷物と当日の条件は改めて確認する、でどうです?」
「私はそれでいいと思います」
「私もです」
ラウルが戻ってくると、エルザが代表して三人の返事を伝えた。
「参加したいです。ただ、具体的な荷物を決めてから一度、実際に背負って確かめたいと思っています」
「構わん。無理に持たせるつもりはない。分担は全員の顔ぶれが決まってから相談しよう」
「夜営できないと判断した時は、予定どおり戻るんですよね」
今度はヴェラが尋ねる。
「ああ。そこは変えない」
「分かりました」
ラウルはヴェラに頷いてから、俺へ視線を移した。
「ノワールもいいか?」
「はい。お願いします」
「ありがとう。正式な受付は、全員の予定と持ち物を確認してからだ。出発日が決まったら、またミラさんを通して知らせる」
参加の意思は伝えたが、まだ日付も人数も決まっていない。まずは荷物を背負ってみないことには、どうにもならない。
依頼書を返そうとしたところで、ラウルが一つ付け加えた。
「そうだ。今度は、荷物を背負った状態で歩いてもらうことになる。普段と違う重さで動く練習はしておいてくれ」
「はい。ちょうど、師匠に相談しているところです」
「それなら安心だ」
「安心するのはまだ早いかもしれません。普通に振れるようになってから来いと言われましたので」
ラウルが声を立てて笑った。
「まあ、まずは普通に振れるようになってくれ」
師匠の味方が増えた。
◆
ギルドの外へ出ると、ヴェラが肩に掛けた背嚢を一度持ち上げた。
「明日は、この中身を少し入れ替えて試してみたいです」
「私も手伝います。休む時に使う物は、まだ全部揃ってませんけど」
「重さを合わせるだけなら、今ある物で試せると思います」
ヴェラが言った。
「私はまず、背嚢が盾に当たらない位置を探したいです。ノワール様も、剣が抜けるか確かめた方がいいと思います」
「そうですね。師匠にまた怒られそうですけど」
「怒られない日があるんですか?」
思い出してみるとないかも。
何も言い返せずにいると、ヴェラが俺たちの間で小さく笑った。
明日はまず、荷物を入れた背嚢を背負ってみよう。剣を振るのは、それから師匠に相談することにした。




