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明日も、ダンジョンへ。  作者: 為書結依
第五章 知らない道の向こう

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第148話 まだ買わない

 エルザの手帳から写した紙を、朝食の後でもう一度広げた。


 昨日は布と縄を確認したところで終わっている。今朝は俺の鞄の中身も卓へ並べてみたが、余分に入ると思っていた場所には、替えの布と水筒が収まっていた。


「思っていたより、空いてませんね」


「ノワールさん、先に鍋を入れるつもりで見てませんでした?」


「……そんなつもりはありませんよ」


 何とかして鍋を入れられないだろうか。


 エルザが紙の隅に書いた鍋の文字へ目を落とす。消されてはいないが、その横には小さな丸も付いていなかった。


「まだ買ってませんからね」


「……分かってます」


 ヴェラは自分の背嚢を肩に掛け、丸盾を持ったまま身体を左右へ向けてみせた。革紐の位置を少し直すと、背嚢の角が盾の縁から離れる。


「このくらいなら大丈夫そうです。でも、食料が増えたら、もう一度確かめたいです」


「行程も決まっていませんしね。今日は、どんな荷物が必要になりそうか聞ければ十分じゃないでしょうか」


 エルザの言葉に、俺たちは頷いた。


 正式な依頼が出たわけではない。まして夜営まで決まったわけでもない。今ある物を調べたからといって、次に何を買えばいいかまでは分からなかった。


「一応、紙は持っていきましょう」


 エルザが鞄に紙をしまう。ヴェラは背嚢を下ろし、盾の革紐を元の長さに戻した。


「それと、これは使う予定がなくても覚えておきたいです。荷物を背負うと、盾を回せる範囲が変わりますから」


「俺も一度、背負って剣を振ってみた方がいいかもしれませんね」


「ドランさんのところで?」


「はい。ただ、剣を戻すのもできてないのに、荷物まで増やしたら何を言われるか」


「『めんどくせぇ』ですかね?」


 エルザに笑われた。


◆


 ギルドの依頼板は、昼前でも人が絶えなかった。


 俺たちが札の前で足を止めると、奥から聞き覚えのある声がした。


「あ、ヴェラだ」


 振り返ると、マルタが手を上げていた。その隣にはラウルもいる。二人とも旅装ではなく、普段の装備を身につけた姿だった。


「マルタさん。こんにちは」


「この前はありがとう。あの盾の持ち替え、家でも少し試してみたよ」


「どうでしたか?」


「腕は楽だった。ただ、私の盾だと紐がちょっと邪魔になる。そこを直したくてね」


 マルタが自分の丸盾を軽く持ち上げる。ヴェラもすぐに盾の縁へ目を向けた。


「紐の長さなら、握り直す前に少し余裕を作る方がいいかもしれません」


「やっぱり? 今度もう一度、見てくれる?」


「はい。私も、マルタさんの受け方を試してみたいです」


 二人の話が始まると、俺に分かるのはせいぜい、どちらの盾も手入れがよさそうだということくらいだった。


「荷物の相談か?」


 ラウルは、エルザが鞄から取り出した紙へ目を向けた。


「はい。次の調査で何を持つことになるか、まだ分かりませんので。今あるものだけ先に確かめているところです」


「それでいい。まだ正式な行程を組める段階じゃないからな。地図の方も、見た場所と未確認の場所を分けている最中だ」


「なら、買い物はもう少し先ですね」


「先に買って持てなくなったら困るだろう」


「まさにそれを調べてました」


 エルザが笑って紙を畳む。


 俺たちは依頼板の前を空け、壁沿いの卓へ移った。マルタもヴェラと並んで歩き、盾の革紐を指で引いて確かめている。


「それで、次の探索の件だが」


 ラウルが卓の端へ片手を置いた。


「まだ詳しい行程は出せない。すまんな」


「いえ。決まってないうちに答える方が困りますから」


「そう言ってもらえると助かる。奥まで進むなら、見た道をもう一度通るだけじゃ済まない。地図が固まってからでないと、何人必要かも決めにくいんだ」


「前回、通れた場所でも荷物が増えたら別ですしね」


 エルザの言葉に、ラウルが頷いた。


「そうだ。調査の目的も、前回より先へ入ることなのか、通った場所の確認なのかで変わる。そこを決めずに人だけ集めても、足並みが揃わん」


 エルザが畳んだ紙を受け取り、卓へ広げた。


「だったら、こちらで今できるのは、持ってる物を調べるくらいですね」


「それと、何を背負えば動けなくなるか、だな」


 ラウルが紙を覗く。


「意外と、そっちの方が大事かもしれません。鍋一つでも、場所を取りますし」


「鍋?」


「ノワールさんが気になっているんです」


 エルザがすぐに答えた。


「俺だけじゃありませんよ。温かい食事は大事でしょう」


「大事だな。だが、鍋を持ったせいで食料が入らなくなったら困る」


「そうなんですよね……」


 ジレンマだ。


 マルタが吹き出した。


「何がおかしいんだ?」


「いや、今のはずいぶん真面目な顔で言うことじゃないと思って」


「真面目な話だろう」


 ラウルは首を傾げていた。どうやら冗談で言ったわけではなかったらしい。


「荷物の配分については、私も相談したいことがあります」


 ヴェラが紙へ指を置いた。


「背嚢を背負って、盾も持ってみました。今の荷物なら動けますけど、寝るための布を付けると、盾を後ろへ引きにくくなりそうです」


「それは全体の安全にも関わるね。荷物をほかの人に分けることも考えないと」


 マルタが言った。


「ええ。でも、だからといって全部ほかの方へお願いするのも違いますから」


「そこは中身を分ければいいさ。取り出す頻度だって違う」


「頻度、ですか」


「休む時にしか出さない物と、歩いてる最中に使う物を同じところへ押し込むと面倒だからね」


 ヴェラはすぐに頷いた。


「それなら、私も紙を分けて書いてみます」


 エルザが手帳を開き、ヴェラの方へ少し寄せた。


「ここに欄を作りましょうか。歩いている間に使うものと、休む時のもの」


「お願いします」


 ラウルは二人のやり取りを見てから俺へ向き直った。


「ノワールも、一度は荷を背負って剣を使ってみた方がいいかもしれんな」


「ちょうど同じことを話してたところです」


「剣の師匠のところか?」


「はい。たぶん、余計な物を増やす前に足を揃えろって言われると思います」


「良い師匠だな」


 ラウルが笑った。


 実際、師匠ならそれより短く言うだろう。『足を見ろ』の一言で終わるかもしれない。


◆


 しばらくすると、ギルドの戸が開いて、フィロスとミレイが入ってきた。


「ん? こんなところで何を集めている?」


 フィロスが卓へ近づく。ミレイはその後ろで小さく会釈した。


「ごきげんよう、ノワールさん。エルザさん、ヴェラさんも」


「こんにちは」


 フィロスは卓の紙を覗き込み、眉を寄せた。


「縄、布、水筒……。ずいぶん地味な買い物だな」


「買う物を決めてるんじゃありません。今ある物を確かめてるんです」


「似たようなものだろう」


「全然違いますよ。買うなら、俺はまず鍋を」


「鍋?」


 フィロスが顔を上げた。


「お前は探索に何をしに行くつもりだ、石ころ」


「探検ですよ。そのうえで、ちゃんと飯を食いたいんです」


「ふん。鍋などなくとも食事はできる」


「そうですね。でも、温かい煮込みは美味しいじゃないですか」


「……それは同意してやる」


 思ったより素直な返事だった。


 横でミレイが視線を逸らす。笑いを堪えているようにも見える。


「フィロス様も、温かいお食事はお好きですからね」


「誰でも好むだろう! それと荷の配分は別の話だ」


「ええ。もちろんです」


 エルザが手帳から顔を上げた。


「ちなみに、フィロスさんたちは長い行程で何を持っていくんですか?」


「それは向かう場所と日数による。必要な物を必要なだけだ」


「それを知りたかったんですけど」


 フィロスは何か言いかけ、エルザの顔を見ると口を閉じた。


「……なら、何について知りたいか言ってくれ。その方が答えやすい」


「では、寒い場所で休む時の布は、どんなものを使います?」


 今度はフィロスも答えた。折り畳んだ布の厚さ、体の下へ敷くものと上へ掛けるものを分けること。話し始めると、思ったより細かい。


 エルザが書き留め、ヴェラも頷く。


「なるほど。では水は、途中で補給できる場所を確かめてからですね」


「そうだな。ただ、見つけた水を何でも飲めるとは限らんぞ」


「さすがにそんな真似はしませんよ」


 ヴェラが否定する。


「石ころなら飲みそうだろ」


 フィロスの中では俺はどんな奴なんだ。


「でも、水場が見つからなかった時は、俺の水魔法がありますから。いざという時は何とかなると思いますよ」


「……水魔法?」


 フィロスが俺の顔を見た。


「お前、剣士じゃなかったのか、石ころ」


「剣の稽古はしてますけど、水魔法も使えますよ」


「意外な魔法を覚えたな」


「それと最近、身体強化魔法も覚えました」


「それは剣士として当たり前だろう」


 やっぱりそうなのか。


 フィロスは口を閉じ、今度は紙に書かれた「水筒」の文字を見た。


「……水を作れるのか」


「はい。そっちはできます」


「当てにするなら、どのくらい出せるか確かめておく必要はあるな」


 ラウルがその文字を指した。


「それと、最初から持っていく水は減らさない方がいい」


「もちろんです。俺も倒れたくないです」


 ラウルが笑う。


「なら、困った時の予備として考えておこう」


 そう言われると、少し嬉しくなった。剣の稽古ではなかなかいいところを見せられないが、水を用意する役なら俺にもできる。


「野営で煮込みを作る時にも使えますね」


 エルザが紙の端に書いた鍋を指す。


「そうですよ。水も出せますし、鍋があれば煮立てられます。材料さえあれば、温かい煮込みだって」


「また鍋か、石ころ」


「今度はちゃんと使い道があるでしょう?」


「鍋も食材も薪も、持っていけるならな」


 フィロスにそう言われると、反論できない。俺が口を閉じると、ミレイがその隣から紙を覗いた。


「食事の準備も、人数で変わります。まだお買い物を急がなくてよいと思いますよ」


「分かりました。今日のところは、持っているものの確認だけにします」


 エルザが手帳を閉じた。


「でも、話を聞けてよかったです。ありがとうございます」


 フィロスは軽く顎を上げた。


「別に、大した話はしていない」


「そういう話を聞きたかったんです。ありがとうございます」


 エルザがもう一度言うと、フィロスは返す言葉を探すように目を動かした。


「……ふん」


 何となく、こちらの方が気まずくなってしまった。


◆


 ギルドを出たのは昼を少し過ぎた頃だった。


 持っていた紙には、持ち物の名前よりも、これから確認することの方が増えている。


「結局、今日は買い物できませんでしたね」


「ノワールさん、買い物が目的だったんですか?」


「いや、違いますけど。何か一つくらい決まるかと思いまして」


「決まりましたよ」


 ヴェラが紙を開いてみせた。


「今の背嚢なら、私は盾を持って歩けます。でも、荷物が増えるともう一度確かめる必要があります」


「それは確かに」


「私も、手帳に分けて書けました。先に使う物と、休む時だけ出す物です」


 エルザが続けた。


「俺は……鍋をまだ買わない、ですかね」


「決まってしまいましたね」


「嬉しそうに言わないでくださいよ」


 ヴェラが小さく笑う。


 通りの先に、昼の献立を外へ出した食堂が見えた。焼いた魚と野菜の煮込みの匂いが、開いた戸の隙間から流れてくる。


「今日は魚にしようかな」


「私は煮込みにします」


「ヴェラさんは?」


「私も魚がいいです。あちらの大きいのは、二人分でしょうか」


 ヴェラが指したのは、皿から尾がはみ出しそうな魚だった。


「……あれは、一人で食べたら午後は動けなくなりそうですね」


「分けていただけるなら、お願いしてみましょうか」


 エルザは煮込みの札を指で確かめながら、こちらを振り返った。


「ノワールさんが鍋の話ばかりするから、煮込みが食べたくなってしまいましたよ」


「野営で煮込みは俺の目標になりました」


「まだ言ってますね」


 俺は笑いながら、二人に続いて入口の戸を開けた。


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