第141話 盾の内側
「ノワール様、今日はギルドへ行きますか?」
朝食の皿を脇へ寄せながら、ヴェラが尋ねてきた。
「行こうと思ってます。昨日の報酬もありますし、ほかの依頼を眺めるくらいは」
「では、私も一緒に行っていいでしょうか」
「もちろん。何か見たい札でもありました?」
「いえ。マルタさんに会えるかもしれないので」
返事をしようとして、少し間が空いた。
「……ああ、盾の約束ですね」
「はい」
ヴェラは杯を置き、いつもより少し早く頷いた。昨日、ギルドを出てからも二人は盾の話を続けていた。俺とエルザが別の話を始めても、歩きながら何やら楽しそうに相談していたのを覚えている。
「今日いらっしゃるかは分かりませんけど、会えたら場所の相談をしたいんです」
「いいと思いますよ」
エルザが残りのパンを口へ運んでから答えた。
「私たち、今日は特に予定を決めていませんし」
「ええ。俺は少し休みたいくらいです」
「ノワール様、昨日も帰ってからそうおっしゃってました」
ヴェラが湯呑みに水を注いでくれた。礼を言い一口飲んだあと息を吐く。
「昨日の疲れが今日まで残るとは。歳ですかね」
「昨日も、宿に戻ったらすぐ休んでいたじゃありませんか」
「休んでも残るんだから、困ったものです」
エルザが小さく笑った。
髪際にいたリンが、俺の空いた皿の上へ降りようとする。エルザが皿を横へずらすと、白い光は何事もなかったように杯の縁へ移った。
「リン、それも空っぽですよ」
ちりん。
女将に皿を返し、三人で〈鈍色亭〉を出た。
◆
冒険者ギルドは朝から人が多かった。依頼板の前には革鎧姿の二人組が立ち、受付では大きな布袋を抱えた男が何か説明している。
昨日の依頼について尋ねると、ミラが帳面を開いた。
「ラウルさんの合同調査ですね。報告は受理されています。こちらが三人分です」
小袋を受け取って中を数えると、取り決めていた額が入っていた。エルザも受領の欄に目を通し、署名した。
「昨日の地図は、もう使われるんでしょうか?」
俺が尋ねると、ミラは首を横に振った。
「まだ、正式な通路として線を足す段階ではありません。危険箇所の報告は先に回してありますが、奥の方は測量の人たちにも確認してもらうことになります」
「わかりました」
昨日見た岩室は、今日もそのまま岩の中にある。こちらが帰ってきたからといって、全部が分かったことになるわけではない。
受付を離れ、依頼板の方へ向かおうとしたところで、背後から声が掛かった。
「ヴェラ!」
振り返ると、マルタが丸盾を背負って立っていた。今日は昨日より荷物が少ない。片手には何枚かの紙がある。
「おはようございます、マルタさん」
「おはよう。昨日はよく眠れた?」
「はい。マルタさんは?」
「ぐっすり。ただ、帰ってから盾の泥を落としていたら、寝るのが少し遅くなっちゃった」
「私も、盾の手入れをしていました」
「やっぱり。帰ってからも仕事が残るんだよね」
マルタが笑う。ヴェラもつられて笑ってから、持ってきた盾へ目を向けた。
「今日は、その盾でいらしたんですね」
「昨日、見せるって言ったからね。まだ仕事を決めていなかったし、時間が合えばと思って」
「私も、そのつもりで来ました」
「じゃあ、今日やってみる?」
話が早い。
二人はその場で少し相談し、盾を持って動ける場所を探すことになった。マルタが受付の方を向いたところで、ヴェラが俺の方を見た。
「ノワール様。ドランさんの稽古場を、お借りできないでしょうか」
「聞くだけなら」
「ありがとうございます。でも、場所をお願いするのは私からにします」
「分かりました」
そこまで決まると、マルタは受付へ紙を預けに行った。ヴェラはその背中を見送ってから、自分の丸盾の留め具を一度確かめる。
「ヴェラさん、楽しそうですね」
エルザが隣で言った。
「はい。違う盾を、近くで見せてもらえるので」
「……そっちですか」
「……ほかにも、ありますか?」
エルザは笑うだけで答えなかった。ヴェラは盾が大好きだってことはよくわかった。
◆
職人区へ入ると、鍛冶場の方から金属を打つ音が聞こえてきた。稽古場の板垣をくぐる頃には、朝の日差しで土の表面が少し乾いている。
庇の下では、ドランが木剣の柄へ新しい革を巻いていた。
「おはようございます」
「おう。今日は多いな」
ドランが俺の後ろへ目を向ける。マルタは軽く会釈し、ヴェラが一歩前へ出た。
「ドランさん、少し場所をお借りできないでしょうか。マルタさんと、盾の使い方を見せ合いたいんです」
「盾を?」
「はい。強く打ち合うのではなく、持ち方と、動く時の向きを確かめたいと思っています」
「木杭は使うなよ。倒れたら面倒だ。ノワールを使え」
「わかりました」
俺の使用が勝手に決まる。
「なら、向こうの空いたところを使え。他の奴が来たら場所は分けろ」
「ありがとうございます」
ヴェラが頭を下げ、マルタも礼を言う。
「ノワール」
「はい?」
「お前は振らんのか」
「今日は見学の予定です。学びになりそうですから」
「さぼりたい口実じゃないのか」
「まさか」
ドランは鼻を鳴らし、木剣の柄へ戻った。
俺たちは邪魔にならない場所へ荷物を置いた。エルザと俺が板垣寄りに下がる間に、二人は丸盾を並べて地面へ置く。
形はどちらも丸いが、こうして見ると大きさも縁の厚みも違う。マルタのものは握りの近くが深く使い込まれていて、ヴェラの盾には昨日のマッドクローの爪痕が残っていた。
「そっちは、裏がこうなってるんですね」
ヴェラが身をかがめた。
「うん。持ってみる?」
「よろしいんですか?」
「もちろん。私もヴェラのを見たいし」
二人は互いの盾を交換し、片腕を通してみた。マルタの盾を持ったヴェラは、握りに指を掛けてから、少し首を傾ける。
「思っていたより、腕が前へ出ます」
「私はそっちの方が驚いた。縁が近いね」
「近くへ入って受ける時に、扱いやすいんです」
「その代わり、遠いところへ伸ばすと届かない?」
「はい。そこは私の方が動かないと」
マルタが頷く。二人は互いの盾を返し、今度は革帯の長さや握りの位置について話し始めた。
「ノワールさん」
エルザが小声で呼ぶ。
「はい」
「私たち、何か手伝うことがあるでしょうか」
「今のところ、なさそうですね」
「ずっと見ているだけになりそうです」
「見学ですからね」
「そうでした」
リンは俺たちの間をふわふわと行き来し、やがてエルザの髪際へ戻った。
二人が盾の裏側を見比べている間、俺は庇の方へ声を掛けた。
「そういえば、師匠。ほかにも剣を教わりに来る人っているんですか?」
「いるぞ」
「会ったことがないですね」
「お前が帰った後だ。夕方に何人か来る」
「なるほど。そういうことでしたか」
いつも午前中にここへ来ているので、顔を合わせなかったらしい。
「今度、見学してもいいですか?」
「好きにしろ。邪魔はするなよ」
「ありがとうございます。ほかの人の稽古も見てみたかったんですよ」
「見るだけで上手くなると思うなよ」
「そこは、よく分かっています」
◆
盾の裏側をひととおり確かめると、二人は自分の盾を腕に通し、稽古場の空いた方へ移動した。
「じゃあ、昨日みたいに前から来るものを受けるとしたら?」
マルタが足を置き、盾をやや斜めに構える。ヴェラは正面へ盾を向け、少しだけ位置を変えた。
「私は、これくらいです」
「なるほど。私は、当たったあとで流す方がやりやすいんだよね」
「私も、流せる時はそうします。でも、あまり動かせない場所だと、そのまま受けた方がいいこともあります」
「昨日の通路みたいな?」
「はい」
話しながら、二人は一歩ずつ位置を変えていく。何度か同じ向きへ並んだ後、マルタが盾を下げた。
「ちょっと、誰かに前から来てもらった方が分かりやすいかな」
二人の視線がこちらへ向く。
「……俺ですか?」
本当に使われるんだ。
「見学だけで終わらないみたいですね」
エルザが楽しそうに言った。
「エルザさんも手伝います?」
「ノワールさんをご指名ですので、私は見ています」
「ですよね」
木剣を借りるほどでもないので、俺は両手を空けて二人の少し前へ立った。
「もう少し右から来てもらっていい?」
「はい。この辺りですか」
「うん、そこで止まって」
マルタは俺との間へ盾を置き、縁がどこまで届くか確かめる。次にヴェラが同じことをした。二人とも盾を当ててこないので、俺はただ前へ立ったり、横へ歩いたりしていればよかった。
「ノワール様、今度は少し近くでお願いします」
「分かりました」
近づくと、ヴェラが盾を小さく動かした。俺の進む先を塞ぐというより、そこへ入る余地を先に取っているように見える。
「これだと、こちらが止まるしかないですね」
「はい。昨日は、進ませない方がよかったので」
「なるほど」
マルタが横から覗き込んだ。
「じゃあ、もう少し広いところなら?」
「一度、横へ逃がします」
「見せて」
ヴェラは俺に合図をしてから、盾を斜めへ向ける。触れない距離で俺が足を止めると、盾の端がさっきとは違う場所に来ていた。
「そっか。こっちは私のやり方に近いね」
「はい。でも、マルタさんの方が大きく向きを変えられます」
「盾が違うからね。私は逆に、その小さいのを持ったら慣れるまで変なところを空けそう」
二人が笑い、俺もようやく元の場所へ戻ることになった。俺にはよくわからないやり取りだった。
「ありがとうございました、ノワール様」
「どういたしまして」
エルザのところへ戻ると、声を掛けられた。
「お疲れさまでした」
「しかし、ここに来て木剣を振らないのは変な感じですね」
「今からでも振れ」
庇からドランの声が飛んできた。
「……聞いてたんですか?」
「聞こえるんだよ」
マルタが吹き出し、エルザも笑った。
◆
片づけに入ると、マルタは盾の内側に付いた土を手で払った。
「ちょっと動いただけなのに、もう汚れた……また洗わないと」
「私もです」
「昨日、地下から戻って洗ったばかりなんだよね」
「私もです」
二人は盾の縁や革帯を確かめながら、どちらからともなく笑った。俺が借りた場所の土を軽く均してドランへ礼を言うと、エルザも荷物をまとめ終えていた。
「このあと、どうする?」
マルタがヴェラへ尋ねる。
「私は、特に予定はありません」
「じゃあ、ちょっとお茶でも飲んでいかない? この近くに、休める店があるんだけど」
「ぜひ」
ヴェラの返事は早かった。
「ノワール様、エルザ様も、いかがですか?」
俺とエルザは顔を見合わせ、小さく首を横に振った。
「……俺たちは、荷物を置きに戻ろうと思います」
俺が答えると、エルザも続けた。
「二人で行ってきてください。私も宿へ寄っておきたいので」
「……よろしいんですか?」
「もちろんです」
ヴェラは一度俺たちを見てから、マルタへ向き直った。
「それでは、案内していただけますか」
「任せて」
二人は肩を並べて職人区の通りを歩き始めた。マルタが何か話しかけると、ヴェラは盾を抱え直しながら答えている。二人の声は、鍛冶場の音に混じってすぐに聞こえなくなった。
「さて、俺たちも帰りますか」
「そうですね。……あ、ノワールさん」
「はい?」
「さっき、マルタさんの盾を見ている時、ずいぶん熱心でしたね」
「珍しかったですからね。持つ人によって、あんなに違うものなんだなと」
「剣も、見る人が見ればそうなんでしょうね」
「師匠に聞いたら、長くなりそうですね」
「今度聞いてみます?」
「……俺が疲れていないときにお願いします」
エルザが声を立てて笑う。
職人区を抜ける道には、焼いたパンの匂いが流れていた。いつもの宿へ戻るには、その店の前を通ることになる。
「俺たちも寄っていきます?」
俺が聞くと、エルザは何も言わずに店先の籠へ目を向けた。




