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明日も、ダンジョンへ。  作者: 為書結依
第五章 知らない道の向こう

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第140話 縄の端

 岩室を出ると、前を歩くヴェラの盾が、松明の光を受けて揺れた。


 さっきまでいた上の通路は、もう見えない。振り返っても岩室の天井が暗く広がっているだけで、あそこに人が歩ける道があるとは思えなかった。


「帰りは、浮いた石の手前で止まろう」


 ラウルの声が後ろから届いた。


「はい。先に足元を見ます」


 ヴェラが答える。マルタも隣で頷き、二人は歩幅を少し落とした。


 肩に掛けた縄が荷袋に当たった。革札を押さえると、二本の針がちらりと見える。


「まだそこを通るんだったね」


 マルタが振り向いた。


「ええ。帰りにも役に立ってもらいます」


「行きより道具を大事そうに持ってない?」


「特別製の縄なんです」


 革札を指で弾く。


「そうなんだ」


 マルタは笑って前を向いた。エルザがこちらを見ていた。


 戻るにつれて左側の床が低くなり、右壁沿いの足場が狭まった。ヴェラが片手を上げる。


「ここです。まだ皆さんは来ないでください」


 浮いた石は行きと同じ場所にあった。


「踏んだ跡はないね」


 マルタが石の横へしゃがみ、ヴェラは右壁側の足場を確かめた。


「砂が増えているように見えます」


「どこ?」


「石のこちら側です。行きにラウルさんが押した時の分かもしれませんけど」


「なるほど。じゃあ、もう一度確かめよう」


 マルタは右壁側の床を踏んで揺れがないことを確かめ、ラウルへ手を振った。


「足場の位置は変わってなさそう。でも、浮いた石は触らず通るよ」


「分かった。先に渡れるか?」


「やってみる」


 マルタが盾を身体へ寄せ、右壁に沿って進む。浮いた石に触れず、向こうへ渡った。


「こっちは大丈夫。ヴェラ、足を置くのはここだよ」


「見えています。行きますね」


 ヴェラも続く。右脚を置く時だけ少し時間を掛けたが、向こう側へ出ると盾を持ったまま振り返った。


「荷袋が岩へ当たりやすいので、少し前へ寄せてください」


「了解。次は縄を使おう」


 ラウルの言葉で、俺は肩から縄を外した。


◆


 向こう側のマルタが縄の片端を受け取り、こちらではラウルがもう一方を握った。軽く張られた縄を、一人ずつ通る時の目安にする。


「身体は預けないでくれ。足を置く場所は、二人が言った右壁側だ」


 ラウルが後ろへ声を掛けた。


「渡った者はそこで固まらず、先の広いところへ進む。通る人のために場所を空けておこう」


 先に渡ったヴェラが、右壁から離れて場所を空ける。マルタは足元の灯りを確かめ、ラウルと縄の張り具合を合わせた。


 一人ずつ渡り始める。


 エルザの番になり、俺は松明を預かった。エルザは片手に手帳を持ったまま、もう片方の手を縄へ伸ばす。


「手帳を持ったままでは無理ですね」


「俺が預かってもいいですよ」


「大丈夫です。読まれたら困るので」


「そんなことしませんよ」


 エルザは悪戯っぽく笑い、手帳を鞄へしまった。空いた手を縄に添え、身体を横へ向ける。マルタが縄を少し張り直した。


「そこで一回止まって。左足はもう少し先」


「はい」


 エルザの靴が固い岩へ乗る。浮いた石には触れず、向こう側へ渡りきった。


 エルザがヴェラの方へ歩いていくのを見て、俺は預かった松明を持ち直した。


 次は俺の番かと思ったが、ラウルが後ろから来た仲間へ声を掛けた。


「荷が大きいな。袋だけ先に向こうへ渡したい。ノワール、受け取るのを手伝ってくれるか」


「分かりました」


 その荷袋は横へ大きく膨らみ、背負ったままでは壁に引っ掛かりそうだ。いったん下ろし、俺が向こう側で受け取ることになった。


「中身は割れませんか?」


「予備の道具だ。振り回さなければ大丈夫」


「じゃあ、俺が先に渡りますね」


 縄に軽く手を添え、右壁に沿って渡った。踏む岩は覚えていたが、帰りは灯りの向きが違い、少し別の場所に見えた。


 向こう側へ抜けると、エルザが少し戻ってきた。預かっていた松明を渡す。


「松明、ありがとうございます」


 エルザが足元を照らしてくれる間に、俺は袋を受け取る場所を空けた。


「渡しますよ」


 仲間が袋を差し出す。マルタが縄を持ったまま受け渡しを見守り、俺は両手で受け取って足元へ置いた。


「助かった」


 男は身軽になって岩の脇を抜ける。渡り終えてから袋を背負い直し、仲間が待つ広い方へ歩いていった。


 袋を渡す間も、後方へ向けた松明は動かなかった。


 数を確かめると、こちらへ渡ってきたのは俺を含めて八人。向こうにはラウルとフィロスが残っていた。


「残り二人だ。縄はそのまま頼む」


 ラウルが言う。


「お前が先に行け」


 フィロスが顎で向こう側を示した。


「後ろは俺が見ている。さっさと渡れ」


「分かった。頼む」


 フィロスがラウルから手前側の縄を受け取った。ラウルは右壁に沿って抜けてきた。槍の柄が岩へ当たりかけたが、少し傾けて避ける。


 ラウルが渡りきると、フィロスが縄を離し、マルタがたぐり寄せた。


「フィロス、最後を頼む」


「最初からそう言っている」


 フィロスは刀の鞘を押さえ、縄に触れずに歩き始めた。横向きになり、浮いた石の脇を一息で通る。


「さすがですね」


 思わず声を掛けると、フィロスは肩越しにこちらを見た。


「石ころと一緒にするな」


「してませんよ。縄を使わなくても通れるのは、すごいと思いました」


「ふん。当然だ」


 その言い方に、マルタが小さく笑った。


 最後の一人が広い方へ出ると、ラウルが全員を見回した。


「十人いるな。怪我は?」


 誰からも申告はない。


「では、縄をしまおう。次は平たい石だ。そこも一人ずつ行く」


 マルタから縄を受け取り、俺は巻き直した。革札には砂が少し付いていたが、結び目は緩んでいない。


◆


 帰り道は、同じ場所でも違う順序で見えてくる。


 浮いた石を越え、来た時の曲がり角へ戻った。マッドクローと戦った広い空間には、壁際へ寄せた二体の死骸が残っていた。エルザが松明を向けたが、動く様子はない。


 ラウルは足を止めず、後ろへ声を掛けた。


「通路の出口を塞がないように。ここは通り抜けるぞ」


 フィロスのいる方から、短い返事が届く。


 狭い張り出しへ戻ると、ヴェラとマルタが先に立った。マルタは壁を見て、少し首を傾げる。


「こっち向きだと、盾を先に通した方がいいね」


「はい。私もそうしています」


 ヴェラは何か言い足そうとしたが、後ろの足音が近づいてきたので先へ進んだ。続きは広い場所で聞けそうだ。


 広い場所を抜けた先には、砂に斜めに埋まった平たい石が待っていた。


「石の右を通ります。行きと同じ固い床です」


 ヴェラが示した足場を、一人ずつ通る。全員が越えるまでフィロスとミレイは後ろを見ていた。途中でラウルの仲間が松明を替え、人数を確かめてからまた進んだ。


 第二分岐まで戻ったところで、エルザが時計を開いた。


「これなら、予定より遅くならずに戻れそうです」


「そうか。休憩を取ろう」


 ラウルの言葉に、一行は通路の広いところで荷を下ろした。


 水筒を開くと、思った以上に喉が渇いていた。俺は水を飲み、ついでに縄の結び目をもう一度確かめる。


「そんなに気になる?」


 隣に来たマルタが尋ねた。


「ええ。つい、確かめてしまいます」


「本当に大事にしてるんだね」


 少し離れたところでヴェラが脚具の革帯を確かめている。締め直さずに立ち上がると、マルタが歩み寄った。


「右脚、どう?」


「痛みはありません。長く歩きましたけど、大丈夫です」


「なら良かった。私も気をつけないとね」


 マルタが腕を回すと、ヴェラが少し心配そうに顔を上げた。


「まだ痛みますか?」


「もう大丈夫。あれだけ派手に受けたから、癖で確かめてるだけだよ」


 二人は並んで水を飲み、今度は盾の裏側の革帯について話し始めた。


 ラウルが立ち上がる。休憩が終わったらしい。


「行こう。入口まで、もう少しだ」


◆


 〈灰石の口〉の石段を上りきると、松明の火が急に頼りなく見えた。


 日差しはまだ高い。地下の涼しさに慣れた肌へ、地上の空気がまとわりついた。


「戻ったな」


 ガイルが帳面を閉じ、こちらを見た。


「十人、全員か?」


「全員だ。負傷者もいない」


 ラウルが答え、木札を差し出す。残りの者も一枚ずつ返していく。俺たち三人の札が並ぶと、ガイルは数えながら帳面に印をつけた。


「最初の分岐の左、その先も左だったな」


「ええ。未確認だった曲がり角を越えて、さらに奥まで歩いてきました」


 俺が答えると、ガイルは筆を止めた。


「何かあったか」


「マッドクロー二体を倒した。奥では新しい岩室も見つけた」


 ラウルが答える。


「分かった。そこはギルドで詳しく報告してくれ。入口の記録には、戻った人数と行き先を書いておく」


「そうする」


 十枚目の札を受け取ったガイルが、帳面に最後の印をつける。


 俺は荷袋の紐を緩めた。朝は何度も開け閉めを確かめたのに、今は早く下ろしたい。


「ノワールさん、ちゃんと結べてますね」


 エルザが横から笑った。


「ええ。褒めてくれてもいいですよ?」


「えらいですね」


 何の話をしていたのかと、ラウルが不思議そうにこちらを見た。説明する前に、ヴェラが先へ歩き出す。


「ギルドへ行きましょう。まだ報告があります」


「そうでした」


 荷袋は、もう少し背負っておくことにした。


◆


 ギルドの受付には、ミラがいた。


 十人が一度に入ってきたのを見て、ミラは一瞬目を丸くしたが、すぐに空いている卓を指した。


「お帰りなさい。ラウルさんの依頼ですね」


「ただいま戻った。全員無事だ。報告は少し長くなる」


「では、こちらで伺います。記録用の紙も用意しますね」


 ラウルは報告に必要な者を選び、俺たち三人とミレイ、マルタが卓に残った。フィロスとほかの仲間は荷物を預け、近くで待つ。


「ここから先は、あなたたちの記録が頼りですね」


 ミラがエルザへ目を向ける。


「はい。見たところまでなら」


 エルザが手帳を開き、第二分岐の左側から順に説明した。狭い張り出し、右の窪み、マッドクローと出会った曲がり角。そこから先にある、右の床が落ちた通路と浮いた石。


「石は沈みましたか?」


「槍の石突きで軽く押した時に、少しだけ。人を乗せてはいません」


 ラウルが答えた。


「確認できたのはそこまでですね」


「ええ。安全だと決めたわけじゃありません」


 ミラが書きつける間、エルザはさらに先の岩室を示した。


「正面に、人が横向きなら通れそうな割れ目があります。ただし、入っていません。床がどこまで続くかも分かりません」


「左の方は?」


「こちらは実際に上りました。途中で岩室を見下ろせるところがあり、下から灯りを当ててもらったら、端に隙間が見つかりました」


 マルタが言葉を継いだ。


「私たちがいたところからは、普通の床に見えたんだ。端へ寄ったら危なかったと思う」


「分かりました。見つかった位置も記録します」


 ヴェラは手帳の絵を指し、盾を持って通れる幅と、肩を岩へ寄せる必要があった箇所を説明した。


 上から見た場所、下の灯りで分かったこと、実際に歩いた幅。皆の話が同じ手帳へ集まっていくのを見ていると、少し面白かった。


 最後にラウルが、上り道の先で下り始めるところまで確認し、時間を考えて引き返したことを伝えた。


「ここから先を、今日の記録だけで通れる道として地図へ引くつもりはない。必要なら改めて測ってほしい」


「承知しました。地図の担当へ渡します。今回歩いたところと、未確認のところは分けておきますね」


 ミラとエルザが、しばらく地図の線を照らし合わせた。


 ラウルは最後に依頼書へ目を通した。


「報告まで済んだ。これで依頼は完了でいいだろうか」


「はい。調査同行と報告、どちらも確認できました。報酬は取り決めどおりに処理します」


「ありがとう」


 ミラが印を押す。


 朝に会った時と同じように、帳面や紙の音があちこちから聞こえる。その中へ、自分たちの歩いた道が一枚の報告として加わった。


◆


 ギルドを出る頃には、日が少し傾き始めていた。


 フィロスは通りの端でミレイと話している。俺たちに気づくと、銀色の髪を揺らしてこちらを見た。


「石ころ。次に行く時は、もっと先まで見てこい」


「俺たちだけで行くかは、まだ分かりませんよ」


「なら、人数を増やせばいいだろう」


「フィロスさんも一緒に行ってくれますか?」


「……気が向いたらな」


 ミレイが苦笑した。フィロスはラウルの方へ歩いていった。


 ヴェラはその様子を見送った後、マルタへ向き直る。


「今日は、ありがとうございました。盾の使い方も見せていただいて」


「こちらこそ。ヴェラの盾も、今度ちゃんと見たいな」


「はい。いつでも」


「じゃあ、今度時間が合う日に場所を借りて盾を合わせてみない? 広いところなら、少し動いて試せるし」


「ぜひ」


「決まりだね。会えた時に声を掛けるよ」


 ヴェラが嬉しそうに頷く。


「そういえば、あの足場を越えた時もマルタさんは――」


「ちょっと待って。歩きながらでもいい?」


「はい」


 二人は並んで先へ行った。


 俺がその後ろへ続こうとすると、エルザが袖を軽く引いた。


「ノワールさん、縄はちゃんと戻しました?」


「もちろん。ほら」


 荷袋を開けて見せる。短い縄の端に、革札が付いたまま収まっていた。


「良かったです。次に潜る時も忘れないでくださいね」


「ええ。毎回忘れていないか、確認してくれると助かります」


「確認しますよ」


 エルザは当たり前のように言った。


 リンがちりん、と鳴く。


 荷袋の口を締めると、革紐は朝と同じようにするりと動いた。


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