第139話 上からの灯り
マルタの靴が、上り口の砂をもう一度踏んだ。
「この辺りは大丈夫そう。上へ行くほど、少し広くなってる」
丸盾を身体の前へ寄せながら、マルタがゆっくり進む。その後ろでヴェラが足を確かめ、俺も二人の歩いた場所へ靴を置いた。
岩室から数歩上ると、道は左へ曲がった。曲がった先は肩を岩に擦らず歩けるが、天井は少し低い。
「盾が引っ掛かるところ、ありますか?」
「今のところはね。上より、右の壁に気をつけた方がいいよ」
マルタは盾を傾け、縁が岩の出っ張りへ当たらない向きを見せた。ヴェラも同じ角度にしてみるが、二人の盾は大きさが違う。ヴェラのものなら、もう少し正面へ向けられそうだった。
「こうでしょうか」
「そう。それなら右腕をぶつけないね」
「ヴェラさんの盾の方が、小回りが利くんですね」
俺が言うと、マルタが振り向いた。
「いいところも悪いところもあるよ。さっきみたいに上から来られると、私の大きさがありがたいけどね」
「私の盾では、あの受け方は難しそうです」
「今度、私の盾を近くで見てみる?」
「ぜひ」
うれしそうだ。
後ろからエルザの松明が近づき、ラウルの靴音が続いた。残りの仲間は岩室で待っている。
「上の様子はどうだ?」
「曲がった先まで見えます。足元も、今は乾いています」
「分かった。マルタ、もう少し頼む。ヴェラはその後ろで道を見てくれ」
「了解」
「はい」
二人が再び歩き出す。俺も天井の岩を避けようと頭を下げた。
「ノワールさん、荷袋です」
エルザに言われて背中を確かめる。岩に当たる前に肩紐を少し緩め、荷袋を横へずらした。
「ありがとうございます。頭の方ばかり見てました」
「背中にも目が欲しいところですね」
「欲しいですけど、付いたら寝る時に困りそうです」
エルザが小さく笑う。髪際のリンが、ちりん、と一度鳴いた。
◆
低い天井を抜けた先で、足元の傾きが緩くなった。
マルタが足を止めた。背筋を伸ばすと、上り道の先に明るい色の平らな床が見える。
「ここなら並べるね」
「右側にも、足を置けそうです」
ヴェラが覗き込み、すぐに身体を戻した。
「ただ、端がどこまで続くかは分かりません」
右の壁は腰より少し高いところで途切れ、その向こうは暗い。松明を寄せても底は見えなかった。
「少し下がりましょう。エルザさん、下を照らしてもらえますか」
俺も壁から離れると、エルザが松明を下へ向けた。光は思っていたより近い岩肌に届く。
「あれ……」
見覚えのある小石の山があった。その向こうに、仲間たちの松明も見える。
「下は、さっきの岩室ですね」
「そうだな」
ラウルが俺の隣で覗き込んだ。岩室の左側を上った道が、ここへ回り込んでいたらしい。下からは壁にしか見えなかったところに、横長の開きがある。
「ミレイ! 聞こえるか!」
ラウルが下へ呼びかけた。
「はい。聞こえます!」
「そちらの入口から、俺たちが見えるか?」
「灯りは見えています。人の姿は、まだ少し」
「下から、この辺りを照らせるか?」
「分かりました!」
下から松明が一本掲げられた。横から差す光で、低い壁に見えていた岩の縁が浮かび上がる。
「……ああ、ここまで割れているのか」
ラウルがしゃがんだ。
右端まで床が続いていると思っていたが、手前へ張り出していたのは別の岩だった。足元の床との間には細い隙間がある。上からの灯りだけでは、ひと続きに見えていた。
「ここから先、右端へは寄らないでくれ」
「はい。私も、壁だと思っていました」
ヴェラが少し離れた場所から答えた。
マルタは端から距離を取ってしゃがみ、内側の床を確かめた。
「端は踏まない方がいいね。でも、内側なら余裕がある」
「幅を見てから、続きへ行こう」
エルザが手帳へ隙間の位置を書き留める。俺も上ってきた曲がり角を振り返った。下の灯りは近いのに、そこへ戻るには、あの角を回るしかない。
「下の人たちも、今の場所を見つけてくれたんですね」
俺が言うと、ラウルは頷いた。
「こっちの灯りだけなら、踏めると思っていたかもしれない。助かった」
下からミレイの声が上がった。
「フィロス様が、後ろの通路を見ています。こちらは変わりありません!」
「ありがとう。もう少し上を確認したら戻る!」
◆
低い壁から離れ、上の通路をもう少し進んだ。
マルタとヴェラが前を行く。俺は二人の少し後ろから、足元と通路の先に目を配った。
岩室の明かりが遠ざかる頃、通路はゆるく右へ曲がった。右から天井の岩が張り出し、俺たちはまた背をかがめた。
「上だけ気をつけてね。床は、さっきより歩きやすいよ」
マルタが後ろへ声を掛けた。
「マルタさん、盾をもう少し立てた方が、岩に当たらないかもしれません」
左の岩の出っ張りが、マルタの盾の縁に近づいていた。ヴェラはそこを指した。
「本当だ。先に盾を少しずらすか」
マルタは盾を立て直し、岩の脇を抜けた。ヴェラはその動きをじっと見ている。
曲がり角の先は細長い通路になっていた。足元は乾いていて、一人ずつなら歩ける。右側の床は、奥でゆるく下がっている。
「思ったより、ちゃんと道が続いていますね」
「うん。さっきの割れ目よりは入りやすそう」
マルタが答えた。
エルザが先を照らすと、ラウルは槍の石突きで床を軽く確かめた。
「先の下りは、ここから見ただけじゃ分からないな」
俺も目を凝らす。光の端に下り坂が見えるが、その先は岩の陰だ。もう少しなら進めそうだった。
「どうします?」
尋ねると、ラウルはエルザへ目を向けた。
「今の時刻は?」
エルザが時計を開く。蓋に松明の光が小さく映った。
「もうじき昼になります。帰りに浮いた石のところで、また時間がかかりますね」
「そうか」
「下りの手前までは行けそうですが」
俺が言うと、ラウルは頷いた。
「行けそうだな。だが、今日はここまでにする」
「承知しました」
ヴェラが先に返事をした。マルタはもう一度奥を見てから、盾を身体へ寄せる。
「もうちょっと見たいけど、帰りも仕事だもんね」
「俺も同じです」
そう言うと、マルタは少し笑った。
「ノワール、すごく残念そうだね」
「そんなに顔に出てました?」
「うん。結構ね」
エルザは最後の曲がりと下り坂の始まりを手帳に記した。俺はその間も奥の暗がりを見ていた。
「ここに何か印を置きますか?」
ヴェラが尋ねた。
「勝手に道標を増やすのはやめよう。地図に特徴を残しておけばいい。報告してから、必要なら決めてもらう」
「分かりました」
ラウルが後ろへ向き直る。俺たちは来た道を戻り始めた。
◆
岩室へ戻ると、残っていた仲間たちの松明がまだ同じ場所を照らしていた。
「戻ったか」
フィロスがこちらを見た。ミレイとラウルの仲間たちも荷物を整えている。
「上はどうだった?」
マルタが丸盾を下ろし、右の低い壁のことを説明した。エルザは手帳を開き、上り口と、上から同じ岩室が見える位置を指でなぞる。
「途中で岩室を見下ろせる場所がありました。そこから右へ曲がって、さらに道が続いています。最後は下り始めのところまで確認しました」
「なるほど。左の道は、あそこで終わりじゃなかったわけだ」
ミレイが手帳を覗き込んだ。
「下から灯りを上げた場所も、記録していますか?」
「はい。この辺りです。下から見ても、上に道があるとは分かりにくかったですね」
「私も、最初はただの割れ目だと思いました」
ミレイが言う。
「正面の細い方は?」
フィロスが手帳の線を顎で示す。
「今日は入っていません。次に来る時の候補ですね」
「ふん。もう一つは手つかずか。次はどちらへ行くかで揉めそうだな」
「フィロス様は、どちらへ?」
ミレイが尋ねる。
「先へ続く方だ」
「それを確かめるために来ているんですよ」
俺が言うと、フィロスは少し不満そうに鼻を鳴らした。エルザが手帳を閉じると、面白そうに俺たちを見ている。
「帰りの配置を決めよう」
ラウルが手を打った。
「さっきの場所は帰りも縄を使う。手前には最後まで二人残す。フィロス、後ろは引き続き頼めるか」
「構わん」
「マルタとヴェラは先に戻って足場を見てくれ。変わっていたら知らせてほしい」
「分かった」
「はい」
エルザが時計をしまう。俺は荷袋から共用の縄を取り出した。
「ノワールさん、持つのはお願いしてもいいですか?」
「もちろんです。俺たちの縄ですからね」
縄を肩に掛け、荷袋を背負い直した。
前を行くマルタが、ヴェラへ声を掛けている。
「帰りは、先に足元を見てもらっていい?」
「はい。今度はこちらからも、気づいたことをお伝えします」
言いながら、ヴェラは歩き出した。
俺もその後ろへ続いた。岩室の出口へ向かう間、さっき上から見えていた灯りは、もう岩に隠れていた。




