第138話 奥の足場
ラウルは倒れたマッドクロー二体を見て、通路の幅を確かめた。
「帰りにここを通る。脇へ寄せておきたいが、その前にもう一度確認しよう」
「二体とも死んでいるぞ」
後ろからフィロスの声がした。
「分かるんですか?」
エルザが松明を持ち直す。
「当然だ。もう魔物の反応がない」
倒れた二体へ意識を向ける。そこから反復は感じないが、近くにいる仲間たちのものは分かる。フィロスは、それだけで死んでいると判断できるのか。俺にはまだ、そこまでの確信は持てなかった。
「助かる。片づける前に、こっちでも確認しておこう」
ラウルはフィロスへ頷き、マルタと一緒に二体へ近づいた。マルタが盾を構え、ラウルは槍先を低く向ける。エルザの松明で一体ずつ照らし、長い武器の届く位置から動かないことを確かめた。
「よし。通路の脇へ寄せよう。足を取られない場所にな」
ラウルの仲間が二人、魔物の後ろ脚を持って動かす。俺も手を貸そうとしたところで、エルザに袖を引かれた。
「ノワールさん、剣の汚れ、まだ落ちてませんよ」
「ああ……まだ汚れてましたか」
「そのままだと錆びますし、せめて納められるようにしてください」
刀身の付け根に、拭き残した灰色の汚れがあった。これでは鞘に納めるわけにいかない。
結局、魔物を寄せ終えるまでに、俺がした仕事は剣をもう一度拭くことだけだった。
ヴェラはマルタと向かい合い、お互いの盾の縁を確かめていた。マルタの腕はもう普通に上がるようだが、受けた側の肩を一度回してから盾を持ち直している。
「本当に平気ですか?」
「平気だよ。もう一度あの高さから飛んでこられるのは御免だけどね」
「それは、私も困ります」
二人が笑う。
その隣でラウルがエルザの手帳を覗き込んだ。
「帰りは、張り出しと右の窪みに気をつければ、ここまでは戻れるな?」
「はい。平たい石も一人ずつ通れば大丈夫です。ただ、帰りにも動かないとは限りません」
「その通りだ。戻る時にも確認しよう」
エルザが時計を取り出す。ラウルもそれを見てから、曲がり角へ目を向けた。
「まだ少し進める。まずは角の向こうを見よう。入れないようなら、そこで戻る」
「先へ行くんですか?」
期待をこめて俺が尋ねると、ラウルは少し笑った。
「そのために十人で来たんだろう。戦って終わりじゃ、道の話が進まない」
それは、まったくその通りだった。
◆
先へ出るのは、ヴェラ、俺、エルザ、ラウルの四人。マルタは広い空間につながる通路の出口を、フィロスは後方の通路を見守り、残りの仲間は荷物を整えていた。
「フィロス、もう少し待ってくれ。角の向こうを見たら呼ぶ」
「ふん。見物だけで済むならな」
「何かあれば声を出すさ」
「お前が出さなくても、そこの石ころが騒ぐだろう」
「じゃあ、遠慮なく騒ぎます」
「……お前には皮肉が通じないのか?」
言い返す前に、ヴェラが真顔でこちらに振り向いた。
「進んでもよろしいですか?」
「ええ、お願いします」
余計な口を動かしている場合ではなかった。
魔物が現れた曲がり角を、ヴェラが盾を寄せて進む。内側の岩が張り出し、灯りは先まで届かない。俺も剣先を下げた。仲間以外の反復は感じないが、奥が安全とは限らない。
「ここで、広がっています」
ヴェラの声が前から届いた。
角を抜けると、左には砂の薄い床が続き、右側には低い溝が奥へ伸びていた。
ヴェラが左の壁際を指した。
「こちらなら、足を置けそうです」
「右は?」
ラウルの問いにエルザが松明を下げる。床は膝ほど落ち込み、底には湿った小石が見えた。
「歩けなくはなさそうですけど、下りたら上がるところを探す必要がありますね」
「まずは左だな」
ラウルが後方へ振り返った。
「角の先、通路は続いている! 左側の床は歩けそうだ。まだ入らず、少し待ってくれ!」
返事が岩にぶつかり、ぼやけて返ってきた。
左壁に沿って十歩ほど進むと、床が狭くなり、ヴェラが足を止めた。
「この先、石が一枚浮いています」
灯りを寄せると、一枚の石が周りの岩から少し浮いて見えた。縁の砂は崩れている。ラウルが槍の石突きで軽く押す。
こつ。
石がわずかに沈み、隙間から砂がこぼれた。
「踏まない方がよさそうだな」
「左の方なら、石を避けて通れます。ただ、壁に寄ります」
ヴェラが言うと、ラウルは一度、俺たちの荷袋へ目を向けた。
「四人なら通れる。十人続けて通すなら、もう少し考えよう。まず、向こうに立てるところがあるか確かめてくれ」
ヴェラが左へ寄り、慎重に一歩を出した。俺も後へ続く。エルザが後ろから足元を照らしてくれたが、岩へ擦れないよう身体を横へ向ける必要があった。
浮いた石を越えると、三人が並んでも余裕のある場所へ出た。そこだけ壁が引っ込み、平らな岩が低い腰掛けのように突き出している。道はその先へも続いていた。
「ここなら、待てます」
ヴェラの声を聞いて、ラウルが浮いた石の手前で頷いた。
「一度戻ろう。みんなをこちらへ動かす」
「もう少し先も見てみたいですけどね」
「先へ行くためにも、戻る道は残しておこう」
その言い方に、俺は頷いた。四人で見つけた道を、残り六人にも通ってもらわなければならない。
◆
広い空間へ戻ると、ラウルが浮いた石の位置と、向こうに待てる場所があることを全員に伝えた。
「縄、使う?」
マルタが尋ねた。
「ありますよ」
荷袋から共用の短い縄を取り出した。結び目の近くに留めた革札が、小さく揺れる。
「それ、印が付いてるんだね」
マルタが覗き込んだ。茶色い革札には小さな円と、向きの違う二本の針。銀灰色と暗い赤の色が、松明の下でも見分けられた。
「〈コンパス〉の印です。名前を決めた日に作ったんですよ」
「へえ。いいね、そういうの」
マルタは縄の擦れを確かめ、ラウルへ渡した。
「向こうへ渡す人間を一人ずつ見られるなら、あった方がいいな」
ラウルは縄を伸ばし、石を避ける区間と見比べた。
「この幅なら届きそうだ。まず俺が渡る。縄を張るのは、それからにしよう」
ラウルは縄の片端を仲間に預け、もう一方を持ったまま浮いた石を避けて向こうの平らな場所へ渡った。それから手前の仲間と二人で、縄を軽く張った。
「これを握って進めばいいんですか?」
ヴェラが尋ねる。
「足の代わりにはしないでくれ。身体の向きを保つためのものだ。踏む場所は自分で確かめてほしい」
マルタも縄へ手を添え、引き具合を確かめた。
「なるほど。引っ張りすぎると、かえって危ないですね」
「そうそう。盾も一緒。支えがあるからって、全部預けたら倒れるよ」
「覚えておきます」
ヴェラは真面目に頷いた。
一人ずつ、縄に軽く手を添えて石の脇を通ることになった。
エルザは手前から足元を照らし、踏む場所を声で伝えている。俺も渡り終えてから向こう側の左壁際に立ち、あとから来る人の荷袋が岩へ引っ掛からないよう声を掛けた。
フィロスが縄を見下ろした。
「この程度の場所で、大げさだな」
「フィロスさんは、使わなくても大丈夫でしょうけど」
「当然だ」
「でも、使ってくれた方が後ろも使いやすいですよ」
フィロスは一瞬俺を見た。何か言うかと思ったが、鼻を鳴らして縄へ片手を添える。
「ほら、これでいいのか」
「はい。ありがとうございます」
「……なぜお前が礼を言うんだ」
ミレイが笑いをこらえたように俯いた。
最後の一人が渡り終えるまで時間はかかったが、誰も足を滑らせなかった。待つ側も灯りを動かし、後方を警戒し、縄を持つ手を交替していた。
十人が無理なく立てる場所まで進むと、ラウルが奥を見た。
「ここまでは通れる。今度は、もう少し先を調べよう」
三人だけなら、あの石で引き返していたかもしれない。十人では渡るだけで時間がかかるが、後ろを見てくれる人もいる。
「エルザ、どのくらい進んだ?」
「角からここまで、歩数を分けて記録しています。戻る時に違う場所を数えないように、特徴のある岩も描いておきます」
「助かる」
ラウルは頷いた。
◆
右の窪みが次第に浅くなり、道幅も戻ってきた。曲がり角から五十歩を越え、エルザが手帳に印を付けたところで、前方の岩壁が左右へ離れた。その向こうに、広い岩室が口を開けていた。
松明を上げても、天井の形は見えない。乾いた床には踏み固められたような場所と砂のたまった場所があり、右壁の下には小石が崩れていた。
「ここは広いな」
ラウルが足を止めた。まだ入口から離れず、壁と床を確かめている。
「全員、いったん揃おう。奥へ散らないでくれ」
松明の光が増え、岩室の端が少しずつ姿を見せた。エルザは正面の壁を照らし、ラウルの仲間は右側から別の灯りを寄せる。離れた二か所から照らすと、壁の途中に黒い筋が一本浮かんだ。
「割れ目でしょうか?」
俺が尋ねると、エルザは一歩横へ動いた。
「……いえ。向こうが暗いままです。隙間が続いているように見えます」
「ちょっと待って。こっちにも道があるよ」
声を上げたのはマルタだった。左の壁際へ盾を向け、松明の届く範囲を顎で示している。
少し近づくと、岩室の左端が奥へ折れている。正面に目を奪われていたせいで、入口からは壁の一部に見えていた。
「本当ですね」
ヴェラが左へ目を向けた。
「でも、こちらは上りになっています。盾を構えたまま入れるか、まだ分かりません」
「まず入口の形だけ見よう」
ラウルが言う。
エルザは手帳を開き、今見えている二つの方向を短い線で描いた。正面の黒い筋は、近づいてみると人が横向きに通れそうな割れ目だった。奥の床は光が届かず、どこまで続いているか分からない。
「正面は、まだ入らない方がよさそうです」
「そうですね。足元が見えません」
ヴェラが答えた。
後ろからフィロスが声を掛けた。
「石ころ。そっちはどうだ」
「近くにはいません。奥は分かりませんけど」
「ふん。お前にもその程度は分かるのか。俺にも割れ目の奥までは分からん。足元は自分で見ろ」
「そこは自分で見ます。ありがとうございます」
フィロスは満足そうに頷いた。
ラウルが手を上げる。
「正面の割れ目と左の上り口、今日はどちらか一つだけ確かめる。足場が悪ければそこで戻る」
エルザが時計を確かめる。帰りも浮いた石を十人で越えるのだから、時間はかかる。
「どちらからにします?」
エルザが尋ねた。
「左だ。床が見えている方がいい」
マルタとヴェラが顔を見合わせた。
「私が先に見てもいい?」
マルタがヴェラへ言った。
「はい。ぜひ」
「さっきは私が後ろだったからね。今度はこっちを見てみたい」
ヴェラが少し嬉しそうに頷く。
先頭をマルタに替え、俺たちは左の上り口へ向かった。ラウルが俺の横へ来る。
「ノワール、今の道は覚えていてくれ」
「ええ。戻る時は、あの浮いた石を踏まないようにしないといけませんね」
「あれは帰りにも人を置こう。それで、今度は奥の方を頼む」
「分かりました」
マルタの丸盾が、灯りを受けて少しだけ光った。
上り口の向こうから、乾いた砂を踏む音がした。マルタが試しに一歩を置いた音だ。
「ここ、思ったより幅があるよ」
その声に、ヴェラが盾を持ち直した。
俺も左の壁に沿い、まだ見えていない先へ足を踏み出した。




