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明日も、ダンジョンへ。  作者: 為書結依
第五章 知らない道の向こう

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第137話 盾を置く場所


 広い空間の方で、鎧の動く音がした。


「エルザ、先に下がってくれ。ノワールはヴェラの後ろを見てやってくれ」


 ラウルがそう言いながら後ずさる。最後尾にいた彼が先に岩の張り出しを抜け、その向こうで足を止めた。


「ヴェラ、急がなくていい。前を向いたままで下がれ」


「はい!」


 ヴェラの盾へ、マッドクローの爪が当たった。


 がり、と金具を引っ掻く音。低い方の一体が鼻先を押しつけ、盾の縁からこちらを覗こうとしている。ヴェラは押し返さず、盾を身体の正面へ置いたまま足を引いた。


 その背中を確かめながら、俺も一歩下がる。ここで剣を振り上げれば、壁にもヴェラにも当たりかねない。抜いた剣先を低く向け、近づいてくる前脚だけを見た。


「上の一体は?」


 エルザの松明が、壁の出っ張りを照らす。


「まだ上にいます。こちらを見ています!」


「分かった。エルザ、灯りを切らさないでくれ」


「はい!」


 エルザがラウルのところまで下がり、俺もヴェラを見ながら後へ続いた。


 右の窪みを避け、左の固い床を後ずさる。来た時は気にならなかった幅が、今はやけに狭い。ヴェラの盾に爪が当たるたび、足を速めそうになる。


「ノワールさん、張り出しまであと少しです!」


 広い方からエルザの声が届いた。


「分かりました! ヴェラさん、次は壁が近くなります」


「はい。覚えています」


 ヴェラは前を向いたまま答えた。


 上の方で、岩を引っ掻く音がした。


 視線を上げると、灰色の影が壁沿いに動いている。もう一体が高い位置の石に爪を掛け、こちらの頭上へ回ろうとしていた。


「上、動いてます!」


「見えている。ノワールはそのまま下がれ!」


 張り出しで鞘が岩を擦った。剣の柄を身体へ寄せ、横向きになって抜ける。


 広い空間へ出た途端、灯りが横から届いた。


 エルザが壁際へ松明を向けている。ラウルは通路の出口から少し離れた場所に立ち、槍を構えた。その奥には、入口で話した丸盾の女性がいた。


「こっちは受けられるよ!」


 女性が声を上げる。


「はい! ヴェラさん、あと少しです!」


 俺は出口へ身体を向け直した。


 ヴェラの盾が、岩の張り出しの向こうから見えてくる。低いマッドクローはまだその正面にいた。


 上の一体が、張り出しの上の岩棚から跳んだ。ヴェラの頭上を越え、四本の脚を広場へ向けて伸ばす。


「上から!」


「マルタ、そっちだ!」


 ラウルの声に、マルタが迷わず一歩出た。


 飛び込んできたマッドクローが、盾の上の方へ爪を立てる。マルタは受けた腕を少し下げ、身体を斜めへ向けた。獣の前脚が盾の縁を滑り、床へ落ちる。


 そこへラウルの槍が伸びた。


 刃が肩口を捉える。マッドクローは短く鳴き、横へ跳ぼうとしたが、マルタの盾が行く手に入った。ラウルは槍を引き、もう一度、低く突く。


 マッドクローの身体が石の上に倒れ、脚を二度ばたつかせた。


「一体、止めた。近づくな!」


 ラウルは声を張ると、すぐに通路へ向き直った。


 ラウルたちが上の一体を止める間に、ヴェラも張り出しを抜け、広場側の出口まで下がってきた。盾は通路の奥へ向けたままだ。


「ヴェラ、そこで受けられるか?」


「はい。ここなら盾を開けます」


「よし。そこを守ってくれ。ノワール、ヴェラの横へ。エルザは二人の手元を照らしてくれ」


「分かりました」


 俺はヴェラの左斜め後ろへ入り、剣を握り直した。


 今まで三人で戦う時は、互いに声を掛け、少し動いては場所を直していた。今日は立つ場所が先に決まっている。俺はヴェラの盾の外だけ見ればいい。


 低いマッドクローが、岩の間から姿を現した。


 前脚を開き、床を引っ掻く。こちらを見てから、首を低くする。


 ヴェラが丸盾を構えた。俺も剣先を下げる。


「正面はヴェラ。ノワール、左へ抜けたら頼む」


 ラウルの声が背中から届いた。


 マッドクローが床を蹴った。


 低い姿勢のまま一気に距離を詰めてくる。盾へぶつかると思ったが、直前で頭を左へ向けた。ヴェラと岩壁の間を抜けようとしている。


「左へ抜けます!」


 エルザが松明を下げ、魔物の足元を照らした。


「ヴェラ、そこからは任せる!」


 ラウルの声が届いた。


 ヴェラは前へ追わなかった。


 半歩だけ後ろへ下がり、盾を左へ向ける。岩壁との間にあった隙間が塞がった。


 灰色の頭が盾の縁にぶつかり、前脚が床を滑る。勢いを止められたマッドクローが横向きになり、肩の後ろが見えた。


「ノワール様、今です!」


 俺はヴェラの左脇から剣先を出した。大きく振らず、見えた肩の後ろへ短く突く。


 刃が前脚の付け根へ入り、マッドクローが横へよろけた。まだ動ける。後ろ脚が踏ん張ろうとしている。


 ヴェラの短槍が、その首元へ伸びた。


 穂先が入ると、獣は身体を一度大きく震わせた。それから脚の力が抜け、床に横たわった。


「そのまま、離れてくれ!」


 ラウルの声に合わせて俺たちは下がった。ヴェラも槍を引き、盾を前へ残して距離を取る。


 倒れた二体は動かない。けれど、誰もすぐには近づかなかった。


「フィロス、後ろはどうだ!」


「変わりない!」


 広場の奥から声が返ってきた。


「エルザ、上を見てくれ。ノワールは奥の通路。ヴェラは足元を」


「はい!」


 松明の光が壁を上がる。高いところに動く影はない。


 曲がり角の向こうへ意識を向ける。さっきまでの反復は消えていた。通路の床と暗がりも目で確かめた。


「今のところ、奥の通路にほかの生き物の気配は感じません。ただ、もっと先のことまでは分かりません」


「それでいい。まず、怪我を見よう」


◆


 剣についた汚れを拭っていると、ヴェラが丸盾の内側を確かめていた。革帯には破れがなく、腕にも大きな傷は見えない。


「右脚は大丈夫ですか?」


「はい。踏ん張りすぎることもありませんでした」


 俺が頷くと、ヴェラは盾を少し傾けて縁を見せた。新しい爪痕が一本増えている。


「こちらも、あとで手入れをすれば問題ありません」


「それなら良かったです」


 エルザは松明を持った手の甲を眺め、反対の手で袖口を払った。小さな煤がついていただけで、怪我はないらしい。


 すぐそばでは、ラウルが槍を、マルタが自分の盾を確かめていた。受けた腕を回し、何度か指を開いたり閉じたりしている。


「マルタ、腕は?」


「少しだけ。もう引いてきたよ」


「痛みが残るなら言ってくれ」


「分かってる」


 マルタは盾を下ろすと、ヴェラへ目を向けた。


「さっきの、いい受け方だったね。あそこで前へ追ったら、後ろが空くところだった」


「ありがとうございます。私も、あそこなら少し下がれると思ったので」


「うん。私の盾じゃ、あの位置からは届かなかった」


 ヴェラは少し驚いたように瞬き、それから小さく笑った。


 ラウルが近づき、俺たちを見渡した。


「それにしても、三人とも動きが揃っていたな」


「声を掛けてもらえたので、迷わずに済みました」


「そうか。なら良かった」


「マルタさんも、すごかったですよ。上から来たのを、ほとんど動かずに受けていましたね」


 ヴェラが言うと、マルタは笑って盾を軽く持ち直した。


「ほとんど動かず、って。ちゃんと一歩出たんだけどね」


「すみません。速くて見えませんでした」


「それは褒め言葉として受け取っておくよ」


 エルザが隣で笑った。


◆


 後方にいた仲間たちも、少しずつこちらへ集まってきた。誰かが壁際で松明を立て直すと、重なっていた影がまた伸びる。


 フィロスは倒れた二体を見て、片方の前脚を靴先で示した。


「上にいた方が先に跳んだのか」


「ええ。壁を使って、先に広場へ来ました」


「ふん。マッドクローなら、あの高さは使うだろうな」


 いかにも当然と言いたげな顔だ。俺たちが前に二体と戦った時も、片方が頭上を越えてきた。今回は後ろに盾役がいたので助かった。


「そういえば、ノワールがフィロスみたいに先に気づいたぞ」


 ラウルがフィロスへ声を掛けた。


「何?」


「角の向こうに魔物がいるとな。姿が見える前に教えてくれた」


「ほう」


 フィロスがこちらを見た。


「お前にも気配が分かるのか、石ころ」


「ええ。生き物がいるのはだいたい分かります。ただ、何の魔物かとか何体いるかまでは、まだはっきりしなくて」


「種類も数も分からんのか」


「そうですね」


「ふん」


 フィロスは少し顎を上げ、刀の柄へ片手を置いた。


「俺なら、そこまで見落とさん」


「それは助かりますね。今度は一緒に前を見てもらえますか?」


「当然だ。最初から俺が前にいれば、もっと早く分かっただろうな」


「フィロス様。後ろを任されていたのは、ご自分で引き受けたからですよ」


 ミレイが横から言った。


「分かっている。だから後ろを見ていただろう」


「ええ。助かりました」


 ミレイは穏やかに答えた。


 フィロスはそれ以上絡んでこなかった。どうやら、満足したらしい。


「で、ラウル。先へ行くのか?」


「今すぐは決めない。怪我と退路を確かめてからだ」


 ラウルはエルザの手帳へ目を向けた。


「曲がり角の先は、まだ誰も歩いていないんだったな?」


「はい。そこから先の床は、まだ記録できていません」


「なら、足元を見る人間を先に決めよう。奥へ踏み込むかは、それからだ」


 エルザが手帳を開く。ヴェラは盾を腕へ通し直し、俺は曲がり角の暗がりへ視線を向けた。


 広い空間では、仲間たちが装備を整え、あちこちで金具が小さく鳴っていた。


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